2014年1月29日水曜日

「不思議な邂逅」(刎頸の交わり その2 )

Tさん宅のインコ※
Tさんを知ったのは、二年前の吉祥寺の火曜学び会での席上であった。その時、食事をともにしたお交わりを通して、私たちはすっかり友だちとなった。そして話してみると、お互いに50年間全く相離れたところに住んでいたにもかかわらず、主なる神様を通してしっかりと結び合わせられていたことを知ってびっくりさせられた。結婚する前、婚約者が私に熱心に読むように勧め、毎月送って来た福音を載せた小冊子があった。その小冊子は彼のお兄さんが印刷し、彼もまたせっせと手伝っていて販路開拓につとめたと、その初対面の長い話の中でうかがったからだ。その時、私は福音を拒んでいた。彼は販売に勤しんだわけだから、私と違ってすでに福音を受けいれていたことは言うまでもない。

さらに話してみると、その後福音を受けいれて結婚に導かれ、新婚生活を送った土地、足利でわずかなキリスト者との交流が与えられたのだが、そのうちの一組のご夫妻と、彼が何と彼らの結婚式にまで招かれたという間柄を知っては、ますます驚くばかりであった。そんな彼とはここ二年ばかり三四回ほどお会いし、お交わりする機会が与えられている。ところが昨日も久しぶりに彼と行動を半日ともにする結果になった。そして先ほどいただいたメールには「昨日は夢のようなお交わりをありがとうございます・・・」と始まる一文が書いてあった。

実は昨日は次男が妻の病を通して働かれた主のみわざと恵みを皆さんの前でお証した。その席に彼も別の方とのお交わりのため出ておられた。そのことは彼からのメールで事前に知っていたが、彼は次男が証することは知らなかったようだった。ただ妻の病のために仕事を休職していることは以前話してあり、祈っていただいていた。彼は、夜麻布で開かれる家庭集会に出る計画を立てていたし、私は先週に続いて国会図書館に安田寛さんの論文を探索するために行く予定でいた。昼は昼で次男夫妻と食事をともにする予定でおり、折角の彼とのお交わりもこの日は断念せざるを得ないかなと思っていた。

けれども、私は、私たち家族との食事に彼も同行することをお勧めすることにした。彼はついてきてくれた。そして初対面の次男夫妻と互いに自己紹介を兼ねながらの団らんの一時となった。その時、何かの話の序でに彼が次男に向かって「○○さんを知っていますか」と言ったら、次男がびっくりして「先ほど(証のおり)パリで与えられている交わりをほんの少し話させていただきましたが、その方は○○さんが信頼している方ですよ」と言った。私たちもびっくりした。特に私は食事に彼に同席してもらったことに対して、次男たちにも彼にも失礼に当たったのでないかと内心少し気にしていたからである。するとこの食事の席はそういう意味があったのだとお互いに会得することができ、さらに話が弾んで主の恵みを語り合った。

そして、次男夫妻・家内とはそこで別れ、彼と夜の家庭集会にまで行をともにすることにした。彼は、そこで別の方と会うことになっていたが、私も、もし導かれれば三人の方とお会いできれば出席してもいいと思っていたが、まだ態度は決めていなかった。取りあえず、国会図書館には私の方で強引に彼に同行を願い、私が調べ物をしている間、取り立てて目的のない彼も図書館で時を過ごしていただいた。そして四時半すぎにそこを出たが、結局私も出席することにして麻布十番まで一緒に出かけることにした。この間、彼は話詰めであり、私は珍しく聞き役の方であった。日頃工場労働にいそしみ日曜も働いている彼には、霊の飢え渇きがあり、キリスト者との交わりが貴重な一服の清涼剤のように思われた。

麻布家庭集会には初めて集ったということで、会の終わりに彼も何人かの自己紹介の中で最後に挨拶をした。大変感銘を受ける挨拶であった。内容は再現できないのだが、普段の工場労働での人々の殺伐とした人間関係とちがい、キリスト者同士の兄弟姉妹としての交わりがいかにたいせつで、ありがたいものかを味わわせていただいているという内容であったように思う。私よりも先に救われ、教会に出席していたが、様々な教会内の分裂や人間関係にも疲れ、やっとの思いでたどりついた、このキリストをかしらとする牧師のいない集会の伸び伸びした交わりを喜んでいる彼の姿が、そこにあったように思って聞いていた。

そのあと、麻布集会でも必要な方との交わりを彼も与えられ、また私も別の方とのお交わりが豊かに与えられ、家に帰ったのは11時を過ぎていた。さすがに疲れて、家で待っていた家内には、あまりその後の行動について説明する力がなかった。ところが今朝、冒頭述べたようなメールが入ったのだ。私もその半日の交わりは夢のようだと言う彼の表現はさもありなんと思い、目を通していた。ところがその次に書いてあった言葉にはびっくりさせられた。

「昨日息子さんの話しておられた○○さんのお母さんが本日召されて午後12時より自宅で葬儀があります。妻は出席するはずです。息子さんを通して、○○さんご一家が主イエス様に導かれ神様の不思議な御手が働かれたらとお祈りします」

とあった。こうして、全く、生まれも素性も異なる私たちだが、場所を違えて、また国内国外を問わずキリストにあって一つに結ばれていることを知る。それだけでなく麻布集会で出会った方々との交わりをもし記して行けば、さらにもっと稿を改めて書かねばならないことがらばかりであった。さらに、ここには集会のメインディッシュとも言うべき、この日大切なメッセージをしてくださったお二人のメッセージの内容(昼間はイザヤ6・1〜7『汚れた唇ときよめられた唇』、夜は詩篇119・71『悲しみから喜びへ』)を一切省略させていただいているのだ。みことばととともに、お一人お一人が様々な形で結び合わされている、キリストのからだとしての教会を味わわせていただいた、忘れ難い一日であった。

