2023年3月31日金曜日

いのちの水の川は流れる

新川と 小名木川とは 川続き
 東京新聞の『私の東京物語』に俳人である西村麒麟さんが執筆していることは前に紹介した。ところが、昨日の第九回目に一枚の写真が載っていた。その景色は「小名木川」だと明記してあったが、前に訪れた川縁の景色(上掲の写真)ではないかと思い、調べてみた。その川は「新川」で別の川であった。しかし、陸続きならぬ、「川続き」の川であり、いずれも家康により開削された川であることがわかった。https://seisyuu1.com/2023/03/25/shinkawa-shionomichi/

 このような川縁を歩いて俳句を詠まれるとその記事には書いてあった。その上、川中に生育する生き物が、それぞれ漢字で表現されていた。鳰(かいつぶり)、鷺(さぎ)、鰡(ぼら)であった。当方もそれにあやかろうと、午前、川縁を歩いてみた。俳人とは程遠い私だが、ほんものの俳人である知人(27年前同じ職場であった)とばったり出会った。学生時代、加藤楸邨の身近におられ、それ以来句作に励んでこられた方である。

 先の「小名木川」の解説記事の中に、芭蕉に「秋に添うて 行かばや末は 小松川」という句があることを知った。川沿いにひたすら歩くのも一興なのだと痛感した。

 ところで、昨日の夕刊には「江戸情緒 満開 江戸川区の新川千本桜」と写真入りで美しい桜並木が紹介されていた。私が撮影した上掲の「新川」は中央区を流れる新川であり、季節は初夏の6月である。川といえば「古利根川」と相場が決まっていた私にとり、朝初めて知った「小名木川」「新川」はこうして随分身近になった。しかし、それぞれの川は、大河利根川の一支流であり、それは家康が関東を治めるために、苦心惨憺の結果生まれた川替えの歴史、物流の歴史を今に伝えているのだ。

 聖書に馴染みのある川といえばヨルダン川である。考えてみると、古利根川とちがい、一度も見たことがない。しかし、川の極めつけはさしあたって次のみことばでないだろうか。保津川下りの痛ましい惨事を見るにつけ、川侮るべからずと改めて思わされたが、一方、川は恵みの最たるものでもあるに違いない。

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(新約聖書 黙示録22章1節2節)

2023年3月30日木曜日

桜花爛漫、人集まり、小鳥さえずり・・・

スマホ撮(ど)り さえずる小鳥 花吹雪(※)
 久しぶりの青空のもと、古利根川を散策した。桜は満開。花吹雪の下で人々は思い思いにひとときの春を満喫していた。親子連れで桜をバックに写真を撮り合う姿。一角を占領し、ギターをはじめ様々な楽器で合奏する中年の人たち。歌は加山雄三の「君といつまでも」であった。程良い人の集まりに、小鳥は集まる人々もものかは、彼らは彼らでせっせと梢から梢と渡り歩いているのだろう、さえずる声が快かった。それにしても、今やスマホは花盛りである。十人が十人スマホ持参と言っても差し支えない。

 季節はもっとあとで初夏のころだと思うが、次の記事が聖書にある。

そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。(新約聖書 マタイの福音書12章1節)

 今回のWBC騒ぎで、案の定「指導者論」が活発になった。栗山監督と各選手の間柄である。比較の対象とはならないかもしれないが、イエスさまと弟子たちの間柄を描写するこの記事に思い当たった。何と弟子たちの屈託のないおおらかな姿よ、と思わずにはいられない。ちょっとしたことに目くじら立てる私と違い、そのぐらいイエスさまには包容力があったのだろう。

※写真を拡大していただくと川中の鴨二羽も写っています。水中には魚がいることでしょう。

2023年3月29日水曜日

解題 受肉者耶蘇(メシヤの誘惑)

 デーヴィッド・スミスの『受肉者耶蘇』は、全編がほんとうに良く考えられた論考だと思います。そうは言っても、それは私一人の単なる思い込みに過ぎないかもしれません。それで、今回から、「解題」という形で私自身がどこに感心しているかをお示ししてみたいと思います。

 「メシヤの誘惑」は、明らかにマタイの福音書、ルカの福音書、マルコの福音書を前提に描かれています。もちろん、お読みいただいてわかりますように、これらだけでなく、ヨハネの福音書やその他の聖書全巻が視野に入っていることは当然ですし、それがこの書物の特徴です。全聖書から主イエスさまがお受けなさった誘惑について述べようとしているからです。

 ところで、マタイの福音書では、その「誘惑」は『石』『神殿の頂』『高い山』 の順に、ルカの福音書では『石』『高い山』『神殿の頂』とマタイとは2番目と3番目が入れ替わっています。マルコの福音書には誘惑に遭われたことだけが明記されていて、その内容は書かれていませんが、的確に「誘惑」を述べています。

 その流儀でデーヴィッド・スミスの表現を見ると最初に『世俗(の王者)』次に『見せ物(奇蹟)』最後が『自己』となっています。上の三者に当てはめるなら、『世俗』は『高い山』、『見せ物』は『神殿の頂(から飛び降りること)』、『自己』は『石(をパンにすること)』に該当することがわかります。

 マタイ 石   神殿の頂  高い山
 ルカ  石   高い山   神殿の頂
 スミス 世俗  見せ物   自己

 そして、「世俗のメシヤ像」が実に詳細に描かれています。そのポイントは「この世のすべての国々とその栄華を見せて」(マタイの福音書4章8節)と端的に指摘され、それが高い山から眺望できる全世界であることが、エリコからエルサレムへの坂道の描写を利用して、具体的に描かれています。そしてそのメシヤ像はローマ帝国の羈絆からイスラエルを政治的に解放する王者というイメージが上げられます。しかし、イエスは王者にあらず、全人類の罪を贖うために十字架にかかられなければならないことが強調されています。ことばとしては「高尚悠遠の救い」と言われていますが・・・

 次に、宗教者としてのサンヒドリン(ユダヤ教最高議会)との同盟の誘いがあったことが描かれています。この辺はまさに福音書に見え隠れする叙述であり、デーヴィッド・スミスはカトリック教会を念頭にでしょうか、次のように述べていました。「後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました」と述べ、イザヤ書61章1〜2節、ルカの福音書4章17〜19節を引用し、これがイエスさまの職分であったと述べています。しかもその職分が制限されていたと述べ、その戦場は「イスラエルの狭隘な国内」であったと強調しています。

 この辺のイエスさまの葛藤が「イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。」と描かれていることに改めて目が開かされました。

 一方、2番目の「見せ物のメシヤ像」の誘惑の項では、「奇蹟」をめぐってのイエスさまの行動が描かれ、「その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。」と書かれていたので、さまざまな奇蹟が行なわれたあと、よく「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。」(マタイの福音書8章4節)ということが書いてあることが日頃読んでいて、なぜそう言われるのかわからなかったが、初めてああそういうことだったのかと思わされました。

 3番目の「自己のメシヤ像」という表現はわかりにくいことばでいまだに完全にわかったとは言えませんが、それは石をパンにせよと言う悪魔の誘惑に対して、その力を持っているお方があえてそうなさらなかった理由、あくまでも自己否定をされ、私たちと同じレベルにまで降りての主のご意志だったことを深く教えられました。

 そして、最後にこのような誘惑を受けるために荒野に退かれたイエスさまと、やはり同じように救われてすぐにアラビヤに退いたパウロの行動が比較されている項目、8「イエスの純潔」で「悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの外は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の外何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。」とあり、「過去」の悔い改めを必要としたパウロに対し、ただ「未来」にだけ目を向けておられました神の子イエスとの違いが言及されているのです。

 一点、個人的にはっとされたことばは『凶暴』ということばです。荒野の誘惑を説明する最初のところでデーヴィッド・スミスは荒野には『凶暴』があったと明記し、ルカの福音書10章30節「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた」をその例示としてあげています。そしてこの「メシヤの誘惑」の最後のほうで、パウロがアラビヤに退いた際の回想にこの『凶暴』ということばを再び用いています。それはパウロが信仰に導かれる以前、イエス並びに聖徒に対する『凶暴』の張本人であったことが含意されているのです。そして、イエスこそ悪魔の『凶暴』、『誘惑』に打ち勝たれたまことの神の子であったことをデーヴィッド・スミスは訴えているのです。

 デーヴィッド・スミスのもうひとつの大作は『聖パウロの生涯とその書簡』です。この書物も日高善一さんが訳しており、やはり国会図書館のデジタルライブラリーに保存されていますが、イエスさまの生涯とパウロの生涯を併せ読むことができるしあわせは何物にも変え難いと私は思っています。100年前の日本語表現ならではの名文の連続(これでも随分今風に置き換えて直しつつあらわしておりますが、そのため日高さんの名文の香りは失われている部分があります)で読みにくい面もあるかと思いますが、これに懲りず今後もお読みいただければ幸いです。

そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(新約聖書 マルコの福音書1章12〜13節)

2023年3月28日火曜日

受肉者耶蘇(16)自己のメシヤ像の誘惑

 その伝道の間に、ただ不思議を行なう人物と認められることを身震いしつつ厭われ、奇蹟を行なわれるごとに盗みでもなすかのように忍びやかに行なわれるのでありました。その恩寵こそメシヤであることの証拠であって、いやしくもこれを実験したものはまた他の証拠を求める必要がなかったのであります。しるしを求めるのは結局その心が肉的であることを示しているに過ぎないのです。

(3)自己のメシヤ( A selfish Messiahship)

 荒野の滞在まさに終わらんとして、連日にわたる断食に加えるに間断なき苦悩に困憊されるや、イエスは最後にして巧妙極まれる誘惑に襲われ給いました。イエスの周囲には石灰石の砕片散乱し、一度目をその堆積に転ぜられるるや、この石を奇蹟を行なう力によってパンと変化せしめて飢えを癒さんかとの思想が起こったのであります。イエスはその力を持っておられました。後数日を出でずして、水を葡萄酒に変ぜしめ、また伝道の間に二回まで一握りのパンをもって数千人を養う食料と増殖されたのでありました。しかもイエスはその力をここに用いることを避けられました。考えてみるに、その伝道中奇蹟は皆ことごとく自己のために行われたのでないのを見れば理由はすでに明らかです。

 他の人の要求の声には敏活なイエスの権能は、自己のためには如何に重要な場合であっても鈍ったのであります。イエスの天職には自己を否定せらるる必要がありました。イエスは私たちの重荷を負い、私たちの杯を飲まんがために降臨せられたのであって、私たちのか弱き心を悟らんがためには、私たちの苦痛を極端までも実験せらるる必要がありました。苦痛を逃れんがため奇蹟を行なう力を応用せらるれば、悲しみの人にして悩みを知らんがため、人間に伍して、私たちの性状を実験せらるべき、犠牲を棄てらるることとなるのであります。この世に送られる一歩一歩の生涯に、イエスは己を棄てて、敢然としてこれを癒さんがためにこそ降臨せられたその悲痛に進んで身を投ぜられました。 

 『このようにイエスはこの世を送り給いぬ。
   己を棄てつつ己が痛みを厭わず
  我らの重きを負いて我らの悲しみをことごとく身に受けつつ
   己がためには何の楽しみも求めざる生涯を。』

8 イエスの純潔(The sinlessness of Jesus)

 イエスの遭遇された荒野における誘惑は、私たちの恩寵溢れる救い主の無垢純潔を最も鮮やかに証明します。タルソのサウロはアラビヤの野に退いた間に絶えず、イエス並びにその聖徒に対する『凶暴』を回想しました。これが彼の生涯につきまといつつその隠退の間にも、絶えずこれを嘆いて、出来うる限り、過去を償わんがため、その未来を用いんと悲痛惨憺誓ったものでありました。

 イエスの荒野の隠退はこれと天淵もただならざるの差がありました。イエスは過去を回想されるに何の遺憾も羞恥もありませんでした。その思いを潜められるのは過去にあらずして未来でありました。かつその一つに思いを集められるのは如何にして天の父のみこころを行ない、己に託された事実を完成すべきかと言うことにありました。過去には寸毫の遺憾もないのであります。

 悔恨の涙にあらず、贖償の誓いにあらず、ただ誘導を求められる祈祷、天の父のみこころの他は何の律法も認められない不動の覚悟、天の父の栄光の他何をも求められない未来にだけ面を向けられました。このようにこの世を贖う事業に聖別されたメシヤの生涯には、一抹の汚れだに留められなかったのであります。

2023年3月27日月曜日

受肉者耶蘇(15)見せ物のメシヤ像の誘惑

4 有司との同盟

 しかし、以上の他にもなお方法が無いのではありませんでした。すなわちユダヤの有司と同盟されることであります。サンヒドリンの如きは政策上喜んでイエスを迎え、これを保護したに違いありません。イエスが始めてエルサレムに現れ給うや、この政治機関は、これをくわしく観察せしめんがために、その議員の一人にして、温厚の君子ニコデモを遣わして、個人として接見せしめたのであります。イエスにしてもし彼らの建言を入れられるならば、平和の間に、何らの妨害をも被らず、その職分を続行せられることができたでありましょう。これは心をそそる有望な予想であります。

 しかし、イエスはなおこれにも顔を背けられたのであります。これと等しい誘惑は、サンヒドリンの代表者の来訪とともに、ヨハネをも試みたところでありました。ところがヨハネすら紛然としてこれを叱咤しました。イエスはヨハネにまさって一層明らかに有司の人物を察知して、その建言の動機を早くも看破されました。 俗臭芬々堕落せる心地をもって彼らはこの新運動の牛耳を握らんと欲する者であります。彼らは民衆の帰服せる預言者を圧迫するの愚を知るがゆえに、その傀儡としてこれを保護するのを安全であると心得ていました。しかし、ヨハネとの提携がすでに難しいならば、イエスとの提携はさらに一層の難事でありました。

 イエスは神よりの依託を負っておられるがゆえに、このような世界人類中の少数者に認識される必要がないのでありました。祭司商売や儀式万能主義はイエスの敵であります。どうして死をもって戦いを挑まれるはずのこのような団体と同盟することができるでありましょうか。

