2023年3月10日金曜日

受肉者耶蘇(12)血統でなくその心

 7 彼らを迎えたヨハネの態度

 彼らがいかなる素性の人々であるかをヨハネはたちまちに看破しました。彼は彼らが年功を経た偽善者で外形を偽るに巧みで、その公言するところを信用してはいけないことを早くも知った。彼らはヨハネの説く未来の審判の凄惨の様に胸をつかれたけれども、ただこれを恐れるのみで、悔い改めようとはしませんでした。

 彼らを見たヨハネは、たびたび荒野で見られる枯れた雑木が、火を招いて、蛇の類が狼狽しつつその巣を飛び出す光景を思い浮かべました。『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたか』と彼は宣告しました。

 ヨハネの洗礼はこのような人物のためではありません。彼らは先ず益することのない野心を捨てて、その至誠を表明すべきでしょう。彼らは自らアブラハムの子孫であると誇り、神はアブラハムとその子孫に特殊の約束を与えられ、神はすなわち彼らの神、彼らはすなわち神の民であると論じつつ、アブラハムの子孫と言う意義は、つまるところその血統にあるのでなく、その精神があるがためであることを忘却しているのです(新約聖書 ヨハネの福音書8章35節〜59節)。

 イエスが後年これを戒められ、聖パウロもまたこのように論じた(新約聖書 ガラテヤ書3章)ように、ヨハネは彼らが独断をもって自己の地位を決めている無益な自負心に攻撃を加えました。時を遡ることほとんど十五世紀前、危急存亡の日に、この激流の間に一筋の道開け、イスラエル国民が渡渉した時、ヨシュアは川床の石の種類に従い、一個宛て、十二個を取って『それを宿営地に運び、そこに』(旧約聖書 ヨシュア記4章)据えました。その石はなお当時そのままに残っていたと言います。

 預言者はこの灰色の記念碑を指しつつ『「われわれの先祖はアブラハムだ。」と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです』(新約聖書 マタイの福音書2章9節)と叫びました。このように神は石のように頑迷にして、かつ石像の崇拝者である異邦人の中から、約束による世継ぎ者(相続人)としてアブラハムの子孫を起こされたのです。

8 ベタニヤに来れるガリラヤ人

 霊的覚醒の消息は北方にも広まって、ガリラヤ地方よりも、はるかにこの偉大な預言者の説教を聴き、古のマナのように荒野に降れる恩寵に願わくば浴せんとして多くの人々が集まって来ました。中にもまれなる幸運に会した五人の青年がありました。すなわちガリラヤ湖畔より来れるヨハネ及び、アンデレ、シモンの兄弟、ピリポならびに、カナと称する高原の一村より来れるナタナエルすなわちこれらの青年であります。ヨハネとアンデレとは単に預言者に招かれるがままに悔い改めたのみならず、弟子となってその団体に加わりました。さらに今一人のガリラヤ人が現われて来た。すなわちイエスであります。しかしイエスの外観は他の人々と選ぶところがなかったので、その来訪も特殊の注意を引くに足りませんでした。

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