2013年2月15日金曜日

Absolute reliance on God(神様に対する全き信頼)

イギリスの風景 by Minako.S.
神さまはジョージをテインマスの18人からなる教会の牧師となる道へと導かれた。ここで神さまは彼に人々にみことばを伝えるにはどのようにして主の指図に頼れば良いかを教えられた。そして彼は早くも「祈りと黙想の生活だけが主の御用に役だつ器を用意する」のだということを悟った。神さまの祝福なしに、また指図なく、臨在なしには何事も実現不可能であり、神さまに頼ればピリピ4・13「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」のお約束を自分のものとすることができると知ったのだ。

テインマスにいる間にジョージはメアリー・グローヴズと会い、結婚へと導かれた。 また神さまに導かれて、彼は教区民の支援を受けたが、特別な給与を受け取ることは断った。人々の地位がもたらす影響が彼の宣教を支配することを悟り、自分の報酬を支払っている人々の反対を避けたいがために、全面的に福音を宣べ伝えず、妥協するように誘惑されたくなかったからである。加えて、教会における座席使用料の慣習は聖書的でないと感じていた(※)。金持ちは良い座席を買うことができるが、貧乏人にはそれができなかったからだ。

ジョージとメアリーは教会内に献金箱が置かれることに同意した。その上に記された表示は牧師を支えたいと思う人は献金箱に捧げものを入れることができますと説明したものであった。そのやり方は支援者が誰であるか、また如何なる人がどれだけお金をささげているか決してわからない方法であった。神さまはこの信仰の歩みを祝福されて、彼らの必要はいつも満たされた。

ジョージ・ミュラーは今まさに一歩を歩み始めたばかりであったが、もっと神さまに依存し、自らのどんな祈りにも神さまが答えてくださるというさらに大きな喜びへと導かれたのだ。テインマスで学ばされたこの信仰の訓練は、夫妻がブリストルに移って行ったときに、信仰がさらに増し加わる段階へと導くものとなった。

テインマスでの二年三ヶ月ののち、ジョージはそこでの働きは間もなく終わるであろうと感じ始めていた。ジョージはそれまで愛して来た人々と別れる悲しさはあったが、自分が感じたことは神さまのご意志であることが完全に示されたので、1832年の5月25日には(テインマスを出発して)ブリストルに到着した。

(『Release the Power of Prayer』15〜16頁より訳出。※ミュラーは絶えず聖書に聞いた人である。だから当時イギリスのキリスト教会で何らの疑問なしに行なわれていた慣行、教会座席使用料を否定して上述のように献金箱を置いたのである。A.T.ピアソンの『信仰に生き抜いた人』にその辺のことがさらに詳しく次のように書かれている。

「彼は『キリストに仕える者として、これ以上一定の俸給を受け続けることは、良心的でない」と考えた。一定の俸給とは定まった金額を意味するから、教会座席使用料の徴集またはそれに類した収入によらなければ、支払いが困難になる。しかしそれは、神の御霊の教えに明らかに反するものである(ヤコブ2・1〜6)。貧しい人は富める人のようにはよい席にすわれない。その結果、教会の集まりの中にあの忌まわしい差別感情や人間的偏見がもたらされ、階級制度的な精神を助長することになる。・・・こうして、1830年の秋、やっと25歳に別れを告げるという若さで、このような段階を踏み、その後も決して後退することなく、神の民のためにするどのような奉仕に対しても、定まった俸給をいっさい受けないという方針を曲げなかったのである。こうした立場については、聖書的な根拠を穏やかに示した。

一方、その同じ根拠に基づいて、自発的なささげものを奨励し、それは金銭であれ、他の方法によるものであれ、神に仕える聖職者の働きに対する正しい感謝のしるしであり、神が喜んで受け入れて下さるささげものであると強調した。その後まもなく、そのようなささげものが信者から個人的に直接届けられるために、多くささげる者はそれなりに自己満足を覚え、またある者はささげものが少ないために肩身の狭い思いをして、結局だれに対してもこの方法は有害であることがはっきりしたので、更に一歩進めて、礼拝堂に献金箱を備えつけることにした。

・・・更に、この主義を一貫して実行するために、主の奉仕のための旅費などについても、人からの助けを求めず、また事前にその援助の要求を間接的にそれとなくほのめかすようなこともいっさいしないことにした。何かの必要が生じた時はいつも主だけに求めるべきであり、そうせずに人に助けを求めるならば、それは肉の力により頼むことになってしまうと考えたからである。『神の御前にあってこの結論に到達するまでには、俸給を捨てること以上に主の御助けが必要であった』と彼は言っている。」同書61〜62頁より抜粋。)

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