5 その職分の制限

 『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしがイエスの眼前に彷彿せるとき、おそらくさらに今一つの思想がその胸中に沸き起こったことでありましょう。イエスは『イスラエルのメシヤ』であると同時にまた『世界の救い主』であるとするその職分には表面矛盾がありました。これがイエスの地上の生涯に絶大な憂憤を与えたもので『茫々とした慈悲の大海』をその胸の内に湛えつつもなお、全世界を覆う情を圧搾して、人類中のただ一部民族の間に閉じ込めなければならなかったことです。

 もし不敬虔に陥る虞れがなければ、イエスはこの天職の制限に対して伝道期間絶えず憂悶し、救いを渇望し、切実なる要求を持っていながらもなお滅び行く、国外大世界の人類を偲び痛み悲しまれたことは明らかであると言っても差し支えはないでしょう。その自らを虚しくして人と成られた間に、その恩寵を制し、心の赴くところを限られることは耐えることのできなかったほどの難事であったでありましょう。愛心を制限せられることは、その栄光を覆われ給うことに優る苦痛でありました。程もはるかなまぼろしを望んでは、国境を踏破して、イスラエル国外の世界に広大な収穫地を求めんとの誘惑にかかられなかったのでありましょうか。しかもイエスは贖罪に関する神の計画が如何に遠き古から進行しているかを思い起こしつつその誘惑に勝たれるのでありました。

 その戦場はイスラエルの狭隘(きょうあい)な国内であります。そして摂理をもって準備の整った地域に、メシヤはその王国の良い種を蒔かれるべきであるのです。誘惑者が唆したように、また一度はその敵がその計画を惑わしめたように、イエスにしてもしイスラエルを棄てて、異邦の民に赴かれたならば、キリスト教はその行程を誤るべきはずであったでしょう(新約聖書 ヨハネの福音書7章35節)。ギリシヤの師父が『信仰』を『哲学』なりと論じたのは、隠れもない事実であって、もしイエスがギリシヤ人の間に伝道されたならば彼らはイエスをもって哲学者なりとしてこれを受け、救い主としてこれを仰がなかったに違いありません。その教訓もまた哲学と受け取られて福音となることはできなかったことでしょう。

6 イエスは殺されんがために降られる

 異邦人の間に赴かれればイエスは厚い待遇を受けられたに違いありません。しかし、これはイエスのさらに心を転ぜられるところではありませんでした。イエスは歓迎せられ、尊敬せられるためにこの世に降られたのではなく、排斥せられ、虐殺せられ、世の罪の犠牲たらんがために、この世に臨まれたことを覚悟せられました。『キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいる』(新約聖書 ルカの福音書24章26節)はずであります。これは初めよりイエスの意識せられるところであります。その死は決して、後からの発見でもなく、思いがけない『大段落』でも、また出来うべくんば逃れんと欲せられた不承不承の必要からでもありませんでした。

 始めより熟慮されたところであります。その伝道の当初に、苦難と復活との神秘的な預言を与えて、しるしを求める有司たちを困惑せしめられたのでありました(新約聖書 ヨハネの福音書2章18節〜22節)。ニコデモとの対話中にも、人の子は必ず『上げられる』必要があるのを示されたのであって、その意義は先ず十字架にかかって栄光に入ると言うにありました(新約聖書 ヨハネの福音書3章14節)。ガリラヤ伝道の開始後間もなく新郎は取り去られて、新婦の家の子らに悲しみあるべきを予告せられました(新約聖書 マタイの福音書9章15節、マルコの福音書2章19節〜20節、ルカの福音書5章34節〜35節)。

 イエスがかつて笑われたことがなく、常に哀しんでおられたとの伝説は確かな事実であります。イエスは死なんがためにこの世に降られ、その在世の日には一日として罪の重荷を卸された日はありませんでした。十字架はイエスの決勝点であって、その影は常に前途に暗闇を描き、また凄惨の気を漲(みなぎ)らすのでありました。『メシヤはこれらの苦しみを受けるべきにあらずや』されば自ら好んでイスラエルの国内に留まられたのであります。 

(2) 見せ物のメシヤ( A spectacular Messiahship)

 この世との提携を退けられるや、イエスは全く反対にして一層激烈な誘惑に襲われなさいました。イエスは神とは同盟せられて当然ではないでしょうか。時代はちょうど奇蹟を好んだころであって、しるしと表象を見るのでなければ、民衆はこれに信頼することができなかったのです。メシヤは自己の宣言の証拠としてしるしを示されるべきものと期待されました(新約聖書 ヨハネの福音書4章48節、7章31節)。イスラエルに起こった詐欺師は皆いずれも奇蹟を行なう力を示して民心の収攬を企てました。イエスの伝道の間にも、群衆や有司の求めるところは絶えず奇蹟でありました(新約聖書 ヨハネの福音書6章30節、2章18節、マタイの福音書12章38節、ルカの福音書11章16節、マタイの福音書16章1節、マルコの福音書8章11節)。

 すなわちこの一般の要望に投じてその宣言を確証せよとの思想が、荒野においてイエスの前に現れたのであります。その心は、後方の山を玉座としてきらめく神聖なる都城の上に転じました。この時を去る38年の後、主の兄弟ヤコブが投げ落とされたというその高い胸壁、すなわち『神殿の袖』に登って、過越節間近にして神苑に群衆の集まるその面前において、この眼も眩む高所から、身を倒し飛び降りるということを胸に描かれたのであります(旧約聖書 詩篇91篇11節12節)。これには神も関与せられるのであります。詩篇にはメシヤに関して『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手であなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする』とあるではありませんか。見えざる手はイエスを支えて、地上へ安全に降ろすことでしょう。そうして驚く群衆はイエスをメシヤとして祝しつつ、『ホサナ』と叫ぶに至るでしょう。

7 神を試みる

 イエスはこれをもって『神を試みる』こととして聖書のことばをもってこれを退けられました(旧約聖書 申命記6章16節)。いやしくも摂理によって身に転じ来ることならば、静粛、不動の心をもってこれに克つのは神の子であるものの特権であります。しかし軽率に危険のうちに投じたり、あるいはまた『この世の信任を誇る所為』、虚名を博するためとならば、決して神との協同を志すことはできません。見せ物に類する行動をもって喝采を博せんとする思想はイエスの拒まれるところです。驚駭は信仰ではありません。イエスは茫然たる群衆の喝采を受けるよりも、その宣言の道理より推して認識する、信仰的の霊魂に尊重されんことを望まれたのであります。

2023年3月26日日曜日

受肉者耶蘇(14)世俗のメシヤ像の誘惑

第4章 メシヤの誘惑

『救い主よ、我らに赦しを与え給え、
  我らの弱さをことごとく知り給う。
 汝は我らの先にこの世に在(いま)し、
  世に住む仇の狡賢(ずるがしこ)さを知り給えば 
 汝荒野を過ぎさせ給いて
  その荒涼惨憺(さんたん)たると
 困憊(こんぱい)疲労とを知り給えば。』
             James Edmeston

1 荒野への隠退

 時節は到来しました。イエスはその平和な生活を捨てて、その天職に身をささげねばなりません。ナザレの隠れ家に年久しく瞑想に耽られましたが、時はめぐりその職責の容易でないことを切実に意識せられたのであります。ちょうどあのパウロが悔い改めるや『人に相談せず、アラビヤに出て』(新約聖書 ガラテヤ1章15節〜17節)行ったのと同じように、イエスはその思想を統一し、また神との交わりによって光明と力を受けるため、人を避けて隠れ給うこととなりました。

 ヨルダンの西部にはやせ地で石だらけの不毛の荒野があります。ここは猛獣の棲家であって、またさらに猛獣よりも一層凶暴な山賊が出没し、エリコよりエルサレムに至る坂道は、彼らの凶暴の行為より『血の坂』との名を生じたほどでありました(新約聖書 マルコの福音書1章13節、ルカの福音書10章30節)。洗礼によってイエスのうちに内住し、またそれ以来『無限に』その上に注がれた聖霊は、この荒野へイエスを駆って赴かされました(新約聖書 ヨハネの福音書 3章34節)。こうして四十日の間イエスはその授けられた事業を熟考し、身辺に群がり来る困惑と苦戦奮闘し、その取られるべき道を明確にするために大変な努力をなされたのであります。

2 誘惑

 高遠雄大な事業がイエスの眼前に横たわっています。如何なる方法をもってこれを完成すべきかを思い惑われるにあたって、天の父のみこころに服従せんと決心されつつもなお誘惑はこれを遮(さえぎ)り妨げるのでありました。

(1) 世俗のメシヤ(A worldly Messiahship) 

 イエスはこの荒涼たる原野において瞑想しつつさまよっておられる間に、いつしかエリコを俯瞰(ふかん)すべき高山の頂に歩みをとめて佇まれました。ヨセフスはこのあたりの光景を述べて『原野の只中に市街あり、そのかなたに痩土赤裸の山あり、蛇行起伏して尽きるところを知らず、されども不毛なるがゆえに人跡を見ず』と言っています。山上の眺望は如何にも爽快であって、想像は遠く限界のかなたにまでも馳せられるのであります。

 イエスの足下には心地よき荒野に美わしい棕櫚(しゅろ)の都エリコが横たわっています。西方には神聖なる首都の白い外壁と、きらめく尖塔の頂が、澄み渡る大気に浮かべるように輝いています。まことにイスラエル全土の光景はイエスの双眸(そうぼう)のうちに収められ、右往左往の公道に眼を放たれば、エジプト、アラビヤ、ペルシア、ダマスコ、さては地中海沿岸諸港を経てギリシヤの諸島を始め、大帝国の大都城ローマに通ずる『この世のすべての国々とその栄華』のまぼろしは眼前に澎湃(ほうはい)として映じたのであります。

ユダヤ人の理想

 これこそイエスの贖わんがために降られた世界であります。如何にしてこの事業を完全に成就して、億兆の人類を救済することができるかとは当然起こるべき疑問であります。その上、その国民の間に存在するメシヤに関する思想が、イエスの眼前に提供せられていることも当然でありました。イスラエル国民を暴政の下より救い、衰退しているダビデの王統を、古の盛運に勝る栄華に進むべき凱旋の君主として、メシヤは期待されておられたのです。

 イエスにして真にこのメシヤならしめば、先ずその選民の熱烈な愛国心に訴えて、彼らが久しく期待している救い主であることを宣言し、彼らを叫合して、ローマの羈絆(きはん)を脱せしめられるのではないでしょうか。これは狂気に類する行動であります。しかしこの屈辱を重ねた時代に悲憤慷慨するユダヤ国民中にはこのような謀(はかりごと)を凝(こ)らすものも少なくありませんでした。前年ガリラヤのユダは叛逆の旗を翻して、その全国土を沸騰せしめたのであります。暴徒はたちまちに鎮定されたが、余炎はなお今も燻(くすぶ)り続け、一陣の風にも燎原を焼かんとして待っています。ゼロテの党と称する旗色鮮明な新党派はイエスラエルの間に起こりました。そうして機会あらば先の挫折を雪(そそ)ごうとして待っていました。

 イエスが単にイスラエル国王を復興するがために来たメシヤであると宣言せられたのみでもなお幾千万の民衆はたちまちその麾下(きか)に蝟集(いしゅう)したでありましょう。これこそ当時期待せられたメシヤの遂行すべき職分であって、第二にしてさらに有力なユダ・マカビイとして自由の義旗を押し立てるも決して軽蔑されることではありませんでした。ガマラのユダは失敗しました。しかしイエスにはその命令のままに動くべき天の万軍が備えられているのでありました(新約聖書 マタイの福音書26章52節53節)

3 真のメシヤ

 イエスがまさに獲得せんと思召される世界を見渡された時、このようなものがその眼前に展開したことでありましょう。けれどもイエスは決然他に眼を転ぜられました。すなわち、ローマの羈絆を脱するよりも、さらに高尚悠遠の救いを完成せんがためこの世に降臨せられた所以を意識せられたのであります。当時世に流布せるメシヤの思想は俗世の夢に過ぎないのであります。もしイエスにしてこの思想を抱かれんか、必ずや『この世のすべての国々とその栄華』を獲得せられたにちがいありません。

 後年にいたってキリストの敵手はカイザルの帝位に座したではありませんか。しかもそのメシヤの王国は似ても似つかぬものでありました。『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年を告げ知らせるために』(旧約聖書 イザヤ書61章1節2節、新約聖書 ルカの福音書4章17節〜19節)これこそイエスの職分でありました。

 イエスの召しを受け給うた行程は、服従、犠牲、徴賤の険路であります。そしてその局を結ぶものは玉座に非ずして十字架であります。しかもイエスは敢然としてこれに面前されたのであります。(The path whereunto He was called, was a lowly path of service and sacrifice; and , though at its end there stood not a Throne but a Cross, He set His face like a flint to walk therein.)