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。(ヨハネ4・35)

( ※前回、お宅にお伺いしたときに紹介していただいたインコ。13年経つと言う。ほとんど人間様と同じでご主人と奥様を識別し、食べ物も要求するそうだ。これまた不思議な世界だ。人間には未知の世界がまだまだある。)

2014年1月28日火曜日

死は終わりではない(結)

  冬枯れに 万両映ゆ 死は終わり ではないと神 明らかにせり  
これらのことをわかりやすく要約すると次のように言えるでしょう。すなわち、まず第一に、人間は生まれたときに、「魂」が与えられ、そのために永遠に存在する権利を与えられます。第二に、そのような人間が、罪を悔い改めて、イエス様を信ずる信仰によって新しく生まれ変わったときに、「永遠のいのち」を与えられます。第三に、そのような人は復活の時、「不滅のからだ」を与えられます。確かに未信者と言えども永遠に存在するわけですが、しかしながら、新しく生まれ変わらない限り、ほんとうのいのちを持つことができません。本当のいのちは、イエス様との交わりの中にあってはじめて存在するのです。ヨハネによる福音書17章の3節に次のように書かれています。

永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

そしてヨハネ第一の手紙5章20節にみると、書いてあります。

この方こそ(イエス・キリスト)、まことの神、永遠のいのちです

と、あります。まことの主なる神を信じない未信者は、この世でほんとうのいのちを持っていません。すなわち、主なる神との平和を知らないから、満たされていません。

 前に話した有名な詩人であるヴォルフガング・ゲーテという男は、彼の全生涯において24時間本当の幸福だったことはなかったと告白したのです。なぜ人間はそのような満たされない状態にあるのでしょうか。その原因はまさに人間の心に本当の平和と平安がないということです。人間は死後さばきを受けるため、人間には平安がないと聖書は言っています。前に言いましたように20歳で天に召された娘は「人格者とは死を直視することのできる人」と書いたのであります。「死」を直視することのできる人とは、すなわちイエス様によって救われた人です。だからパウロは「キリストこそ私の平和だ」と証しました。イエス様は主なる神との贖いをなしてくださいました。主イエス様は主なる神に敵対する関係を無にしてくださったのです。われわれ人間が主なる神から離れている罪あるいは債務を、イエス様の尊い犠牲によって完全に取り去ってくださったのです。

 まことの平和は、イエス様を信ずることによってのみ与えられるものです。イエス様を信ずる者は、みな、今、主なる神との平和、また贖いをもっていることを信じ、確信することをゆるされています。主なる神は、もはや怒りを持っておらず、イエス様の犠牲によって完全なる贖いと和解を成就させているのです。もはや何も神との結びつきを引き離すことはできません。主なる神との平和を持っている者は、もはや死を恐れることはありません。なぜならば、全き平安のうちに休むことができるからです。主なる神との平和がなければ、すなわち、主なる神との交わりがなければ、ほんとうの喜びも幸福もありません。人生は無意味な価値のないものになってしまいます。

有名な音楽家であるヨハン・セバスチャン・バッハは数々の名曲を残しましたが、その中でもはっきりと歌っているように、心から「死」を待ち望んでいたのです。つまり生きているこの世よりも、死んだ後に来る世界のすばらしさを信仰の目で見ることのできたバッハは、主を賛美せざるを得なかったのです。信ずる者と言えども、罪人である以上、本来は未信者と全く同じように、陰府(よみ)の国へ行かなければならない運命に定められていましたが、ひとり子なるイエス様の十字架によって、罪が贖われ、罪から解放されたために永遠のいのちをもつことができたのです。そのために、信ずる者はもはや「死」を恐れる必要がない。ローマ8章、有名な箇所ですけど、次のように書いています。275頁です。新約聖書の275頁。8章1節。

キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

38節

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 この意味で、「死」は信ずる者にとって信仰により、イエス様に近づくための橋渡しの役割を果たすと言えましょう。したがって、 信ずる者は「死」を恐れる必要を全然持たないわけです。もう一ヵ所読みます。ピリピ人への手紙、今度は335頁です。ピリピ1章の20節から

生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

 主の恵みによって救われた人々にとって、死ぬことはイエス様とともになることを意味していますから、益です。パウロは死ぬことと生きることとどちらが良いか考えた時、死ぬことを選んだのです。けれども、このパウロは多くの人々のために奉仕をしなければならない必要を感じていたため、さらに生き続けることを決心しました。この問題がなく、パウロ一人だけのことであったならば、恐らく死ぬことを選び、死ぬことを喜んだに違いありません。うちの娘の場合はそうだったんです。軽井沢に次のような意味の聖句が刻まれたお墓があります。「この世を去ってキリストとともにいることのほうがはるかにすばらしい」と書いてあります。救われた人々にとっては、未信者すべてが、いだくような「死」の恐ろしさが全然ありません。

 ドイツのアドルフ・ヒットラーは第二次大戦中、六百万人にのぼるユダヤ人を殺してしまいました。けれど、その当時オランダにテン・ブームという家族がおり、多くのユダヤ人を囲いました。ところが、結局ナチスの秘密警察であるゲシュタポがそれを見つけ出し、全員強制収容所に送ってしまいました。そこでコーリン・テン・ブームという一人の女性を除いてみんな殺されてしまいました。けれど、その時、彼女の父親は家を去るにあたって、大喜びで次のように言いました。「一番すばらしいことがこれから始まる」と。

