2013年2月9日土曜日

アンテパスは、今日どこにいるでしょうか(下)

ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。(新約聖書 黙示録2・13)

「サタンの住むあなたがたのところで殺された」。主はペルガモにある教会の状態を見られました。サタンはそこに座を持っていただけでなく、自らそこに住んでいました。獅子の穴の前で、紅の血や砕けた骨を見いださないことは、困難です。サタンの住む所に迫害があるのは、驚くことではありません。サタンは初めから人殺しです。サタンは最初の日から今日に至るまで同じです。

「わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも」。証人となること、すなわち真実であり、サタンの怒りをかき立て、サタンの王国を麻ひさせる者となることは、必ず敵の迫害を生じさせます。証人は、サタンの王国を麻ひさせることができない限り、彼は真の証人ではありません。真の証人は、必ず敵の怒りを引き起こします。しかしながら、時には、私たちが証をする時でさえも、殺されないでしょう。

アンテパスは、単に証人であるだけでなく、忠実な証人でした。忠実に証をする者はみな、迫害を受けるでしょう。サタンは私たちのむなしい言葉を恐れません。サタンが我慢できないのは、忠実な証です。証人となるだけでは多くの代価は要求されませんが、忠実な証人となることは自分のいのちを賭けることが要求されます。ここに代価があります。だれが進んで代価を払うでしょうか?

「あなたは、わたしの名を堅く保って、・・・アンテパスが・・・殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった」。主は彼らの上に困難が臨むのを許されました。ですから、主は彼らに尋ねられませんでした。彼はあわれみ深い主です。主は裁きの中にもあわれみを忘れられません。最善を尽くして教会を賞賛しようとされました。彼の子どもの長所に気づかないとか、知らないということはありません。主は彼らの環境の困難をよくご存じです。主は彼らが彼の名を堅く持ち続け、信仰を捨てなかったことを賞賛されました。

「あなたは、わたしの名を堅く保って、・・・わたしに対する信仰を捨てなかった」。彼らは、いったん聖徒たちに伝えられた信仰を否みませんでした。彼らは主の名に包含されるすべてを堅く持ち続けました。この名は、主のパースンの栄光を示します。彼らは、主の肉のからだのゆえに、彼のパースンを忘れたりしませんでした。彼らの目は主を見ませんでしたが、彼らは主の神性を信じました。彼らは主の名を堅く持ち続け、信仰を捨てませんでした。

このようなことが、この世的な教会から起こるとは何と不完全なことでしょう! しかし、主は人の長所を無にされません。こういうわけで、主は賞賛されます。初めの半分の主の賞賛は後の半分の賞賛よりも強力でした。なぜなら「堅く保つ」ことは「否まない」ことよりすばらしいからです。いずれにせよ、「堅く保つ」ことも「否まない」ことも、容易なことではありません(※)。これだけでさえ、主を感激させるのに十分です。こういうわけで、彼は喜んで彼らのことを述べ、彼らを賞賛されました。

主は今日の教会に、この言葉を言うことができるでしょうか? 今日私たちは何を見るでしょうか? 私たちは、キリストのパースンが至る所で拒絶されているのを見ないでしょうか? 人は20世紀の文化を褒めそやしますが、20世紀のこの世は依然としてサタンの座ではないでしょうか? しかし、ここにアンテパスがいました。彼の名前の意味は、「あらゆる人に反対する」です。彼はステパノのように、自分が担っている証を、自分自身の血をもって確認しました。彼は黙っていることを拒絶する者です。地獄の力も、この世の迫害も、生命の危険も、彼があらゆる者に反対するのをやめさせることはできません。主のために忠実に証し、自分のいのちを死に至るまで惜しまないこれらの証人は、今日どこにいるでしょうか?

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集280〜282頁より引用。※本文では[「堅く保つ」ことは「否む」ことよりすばらしい・・・「堅く保つ」ことも「否む」ことも容易なことではありません]とあり、何らかの誤訳が生じたと思い、引用文のように変えました。念のために並行する英文サイトを紹介しておきます。http://www.ministrybooks.org/books.cfm?id=0A847B

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