※ブログ子の感想 私はこのDavid Smith氏の著書を愛する者です。今回もこの邦訳本を転写するにあたって感慨措く能わざるものがあります。この原著を日高善一氏がほぼ100年前に翻訳され、今は絶版で誰も見向きもされないかもしれません。しかしこの邦訳が国会図書館にデジタルライブラリーとして保存されており、英文はThe Days of His Flesh で自由に読めるのです。一人でも多くの方がこの本をとおして、神の子イエス・キリストが、人として、世に来られ、いかに歩まれたかを理解し、イエス・キリストが提供してくださる救いを受け入れて下さることを切に望む者であります。)

2023年3月25日土曜日

桜花爛漫傍の「小会議」

窓越しに 桜見えたる 会議室
 今日は生憎の雨混じりの曇り空である。市民文化会館の三階の小会議室の窓枠いっぱいに桜が広がっていた。出席者は9名(内、ZOOM参加者が3名)。「会議は踊る、されど進まず」とは1814年9月ウイーン会議の進捗状況を嘆いた、フランス全権タレーランのことばだと言われている。

 さてこの「小会議」はどうであったか。この「小会議」には駆け引きは一切ない。お互いに胸襟(きょうきん)を開いての会議である。この「小会議」はコロナ禍をきっかけに始まった。始まって2、3年になる。この「小会議」は開くたびに互いが成長し合う。だからこの「小会議」の出席者は「会議は生命線だ」と思って参加している。

 ともに、さまざまの方々の病状や現状を心配して集まっている。しかし、そのうちの一人の方の病状は少し改善されつつあると報告され、元気づけられた。と言って、決して油断はできないとも皆思っている。だから「小会議」は続く。最後、なかなか結論が出せないように思える懸案もあった。けれども「会議は踊らなかった。進んだ。」

いったいだれが、主の会議に連なり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。もし彼らがわたしの会議に連なったのなら、彼らはわたしの民にわたしのことばを聞かせ、民をその悪の道から、その悪い行ないから立ち返らせたであろうに。(旧約聖書 エレミヤ書23章18節、22節)

2023年3月24日金曜日

桜の木の下のチューリップ

チューリプ 桜の下で 揃い咲き
 小学校の校庭の一角である。子どもたちはいつもどんな思いで、ここを通っているのだろう。桜花爛漫の桜は幹の小枝からも一輪二輪と花を咲かせていた。個人的には小学校入学のころ、桜花を愛でるよりは、チューリップが色とりどりの花を咲かせていたことがとても印象に残っている。きっと背丈に見合った花だったからだろう。何よりもそんな花を家では見なかったからのような気がする。1950年(昭和25年)の田舎の話だが・・。

 明日から春休みだ。春休みはあまりにも短い。しかし、何と言っても、学年がまたがるのが良い。そこには新しい出会いが用意されているからだ。もちろん不安もあるが、やはり期待も大きい。そして季節は春爛漫である。そのウオーミングアップのためにしばし訪れる休みである。先日祖父母慰問にやって来たこの春高校3年になる孫娘は塾に行かないからと言って、その時間も惜しいらしく、来るなり春休み期間の勉強のスケジュールを立てていた。殊勝な考え方だ。そこへ行くと私は全く正反対だ。

 教職を離れてすでに20年近くなるが、今朝も生徒を前にしての夢を見た。この夢は形態こそさまざまだが、何度も見させられる夢で、ほぼ同じ性質の夢である。委細は省略するが、要するに私の教材に対する勉強不足が中心になっていて、私がその結果被らなければならない事後処置に大変困っているという内容である。夢とは言え、自分で今もはっきりと自覚できるものだ。

 『桜の樹の下には』という梶井基次郎の彼の心象風景を描写した作品https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.htmlがある。それと違って、私が今日見た桜の木の下にはチューリップが時満ちて花を咲かせていた。もちろん桜も満開であった。そのように身近にある植物を指して、みことばは次のように語る。孫娘も私もともにその神を恐れて、今のこの時を生きたいものだ。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 6章7節〜9節)

2023年3月23日木曜日

恵みの春雨

桜雨 列島鎮める 恵みかな
 と、詠んでみたが、列島フィーバーは収まりそうにない。感動することを忘れていた私にとっても、WBCの侍ジャパンの活躍は眠っていた魂を覚醒させるに十分であった。が、個々のプレーヤーが切磋琢磨した結果をいつまでも堪能させられてばかりいてもいられない。

 野球は一流、いや世界一。ところが、かつて、経済は一流、政治は二流と揶揄された時代があったのに、いつの間にか、経済もふるわず、政治は相変わらず二流である。このままでいいのだろうかと思わずにはいられないからである。

 個性あるそれぞれの名選手(一流選手)が日本の野球チームとして一つになって戦い、勝利を勝ち取った。経済面ではこのWBCの侍ジャパンの活躍はきっといい影響を与えると思う。それに比べ、政治面ではどうなのだろうか。統一地方選挙が始まった。旧態依然たる政治が今ものさばっている感じがしてならない。真っ正面に「正義」を体得する政治家よ、出でよ、と願わずにはいられない。

正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(旧約聖書 箴言14章34節)

2023年3月22日水曜日

身を粉(こ)にして

大変な 春のボーナス 世界一
 昨日に引き続いてWBC決勝戦をテレビ観戦した。試合は三対二、僅差の勝利を日本がものにした。栗山監督は終始一貫、「われわれは世界一になるんだ」と言っていた。その意気込みを何度も聞かされてきたが、結果を見るまで半信半疑であった。

 しかし、回を追うごとに、日本チームが打って一丸となっている姿は美しく、すがすがしいものを覚えさせられた。プロ野球のそれぞれの球団では代表選手ばかりで、どうして日本チームとして一つになれるのか不思議だった。

 その突破口として、昨日の準決勝のあとの勝利インタビューであったと思うが、大谷選手の口から「身を粉にして働くんだ」ということばが自然と流れ出ていることに深い驚きと感動を覚えた。終わってみれば、まさかの最終回でブルペンを任されて投げ切った。中継していた解説者の古田さんの声だったと思うが、「(彼は)やっていることもすごいが、考えていることもすごい」と称賛していたことばが印象的だった。

 大谷選手だけでなく、ダルビッシュやヌートバーというような救世主があらわれて、日本チームの良き牽引者となっていて、誰がどうのこうのとではなく、全員の野球に賭ける熱意が伝わってきた中での勝利、世界一であった。心からおめでとうと言いたい。

 栗山さんはもう2、30年前になると思うが、一度勤務高の講演会の講師としてお招きして来てくださった記憶がある。残念ながら話の内容は覚えていないが、無名高であった勤務高が1995年夏の甲子園に出られたのもその遠因の一つかも知れぬ。

 「侍ジャパン」と名乗りを挙げて、その侍をリードするのは大変なプレッシャーだったと思う。選手にとって決して二度と味わうことができない、一体感が徐々に徐々に醸成されていったにちがいない。

 敗れたアメリカの選手団の気持ちは推し量ることができないが、それはそれで、大変な苦労をしながら、決勝戦に臨んだと思う。アメリカの投手陣で最後の方に登場した投手がピッチングに入る前に、下を向いて祈っているシーンがほんの一瞬だけど流された。しばらくして、彼の首に十字架のペンダントが見えた。勝利を願っての祈りであったと思う。

 結果はこのように日本の勝利、アメリカの敗北で終わったが、勝者敗者を問わず、頂点を目指し同じルールのもとで戦うスポーツの醍醐味を十分味わわせてもらった。年金生活者になって久しく、ボーナスは無縁だが、今回のWBCの試合模様は私にとってまさに「春の大一番のボーナス」であった。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだと、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(新約聖書 コリント人への手紙第一9章24節25節)

2023年3月21日火曜日

春の野原にはみどりが燃え立ち

蕗のとう 春本番を 絵で愛づ
 ご多分に漏れず、WBCの野球中継に夢中になった。全選手打って一丸となっているプレーが、最終回実を結んだ。歴史的な勝利である。全国民に訴えたメッセージは類ないものがあったのではないか。

 その一方、我が身のだらしなさが気になって仕方のない一日でもあった。そんな自分を弄びそうになっていた時、家内の友人(既出1/31『とこしえの道に導かれる主』)から、「その後のご主人のブログ記事が欲しい」と電話があった。あまり気乗りがしなかったが、ご要望に答えてプリントアウトしてお届けにご自宅にうかがった。

 この「蕗のとう」の絵は、前回私の家に来られた際にスキャンさせていただいたものだがブログにお載せするのには時期尚早の感がして寝かせておいたものである。今回、また新たな絵をたくさん見せていただいたが、それぞれ生き生きしている。いずれご紹介したい。帰りには、美しい椿の花を惜しげもなく手折ってくださった。

 家に到着するなり、東京から三男家族が予告なしに突然やって来た。老人二人の生活を気遣っての訪問であった。彼が来ると必ずと言っていいほど、ネット関係の調整を頼んでいるが、今回は塩分控えめの食事の勧めをし、私たちの無感覚の食生活の手ほどきをした上に、実際に様々な調味料を総取っ換えしてくれた。

 侍ジャパンの一致団結、友人の厚遇、家族の愛、それぞれにふさわしい愛が流れ込んできた一日であった。蕗のとうの絵を見ながら、春本番を思い、みことばを瞑想したい。

あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。(旧約聖書 詩篇65篇9節〜10節) 

2023年3月20日月曜日

「手紙」とはありがたきものなり

新春 先輩のふみ 戴きて
 手紙は貴重で、文句なく嬉しい。特徴ある字体からこの先輩の人柄がたちまち私の衷に立ち昇ってきた。仕掛け人は私だった。去る3月14日だったか、新聞に学士院受賞者の紹介がなされていた。その中に、大学の先輩がおられた。岩橋勝氏である。

 大学のグリークラブの指揮者で一二度、この方に練習ぶりを見てもらい指導を受けたことがある。しかし、私は後輩だし、個人的にお交わりしたことがない。それで同じ指揮者で私の一年先輩に電話で報せた。

 この先輩とは8年前(※)、お訪ねし、お交わりをいただいたが、交友関係の多いその先輩は私が名前を名乗っても顔が思い出せず、結局メッセンジャーズボーイとして岩橋さんの慶事をお伝えしたにとどまった。

 その私にこの絵葉書をくださったのである。絵はモラ作家としての奥様の作品である。文面を何度も読み返している。ありがたいものである。

 ところで新約聖書には手紙が21通ふくまれている。もし手紙なかりせば、新約聖書は完全にいのちを失うだろう。旧新約聖書からして、その全66巻が、すでに神の私たちに対するラブレターである。これまた繰り返して読んでいる。「発見」は新たなり、である。

※この先輩との交友についてはhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/04/blog-post_26.html に紹介したことがある。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(新約聖書 第一テサロニケ人への手紙5章16節〜18節)

2023年3月19日日曜日

サクラサク

初桜 白き花びら たおやかに
 私の歩く古利根川沿いではこの桜の木が一番早く咲く。しかもいちめんに白をふりまく感じだ。昨日は雨で寒かった。今日は朝から打って変わって晴天の青空であった。遅まきながら、ご挨拶に夕色濃厚になる直前に訪れた。案の定、西日を受けて輝いていた。どうしてこんなきれいな花びら一枚一枚ができあがるのか不思議でならない。

 今朝の礼拝では次のみことばが印象的だった。造物主は、自然界をふくめ私たちのすべてをいつくしんでいてくださるのだ。私は青春時代、ちょうど今頃3/18、「サクラチル」であった。この時期になると未だにその傷跡を背負っており、素直に桜の満開についていけない自分がいる。そんな私の心もこのたおやかな花びらを見て造物主のすばらしさをほめあげざるを得ない。

あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。(旧約聖書 申命記30章6節)

2023年3月17日金曜日

お水取りと俳句の世界

俳人の 十話招く 新世界
 東京新聞には、『私の東京物語』と言うコラムがある。それぞれの方が、十回語られる。今回は、廃人ならぬ俳人として2年ほど前から、俳句だけで生計を立てておられる西村麒麟さんが登場された。昨日が第一回、今日は第二回、ところが第三回は3/21と言うから、しばらく間が空く。

 たまたま図書館で『芭蕉のあそび』という岩波新書を見つけ、借りてきて読み始めたばかりだった。毎日、その日の絵柄になるものを選んで、なるべく五七五でまとめている。語調がいいからである。季語もなく、ただことばの遊びとして書いている。まさに俳人ならぬ廃人の思いつきにすぎないので毎回、気が引ける思いである。

 ところが、芭蕉には優にことばの遊びがあることを知って少し慰められた。ちょうど今日は三男の誕生日だったので、「おめでとう」とLINEで書き込んだら、小さな女の子が手を合わせてありがとう、と言っている図柄が返事で送ってきた。なかなかしゃれて気が利いているなと思った。その女の子の姿は彼の末っ子の女の子(私から言えば孫)に似ていたからだ。

 芭蕉の句に 「水とりや氷の僧の沓の音」 と言うのがあるが、一般的には次のように読むそうだ。(同書33頁以下より引用)

 「氷の僧」とは、二月の奈良の寺院で、寒夜森厳の行法にはげむ僧のイメージを、「氷の衣」「氷の蚕」「鐘氷る」などのことばにならって、感覚的に言いとったものだろう。内陣に入ることを許されない芭蕉は、直接には練行衆の姿を見ていない。それは「沓の音」という聴覚の対象を視覚化した幻想の僧の姿であり、また「沓の音」に魂を氷らせる芭蕉自身の心の色の投影でもあった。夜の闇の中に、行道の僧の虚像が、凍りつくようなきびしさをただよわせながら、白く透けて浮かんで見える。

 しかし、別の読み方もできる、と『芭蕉のあそび』の著者である深沢さんは語っている。それは『付合語』と言うのがことばの遊びとしてあって、「水とり」が同音異句の「水鳥」とも読むことができる遊びがあるということで、次のように芭蕉は言っているのでないかということだった。すなわち

 「奈良の東大寺二月堂のお水取りに参籠して、僧の行法の沓の音を聴きましたよ」(B)という実体験の報告と見せかけて、「そうそう、同じミズトリでも水鳥ならば、冬、氷った池にいるオシドリとかカモとかは、沓の形に似ているものですよね。水鳥は「氷の沓」ですな」(A)といった含みにも気づいてもらえるように、仕掛けが施されている発句である。

もちろん、深沢さんは従来の通説を否定するのでなく、次のようにまとめておられる。

 「氷の僧」の表現がお水取りの行法の厳しさをあらわす象徴性を獲得しているという見方もまた、捨て去ることができない、いかにも芭蕉らしい。詩性に対する鋭い嗅覚がそこにあることは確かである。ただし、芭蕉は「氷の僧」なる表現を、そもそも隠喩を作ろうとして発想したのではないと思われる。「水鳥」(A)と「水取り」(B)の二筋の連想の文脈を重ね合わせることで、「氷の僧」という非現実的で印象深い表現が偶然生まれてしまったのであり、その詩的な効果を発見したことが芭蕉の手柄なのである。

 五七五の定型句に、こういう世界があるのを初めて知った。まだこの『芭蕉のあそび』の第1章の「しゃれ」の章を読んだばかりで、全文を読んでみないと芭蕉の遊び心を知ったことにはならないが、端なくも、この岩波新書を読むことと、『私の東京物語』で続いて語られることがどのようにハーモニーを描くのか今から楽しみである。そういう意味では俳人の語りは私にとって「新世界」である。そして、46歳になる三男の誕生祝いの返書に「しゃれ」を発見したことは私にとって嬉しいことである。なおお水取りが旧暦では二月であるが、現在の暦では三月十二日(日)にあったことも偶然知ったことだ。