 このことばの意味は、彼らの出発が恐ろしい死の旅路でなくて、イエス様とともになるための最高の喜びと感謝の旅に出かけるという意味です。将来与えられる栄光を見て、主イエス様のものとなった者は、生ける希望を持っているのです。結果としていかなる患難のときにも主を喜ぶことができる。なぜなら、将来に対して何の不安も持っていないからです。私たちは、将来のことを知ることができませんけれど、イエス様を知っております。それですから、将来に対するすべての問題が答えられていることになるわけです。イエス様御自身がわれわれの将来です。あらゆる不安と心配はイエス様によって慰められるのです。イエス様は、御自身を信頼する者を必ず目的地まで導かれるのです。それですから、私たちは、今、喜ぶことができ、誇ることができ、感謝することができるのです。

 三千年前この世界を治めた王様であるダビデは言いました。

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。

 このような確信をもつことこそが最高の幸せなのではないでしょうか。

2014年1月27日月曜日

死は終わりではない(転)


二番目、主なる神ご自身が、人間の心に、「永遠」を思う思いを授けられたと聖書は言っています。人間は、主なる神のかたちに似せて造られました。そして、主なる神がその人間に「永遠」とは何か、「完全」とは何かを理解する力をお与えになったのです。人間は決して過ぎゆく儚(はかな)いものや不完全なものによっては心が満たされません。人間は心から愛し、心から愛されることを望んでいます。それですから、この世の人間的な愛に何回も失望するのです。

芸術家は情熱をもって完全なものを作ろうとしますが、しばしば自分の作った物を破壊してしまうのです。なぜなら、自分の作った物と言えども決して完全なものではないからです。青年は将来に対して無限の希望を持ち、それが永遠に続くように思われるなのではないでしょうか。老人はそれほど夢多き将来を考えることがありません。若者にとっては一年と言えども非常に充実した意味のある長い一年のように思いますが、老人は過ぎゆく一年が非常に短く、はかないものであるということを体験から知っておるのです。また、多くの婦人はいつまでも若く、美しくありたいために莫大な費用をかけたり、そのために一生懸命努力したりしますが、結局どうすることもできないことを知って失望してしまいます。

人間の欲望は新しいものが次から次へと与えられても決して満足していません。それは悲劇であると言わざるを得ない。次から次へと目まぐるしく移り変わる、新しい流行を必死に追い求めても、そのことが幸せをもたらすとは言えません。実業家は、日夜金儲けのために努力します。独裁者は、自分の国を支配するにとどまらず、やがては世界を支配しようと無限に欲望を高めていきます。いわゆる仕事の鬼は、仕事だけをたいせつにして、ほかのことは何も考えないようにと一生懸命に苦労しますが、結局は何のために生きているのかわからなくなってしまい、息が詰まってしまうのです。人間的に見ると仕事が成功し、金持ちになり、病気もせず、非常に幸福そうに見えた人であっても、つねに満たされざる思いが心の中にあるため、主なる神の目から見ると決して幸福ではありません。

しかし、主なる神の御心は私たち人間が永遠のいのちを持つことに他ならない。それですから、主なる神以外に私たちの心は満たしてくれる方は誰もいません。

ヨハネ伝4章の中で、次のようなこと書いています。五人の夫をもつ姦淫の女のことが描かれています。疑いもなく彼女は幸福になりたいという願いを持っていました。しかしながら、彼女の切なる思いも決して満たされなかったのです。けれども、主イエス様は彼女に言われました。

わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

と。(すると)女はイエス様に言ったんですね。

先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。

有名なアウグスティヌスという男は「私が主なる神のもとで憩うまではまことの平安がない」と告白したのであります。

三番目の点、もしも死後の世界がなかったならば、この世はまったく意味のないことでしょう。永遠のものからはじめて、われわれの人生が意味あるものとなるのです。もしもすべてが「死」でもって終わるとすれば、生きているときのあらゆる努力は、いかなる価値を持っているのでしょうか。ソロモンという大王様はこの世のものは全てむなしい、「空の空である」と言いました。けれど、彼は名誉、地位、財産、その他ありとあらゆるものを持っていました。世界一の金持ちでした。けれど、彼は「すべてはむなしい」と告白せざるを得なかったのです。この世でとこしえに価値を持続するものは何一つありません。私たちが生きている時に持っているものはすべて、「死」と同時に私たちから離れてしまうのです。

唯物主義者は次のように言うでしょう。私たちは飲み食いしようではないか、明日の分からぬ命なのだ。しかし、この哲学は憤慨と絶望の表現であると言えましょう。なぜなら、若くて金もあり、時間も充分あるものが飲み食いすることは難しくないかもしれない。けれど、歳とって、金もなくなったときに、ただ病と死だけが待つようなことになるでしょう。死後の問題を本当に解決することができないならば、まさに自殺をするか、気違いになるか、いずれにしても、まことに悲惨の道だけしか残されていないことでしょう。けれども、自殺はこの問題を正しく解決することではなく、それはそれから逃避することを意味するのではないでしょうか。

 四番目、この世の正義と言えども決して私たちを心の底から満たしてくれるものではありません。なぜならば、正義と言えどもこの世においては私たちの完全な正義に対する熱望を満たしてくれないからです。この世における多くの不義は、必ずしも正しくさばかれているとは限りません。また反対に、この世で正しく生きている人々がそれ相当の報酬を与えられているかと言うと、必ずしもそうとは限りません。むしろ真理のために迫害されたり殺されたりした人さえいるのです。もしも死によってすべての終止符を打つならば、人生はまったく意味のないことです。けれども、事実は決してそうではありません。確かに死んで別れることはキリスト者にとっても等しく悲しいことであり、寂しいことであるかもしれないが、それにもかかわらず

