ジョージがイギリスに着いた時、彼の肉体は弱められ、病気はひどくなり、もう直らないと思ったほどだった。しかし、神の民だけが理解し得る道で、彼は肉体がますます弱くなりつつあるにもかかわらず、魂の内側の平安を経験していた。彼はかつて自分が犯した罪を思い、一方で主から受けとった赦しの恵みをはっきり知るたびに、心に平安をいただいた。彼には、死ぬことが神のご計画なら、死んで永遠に主とともにある備えができていた。
医師がやって来たとき、ジョージは祈った。「主よ、あなたは、お医者さんが私にとって何が最善か知らないのをご存じです。だから、どうか彼を導いて下さい」また彼に処方された薬を飲む時の祈りは次のようだった。「主よ、あなたはこの薬がほんのわずかの水以下のものでしかないことをご存じです。さあ、どうか私の徳とあなたのご栄光のために役立つものを生み出してください。すぐ天に連れて行ってくださるか、それとも回復させてくださるかしてください。主よ、あなたが最善と思われるように私をお取り扱いください」
神さまのご意志はジョージが健康を取り戻すことであったが、神さまは依然として病を通して彼に教えようとされた訓練があった。友人たちは彼に健康を取り戻すために田舎に招待した。そしてこの機会に彼は聖書を学ぶ時間をたっぷり与えられることになった。
神さまの訓練は豊富で深い。神さまはジョージに神のみことばが「判断の基準」であり、聖霊が彼の教師たり得ることを示された。彼は端的に聖書そのものを学ぶことができるように、注釈書やその他のほとんどあらゆる本を脇に置くようにと導かれた。彼が言ったことには、彼が神のみことばだけに集中した初めての晩、それまでの数ヶ月かけて学んだことよりも、その数時間のうちにもっと多くのことを学ぶことができたということだった。
彼がロンドンに戻ったとき、彼は主の働きに対して彼が持っているどんな力をも差し出す決意をしていた。彼は宣教師として直ちに出発したかったので、宣教協会に対して派遣して欲しいと要請していたが、返事を受けとれないでいた。だから、彼は公的な承認を待つよりもむしろ、今いるところで宣教師の資格があるなしを問わず、神さまに正しく仕え始めるのが妥当だと感ずるようになった。彼はロンドンにいるユダヤ人にトラクトを配布し始め、すぐに約40名のユダヤ人の少年たちと規則的に聖書を読んだ。
1829年もあとわずかになったころジョージはロンドン協会に財政的に支援されるのは妥当でないと感じた。そして宣教の方向や財政を求めるに際しては、ただ主だけを頼みにすべきだと知った。どちらにも影響することなく、ジョージは協会との関係を解消し、今や主が門戸を開かれる所ならどこであろうとも福音を宣べ伝える自由を体験した。
(『Release the Power of Prayer』13〜15頁より訳出。写真は昨日の家庭集会に掲げた聖句看板である。「主よ。どうかあなたの光のうちを歩みたくないすべての信者を集会から遠ざけてください。そしてまた、あなたによって備えられていないすべての未信者をも来ないようにしてください」とは『実を結ぶいのち』122頁にしるされていることばだが、聖でありまことである主イエス様の前に絶えず覚えていなければならない祈りであろう。この祈りは先ず第一に自らの内に鋭く迫ってくることばであることを肝に銘じ、主の光の中に照らし出されて、主にある方々との交わりをともに喜ぶ者でありたいと思う。昼間は「主を喜びましょう」と題してヨハネ14・1〜3、15・11、16・33が、また夜は「待ち望む生活」と題して1コリント16・21〜22とそれぞれみことばが取り次がれた。集会にいつも出席なさっている方々が友人を祈りのうちに誘ってお連れなさるが、そういう方々が喜んでおられる姿を目の当たりにするのは主が下さる恵みである。昨日もその恵みを味わった。次回は2月27日午前10:30からである。)
2013年2月14日木曜日
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