 最後に、お堅いと思われている旧約聖書にもあそびがある。詩篇119篇全篇各節の出だしが、日本語で言うといろは歌のような形で貫かれているようだ。ヘブル語を理解しないのでなんとも言えないが、全部で176節ある聖句はそれぞれ、同じ文字から始まっていると言う。その詩篇119篇1節から8節までの一群の聖句を転写してみる。

幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。
幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。
まことに彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。
あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。
どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。
そうすれば、私はあなたのすべての仰せをみても、恥じることがないでしょう。
あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。
私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。

2023年3月16日木曜日

お見事!山茶花の一斉開花。

山茶花の オンパレードよ ここにあり
 いやー、お見事!お見事!。桜の満開は誰しもお馴染みであろうが、山茶花のいっせいのほころびは圧巻であった。ここは小平市にある国立精神・神経医療センターの一角である。この病院を訪れたのは今日で三回目であるが、敷地内にはたくさんの種類の樹木が植えられている。この反対側にはブナの木であろうか、大木が繁って、空も見えないほどどっしりと樹幹が覆い、地面には無数のどんぐりが落ちていた。

 さて、またしても『オネシモ物語』の昨日の続きを転写させていただく。そして創作ではあるが、次の場面こそ一人の人間が自らの心のやみに一条の光を招き入れ、罪から解放される瞬間を示しているからである。それは山茶花の一斉開花に通ずる。先ずはピレモンのパウロに対する質問から、もう一度書かせていただく。

 「わたしは真理を求めています。真実な、生きておられる神さまを知って礼拝したいのです。」

 ランプの光に照らされた円陣が動くと、ピレモンのための場所が作られた。彼は機織りの近くに座った。織り手のアクラは、話に加わっていたが静かに仕事を続け手を休めなかった。彼は貧しかったので時間をむだにしたくなかったのである。
 パウロが言った。

 「あなたが求めておられるものは、ここで見つけることができます。神はご自身をお示しになり、わたしたちの心の暗やみにその光をかがやかせてくださるのです。この部屋の中でわたしたちはみなその光を見ています。神の栄光は、イエス・キリストの御顔に現われているからです。」

 機織りの小屋の中で、パウロの声は夜明けを告げるらっぱのようにひびきわたった。(中略)小屋にはパウロとピレモンのほかだれもいなかった。ほかの人たちはかなり前にそれぞれの家に帰ったのだ。一人の人の全人生を神の光のもとに導くのには時間がかかったのである。使徒パウロはつかれていたが、ちょうど、はげしい戦いを終えて勝利を喜ぶ戦士のように見えた。パウロは、ピレモンの頭に両手をおいて祝福を祈った。

 「主があなたを祝福し、守ってくださるように。キリストにあるわたしの息子よ、主があなたに御顔をかがやかせ、わたしたちの主イエス・キリストをとおして永遠の栄光に導いてくださるように・・・。」

こうして、ピレモンはパウロを通して、主イエス・キリストを信じ、心のうちに歓喜を経験する。それだけでなく、奴隷を所有する主人だったピレモンの奴隷に対する見方が変わったことがさらに次のように印象的に描かれている。

 主人がいごこちよくなるために気をくばるのは奴隷の務めではないか。奴隷が気持ちよくすごしているかどうかを考えるのは主人にかかわることではないのに・・・。
 しかし今は、何かがちがっていた。彼は目をひらいて全世界を見ているような気がしていた。空の色は今までよりも美しく、アカシヤのにおいをもっと強く感じた。そして、自分のそばにいる奴隷が、寒さを感じていることがとつぜんのように気になりはじめた。これはくだかれた心に光がさしはじめたことなのだろうか。深い暗やみに夜明けが来るように、目には見えないけれど、キリストの愛が照らしはじめたことなのだろうか。まだよくわからなかった。彼は自分のがいとうを広げると奴隷のからだを引きよせて包みこむようにした。

「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(新約聖書 1コリント人への手紙4章6節)

2023年3月15日水曜日

愛の交わりである家庭集会

三又の 頭状花序 早春
 一月前につぼみだった三又の花が、今や満開である。原色牧野植物大図鑑によると

「中国原産、慶長年間に日本に渡来し山地に栽植される落葉低木、高さ1〜2m。枝は3分枝に出る、強じんで手では折れない。若枝に伏毛がある。葉は長さ5〜15㎝で薄い。花は早春、新葉に先だって枝毛に頭状に下向きに開く。花弁はない。樹皮は優良な和紙の原料で、とくに紙幣や地図に重要。和名三又(みつまた)は枝が3又状に出ることによる。」

とあった。今春のNHK朝ドラはその牧野富太郎が主人公のようだ。以前、2016年にこの牧野博士の世界観について考えたことがある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_18.html 植物という身近な存在に牧野少年がどのように目覚めていくか、ドラマに期待したい。

 ところで、今日は三月の「家庭集会」であった。メッセージとお証があった。そのあと残られた六人の方と一緒にメッセンジャーの方を中心にお交わりできた。みなさんの話がおもしろく、私は聞くばかりであったが、いつまでも話していたいようないい交わりであった。そこには全員がどんなことでも話ができるという自由さ闊達さがあった。

 昨日のこのブログで、初代教会の様子を彷彿(ほうふつ)させる場面をパトリシア・M・セントジョンの『オネシモ物語』から引用したが、続きを転写する。同書73頁より

 「でも先生、教会の規律や秩序についての質問はどうでしょうか。人々はその答えを知りたがっています。」

 もう一人の男が心配そうにたずねた。

 「ポルトナト、わたしはそのことについても答えました。」

 パウロはもう一度手紙を示しながら言った。

 「もし悔い改めないならすべてがむだなのです。神のあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、愛がないなら、何のねうちもありません。彼らに愛に従うように言いなさい。そうすれば聖霊がすべてのことを教えます。兄弟たち、ガラテヤの諸教会は偽りの教えにおちいっています。神はコリントの教会が高ぶりと争いとけがれにおちいることをゆるされません。」

「パウロ兄弟、新しい方がいらっしゃいました。」

 部屋のうしろの方で声がした。
 そこでは、もう一人の職人が天幕の布を作るために、羊毛を機織りにさしこんでいた。その職人の顔だちはまぎれもないユダヤ人のものだった。光の中を前に進むと、彼はピレモンを招き入れた。

 「貧しいわたしどもの家へよくおいでくださいました。さあ、中に入ってください。」

 ピレモンは、ユダヤ人が自分たちを歓迎してくれたことにおどろいた。彼はそれをさとってにっこり笑って言った。

 「ここにはどんなへだてもありません。キリストはわたしたちすべてのために死なれたのです。平和があなたの上にありますように。どんなご用でいらっしゃいましたか。」

 みんなの目が戸口に立っているととのった顔つきのフルギヤ人の方に向けられた。ピレモンはへりくだったようすで答えた。

 「わたしは真理を求めています。真実な、生きておられる神さまを知って礼拝したいのです。」

 これらの叙述には、交わりが「愛」のしからしめるものであることがはっきり描かれている。今日の私たちの交わりの中でも、私たちのそれぞれが「聖霊の宮」であることが自然と証されていた。御霊なる神様は、互いのうちに愛の種を蒔き、その愛が成長するようにと励ましていてくださる。二月にはまだつぼみであった三又が、一月のちにはこのように満開の花をたくさん咲かせているように。

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(新約聖書 ガラテヤ人への手紙3章26節、28節) 

2023年3月14日火曜日

大江健三郎氏が亡くなる

輪舞する こぶしの花よ 友情
 日一日と春の動きはスピードアップ。桜はまだつぼみが硬いが・・・。その中にあって、一際目立ったのがこのこぶしの花だった。こぶしの花言葉は「友情」とか「歓迎」だそうだ。なるほどと合点がいく。

 大江健三郎氏が亡くなった。彼の作品はむつかしく、初期の『死者の奢り』を読んだくらいで、とてもこのブログで取り上げるのも気が引けるし、大江さんに対して申し訳ない。けれども彼の語り口は、ことばを紡ぐようで快かった。その彼の発言がもう聞けないと思うのはやはり悲しい。光さんを抱え、その見る世界は、決して神の国から遠くはなかった、と思う。

 けれども、そのような彼が主イエスさまを受け入れられなかったとすれば、彼の類い稀な知性が邪魔をしたとしか思えない。もちろん事実はどうであったかはわからない。ただ、この機会に、最近私が読んでいて日々考えさせられている『オネシモ物語』の著者パトリシア・M・セントジョンのことばを引いてみたい(同書72頁より)。

 ピレモンは戸口のところに座って赤んぼうをだいている女に声をかけた。
「天幕作りのパウロ先生の家はどこですか。」
 その女は、まるで聞き慣れた質問を受けるようにうなずくと、ちょうどま向かいの明かりのついた家を指さした。その家の戸口は低く、ピレモンは入るときに腰をかがめなければならなかった。(中略)
 中に入ると、そこの光景にびっくりした。(中略)そこにはパウロが座っていた。あの尊敬すべきパウロ、新しい宗教の光栄ある教師、その名が全アジヤに知られたタルソ出身のユダヤ人パウロがいたのである。しかも彼は足を土間にのばして座り、たて型の機織りで黒いやぎの毛を織っていた。そばの腰かけの上には、彼が書き終えたらしい巻物の手紙がおいてあった。そのまわりには友人たちが足を組んで座り、機織りの音が、キー、カタン、カタンと音を立てる中で熱心に話をしていた。彼らの顔は、ランプの光に照らされて、青白くおごそかであった。新しく来た客に注意をはらう人はいなかった。

 「わたしははっきりしたことばでこのように語って来ました。」

 パウロは巻物の方に手をふりかざして、そばに座っている四人のコリント人に向かってこう話し出した。コリント人たちは教養のある学者らしい人たちで、この機織り小屋とまったくつりあいがとれないように見えた。

 「兄弟たち、あなたがたの召しことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。これは神の御前でだれもほこらせないためです。わたしはこのことのために心をそそぎ出して来ました。アカイコとステパナ、キリストにあってわたしの子どもであるあなたがたは、もどって行って人々にこう教えなさい。悔い改めと信仰ときよさと愛によらなければ、知恵や知識によって神のことや神の深さについて知ることはできません。人々に党派争いをやめさせ、自分たちのうちにある罪を捨てて、一つの土台だけを基にするように命じなさい。」

 大江健三郎氏の小説『死者の奢り』だけしか、読んでいず、その内容の酷薄さに辟易しながらも作者の並々ならぬ力量に驚かされた記憶はあるが、その後それ以上彼の作品を追うことをしなかった私に前述のように「彼の類い稀な知性が邪魔をしたとしか思えない」と言う権利はもともとないが、一方で、パトリシア・M・セントジョンの創作の中で語られているこのパウロの言にどうしても注目せざるを得ないのだ。

 こぶしの花はその花言葉が「友情」であるとあったが、パウロはこの天幕作りの中で友人に取り囲まれながら、そのたいせつな真理、神を知る、神を愛するにはどのような条件が必要か、そしてその神さまを信ずる信仰を通して互いのうちに真の友情が確立することについて語っていたのではないだろうか。大江氏が作品を通して追求された真実もまた当然この真理をめぐってのものではなかったのでないかと思う。

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。(新約聖書 1コリント8章1節)
文字は殺し、御霊は生かす。(新約聖書 2コリント3章6節)

2023年3月13日月曜日

近江八幡の街中を歩いて

福音を ヴォーリズ兄 伝えたり
 左義長祭は近江八幡の町をあげてのお祭りであろう。各字はそれぞれ山車(だし)を繰り出し互いにその飾りを競い合うのだろう。上掲の写真の字は大杉町だが、山車を出さずとも、すでに設けてある名誉市民であるヴォーリズ氏の銅像がある。その空間を利用して、祭礼につどう人々への休憩所として昔懐かしい、サイダー・ラムネのようなものを供するために町の人がその準備をしていた。

 行きずりの、それも冷やかし客にしかすぎない私たちにも何となく春の訪れと町の人々のひそかな興奮が伝わってきた。山車そのものが勢揃いするのを見ずして、本番前に町を後にしたが、近江八幡の駅からおよそ二、三キロ離れた神社へ往きはバスで、帰りは徒歩で往復した。ために町の隅々まで歩きながら観察できた。

 歩きながら、ヴォーリズ氏が明治38年(1905年)に八幡駅に降り立ち、宿舎にたどり着くまでの徒歩行にも思いを馳せた。それにしても町の商店街はどこもかしこも閑古鳥が鳴くようで寂しい限りであった。近江商人の町であるから、そこは商人よろしく生き延びているのだろうが、大資本との勝負に勝ち目はなく、このシステムは地方の文化そのものを破壊せざるを得ないのかと暗然たる思いにとらわれた。しかし、すでに自らしてその大資本の恩恵のもとに生きているのだから偉そうなことは言えない。

 ヴォーリズ氏がおよそ120年のちの今八幡駅に降り立ったとしたらどんな思いを持つのだろうか。『失敗者の自叙伝』(ヴォーリズ著)から彼が120年ほど前降り立った時の気持ちを引いてみる。

 「明治38年2月2日、厳寒の日の午後であった。25歳の誕生をすぎたばかりのほっそりとした青年が、日本の小さな町「近江八幡」に降り立った。彼は前夜、東京を立って一晩車中をあかしたのである。その五日まえ、横浜に上陸したばかりで、この国のことは、ほとんど知らず、ましてこんな田舎町のことは、かいもく知識がなかった。ただ一つ、たしかなことは、この町に男子の学校があって、彼はそこで英語を教えることになっていた。