 五番目、死んでから再び愛する者と会うことができるという確信をもつことができるということは、深く考えさせられることです。愛する者との死の別れは一時的なものにすぎない、必ず再会できるという確信をもつことは、信ずる者にとって最高の慰めであり、また喜びでもあります。

 六番目、その時に、顔と顔を合わせて相見(あいまみ)えることができ、イエス様に似た者となることこそ、創造主なる神のご計画に他なりません。ただ単に人間が永遠の存在として造られ、完全なものを追い求めていくために、造られただけではなく、主ご自身のために造られたのだ、ということを忘れてはなりません。すなわち初めの人間であるアダムの罪により、主なる神から離れてしまった人間は、どうしても神との生き生きとした交わりを回復しなければ生きていくことができません。救われた者が永遠にイエス様との交わりの中に時を過ごすことができるという確信を持つことができるとは考えられない(ほど)すばらしいことです。あらゆる宗教はあの世のことについてはっきりしたことを言わず、単なる想像に基づいて抽象的なことを言っているにすぎない。

 しかし、神のみことばである聖書は信ずる者にとっては、未信者にとっても死後の世界があることをはっきりと言っているのです。聖書によると、アブラハム、イサク、ヤコブが、すなわち四千年前に生きた人々が今もなお生き続けていることがわかります。それに対して悔い改めようとしなかった人々は陰府(よみ)の国に落ちて行かなければならず、そこで苦しまなければなりません。イエス様は、頭を下げたくなかった人々が、死後陰府の国で苦しんでいる時には決して、無意識な状態であるのではなく、はっきりとした意識を持って苦しまなければならないと言われました(※)。このように死んだ後ですべての信じようとしなかった人々は、陰府の国でやがて主なる神の前に引き出され、最後の審判を受けなければなりません。

 救われている人々、また救われていない人々も、死後も生き続けるように、終わりがないのです。主なる神によって救われた人々は永遠のいのちを持ち続けることは明らかです。つまり、死後、救われた人々は永遠のいのちをもって主なる神とともにおり、悔い改めたくない人々は苦しみと苦悩の中に滅びなければならないと聖書は言っています。

(※引用者註:ルカ16・19〜31にそのことが示されています)

2014年1月26日日曜日

死は終わりではない(承)


西軽井沢国際福音センター(御代田町)

今から多分34年前に、うちの娘リンデという女の子は、癌になりました。20歳で天に召されたのです。この娘はイエス様のために実を結びたいと切に願っていました。自分の健康や自分の幸せは枝葉(えだは)のことでした。ただイエス様だけが栄光をお受けになる時、私は嬉しい。これこそ娘の態度でした。 そして、この証は実を結ぶようになったのです。多くの人々は、イエス様を求めるようになり、イエス様をたずね、イエス様に出会うようになったのです。

 ドイツで、一人の方は私に尋ねてくれました。そして次のような質問をしました。リンデがそんなに喜んで死ぬことができたのはいったい何だったの? そして彼女が、そんなにもこの世から離れて、目に見えるものに関心をもたず、目に見えないものに関心を持ったのはいったいどうしたんでしょうか? 娘は次の文章を書きま した。亡くなってから、彼女の聖書の中で見つけた文章です。

人格者とは死を直視することができる人です。

 ある人は死後の問題は死んだときに初めてわかることであって、この世で生きている間はそんな問題に煩(わずら)わされない方がいいと考えています。そのような考え方について私たちはいったいどのような態度を取るべきなのでしょうか。確かに「死」についての人間の考え方は色々違っています。一般に、「死」について何か話そうとすると嫌な顔して、それを拒む人が少なくない。

 太陽王と呼ばれた有名なフランスのルイ14世は葬式の列が通るのを見た時、すぐ「カーテンを閉めろ」と命令した、と伝えられています。彼は、ご存知のように自分が望むものは何でも持っていました。名誉も地位も財産、その他あらゆるものを手に入れた有名な王でした。けれど、彼が一番嫌ったものが、正に「死」だったのです。ドイツの偉大な詩人であり政治家でもあったヴォルフガング・ゲーテという男も「死」を嫌ったため、非常に親しい人の葬式にさえも出席しなかったのです。

 多くの人はいろいろなことについて計画的に考え、その計画にしたがって行動しようとしますが、「死」に対しても同じように考えようとすると、もう滅茶苦茶になって何の計画も立てられなくなってしまうため、「死」のことに対しては頑(かたくな)に眼をつむってしまうのです。そして、彼らは生きている限りはできるだけ楽しみたいという強い願いを捨て切ることができないのですけれども、悪魔はそのような人々にささやいたり、「死」のことについて深刻に考えることをやめさせたり、あるいは目を眩(くら)ませて享楽的な生活へと誘惑して、絶えず悪の罠に引き込もうとしているのです。

 けれども、実際問題として考えると、実際は以上に述べたことは違った結果を示しています。すなわち、毎日この国で一時間ごとに少なくても二十四人の人々が交通事故で死んでしまいます。そしてまた第一と第二の世界大戦の、二度にわたる世界戦争では八千万人の人々が殺されてしまったのです。この国で毎年大体四千人以上の社会人が命を捨ててしまいます。残された家族の悩み、また苦しみはいかなるものでしょうか。「死」とは否定することの出来ない事実ですから、「死」について真剣に考えようとしない者は愚かであると言わざるを得ません。たとえばロメオ(?)という島で非常に珍しい儀式、ひとつの習慣があります。すなわち、それは結婚式の時に新郎と新婦との間に死んだ人の頭蓋骨を置くという風習です。その意味するところは、人生でもっとも幸福なときに死を忘れないようにということであると言われています。

