2013年2月12日火曜日

驚くべき回心

ソファーに鎮座まします花瓶(二つの造型を組み合わせて)
 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(旧約聖書 箴言1・7)

1825年の11月のある土曜の夕べ、ジョージは友人のベータと散歩していた。友人は彼に、最近ある個人の家庭で行なわれている祈り会に出席していることについて話をした。それによると、そこでは聖書が読まれ、賛美がなされ、祈りがなされ、印刷された説教が読まれているということだった(※)。ジョージはベータの話を聞いたとき、まるで彼が今まで全生涯で求めていた宝物を見つけたかのような思いになった。その晩、二人は一緒にその祈り会に行った。

ジョージは家に迎え入れられたとき、よくはわからなかったが、信者たちの間にある喜びに気づいた。彼の人生では初めて、人が祈りのために跪(ひざまづ)くのを目にしたのだった。そのことは彼に深い印象を与えた。カイザー兄弟が祈っている間、ジョージは考えていた。「私はこの人よりは教育を受けているが、この人のようには祈れない」

集会を辞してから、彼はなぜだかはわからなかったが、幸福感を味わった。以前の自分の生活のどんな喜びも祈り会の間に彼が経験した喜びに如(し)くものはなかった。神さまが彼の心に恵みのみわざをなされ始めたのだ。その晩が彼の人生の分岐点となった。

彼は続いてこのクリスチャンの兄弟の家を訪ねるようになった。もう一回神のことばを学び兄弟たちと一緒に祈れるように経巡ってくる土曜日がほとんど待ち切れなくなっていた。彼が直ちにすべての罪から手を切ったわけではなかったが、悪い仲間と時間を費やしたり、居酒屋に行くことはもはや止めにしたのだ。彼の虚言癖でさえ、木っ端みじんに砕かれた。正しい動機で教会に出席し始め、仲間の学生からあざ笑われることも意に介せず、心を開いてキリストご自身に罪の告白をするようになった。

※当時、プロシアでは任職された牧師がいなければ、説教が宣べ伝えられることは禁じられていた。

(『Release the Power of Prayer』10〜11頁訳出 。この同じくだりのところを解説してA.T.ピアソンは『信仰に生き抜いた人』の中で次のように述べている。

「彼は再びハレに戻ったが、その後まもなくキリスト・イエスにあって新しい人となろうとは、知る由もなかった。彼が神を見いだしたために、彼の人生の流れは、全く新しい水路に向かって流れはじめるのである。彼のこの20年にわたる罪と哀れな状態を書き連ねたのも、ただ彼の回心が超自然的なみわざによるものであり、神を除外してはいかにも説明のしようがないということを、より明白にしたかったからである。

このような結果を生み出したのは、決して彼の「進化」ではなく、また「環境」でもなかった。あの大学の町には、彼が救われて経験したような性格とふるまいの大改革を引き起こすほどの自然の力は、何一つ存在していなかった。その町には千六十人の学生がおり、そのうち九百人が神学生で、みな説教することを承認されていたのであるが、彼自身によると、真に「主を恐れる」者はそのうちの百分の一にも満たなかった。形式主義がきよい汚れのない信仰に取って代わり、多くの場合、敬虔な告白の陰には不道徳と不信仰が隠されていた。このような状況の下にある人間が、自分以外から、しかも天上からの大いなる力の介入を受けないで、どうして真の性格といのちの大変化を経験することができようか」同書19〜20頁引用)

0 件のコメント:

コメントを投稿