 彼のポケットには、わずか数ドル、これで最初の月給をいただくまで、食いつながなければならない。彼には、この町にも、この県下にも、いやこの国中にだれひとり知り合いがいない。しいてあげれば、つい先日、横浜と東京で行きずりに会った数人がいるだけだった。彼はまさに借金を背負って夢にみてきた冒険に入ろうとしていた。ここまでの旅費を借金してきたので、それに月々の給料から返していかねばならなかった。彼は長時間、暖房もない汽車にゆられて、骨の髄まで冷えあがってしまった。駅のホームで彼を迎えたものは、身を切るような北風と、礼儀正しいといって、わざとらしすぎもせぬ日本人の英語教師であった。この先生は学校へ案内し、その足で小さな民家につれて行った。そこは彼の宿舎にあてられていた。町は駅から一マイルほど離れていて、松林のかげから、かすかに望まれた。それは、小さな、古びた町で、彼が夢みてきた所とは、およそ縁遠いものだった。

 それを思い、行く先を案ずると、だんだん気がふさぎ、向かい風をついて、この案内者と歩く足は重かった。

 私はときどき思ってみる。もしだれかが、この日の午後、私の姿を外からながめていたら、どうみえたことだろうと。

 だが、私には、いつまで待っても、そんな機会はめぐって来ない。なぜなら、こんな寂しい町に、生涯を埋めなければならないのかと、思いまどっている。このお先まっくらの青年こそ、私自身だったのだから・・・。」

 ざっと、こんな具合だったと、『失敗者の自叙伝』でヴォーリズ氏自身がその著作の緒言で語っている。左義長祭は伝統ある行事だから、ヴォーリズ氏自身も見聞きしていたはずである。その彼がどのような態度を取っていたのだろうか。関心のあるテーマではある。そう言えば、彼が赴任した学校(現八幡商業高等学校)の前を今回帰り道で通った。伝統あるこの学校の前に長屋風の家がつたのからまるに任せて放置されていた。ひょっとして120年ほど前のヴォーリズ氏の姿をこの建物は見ていたのかも知れない。

 それにしてもヴォーリズ氏の不安そのものの姿はまさに、下記のみことばが示す信仰者の確たる決心とともに併存する正直なヴォーリズ氏自身の感慨ではなかったかと拝察する。(ヴォーリズ氏については過去のブログでも何度か取り上げている。2010年の3月19日のブログなどである https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/03/blog-post_19.html )

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。(新約聖書 ヘブル人への手紙11章8節)

2023年3月12日日曜日

震災十二周年、左義長祭

画家描く エレミヤの苦悩 いかにや
 昨日はNHKの東日本震災関連のニュースを見た。鎮魂の思いを抱きながら、いつ次の震災が見舞うかもしれない不安の中で様々な対策が立てられ、特に若い世代にその思いを託していたのが特徴であった。

 さて、今日の写真はパリ在住の次男から送られてきたレンブラントの作品である。オランダ・アムステルダムの美術館に出かけての写真だった。この絵を見るのは初めてではないが、絵の好きな家内はいち早く、「エレミヤ」と言い当てていた。でもどんな背景なのかは私と同様知らない。そんな私たちのために参考になるサイトが次男から紹介されてきた。次がそのサイトである。https://artisticpromenade-hw.com/painter-painting/rembrandt-van-rijn_jeremiah-lamenting-the-destruction-of-jerusalem/

 ところで今日は滋賀県の近江八幡の礼拝に出た。開口一番と言うか、礼拝者が引用されたのは次の聖句であった。

見よ。その日が来る。ーー主の御告げ。ーーその日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。ーー主の御告げ。ーー彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。ーー主の御告げ。ーーわたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。ーー主の御告げーーわたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。(旧約聖書 エレミヤ書31章31節〜34節)

 エレミヤは預言者であった。神と人との間にあって、その苦悩は著しかった。しかし、そのエレミヤが背信の民に叫び続けたその祈りは確実に主なる神に聞かれていたのだ。だからこそこんな赦しの神を真正面に描く幸いに預かったのだと思う。まさに神の御旨を伝える預言者であった。

 私は昨日はこの近江八幡の左義長祭なるものを好奇心もあって出かけてほんの少し見た。本来ならその写真を展示しても良いのだが、なぜか気が引けた。あまりにもそこにはまことの神、生ける神を知らされてない人々の姿があった。善男善女が神社に集まる。そのことは微笑ましい。でも果たしてそれだけだろうか。エレミヤは言うならばその苦悩を身に引き受けて苦しんだのだ。後世イエスさまはまさに善男善女の集まるエルサレムの現状を見て泣かれたのだ。

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。(略)それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(新約聖書 ルカの福音書19章41節〜44節)

2023年3月11日土曜日

受肉者耶蘇(13)「洗礼志願者」イエス

9 洗礼志願者イエス

 イエスは直ちにヨハネに近づき、洗礼志願者として己をささげられるに至ってここに始めて一大発見が行われました。峻厳なこの預言者はその儀式を行なうにあたり。志願者の悔い改めは真摯なりや、また確かに新たな生涯に入る志あるやを、自ら満足するまで試験を課したので、イエスの出現されるにあたっても、等しく峻厳な試問を施したに違いありません。しかもその試問が深く進まないうちに、彼は驚愕措く能わざることとなったのです。もしそれわずか十二歳にしてなおかつエルサレムの『ミドラシュの家』にあってラビをして『知恵と答えに』(新約聖書 ルカの福音書2章47節)驚かされたとせよ、今十八カ年を神との交通、聖書に関する瞑想に費やされたこの時、洗礼者驚かされしむるに至ったことは怪しむに足りません。

 他のことはしばらく置くとしても、ただ一事がヨハネの驚嘆を引き起こしたのであります。すなわち洗礼志願者がこの預言者の訓戒警告に接するや、みな悔恨の情に慄き、へりくだって罪を告白しないものはいませんでした。しかるにイエスは罪悪も恐怖も一点もこれを示さないのであります。一方、このような態度は洗礼を施すことができない無感覚の人物によく見られる態度であります。

 しかし、イエスはその清楚な風采、神の平安に輝く顔容を仰いでは、霊魂は自ずから畏怖恭敬の誠にへりくだり、いやしくもその在世中にこれを仰いだ者が何人も感じたように、自らの憐れむべき姿を知覚するに至ったのであります。ちょうどあの楼上の客室でペテロが『主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか』(新約聖書 ヨハネの福音書12章6節)と拒んだように、ヨハネもまた『私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか』(新約聖書 マタイの福音書3章14節)とこれを辞退しました。

10 罪人とともに数えられる

 この神聖な人物が、悔恨せる群衆と伍しつつ罪を洗う意義を有する儀式に連なられるのはまことに奇怪至極なことであります。しかしヨハネに対するその答弁をもって事情は明らかになります。曰く『今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふわわしいのです』(新約聖書 マタイの福音書3章15節)と。イエスは『女から生まれた者、律法の下にある者』と(新約聖書 ガラテヤ書4章4節)なられました。そして『人の子の一人であるがゆえに服従を学ばれる』(参照 新約聖書 ヘブル書5章8節)必要がありました。

 まだ幼弱のころに、肉の汚れを除き去る意義の割礼を受け、成人に達せられるや、年々神殿に税を収められ、自ら神殿を己が家と称し、神の子にその必要がないことを宣言しながらもなお税を拒まれませんでした(新約聖書 マタイ17章24節〜27節、マタイ5章19節)。すなわちイエスの降臨は律法を廃止するためではなく、律法を成就するためであって、その神聖な生活によって吼々これを充実することに努められたのです。

 イエスは私達を神の子とさせるため、すなわち律法の下にある者を贖うために律法の下に生まれられたのであります(新約聖書 ガラテヤ4章4節5節)。聖クリソストムのことばを借りて言えば、イエスはさながら『我れ律法を全うせんがために割礼を受けたように、恩寵を批准せんがためにバプテスマを受く。我れもし一を全うして一を省かば、我が人となるに欠けるところあり、後にパウロが『キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです』(新約聖書 ローマ人への手紙10章4節)と記せる如く我れはすべてのことを全うする』と仰せられたものであります。

11 イエス、ヨハネに発見される

 このようにヨハネはイエスが何人かは深くは知らなかったけれども、しかし、たちまちにしてこれメシヤ以外の人物とは考えられない所以を発見しました。彼は聖書によってメシヤの現われ給う時、どういう特徴をもってこれを認められるかを学んでいました(旧約聖書 イザヤ11章2節、61章1節)。かつその上に神の霊の上り降りするのを見るべきはずであったが、今現にその象徴に接しました。

 神はその黙示を与えられるにあたり、恩寵裕(ゆた)かにも、人間に交通する手段として、自己を人間の地位に引きおろし、誤る場合もありやすいけれども、なお人間の知恵に相当の方法を取られます。博士たちには救い主の降誕を星によって伝えられました。ヨハネはユダヤ人であるがゆえにユダヤ人に対する方法を取られました。

 思うにユダヤ人の想像によれば、創世記第一章に『神の霊は水の上を動いていた』(旧約聖書 創世記1章2節)との記事を、ラビは『雛の上に翔ぶ鳩のように』と言ったほどで、神の霊は鳩の形をもってたとえるべきとしました。なお後年のユダヤ人の心に今一つの思想がありました。すなわち年久しく預言者の声を聞かないために、人心その寂寞に耐えることができず、昔の詩人が主の御声を雷としてあらわしたのを思い起こして、雷をもって危機に際し天より来る神の御声と称し、これをバス・コルすなわち『天の御声の娘』と思いなすに至りました。

12 鳩と御声

 ヨハネもまた時代の子としてこの思想を離れることは出来ませんでした。ゆえに神はメシヤの黙示を与えられるにあたって、この思想を利用されたのです。すなわち、バプテスマを受けてのち、イエスの河岸に佇んで祈られる時『天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」』(新約聖書 ルカの福音書3章21節、ヨハネの福音書11章27節、20章21節)とあります。

 救い主に対するユダヤ人の称号は『神の子』と言うのであって、先のみことばは直ちにイエスがメシヤであることを表わす特別の保証でありました。この幻とその御声とは、ただイエスとヨハネ以外には分かりませんでした(新約聖書 マタイの福音書3章16節、マルコの福音書1章10節、ヨハネの福音書1章32節34節)。主の復活後もまたこれと同じで、その栄光に入られた体は肉眼では見ることができませんでした。ただ幻を見得る賜物を授けられたもののみが、これを認識したのです。

 このようにイエスとヨハネとのみにはその霊性が明らかにされ、幻は目撃され、また御声が聞こえたけれども一般の群衆はさらにこれを見ることができませんでした。これは当然のことでありました。この黙示は二人にのみ授けられたものであって、イエスに対しては、その時期のまさに到来したことを示し、ヨハネに対してはメシヤを認識させるためのものでありました。

2023年3月10日金曜日

受肉者耶蘇(12)血統でなくその心

 7 彼らを迎えたヨハネの態度

 彼らがいかなる素性の人々であるかをヨハネはたちまちに看破しました。彼は彼らが年功を経た偽善者で外形を偽るに巧みで、その公言するところを信用してはいけないことを早くも知った。彼らはヨハネの説く未来の審判の凄惨の様に胸をつかれたけれども、ただこれを恐れるのみで、悔い改めようとはしませんでした。

 彼らを見たヨハネは、たびたび荒野で見られる枯れた雑木が、火を招いて、蛇の類が狼狽しつつその巣を飛び出す光景を思い浮かべました。『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたか』と彼は宣告しました。

 ヨハネの洗礼はこのような人物のためではありません。彼らは先ず益することのない野心を捨てて、その至誠を表明すべきでしょう。彼らは自らアブラハムの子孫であると誇り、神はアブラハムとその子孫に特殊の約束を与えられ、神はすなわち彼らの神、彼らはすなわち神の民であると論じつつ、アブラハムの子孫と言う意義は、つまるところその血統にあるのでなく、その精神があるがためであることを忘却しているのです(新約聖書 ヨハネの福音書8章35節〜59節)。

 イエスが後年これを戒められ、聖パウロもまたこのように論じた(新約聖書 ガラテヤ書3章)ように、ヨハネは彼らが独断をもって自己の地位を決めている無益な自負心に攻撃を加えました。時を遡ることほとんど十五世紀前、危急存亡の日に、この激流の間に一筋の道開け、イスラエル国民が渡渉した時、ヨシュアは川床の石の種類に従い、一個宛て、十二個を取って『それを宿営地に運び、そこに』(旧約聖書 ヨシュア記4章)据えました。その石はなお当時そのままに残っていたと言います。

 預言者はこの灰色の記念碑を指しつつ『「われわれの先祖はアブラハムだ。」と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです』(新約聖書 マタイの福音書2章9節)と叫びました。このように神は石のように頑迷にして、かつ石像の崇拝者である異邦人の中から、約束による世継ぎ者(相続人)としてアブラハムの子孫を起こされたのです。

8 ベタニヤに来れるガリラヤ人

 霊的覚醒の消息は北方にも広まって、ガリラヤ地方よりも、はるかにこの偉大な預言者の説教を聴き、古のマナのように荒野に降れる恩寵に願わくば浴せんとして多くの人々が集まって来ました。中にもまれなる幸運に会した五人の青年がありました。すなわちガリラヤ湖畔より来れるヨハネ及び、アンデレ、シモンの兄弟、ピリポならびに、カナと称する高原の一村より来れるナタナエルすなわちこれらの青年であります。ヨハネとアンデレとは単に預言者に招かれるがままに悔い改めたのみならず、弟子となってその団体に加わりました。さらに今一人のガリラヤ人が現われて来た。すなわちイエスであります。しかしイエスの外観は他の人々と選ぶところがなかったので、その来訪も特殊の注意を引くに足りませんでした。

2023年3月9日木曜日

受肉者耶蘇(11)洗礼者ヨハネの要求

4 その説教の特質 

 しかしたとえこのような特殊な後援の事実がなくても、ヨハネの説教は深刻な印象を与えたのでありました。これにより人心に反応ーー罪悪と審判、悔い改めと赦免ーーを起こさなければ止まないものがありました。ちょうどあのジョルジ・ホイットフィールドがキングスウッドの石炭坑夫の心を砕き、彼らの両眼から涙が流れて『その黒い頬に白い二筋の溝ができた』ほどで、二万の群衆はその周囲に集まり、その群衆の間から『数千のもの、たちまち確実に衷心から悔い改める深い決心を与えられる』に至らしめたその力と等しいものが彼の説教にもこもっていました。