 冷静な人は誰でも「死」がすべての終わりを意味するのではない、ということを認めざるを得ません。主なる神によって造られた人間の人生の目的が「死」によってピリオドを打たれるとはどうしても考えられないからです。働いている者は必ず何かの目的をもってます。もし、大工さんが無計画に目的なき家を建てるようなことがあったとしたなら、それこそ全く意味のないことです。仕立て屋さんが布(きれ)を裁断して洋服を作る場合に、必ずはっきりとした目的をもっていることとは言うまでもありません。意味がなく、目的がなく、計画がなければ、誰も働くことができません。

 したがって、全能なる主なる神が人間を創造された時にも、はっきりとした一つの目的をもっておられたことは明らかです。主なる神は、決して人間の「死」や滅びを望んでおられるのではありません。主なる神は、人間が生きることを望んでおられます。したがって、私たちは「死」のことについて考える時には、「死」そのものだけを思い出すのではなく、死後に来るものに注意を向けなければならない。ちょっと6つの点について簡単に一緒に考えたいと思います。

 第一番目、私たちの数十年間の人生というものは、それですべてが満たされるためにはあんまりにも短かすぎます。現在は、われわれの世界では一番長生きしたとしても、精々百二十歳ぐらいが限界です。けれど、百歳まで生きながらえた人の数も何と少ないのではないでしょうか。私たちは、この問題について真剣にまじめに考えるならば、聖書の言っていることが正しい、と認めざるを得ません。すなわち

あなたがたは、しばらくの間現われて、たちまち消えてしまう霧にすぎません

 われわれの人生がちっぽけなものであることは私たちでさえよくわかることですが、六千年を越える人類の歴史と言えば、主なる神の目から見ると無に等しいものです。私たちは百年前にどこにいたでしょう。そして百年後にはいったいどこにいるのでしょうか。われわれの人生が余りにも短すぎるため、死後の世界があるのではないかという考え方が自ずから出てくることも当然と言えましょう。この問いに対して、聖書ははっきりと別の世界があることを教えています。なぜなら、人間の人生は余りにも短かすぎて、そこにはほんとうの意味がなく、死んでから初めて本当の世界が始まるからです。

2014年1月25日土曜日

死は終わりではない(起)

 何十年ぶり、またここまで来ることができたのは本当に感謝です。いつ初めて来たのか綺麗に忘れました。けども毎週ここまで来て、ドイツ語を教えたんです。学校の創設者の特別な許可を得て学校の図書館でいつも使いなさい、学生たちにイエス様のこと紹介してもらいたい、そこまで言われたんです。ですから非常に楽しかったし、蒔いた種はいつ刈(り取)るようになるかはわからないけど、無駄ではなかったことを確信しています。今日の言われたテーマは「死は終わりではない」(です)。

 13年前だったんですけども、9月の11日、アメリカでとんでもないことが起こってしまったのです。急に数えられない人々は結局殺されてしまいました。このニューヨークの消防署で書かれた言葉があるんです。

No Farewell Words Were Spoken  誰も別れのことばを話しかけなかった。
No time to say Goodbye  さようならを言える暇もなかった。
You were gone before we knew it, and only God knows why.  私たちは知る前にあなたがたは召された。

 どうしてかということを主なる神しかわからない。そういう文章が公けになったのです。結局、どうして、なぜと考えても、答えられる人間はいない。一番危ないなのは宗教的な考えです。不幸を経験すると、宗教は必ずあなたはわがままだったから、おじいちゃんも変なことやったから、天罰だよ(と言います)。嘘です。

 人間を罰する神はいないんですって。これは聖書の言わんとすることです。どうしていないかと言いますと、必要ないから(です)。イエス・キリストは人間のわがままのゆえに罰せられたから、人間を罰する神は存在していない。これこそすばらしい事実じゃないでしょうか。この事実に基づいて前向きに生活することができるのです。2千何百年前でしょうか、イザヤという預言者は次のように書いたのです。12章の2節。

見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

 こういう確信をもつことこそが最高の幸せなのではないでしょうか。聖書を通して提供されている救いとはいったい何でしょうかネ。

 先ず、罪の問題の解決です。人間はみんなわがままです。過ちを犯す者です。そして、罪滅ぼしのために、結局人間は何も出来ません。(罪は)赦された、忘れられたと確信することがイエス様がもたらされた救いの結果です。

 それだけではなく、まことの救いは孤独からの解放です。人間はみな寂しい。もう少し大切にされてもらいたい。愛されてもらいたい。まことの救いは孤独からの解放です。ちょっと寂しいけどひとりぼっちではない。決して私から離れず私を捨てないという確信が、イエス様の救いを受けた結果なのではないでしょうか。

 それから、まことの救いとは「死」を恐れる恐怖からの解放です。多くの人々は確かに死について考えたくない。けど、どうせいつか死ななくちゃいけないでしょう。諺があるんですネ。「備えあれば憂いなし」。安心して希望をもって「死」に向かうことができなければ、今の人生は空しい。けども、「死」を恐れる恐怖からの解放こそが、イエス様を通して提供されている救いです。聖書の中で次のような言葉があります。

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

 こういうふうに心から言える人は本当に幸せなのではないでしょうか。

 あるドイツの出版社の息子はテレビ局の方に次のように聞かれました。

「あなたにとってもっとも大きなショックとは何でしょうかね。癌になることですか。全財産を急に失くすことでしょうか。あるいは一生涯車椅子の中で生活をすることでしょうか。」

