2014年1月29日水曜日

「不思議な邂逅」(刎頸の交わり その2 )

Tさん宅のインコ※
Tさんを知ったのは、二年前の吉祥寺の火曜学び会での席上であった。その時、食事をともにしたお交わりを通して、私たちはすっかり友だちとなった。そして話してみると、お互いに50年間全く相離れたところに住んでいたにもかかわらず、主なる神様を通してしっかりと結び合わせられていたことを知ってびっくりさせられた。結婚する前、婚約者が私に熱心に読むように勧め、毎月送って来た福音を載せた小冊子があった。その小冊子は彼のお兄さんが印刷し、彼もまたせっせと手伝っていて販路開拓につとめたと、その初対面の長い話の中でうかがったからだ。その時、私は福音を拒んでいた。彼は販売に勤しんだわけだから、私と違ってすでに福音を受けいれていたことは言うまでもない。

さらに話してみると、その後福音を受けいれて結婚に導かれ、新婚生活を送った土地、足利でわずかなキリスト者との交流が与えられたのだが、そのうちの一組のご夫妻と、彼が何と彼らの結婚式にまで招かれたという間柄を知っては、ますます驚くばかりであった。そんな彼とはここ二年ばかり三四回ほどお会いし、お交わりする機会が与えられている。ところが昨日も久しぶりに彼と行動を半日ともにする結果になった。そして先ほどいただいたメールには「昨日は夢のようなお交わりをありがとうございます・・・」と始まる一文が書いてあった。

実は昨日は次男が妻の病を通して働かれた主のみわざと恵みを皆さんの前でお証した。その席に彼も別の方とのお交わりのため出ておられた。そのことは彼からのメールで事前に知っていたが、彼は次男が証することは知らなかったようだった。ただ妻の病のために仕事を休職していることは以前話してあり、祈っていただいていた。彼は、夜麻布で開かれる家庭集会に出る計画を立てていたし、私は先週に続いて国会図書館に安田寛さんの論文を探索するために行く予定でいた。昼は昼で次男夫妻と食事をともにする予定でおり、折角の彼とのお交わりもこの日は断念せざるを得ないかなと思っていた。

けれども、私は、私たち家族との食事に彼も同行することをお勧めすることにした。彼はついてきてくれた。そして初対面の次男夫妻と互いに自己紹介を兼ねながらの団らんの一時となった。その時、何かの話の序でに彼が次男に向かって「○○さんを知っていますか」と言ったら、次男がびっくりして「先ほど(証のおり)パリで与えられている交わりをほんの少し話させていただきましたが、その方は○○さんが信頼している方ですよ」と言った。私たちもびっくりした。特に私は食事に彼に同席してもらったことに対して、次男たちにも彼にも失礼に当たったのでないかと内心少し気にしていたからである。するとこの食事の席はそういう意味があったのだとお互いに会得することができ、さらに話が弾んで主の恵みを語り合った。

そして、次男夫妻・家内とはそこで別れ、彼と夜の家庭集会にまで行をともにすることにした。彼は、そこで別の方と会うことになっていたが、私も、もし導かれれば三人の方とお会いできれば出席してもいいと思っていたが、まだ態度は決めていなかった。取りあえず、国会図書館には私の方で強引に彼に同行を願い、私が調べ物をしている間、取り立てて目的のない彼も図書館で時を過ごしていただいた。そして四時半すぎにそこを出たが、結局私も出席することにして麻布十番まで一緒に出かけることにした。この間、彼は話詰めであり、私は珍しく聞き役の方であった。日頃工場労働にいそしみ日曜も働いている彼には、霊の飢え渇きがあり、キリスト者との交わりが貴重な一服の清涼剤のように思われた。

麻布家庭集会には初めて集ったということで、会の終わりに彼も何人かの自己紹介の中で最後に挨拶をした。大変感銘を受ける挨拶であった。内容は再現できないのだが、普段の工場労働での人々の殺伐とした人間関係とちがい、キリスト者同士の兄弟姉妹としての交わりがいかにたいせつで、ありがたいものかを味わわせていただいているという内容であったように思う。私よりも先に救われ、教会に出席していたが、様々な教会内の分裂や人間関係にも疲れ、やっとの思いでたどりついた、このキリストをかしらとする牧師のいない集会の伸び伸びした交わりを喜んでいる彼の姿が、そこにあったように思って聞いていた。

そのあと、麻布集会でも必要な方との交わりを彼も与えられ、また私も別の方とのお交わりが豊かに与えられ、家に帰ったのは11時を過ぎていた。さすがに疲れて、家で待っていた家内には、あまりその後の行動について説明する力がなかった。ところが今朝、冒頭述べたようなメールが入ったのだ。私もその半日の交わりは夢のようだと言う彼の表現はさもありなんと思い、目を通していた。ところがその次に書いてあった言葉にはびっくりさせられた。

「昨日息子さんの話しておられた○○さんのお母さんが本日召されて午後12時より自宅で葬儀があります。妻は出席するはずです。息子さんを通して、○○さんご一家が主イエス様に導かれ神様の不思議な御手が働かれたらとお祈りします」

とあった。こうして、全く、生まれも素性も異なる私たちだが、場所を違えて、また国内国外を問わずキリストにあって一つに結ばれていることを知る。それだけでなく麻布集会で出会った方々との交わりをもし記して行けば、さらにもっと稿を改めて書かねばならないことがらばかりであった。さらに、ここには集会のメインディッシュとも言うべき、この日大切なメッセージをしてくださったお二人のメッセージの内容(昼間はイザヤ6・1〜7『汚れた唇ときよめられた唇』、夜は詩篇119・71『悲しみから喜びへ』)を一切省略させていただいているのだ。みことばととともに、お一人お一人が様々な形で結び合わされている、キリストのからだとしての教会を味わわせていただいた、忘れ難い一日であった。

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。(ヨハネ4・35)

( ※前回、お宅にお伺いしたときに紹介していただいたインコ。13年経つと言う。ほとんど人間様と同じでご主人と奥様を識別し、食べ物も要求するそうだ。これまた不思議な世界だ。人間には未知の世界がまだまだある。)

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