5 確定したその要求

 ヨハネの伝えるところはただ特別の教えであったのみでなく、彼は確定した要求を提供しました。その伝えるところは『天国は近づけり』と言うのであって、その要求は『悔い改めよ』と言うにありました。そしてその要求は寸刻の猶予さえ許さない峻烈を極めておりました。

 長懼(ちょうく)すべき『復讐者』、仮借することない『改革者』である救い主は近づいて、今まさにこの世に現れんとしています。その手には箕(み)があり、収穫場の隅々までこれを潔め、麦は集めて倉に収められるけれども、糠(ぬか)は消えない火に投げ入れて焼かれるはずであります。その斧はすでに樹の根に据えられ、善い果実を結ばないものは折って炉に投げ入れられます。ユダヤ人の期待に背かなければ、メシヤは威風凛々(りんりん)たる国君として臨御され、異邦人には厳酷にしてイスラエルには恩寵を裕に垂れ給うはずであります。しかし、ヨハネは審判に独り異邦人に加えられるのみならず、イスラエルの罪あるものにも及ぶべきことを布告しました。聴衆の良心もまたこの預言者のことばに共鳴したのであります。

 彼らは『私たちはどうすればよいのでしょう』と叫びました。彼は『悔い改めよ』と答えました。ラビの諺にも『イスラエルにしてもし一日の間に悔い改めなければ、同時に贖い主現われるであろう』とありました。しかるに悔い改めを促す教訓が、剴切にもメシヤの先駆者の唇より叫ばれたのであります。ヨハネの事業は単に悔い改めを促すのみに止まりませんでした。悔恨したものには必ずバプテスマの儀式を受けるように要求したので、ついに『洗礼者』なる称号を受けるに至りました。

 この要求はこれに当たる価値のない者には脅迫、深刻なる信念を持つ者には呵責を加える途であります。かつこの儀式は二重の意義を表わす象徴であった、悔恨により内心を潔め、また一層高遠なる意義をふくむメシヤの洗礼を象(かたど)るものであります。『私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを篤値うちもありません。その方はあなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります』(新約聖書 ルカの福音書3章16節)とヨハネは言いました。

 洗礼志願者に対するヨハネの試問は甚だ適切で、また実際的でありました。彼は各人の罪悪を指摘し、これを拭い去れと迫りました。志願者が富豪ならば(新約聖書 マタイ19章21節、マルコ10章21節)、青年の司に対する主のみことば(新約聖書 ルカの福音書18章22節)を偲ぶべきことばをもって、財産を貧者に施すべしと命じ、税吏ならば、定めの税金額をよく守り、決して過重の付加をしないように命じ、兵卒ならば、略奪や、虚偽の拘引や、謀反を企てるなと命じました。

6 パリサイ、サドカイの徒も来る

 この洗礼者の説教がいかに力があったかは、ただに単純素朴な民衆のみならず、教育あり、地位ある人々もおびただしくベタニヤに集い来ったのを見ても明らかです。『パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見た(とき)』(新約聖書 マタイの福音書2章7節)。信仰を誇りとするパリサイ人と権勢に恃むサドカイ人とが、平素の激烈な軋轢を忘れ、一団となり、いわゆる愚夫愚婦の群衆に混じって集まって来たのは、まことに驚くべき現象であります。

 後年彼らがイエスに対抗するために協同したのは、その共同の敵に当たろうとして平生の恨みを忘れたのであったが、この場合には 彼らは事実一致融和して訪ねて来たのであります。敏捷怜悧なエルサレムの宗教の幹部員はヨルダン河畔に行われる光景を観察し、この運動を彼らの保護の下に置くことを利益と認め、後年イエスの場合にも試みたように、群衆を利用して自分たちの志を達しようと企てました。

 すなわちこれらのパリサイ、サドカイの両宗徒は、ヨハネの事業を探り、報告をなすためにサンヒドリンの代表者として遣わされたのです。しかし彼らはこの説教者と相対するに及び、その心に浸む雄弁を聞き、我知らずこれに捕えられることを覚えました。その訪れ来った動機は様々であったけれども知らず知らず、この預言者に親しみ、ついに自ら悔い改めて洗礼を受けるに至りました(新約聖書 ヨハネの福音書5章35節)。

 ヨハネがメシヤを証明した一カ年有余の後、ヨハネに対する彼らの批評を思い起こしてこれを引用し、イエスはヨハネを『彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです』と仰られました。

2023年3月8日水曜日

受肉者耶蘇(10)洗礼者ヨハネの出現

第三章 メシヤとしての召命

『主にバプテスマを授けつつ
    彼はバプテスマを受けぬ。
 その受洗のうちに主は万民を洗う能力を受け給えり、
    水は洗われて浄まりぬ、
 かくて恩寵溢るる受洗のためにと
    人に供せられたり』
          Henr Pist

1 ヨルダン対岸のベタニヤにおけるバプテスマのヨハネ

 幕をあげれば十八ヵ年は早くも経過して、緊張した舞台が現出するのであります。すなわち一大預言者が出現しました。そしてエルサレム、ユダヤ全州を始め、ヨルダン流域の国から熱心な群衆が、彼の活動の舞台であるベタニヤへ、かのヨシュアの指揮の下でイスラエル人が約束の地へと渡渉したあたりを逆に渡渉して、雪崩のように押し寄せたのであります。この預言者こそザカリヤと称する老祭司の一子で、ユダヤ山間のいずこか、密かに隠れてその事業を計画したヨハネでありました。三十余年の昔、イエスの降誕に先立つ六ヶ月、ザカリヤの妻エリサベツは、長く子がなかった所へ、一子を設けたので、夫と共に喜びつつ、これを主の御用にと聖別しました(新約聖書 ルカの福音書1章36節)。元来エリサベツはマリヤとは親戚に当たったけれども、両家は北と南、国の端と端とに住んでいたので、ヨハネとイエスとは全く他人と等しく未見のままに育てられました。

 イエスがナザレの作業所で労働に従事される頃、この聖なるナザレ人ヨハネもまた八世紀の昔、この地方に、羊飼いと桑の木の栽培を業とした祖先アモスのように、ユダヤの荒野でイエスに劣らぬ名もない生活を送っていました。ヨハネはアモスと等しく一生懸命に従事する傍ら、衰え果てたイスラエルの前途を憂いこの国民に対する神の思し召しを案じつつ、二六時中ただ黙想に耽っていたのであります。死海の彼方desolate(やせ地)の地方にはエッセネ派の人々が住んでおり、隠遁して、労働、慈善、黙想、祈祷、断食などを日課としていたのであります。かの有名な歴史家ヨセフスがその熱烈な青年時代、パナスと称する遁世者に従って峻厳な規律の下に三年間を荒野に送ったように、ヨハネもまたこのエッセネの徒と交わりを結んだのは疑うべくもありません。しかしどの宗派にも属してはおりませんでした。彼自らが教師として弟子の一団を組織していました。

2 その召命

 古えの預言者に見られるように、その三十歳に達するに及んで『神のみことばヨハネに臨む』です。さながら炎炎として焔がその骨々に押さえつけられているかのように、彼は胸中に燃えている思想を訴えないではおられなくなりました。『獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう』(旧約聖書 アモス書3章8節)。彼の説教の名高い噂はたちまちに好奇心に富む群衆を集めるに至りました。そして日ならずしてヨルダン対岸のベタニヤは有力な霊的覚醒の舞台と化しました。その昔イスラエル民族が、約束の地に踏み込んだ、その同じ地点が、今この日、最後の日の天国へ、門戸の開かれる場所となったのは、まことに珍しい配合と言わねばなりません。

3 その権威の秘密

 この説教者に権威のあった秘密はどこに潜んでいたのでしょうか。これには様々な理由がありました。

(1) 一個の預言者

 彼は一個の預言者でありました。而してこの国には年久しく預言者の声が絶えた場合でありました。そのいわゆる『善き友』の最後の人はマラキであって、その死後四百年の星霜は流れたけれども、神の御旨は黙々としてさらに降らなかったのであります(旧約聖書 1サムエル記3章1節)。

 かつて古にその例を見たように『そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった』。そして人々はマカビイ時代の詩人のように悲しみに沈み、『もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も、私たちの間にはいません。』(旧約聖書 詩篇74篇9節)と嘆きました。預言者の後継者と言うべきはただ過去のみを崇拝するラビたちであって、生ける神よりの生けることばは露だにも伝えられず、律法の注釈と長老の伝説を口授するのに日も足らない有様でした。しかるに今遂に預言者の声は、人々の霊魂に共鳴を喚起しなければ止むことのない確信の響と権威の音律をもって伝えられたのであります。

(2) 人心の準備

 国民は霊的覚醒に対する準備がすでに熟しておりました。国民の悲境はメシヤに対する希望を復興させ、その希望が日ならずして充実するに至らんとすることを期待しておりました。故にヨハネが確固不抜の信念と燃えるような熱心とをもって天国、すなわちメシヤの王国が近いと宣言するに及んで、躊躇なく信任を得たのは怪しむに足りません。ただそれだけでなく、古来の約束に準ずるならば、救い主の降誕にあたって、あらかじめモーセのような預言者が先ず起こり、その報告をなすであろうと思われました(旧約聖書 申命記18章15節)。

 しかるにこの時に及んでもさらに何のしるしもなく、新たな預言者が現われる様子も見えない所から、古の預言者の一人がよみがえり来たって、メシヤ王国の先駆となるであろうとの思想が生まれました。あるものはエレミヤが甦るだろうと言い、一般にはエリヤ来るべしと期待されていました。ヨハネが『エリヤの霊と力』をもってユダヤの野に現われ、彼と等しい衣服をまとい、彼と等しく荒野においてわずかに得られる単純なものをもって生活し、自分に勝る力ある人が出現することを説いたので、このような思想がこれと結びついたのは当然であります(新約聖書 ルカの福音書1章17節、旧約聖書 2列王記1章8節、1列王記17章2節〜7節)。

2023年3月7日火曜日

無数のつぼみのよう

青空に ミズキのつぼみ 無数なり
 このハナミズキは、先週の金曜日(3/3)に、知人の火葬の折り、外に出て見上げたものだ。葬儀と言うと何とも言えない悲しみに支配されるのが普通だ。この時も、その思いがなかったわけではない。しかし、このハナミズキの先端に育っている無数のつぼみは天に上げられたおひとりおひとりを象(かたど)っているように思われてうれしくなった。

 それは多分にパトリシア・M・セントジョンが描く天の故郷に対するゆるぎない確証をその文章をとおして得ていたからである。例の『雪のたから』にこんな文章があった。

クリスマスの夜、アンネットはお母さんを亡くします。その時、お母さんはダニーを産み落としていました。その悲しみのとき、悲しみよりも、もっと別次元のイエスさまの誕生に感謝する叙述が続きます。その中で作者は第一話の「天使たちと過ごしたクリスマス」の中で、次の文章を最後に書いています。

アンネットのおかあさんは、クリスマスを天使たちと過ごすために、天に行ってしまったのでした。(16頁)

そのようにして生まれたダニーを育てるために家族は苦労しますが、目の見えないリューマチのおばあさんがアンネットを助けにやってきます。ダニーはアンネットの友人ルシエンのせいで谷底に落ちてしまいます。死んだとばかり思っていたダニーは生きていました。しかし足を骨折して一生松葉杖を使わなければ歩けない不具の身になりました。そのときおばあさんが孫のアンネットに語る言葉です。第七話「救い主のみ手に抱かれて」での一コマです。

「アンネット。わたしたちはね。ダニーがまだ赤ちゃんだった時、ダニーを教会に連れて行って、信仰によって、ダニーを救い主のみ手におゆだねしたのよ。そして、毎日、わたしたちは、救い主イエスさまに、ダニーをお守りくださいといのっているわ。だからダニーが(谷に)落ちた時でも、イエスさまは、ダニーを守ってくださっていたのよ。イエスさまは、そのみ手で、いつもダニーを支えてくださっているのよ。たとえあの時、ダニーが死んでいたとしても、まっすぐに天のおうちに連れて行かれたことでしょう。だからもうそんなに泣かないで、救い主イエスさまが、ダニーを守ってくださることを信じましょう。そして、ダニーのためにできるだけのことをしてやりましょう。」(92頁)

自らの過失に苦しみ、誰からも見放されたルシエンは一人の「山のおじいさん」に出会います。これはそのおじいさんがルシエン以上に罪を犯し苦しんだが、罪の赦しをいただいたことをルシエンに話す場面です。第十三話「おじいさんの物語」に出てくる一シーンです。

「わしはおまわりさんにつれられて、妻に最後の別れをしに行った。妻はもう死にかかっていたのだ。妻はけっかくで死んだということだが、本当は、悲しみのあまり死んだのだと、わしは思っている。わしが妻を殺したようなものなんだよ。
 わしは、二十四時間の間、妻の手をとって、そのそばにすわっていた。妻は、わしに神さまの愛と、あわれみと神さまが罪をゆるしてくださることについて話してくれた。わしは、妻が死ぬまでそばについていた。そして妻が死んでしまうと、また刑務所に連れもどされた。」(173頁)

「とうとう刑務所から出る日がやってきた。わしは、ほんの少しの金をポケットに入れて一番列車で山の中に入って行った。

 そして、この村で汽車を下りた。というのは、一人の男の人が、こわれた垣根から、無理に入ろうとする牛たちを引きもどすのに苦労しているのを見たからなのだ。わしはその人を助けて、牛たちを道に引きもどした。それからその人に、何か仕事をさせてもらえないかと聞いた。(中略)

 わしは、五年間、その人のところで、朝早くから夜おそくまで働いた。そして、だれとも友だちにならず、休みも取らなかった。わしがみんなからすて去られた時に、わしを温かくむかえてくれたこの人のために働くのが、わしのただ一つの喜びだった。わしはたびたび、なぜこの人はわしをむかえてくれたのだろうと不思議に思うことがあった。しかし、ある夜、その人が息子さんと話しているのを聞いたんだ。息子さんは、ちょうど休みで町から帰って来ていたのだ。
『おとうさん、どうして、あんな、ろくでなしの囚人をやとったのですか。全くばかげたことですよ!』
『キリストはつみびとを受け入れられた。わしらは、弟子ではないか。』