 あの息子の答えはちょっと不思議な答えでした

「もし神がおられたら、それこそ考えられないほど恐ろしいことです。」

 主なる神がおられれば、「死」は終わりではない。そうすると必ず死後さばきを受けることになるからです。結局、天国か地獄かのどちらかです。確かに、地獄すなわち永久的に光の見えないこと、平安なし喜びなし希望なしに永遠に存在することとは考えられないほど恐ろしいことです。天国について聖書は言っています。

もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

 本当に来たるべき栄光はすばらしいものです。ですから聖書は簡単に言っています。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

 今苦しい、辛い、どうしたらいいかわからないけれど、それはおしまいではない。

 よく(私の)知り合いの方、色々なこと経験しました。先ず奥さんは癌になって召されましたし、そして、彼も何十年後ですけど同じく病気になりました。自分の葬儀のために彼はある小冊子を作ったんです。はじめの文章は

本日は私新井稔の昇天式にお集まりくださいまして本当にありがとうございます。

 前夜祈祷式と葬儀に出た人々はもう七百人以上でした。私もはじめて彼に出会ったのは、もちろん何十年前だったんです。出会った場所は名古屋のある病院でした。きっかけになったのは彼の奥さんの病気でした。彼はその時49歳で、奥さんは39歳でした。お二人は、その日イエス様しかないと思うようになり、イエス様を信ずるようになりました。それから、お二人はともに悩み、ともに祈るようになりました。あきらめる必要はない。人間だって、歳のため、病気のために死にません。創造主は呼ぶまで心配しなくてもいい。

 別の時だったんですけども、見舞いに行ったとき、あの奥さんはご主人である方に向かって、次のように言いました。

「病気になったのは良かったね、お父さん」

 彼の答えは

「あなたのおかげです」

 その意味は、もし病気にならなかったなら、救いを求めようとしなかったし、救い主に出会わなかったにちがいない。そうするとまことの喜びなし、本当の平安なし、希望なしで存在しなければならなかったにちがいない。だから、病気になったのは良かった、と奥さんは言えたのです。結局永遠のものを得るようになったからです。彼は次のように書いたことがあります。

 「もし、聖書を知らなかったら、苦しみや悲しみに苛(さいな)まれ、運命を呪ったことでしょう。イエス様信じて、(奥様である)順子は死の恐怖から解放され、私の生き様が変わりました。今は再び天国で順子とめぐりあえる喜びと主のみこころと愛に感謝の気持ちです。」

(昨日、『死は終わりではない』と題して持たれたゴッドホルド・ベック宣教師の講演の話の聞き書きです。4回に分けて掲載します。およそ百名の方が集われました。私も、その一人として参加させていただきました。)

2014年1月23日木曜日

十字架の奥義と賛美の本質

鳩は何を考えているのだろう 2014.1.5
日曜日、礼拝の後、一人の方とお交わりした。恋女房であった奥様を亡くされて8年経つと言う。神様は愛である方なのに、どうして自分の最愛の妻を自分から引き離し奪われたのかわからない、と言われた。一方で、そんな彼女に必ず天国で会えると約束してくださっているので今もイエス様を信じているんだともおっしゃり、毎朝少しずつ聖書を読んでお祈りしていますよとおっしゃった。

火曜の学びのおり、ベック兄は「誠の礼拝」という題で話をされた。そして礼拝とは何かと問われ、「主の導きに心から賛意を表する」ことだと言われた。また「すべてのことを主のみこころのままにおゆだねする」ことだとも言われて、イエスの弟子たちの経験や、旧約時代のマナセやモーセ、ダビデ、ヨブの経験を具体的にご紹介くださった。

主は雲の中にあって降りて来られ、彼(=モーセ)とともにそこに立って、主の名によって宣言された。主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」 モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」(出エジプト34・5〜9)

この場面に登場するモーセは直前に主から厳しいみことばを聞いたが、即座に礼拝した。そして罪を犯したダビデがなぜ「みこころにかなう人」と言われたかは、彼の礼拝にあったと示された。

しかしダビデは、家来たちがひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟った。それでダビデは家来たちに言った。「子どもは死んだのか。」彼らは言った。「なくなられました。」するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をし・・・(2サムエル12・19〜20)

罪を犯さなかったヨブは大変な苦難(10人の子どもを失う)の中、主を恐れ真心から主を礼拝した。その思いは生涯変わることがなかったことを指摘してくださった。

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。(ヨブ19・25〜27)

そしてこれらの人々の極致にイエス様はおられる。

それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26・39)

これぞ十字架の奥義であり、真の礼拝がここにあることを知る。

冒頭ご紹介した方だけでなく、私たちは様々な理不尽なことに取り囲まれている。昨日ご紹介した唱歌を日本に導入することに大いに活躍したアメリカ側の人物は実はメーソンという人であるが、彼もまたある面では不遇の人であった。しかし安田さんのご著書『唱歌と十字架』の72頁、239頁には次のような文章が紹介されていた。

「若い頃、メーソンは深い信仰にあふれた性格を育んだ。彼は異教徒の世界の状況に強く心を動かされていた。それで、彼は宣教師になる決心をした。しかし、不幸なことに、言葉に障害をもっていたために実現できなくなった。
 しかし、メーソンの生涯は、神の深い摂理が時には一人の人間が望んだとおりには導かないで、若い魂が望んだ以上のことを実現させたもうことがあるという良い実例なのである。もし、実際に、メーソンが宣教師になり、福音を伝道していったなら、彼が実際なし得たような善行をなすことができたかどうかは分からない。神は彼を導いて、日本への道を開かれたのである。そこで彼は、賛美歌を教え、すぐにそれは日本のいたるところで異教徒たちに歌われたのである」