 夏になると、主人とわしは、牛を連れて山に登った。そして、わしが今住んでいるこの小屋に住んだ。平和な山のふんい気がわしの心の中にしみこんで、心のきずをいやしてくれるようだった。自然は、つみびとであるわしにも、聖徒のようなわしの主人にも、同じようにほほえんでくれた。山に咲いている花も、美しい日の入りも、雲ひとつない早朝の空も、二人にとっては、何一つとしてちがうところがなかった。そのころには、わしも、神さまの愛とあわれみを少しは信じるようになっていたんだよ。

 しかし、それから四年ほどすると、主人は、体がだんだん弱ってきて、とうとう病気になってしまった。医者にみてもらって、いろいろ手をつくしたが、どうしてもよくならなかった。わしは一年間主人の看病をした。息子さんもよく見舞いにやって来た。しかし、一年後に主人は死に、わしはひとりぼっちになってしまった。主人は死ぬ前の晩に、ちょうどわしの妻と同じように、神さまの愛と、あわれみと神さまが罪をゆるしてくださることについて話してくれた。」(177頁)

あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。(新約聖書 ヘブル人への手紙12章22節) 

2023年3月6日月曜日

「木瓜の花」と「雪のたから」と私

家探し 自転車道 木瓜(ぼけ)の花

 昨日は 、午後、退職者の友の会の方々に会報を届けるために13軒の家々を探し探し、自転車歩行をした。都合、二、三時間かかった計算だ。面識もなく、名前と住所をたよりに配り歩くノルマであった。東西南北散在している家々である。

 それでもかれこれ10年ほどやらせていただいた会報配りだ。今期最後でお役御免となりたいところである。次の方にバトンタッチしようにもその方がまだ見つかっていない。歩いて配るのもいいが、通算すると大変な距離になる。

 狭い路地あり、行き止まりあり、また市の地名表示はほとんど行き届いていない。市長や市会議員こそ、このようなどぶ板をこそ歩いて欲しいものだ。様々な法規制のある中で、人々の住環境ができあがり、街づくりが形成される。

 昨日もその前の日に見た『雪のたから』英語版の映画「Treasures of the Snow」の続きをYouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=VsAxSHSc5vgで視聴したが、映画のストーリー案内に次の語句があった。
A touching tale of forgiveness and reconciliation, filmed in the breathtaking Swiss Alps. Lucien, a lonely, frightened boy of 13, finds himself an outcast from his family and friends, especially the very hostile neighbor Annette. Lucien becomes friends with an old woodcarver and begins to have hope, but learns that a price has to be paid for forgiveness.          
「赦しと和解の感動的な物語が息を飲むばかりのスイス・アルプスで映像化された。孤独でいつもびくびくしている十三歳の少年であるルシエンは、家族からも友人たちからも見放され、特にもっとも親密である隣家のアンネットからも見放された。ルシエンは一人の木彫り者である老人と友となり、希望を抱き始める。しかし、赦されるためには代価が支払われなければならないことを学び始めるのだ。」ざっとこんな案内だと思う。

 そう言えば、昨日の礼拝の後のメッセージの題名は「贖いの代価」であった。人間の罪を帳消しにするためにいかにイエスさまの十字架上での犠牲の死が必要であったか、その犠牲がいかに比べられるものがない犠牲であったか、「旧約(古い約束)から新約(新しい約束)への展開」が語られていた。

 二、三時間探しに探して疲れ果てていた私、ほぼ終わりに近づいていた私に、この何気ない行きずりに見かけた木瓜(ぼけ)の花は私の労苦を労(ねぎら)うかのよう、ちなみに木瓜の花言葉は「先導者」であった。

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(新約聖書 マルコの福音書10章45節)

2023年3月5日日曜日

素晴らしき女性の働き

有難や 歯科衛生士 手の技よ
 いつもお世話になっている歯科医院の玄関先である。春もこの店頭が早かった。2/8には花が咲いていた。その時、気づかなかったが、後景の桜の花には小鳥がたくさん止まっている。人工とは言え、心が明るくなる。右の水槽では熱帯魚が何匹も水槽内を行き来する。見ていて飽きない。

 歯は長年、伊勢崎の知人宅まで通っていた。往復四時間ばかりかけて。それだけ腕が達者で信頼のできる方だからである。ところが近年どうしても遠距離がネックになってきた。そのため恐る恐る近在の、それこそ線路渡ってすぐ、歩いて7、8分の歯科医院にお世話になることになった。先生とは長男とは同じクラスになったことはないが小中の同級生だったし、お母さんには長男が公文で大変お世話になった。そして、先に召されたお父さんと私は少し面識があった。

 すっかり通い慣れて、今や私にとってたいせつなホームドクターである。昨日も歯科衛生士の方から歯石をとっていただき、歯磨きの指導を丁寧にしていただいた。感謝あるのみである。女性の細やかな神経と手さばきにただ感嘆してばかりいる。これが男性だったらどうなのだろうか。もちろん締めはきちんと先生がなさる。男女の棲み分けがきちんとしているのだ。

 それにしても私は最近、女性の果たす多大な役割に目を開かされっぱなしである。2016年のブログでフランシス・リドレー・ハヴァガルの霊想を毎日せっせと翻訳してはご紹介したが、この時、ハヴァガルのその信仰の深さに大変敬服した。今もその思いは変わらない。そして今回、パトリシア・M・セントジョンという作者に出会った。いずれも女性である。(なお、『雪のたから』については、映画化されており、以下のフィルムが見られることがその後わかったので案内しておく。https://www.youtube.com/watch?v=VsAxSHSc5vg )

 歯科衛生士の力のいる作業、しかも優しさを感ずる作業を身に受けながら、私の中には新たな女性礼賛の思いが出てきて、しょうがないのである。そう言えば、一昨日、天にお送りした方も女性であった。夫君は奥様をお送りしてこれからさびしくおなりになるのだろうと思う。

 それぞれひとりひとりが様々な賜物をいただいている。そのことを主に感謝しながら、お互いに仕えていきたいものだ。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(新約聖書 ピリピ人への手紙2章3節)

2023年3月4日土曜日

ひとりぼっちじゃない(下)

春近し 雪のたからの 賜物よ

 昨日は、一人の知人の方の火葬に立ち会わせていただいた。火葬の終わる間の待ち時間に列席されたご夫妻から、貴重なご質問をいただいた。それはクリスチャンは「火葬に付した後のたましいはどういうふうに考えるのですか」というご質問であった。私は「お骨はいずれは完全なからだによみがえります。霊は主イエスさまのところに憩っておられます。イエスさまを信じた者は、生きている時に新しいいのち、新生のいのちに生かされているのです。そしてイエスさまが十字架で死なれた後三日後によみがえられたように、私たちもいずれは完全なからだによみがえらされるんですよ」とお話した。

 なぜイエスさまの十字架がそんなに意味を持つかは、この『雪のたから』の最終章の第二十六話「罪ゆるされた喜びの日」がすべてを語っていると思う。全文は14頁になるが、そのうちのごく一部分を抜粋して以下に載せさせていただく。同書340〜342頁より

 おじいさんは、考えにふけるように、谷間を見下ろしました。それから、何も置いていないたなに目をうつしました。
 「わしは、孫たちに木彫りをいくらか持って行ってやろうとおもっているんだ。孫たちは、きっと喜ぶだろうと思ってな。ルシエン、君にも一つ取ってあるよ。この前の晩、それを見つけたのだ。わしはそれを手放したくないのだが、もし大切にしてくれるなら、君にあげよう。」
 ルシエンは、熱心におじいさんを見上げました。
 「ぼく、一つほしいです、おじいさん。それを見れば、おじいさんのことを思い出しますし、それをまねて彫ることもできますから。」
 おじいさんは、戸だなのとろへ行って、ルシエンのために取っておいたプレゼントを取り出しました。そして、それをルシエンの手において、じっとルシエンを見つめました。

 それは二本のあらい木で作った十字架で、ちょっと見ると、かんたんなようでした。しかし、その横木は、ひじょうに精巧に彫ったロープで、たて木に結びつけられていました。ルシエンは、指で、そのすばらしい彫刻をさわりました。そして、目をかがやかせて、おじいさんを見上げました。
 「きれいですね。木を折らずに、こんなすばらしいロープが彫れるなんて、ぼくには考えることもできません。これは、イエスさまがおかかりになった十字架ににていますね。」
 「そうだよ。わしは、それを、わしの主人がなくなった晩に彫ったんだよ。その晩、主人は、神さまの愛とあわれみについて話してくれて、わしは、自分がゆるされたことを信じたんだ。いつか、君と二人で、愛について話し合ったことがあったね。イエスさまは、十字架におかかりになって、わしらを全き愛で愛してくださっていることを、お示しくださったのだ。」
 ルシエンは、また、おじいさんの顔を見上げました。
 「全き愛! おばあさんに教わった聖書のおことばと同じですね。そのことを、アンネットが町へ行く前の晩に、アンネットと二人で話し合いました。」
 「うん、君は、全き愛ということばをよく聞くだろうが、全き愛というのは、これ以上、何もすることがないというところまで、やって、やって、やりぬき、これ以上苦しめないところまで、苦しんで、苦しんで、苦しみぬくことなんだ。だから、イエスさまは、十字架におかかりになった時に、『完了した』とおっしゃったのだ。イエスさまが死んでくださったので、どんな罪でもみなゆるされ、どんな罪人でもみなゆるされるのだ。イエスさまは、わしらを、全き愛で愛してくださったのだ。」

以下、346頁から終わりまで写させていただく。

 次の日は、空がきれいに晴れて、よいお天気でした。学校はありません。ルシエンは、朝早く起きて花をつみました。そしてそれを、ベランダのテーブルの上のはちに生けてから、駅に出かけました。まだ時間は十分あったし、考えることも山ほどあったので、ルシエンは、ゆっくり歩きました。おばあさん、おとうさん、クラウスは、もう、らばの荷車に乗って出かけてしまっていました。
 このようなすばらしい春の朝は、今まで一度もありませんでした。かれ草の多かった野原にも、今では青々と草がしげり、花が咲きみだれていました。そして、いたる所から、牛の首につけた鈴の音が聞こえてきました。牛たちは、冬の間ずっと小屋に閉じこめられていたので、今、野原で、春を楽しんでいるのでした。子ヤギたちは、牧場を走り回っていました。そして、くだもの畑では、つぐみが声高らかに歌っていました。森は、樹液のかおりでいっぱいになって、むっとするくらいでした。白いみねは、青い空にそそり立って、目もくらむばかりでした。
 ちょうど一年前に、ダニーが谷に落ちた日もこんな日だったとルシエンは思いました。かたまって咲いているクロッカスの花を見て、ルシエンは、あの日のことを思い出したのです。あの日は、どんなにいやな日だったことでしょう。あの日のことを思い出すだけでも、ルシエンの楽しい心の中に暗いかげがさしこんでくるのでした。アンネットとダニーが遠くの町に行かなければならなくなったのも、ルシエンのあやまちのためでした。ですから、二人は、ルシエンに会うのをいやがっているのではないでしょうか。アンネットは、ダニーがよくなったと言ってきました。しかし、ルシエンはなかなかそれを信じることができませんでした。
 ルシエンはちょっと落ち着かない気持ちで駅までやって来ました。そして、手をポケットにつっこんで、みんなからはなれた所に立っていました。ルシエンは、アンネットとダニーに会うのがなんだかこわくなってきたので、いっそ来なければよかったと思っていたのです。たくさんの人が、ダニーをむかえに来ていたので、小さなプラットホームはいっぱいになっていました。おとうさんは、汽車が現れてくる、はるか向こうの山の間をじっと見つめていました。真新しいピンクのリボンをつけたクラウスは、線路にとび下りて汽車をむかえに行こうと、おばあさんの手の中であばれたので、おばあさんは、クラウスをおさえるのに一生けん命でした。
 「来た!」
 おとうさんが言いました。
 するとみんなが前の方におしよせました。ルシエンだけは、前よりいっそう落ち着かない気持ちで、後ろの方に立っていました。
 汽車がやって来ました。アンネットとダニーは、窓からバラ色の顔をのぞかせてはしゃいでいました。
 ダニーは、自分をむかえようと前の方につめよって来るなつかしい顔を、ひとわたり見回しました。そして、みんなからはなれて立っているルシエンを見て、どうしてルシエンは、あんな所にひとりはなれて立っているのだろうと不思議に思いました。喜びにあふれていたダニーは、みんなが自分の周りに集まって来てくれればよいのにと思っていたのです。ダニーは、転がるようにして汽車から下りると、人々をかき分けて、一目散にルシエンのところへ走って行きました。
 「ごらんよ、ルシエン。ぼく、歩けるようになったよ! 君の見つけてくれたお医者さんが、治してくださったんだ。谷に落ちる前と同じように歩けるよ。見て、おばあさん! 見て、おとうさん! 松葉づえをつかないで走れるよ。ごらん、クラウス。これはおまえの子ネコだよ。大きくなったでしょう。おばあさん、クラウスと同じくらいだよ。」
 クラウスと子ネコは、どちらも歯をむき出しにしてうなりあい、引っかきあいました。ダニーとおばあさんは、二ひきを引きはなしました。人々は笑いました。汽車は、ガタゴトと向こうへ走り去ってしまいました。アンネットは、もう二度とおとうさんからはなれないように、おとうさんにすがりつきました。
 ルシエンは、横を向きました。目からなみだがあふれそうになったのです。ルシエンは、だれよりも、みんなから尊敬を受けました。ルシエンの罪は永遠にゆるされ、忘れられたのです。ダニーは、谷に落ちる前と同じように、歩くことができるようになったのです。
 ルシエンがふり向くと、プラットホームの、ハタンキョウの花が、きれいに咲きほこっていました。きのう、おじいさんを送って来た時には、枝には花一つ見られなかったのですが、もう春がやって来て、ピンクの花が、星のように、はだかの木をいろどったのです。
 寒い、いやな冬は過ぎ去り、春のおとずれとともに、花が咲き、鳥が歌い始めたのです。

こうして350頁に達するこの物語は終わります。写真表紙絵にある三人は、奥にいるのがルシエン、手前がアンネットとダニー、そしてネコのクラウスでしょう。裏表紙はおばあさんとアンネットとダニーだと思います。おばあさんの眺めている窓の向こうにはアルプスの山が見えます。多分ユングフラウも見ているのでしょうか。主人公たちはルシエンとアンネットが十二歳、ダニーが五歳です。そして描かれてはいませんが、山のおじいさんもいます。おじいさん、おばあさんの信じたイエスさまが孫たちの世代に確実に伝えられているのです。それは死に行く時、それぞれが明るい希望をもって死んでゆくのです(※)。私は読んでいて、これほど励まされた物語はないと思いました。

※ご参考のために、過去の記事ですが、2016年の6月9日に記しました「一切心配のないところ」という題名で書いた記事をご紹介しておきます。ここには実際フランシス・リドレー・ハヴァガルの姉が母の臨終に立ち会った時の記録が残されています。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_9.html 最後にみことばを書いておきます。

わたしはあなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。(旧約聖書 イザヤ書44章22節)

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5章21節)

2023年3月3日金曜日

ひとりぼっちじゃない(中)

クリスマス ローズ花瓶に 挿す心
 庭には、今年も、たくさんのクリスマスローズの花がいっせいに花を咲かせている。頭でっかちで世間知らずの私の心を覚ますかのように、助け手がそっと花瓶に花を挿した。私はと言えば、次の物語を読んで心満ちていたーースイス・アルプスの山岳地方の春の訪れを目の当たりにする思いで。昨日に引き続いて『雪のたから』からの抜粋である。五話目の「ルシエンのおそろしい秘密」と題する話の一部である。同書58〜59頁より。

 ダニーは小走りに坂道を登って行きました。クラウスは、クリスマスのネコでしたが、雪の中を歩くのは大きらいでした。その日は、よく晴れた、気持ちのよい日でした。春の日ざしが雪をとかし始め、谷川の両がわの原っぱには、もう青々と草が生えしげっていて、牛が草をたべていました。さらに坂道を登って行くと、そこでも雪が暖かい太陽に照らされて、とけ始めていました。そして所どころに薄黄色の草が現れていました。谷川は、雪どけのために水かさが増して、緑色の水があふれそうになっていました。
 クラウスは、どんどん歩いて、とうとう野原のはしの、石垣の所まで来ました。
 この石がきの向こう側には、岩のごつごつ突き出た谷があり、その底には、急流がうずをまいていました。夏には、岩々はおとぎの庭のようでしたが、今は、茶色の岩肌をむき出しにしていました。
 クラウスは、石垣の上で、春の光をあびながら毛をふくらませていました。それから、体中をなめ始めました。クラウスは、雪のように真っ白できれいでしたから、そんなにしなくてもよかったのですが。
 ダニーは、草のもえ出た所をさがし歩いては、花をつみました。野原にはクロッカスがはなやかに咲いていました。ダニーは、クロッカスも好きでしたが、一番好きなのは高山植物でした。高山植物は、雪のとけるのを待ちきれないで、こおりついた地面をつきやぶって出てきていました。か弱いくきは、まだ氷に閉ざされていて、花は、ふちかざりをした、むらさき色の鐘のように下の方に垂れ下がっていました。
 ダニーは美しいものが大好きでした。ですから、この、花のいっぱい咲いている野原にいるのが、うれしくてたまらなかったのです。太陽は照りかがやき、花はダニーにほほえみかけているようでした。ダニーは、雪の下の、ほらあなの中に住んでいるという化け物の話を思い出しました。かれは、真っ白なあごひげを生やし、真っ赤なぼうしをかぶっています。そして、たいそういたずら好きで、時々だれも見ていない時に出て来て、花のベルをふるのですーーアンネットが、そう言っていたのです。
 ですからダニーは、高山植物の群がっている所に、しのび足で近づいては、その垂れ下がった花をじっと見つめるのでした。それでダニーは、足音が近づいて来るのに気づきませんでした。とつぜんダニーは、ハッとおどろいて顔を上げました。
 ルシエンがダニーのすぐ後ろに立っていたのですーー意地悪そうな顔をして、勝ちほこったように、目を不気味なほどかがやかせて。
 ルシエンは、前にダニーを泣かせた時、アンネットにぶたれたのを忘れてはいませんでした。あの時からずっと、ルシエンは、仕返ししてやろうと思っていました。それで、ダニーがひとりで野原にいるのを見て、急いでやって来たのです。

 悲しいことにこんなに自然豊かであっても、人間の悪はそれを台無しにする。それがこの後半場面に出て来る、短いことば「仕返しをしてやろう」である。少年ルシエンは同級生のアンネットの弟ダニーが何よりも大切にしていた白猫クラウスを取り上げようとする。そうさせまいとしたダニーと揉み合いになり、その結果ダニーは谷底に落下する。明らかにルシエンが目論んでいたアンネットやダニーに対する仕返し以上の変事が起こってしまったのだ。幸いというか、いのちは助かったが、ダニーは足を骨折して不具の身となる。こうしてルシエンにとっては、自らが犯したとんでもない間違い、ダニーの足を、元通りにすることができないという大きな重荷に最後まで苦しめられる。

 昨日の場面こそ、その癒しがたいくるしみを抱えたルシエンが森の中で経験したことの始まりを記した個所であった。彼はその後責めてものダニーへの罪滅ぼしのために、自らの腕に任せて様々な彫刻をつくっては、彼に届けようとするが、今度はダニーの姉のアンネットの「仕返し」の心ない悪だくみで、ことごとく駄目になる。そんな時、森のはずれの小屋に住んでおり、人々からは「山のおじいさん」と言われ、変人扱いをされているひとりの孤独な老人に出会う。その老人は木彫りの名人であったが、同時に過去に強盗を犯し刑務所暮らしを経験したおじいさんであった。そのおじいさんからルシエンは大切な話を聞かされる。第十三話「おじいさんの物語」からの抜粋である。同書179頁より。

 君は、もう一度はじめからやり直す方法はないと言ったね。しかし、それはまちがっているよ。わしは、君よりずっとずっと重い罪をおかした。そして、君のような少年には、考えることもできないような苦しい目に会ってきた。しかし、わしは、神さまがわしをゆるしてくださったと信じているんだ。わしは盗んだ金を返そうと思って、一生けん命働いている。そして、神さまがお喜びになるような人になろうとつとめているんだよ。わしは、これだけのことしかできない。だれだって、これだけしかできないだろう。すんでしまったことは、みな神さまにまかせておけばいいんだよ。

 さて、この話の続きはどうなるのだろう。明日の話はその最終回である。次のみことばは、アンネットがおばあさんから聞くみことばである。第四話「アンネットのちこく」53頁に記されている。

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(新約聖書 エペソ人への手紙4章26節)

2023年3月2日木曜日

ひとりぼっちじゃない(上)

犬ありて 檻のトナカイ 吠えるよう
 人様々。このお家は、玄関先に飾りを出される。いつも同じでなく、お宅の前を通り過ぎる時、気をつけて見ていると、時々模様替えをされる。どのような趣味を持っておられるのだろうか、と思ったりするのだが、面識もないので、お聞きしたことはない。

 ところで、これまで私は、このお家の方が折角飾っておられるのに、それが何か生きていないように思い、写真を撮らせていただくことはなかった。ところが、なぜか今回は写真に収めたくなった。お断りしなかったが収めさせていただいた。そして意外な導きがあったことを知った。それはちょうど、昨日から読み始め、今日読み終えた『雪のたから』(パトリシア・M・セントジョン作/松代恵美訳)の作中に何度も「彫刻」の話が出てきたからである。その彫刻はその方が門前に置かれている置物に通ずるものがあるやに思った。

 そして「彫刻」がこの作品のたいせつなモチーフの一つとなっていた。たとえば、こんな具合だ。同書102〜104頁

 もうルシエンは、森のはずれまで来ていました。この辺りでは、ぶなの木が、松の木にまじって生えていました。そして前方に、草の生えしげった、けわしい坂道が見えてきました。ぶなのつぼみはふくらんで、今にも開きそうです。そして、えだの所々に、毛でふかふかした葉がふき出ていました。もうすぐつぼみが全部開き、葉も大きくなって、森は大会堂のようになることでしょう。ルシエンは、丸太の上にすわり、小さな木切れを拾い上げて、それをナイフでけずり始めました。
 ルシエンは、これまでにも、別にどうするというあてなしに、ナイフで木をけずったことがよくありました。しかし、今は、何もすることがないので、かもしかを彫り刻んでみることにしました。ルシエンは、時間つぶしに木切れをけずり始めました。
 木切れは、だんだん、かもしかの形になってきました。ルシエンは、不思議なほど、興奮してきました。はじめて、ルシエンは、心の苦しみを忘れ去って、このことに熱中することができたのです。ルシエンは、心の中に、かもしかのすがたをえがいていました。そして、ルシエンの指が、心の中の絵を、木切れに切りきざんでいきました。まず、頭の方では、美しくカーブした角、突き出た鼻がでてきました。それから、りょうしの角笛を聞きわける、ピンと立った耳もできました。そして、四本のほっそりとした足、飛びあがろうとしているような格好の体ができあがりました。ルシエンは、かもしかを手のひらにのせ、うでをのばして、それをながめました。それは、まさしくかもしかの形をしていましたが、まだまだ不完全なものでした。ルシエンも、それでよいのかどうか、よくわかりませんでした。
 しかし、あのいやな出来事があってはじめて、ルシエンは、楽しい気持ちになったのでした。ルシエンは、自分にもできることがあるということを知ったのです。学校の成績が悪くても、彫刻することができます。ですから、これからは、もうひとりぼっちになっても、さびしくなくなるでしょう。ほかのこどもたちが、ルシエンを相手にしてくれなくても、静かな森に来て、美しい景色をながめながら彫刻することができます。

 ルシエンと言うのは、この物語に出て来る主人公の一人で、お父さんのいない12歳の少年だ。彼は自分の犯した失敗(いやな出来事)でクラスで誰にも相手にされなくなり、家庭にあってもその悪さのために母親や姉からも愛想をつかされた。そのとき、その孤独を癒してくれたのが森であり、そこで身につけたのが彫刻であった。そのことがきっかけになってさらに話は展開していくのだが・・・。

 この物語の作者は以前、このブログでも紹介させていただいた『オネシモ物語』https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/02/blog-post_14.htmlと同じ作者である。この話も全部で26話で構成されている、児童書である。しかし、児童書とは言え、これほど人間の本当の姿を描いているものはないと思った。すなわち作中人物はいずれも例外なく、どんなに意地悪い心を持っていても善良で、それぞれ一生懸命生きているのだ。そして、どんな悲しみも苦しみもそれを癒すかのように自然が与えられ、それぞれにはまたふさわしい賜物が与えられている。

 けれども人はそれだけでは生きられないのだ。人には家族、友人など自分を取り巻く人々との生活がある。そしてそこに必要なのは「愛」である。しかし、これまた例外なく人の本質は、自らが人に対して、不寛容であり、不親切であり、人をねたみ、自慢し、高慢であるのだ。物語はお父さんのいない貧乏な不幸を背負ったルシエンがどのようにして「愛」に目覚めていくか、いやルシエンだけでない、ルシエンが憎いと思い、意地悪をした成績のいい女の子アンネットもお母さんを幼くして亡くしている。その彼女もこの「愛」に苦しむのだ。その時、お母さんの代わりをしてくれたお祖母さんから折りに触れ、聖書からイエス様のことを聞く。苦しみ悲しみの中にあって登場人物のそれぞれを包む「愛」が証され、その「愛」に生きるように導かれていく。

 ちなみにそのお祖母さんは目がかすんで見えず、リューマチを患っている、81歳だと物語は明記していた。80歳の私にもすることはあるのだと思った。以下のみことばはその彼女が孫に示したみことばの一つである。彼女はこの愛はイエス様だと言う。だから「愛」の代わりにイエス様と置き換えて読んでみるとよりよく理解できるのだと思った。特に後半の「愛は自慢せず、高慢になりません」の意味を我が身に照らし合わせて、この書を通して深く教えられた。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。(新約聖書 1コリント13章4節)

2023年3月1日水曜日

川のありがたさ、大切さ

古利根や 先人の労 ありてこそ
 今日は、暑くもなく、寒くもなく、風のない穏やかな散歩日和でした。散歩途中には、庭先で、戸締りの確認でしょうか、声をかけあって、これまた自転車で出かけようとしておられるご夫婦を目の当たりにしました。そうかと思えば、二人の若いママさんが立ち話している袂で、一、二歳の女の子もお互いに何かしていました。そのうちに近づいて来るこちらの存在に気がついたのか、愛くるしく手を振りました。思わずこちらも手を振っていました。

 そうして、いつもの川縁に近づいたら、何やら数名の人たちが「川守稲荷大明神」のお社に集まって、どなたかの話を聞いているようでした。史跡探訪の好季節となり、先陣を走られての、この日3月1日だったのでしょうね。写真は川の堤、土手から堤外地に位置するお社を撮影したもので、二本の大木に囲まれた猫の額のような小面積のところです。左側に覗いているのはスーパー「ベルク」の屋上駐車場につながる道路です。

 一つの川が、魚、鳥、人間はじめ生きとし生けるもののあらゆる生活の糧、心の糧となっていることに今更ながら驚かされます。確かに、今日、交通の大動脈は電車(道)であり、車(道)であり、舟運は行われなくなりましたが、川を眺めているとなぜか心が癒されます。小林一茶は「古利根や 鴨の鳴く夜の 酒の味」と詠んだそうです。恐らく一茶以前に川は決壊し、どうしようもなく人々はいのちを投げ捨ててまでもして、川を治めたのでしょう。このことは人知では計り知れないことであり、こうして「川守稲荷大明神」となり、今日もその社が祀られていることだと想像します。

 今から二千年前、パウロはギリシヤのアテネ地方に行ったおり、次のように言って、神様とはどんなお方かを明らかにし、その上で人のいのちの大切さに言及しました。耳を傾けるべきことばではないでしょうか。

私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みにはなりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神はすべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。(新約聖書 使徒の働き17章23節〜25節)