何気なく歌っている賛美歌のメロディー。そして信者も信者でない者も、一様に童心をもって歌うことの出来る唱歌のルーツが実は賛美歌、主をたたえるために作曲された歌にあることを知ると、遠くボストンで日本人の救いのために熱心に祈られた人々の祈りはこのような形で日本人に一先ず届いたのだと思う。だから、換骨奪胎の唱歌の歌詞でなく正真正銘の主をたたえる賛美歌の歌詞をとおして十字架の奥義を信じ、まことのいのちにあずかる人が生まれるようにと祈る責任が日本人キリスト者には残されている。それは地味ではあるが、私たち信者が日ごとの生活の中で十字架の主イエス・キリストを体験することにかかっているのではないだろうか。明治以来の西洋音楽の受容を真剣に受けとめ、そのルーツを執拗にまで探求されている安田さんの様々な労作をとおして改めて思わされたことである。

2014年1月22日水曜日

『唱歌と十字架 明治音楽事始め』安田寛著 音楽之友社

小平ふるさと村※ 2013.12.20
新年も早や20日余りが過ぎてしまった。何もしないうちに無駄な時間を過ごしているようで主(しゅ)に申し訳ない思いがする。でも、それには訳がある。半月以上も前であろうか、図書館にリサイクル図書が展示してあった。数十冊の書籍が並べてあり、どれもかも図書館が不用と考えて放出している作品だ。だから、こちらが思うような本はないワイと思いながらも、読書好きの私はひとわたり見渡してその日は通り過ぎてしまった。ところが次に訪れた機会に、新たな思いで出口に置かれている本を今度は一冊ずつ丁寧に見ていった。その中に前回は見落としていたのであろうか、『唱歌と十字架』(安田寛著)という一風奇妙な題名の本が目についた。一瞬「唱歌」と「十字架」がどうして関係があるのだと思い、手に取ってみた。中味をさっと見、興味を誘われたので、あとの二冊『死は終わりではない』(山川千秋・穆子著)『深夜の読書』(辻井喬著)と一緒にとりあえず持って帰ることにした。

本は10年前に大鉈をふって大量に処分したのに、いつの間にかまたたまる一方で、再び書棚にあふれてきてこのところ困っている。そこへ、新たに、それも図書館が放出している古本を手にして家に帰るなんて、また妻からお小言をちょうだいせねばなるまいと覚悟した。ところがどうして、どうして、それ以来とうとう『唱歌と十字架』の著者である安田寛氏の一連の本を渉猟する羽目に陥ってしまった。逆に言うとそれほど私には未知の世界であり、おっかなびっくりではあるが、今も読み進めているというのめり込みになってしまった。著者の熱意が私に伝播してしまった感がある。そのことが主に申し訳ないというのが、私の今の正直な告白である。

もともと私は歌は好きだが、音楽は大の苦手である。『唱歌と十字架』はその「音楽」という教科が学制発布に遅れること10年後の明治15年(1882年)にスタートするにあたっての隠された史実を著者がアメリカにわたり丹念に調べ上げた結果を推理小説風に仕立て上げたものである。そしてその背後には明治期にボストンから日本に福音を伝えにやって来た宣教師の目論見と禁教下で育った日本人とさらに天皇制国家を創出しようと懸命であった儒教派とのせめぎ合いがあった。しかし結果はどうであったか。ここには日本の近代化が結局どのように行なわれたかが音楽と言う文化の面から周到に考察されていて、興味深い。

音楽は嫌いだと先ほど言ったばかりだが、私はかれこれ20歳の時からほぼ50年間賛美歌を歌い続けてきた。そのうち最初はグリークラブという男声合唱で、そして40余年は信仰者として歌い続けてきた。そして経験してきたことだが、このメロディーはどこかで聞いたことのある曲だとしばしば思うことであった。結局、賛美歌は他の誰かの作曲したものを借りて、歌詞を当てはめているのだ、だから曲はともかく歌詞の意味をかみしめて賛美しようと割り切っていた。しかし、この本によると、むしろ明治期の音楽教科書には賛美歌が曲としてあり、それに日本の歌詞を入れ、「唱歌」として成立したことを証明しているのだ。そしてこんな大それたことをやった人物は誰なのか、それはほとんど当時の反動化の嵐の吹きまくる日本国内の政情からすると十字架を負うに等しいことであった。そして今も日本人の歌唱のルーツにはこの十字架がしっかりと刻印されているのでないかと著者は主張しているかのように受け取った。

しかもこの本は1993年、今から21年前に出版されている。それゆえ図書館は放出した。その本が今私の手許にある。だから私が21年間も知らないでいただけで、日本の音楽界ではすでに知られている内容なのだ。しかし、著者はその後も20年間その延長線上に様々な書物を書いておられるのだから事はそんな単純な問題ではなさそうだ。「作家は処女作に向かって成熟する」とは亀井勝一郎のことばのようだが、安田さんはそのとおりのことを仕事としていらっしゃる思いがする。参考までに、私がこれまでの半月の間渉猟した本の題名を書いておく。題名からして彼の仕事がどんなものか想像していただけるであろう。『「唱歌」という奇跡 十二の物語(賛美歌と近代化の間で)』(2003文春新書)『日本の唱歌と太平洋の賛美歌 唱歌誕生はなぜ奇跡だったか』(2008奈良教育大学ブックレット)『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(2012音楽之友社)。その上、ネット愛好の方なら充分に著者の考え方がわかるサイトが幾つかあるがそのうちの一点だけ紹介しておく。「音痴と日本人」http://shop.tokyo-shoseki.co.jp/shopap/special/music/artes/yasuda001.htm

最後にこの大変な労作にキリスト者として一点だけ申し上げたいことがある。それは「十字架」の意味である。確かに「唱歌」と「十字架」という題名は度肝を抜くこと請け合いであり、それゆえ私の食指を誘った題名ではあったが、聖書に出てくる「十字架」はきわめて限定的であり、一切のヒューマンなものを越えている言葉、「いのち」であるということだ。そのことを信者ではないと言われる安田さんに知っていただきたいと今痛切に思わされている。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1コリント1・18〜19)

( ※年末長女に五人目が誕生した。お祝いに行った病院の近くにこの村があった。江戸初期から中期の新田村の建物を復元したと書いてあった。明治音楽はこのような農村にも新しい唱歌として歌われていったのだろう。すっかり忘れていたが、そう言えば、長女は私と違い、音楽専攻であり、夫君は音楽教師だった。)

2014年1月16日木曜日

「ネット人間」の筆の誤り

「弘法にも筆の誤り」という言い方がある。三筆と言われた弘法大師でさえ字をまちがえた。それは応天門の「応」の字の「心」の字の上の点を書き損じたと言うことだ。習字というものはそういうものかもしれない。

昨朝、例の通り、この日の家庭集会のためにみことばの看板書きに勤しんだ。筆を持ち書きながら自分でも少し違和感があった。しかし、よく確かめもせず、そのまま掲示した。けれども、今朝何となく気になったので、もう一度頭の中で字を反芻してみた。どこかおかしい。普段馴染んでいるパソコンを離れて、思い切って万年筆で紙に書いてみた。明らかに看板書きの習字の字は誤字であることがわかった。すると、昨日家庭集会にお見えになったたくさんの方々はその字を見ながら、どなたも指摘なさらなかったことになる。お読みにならなかったか、お読みになっても「店主」に悪いと思って指摘なさらなかったのだろう。何と寛容なことかと思いもしたが気恥ずかしくなり、早速急いで訂正した。

ちなみに昨朝書いたみことばは

さあ、来たれ。論じ合おう。たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。(イザヤ1・8)
  
であった。この文字のうち問題箇所は「論」の字の右部分、つくりと言うべきかその部分のミスであった。縦二本の線が突き抜け、横一本の線を書かなかったことによる。これでは折角、主(しゅ)が論じ合おうと呼びかけていてくださるのに、とても論じ合う気にはならないではないかと言われても仕方がない。内心苦笑せざるを得なかった。

訂正前(1/15)
訂正後(1/16)
言い訳がましいが、普段手もとで書いている字も習字のように大きく拡大して書くとなると人間の頭脳ではとらえ切れないのかも知れない。そこへ行くと、パソコンなどの機械類ではそのようなミスは全くないと言える。逆にそれほど人間の頭脳は規則ずくめで行かない、それを越えた存在でないかと思う。ここにも主の創造のみわざを強く覚える。しかし何とも理解しがたい主の恵みは、十字架上の贖いの死ではないか。看板書きに書きとめたみことばは私の罪を赦し切る主のみわざを思って書きとめたものである。

今朝の東京新聞の連載記事『二月二十一日(ある死刑囚の記録)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/feb21/』には「恵喜への判決の言い渡しは『終生、贖罪に当たらせることが相当である』と結んで終わる」と書いてあった。すでに連載は14回目である。今後どのように展開するかはわからないが大いに注目すべき記事である。

2014年1月9日木曜日

主がくださった今年のお年玉

元旦の西軽井沢国際福音センター東面
年末、一人の青年が主イエス様のみもとに帰って来た。三度の礼拝に集うだけでなく、年末年始の西軽井沢国際福音センターで開かれる「喜びの集い」に幼馴染である娘が誘ったところ、行ってみたいと言った。私たちはそれを聞き、彼の思いが一時的なものでなく本物であることを知り喜んだ。集会の礼拝に集ったのは、彼が言うには小学校6年以来だと言う。その最初の礼拝のおりには賛美するたびに涙が出てしょうがなかったと言う。知らぬのは私(たち)だけで、その不明を恥じざるを得なかった。

西軽井沢国際福音センターで一緒に集った三日間は夢のようだった。彼にとってこのセンターは幼い頃父親に連れられて、地下室で友だちとゲームに興じた懐かしい想い出がいっぱい詰まっているふるさとであった。今長じて眺めてみると、正面のものだけだったステンドグラスがいつの間にか西側面などに増えていると言う。ためつすがめつ感動の思いでそれらステンドグラスから離れようとしない彼の姿がそこにはあった。

最初こそ誰と交われるのだろうかと気をもみ二三の同年輩の青年を紹介したが、その後は私たちの心配もそっちのけで、たちまち老若男女の皆さんと親しくなり、夜遅くまで交わっていたようだ(帰りの車中で聞いたところによると、実に30人近い方々とお交わりがあり、一人一人の名前を手帳にメモしたということだった)。文字どおり、水を得た魚の如く生活し、いつの間にか、集会の兄弟姉妹との交わりだけでなく、台所に入っては皿洗いの一団にまで加わっているのには驚かされた。

行き帰りの車中で私たち三人は過ぎた過去の想い出を交換したり、また「喜びの集い」の余韻にともに浸りっぱなしであった。彼と別れ、家に帰って参加しなかった家内に娘と二人で彼の三日間の様子を報告した。語るたびにどちらからともなく互いのうちに涙があふれ出てきて仕方がなかった。そうして、主の愛のすばらしさにいつまでも浸っていたい思いであった。

これぞ、クリスマスから新年にかけて主がくださった贈り物にちがいない。

兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。実にマケドニヤ全土のすべての兄弟たちに対して、あなたがたはそれを実行しています。しかし、兄弟たち。あなたがたにお勧めします。どうか、さらにますますそうであってください。(1テサロニケ4・9〜10)