2023年3月12日日曜日

震災十二周年、左義長祭

画家描く エレミヤの苦悩 いかにや
 昨日はNHKの東日本震災関連のニュースを見た。鎮魂の思いを抱きながら、いつ次の震災が見舞うかもしれない不安の中で様々な対策が立てられ、特に若い世代にその思いを託していたのが特徴であった。

 さて、今日の写真はパリ在住の次男から送られてきたレンブラントの作品である。オランダ・アムステルダムの美術館に出かけての写真だった。この絵を見るのは初めてではないが、絵の好きな家内はいち早く、「エレミヤ」と言い当てていた。でもどんな背景なのかは私と同様知らない。そんな私たちのために参考になるサイトが次男から紹介されてきた。次がそのサイトである。https://artisticpromenade-hw.com/painter-painting/rembrandt-van-rijn_jeremiah-lamenting-the-destruction-of-jerusalem/

 ところで今日は滋賀県の近江八幡の礼拝に出た。開口一番と言うか、礼拝者が引用されたのは次の聖句であった。

見よ。その日が来る。ーー主の御告げ。ーーその日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。ーー主の御告げ。ーー彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。ーー主の御告げ。ーーわたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。ーー主の御告げーーわたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。(旧約聖書 エレミヤ書31章31節〜34節)

 エレミヤは預言者であった。神と人との間にあって、その苦悩は著しかった。しかし、そのエレミヤが背信の民に叫び続けたその祈りは確実に主なる神に聞かれていたのだ。だからこそこんな赦しの神を真正面に描く幸いに預かったのだと思う。まさに神の御旨を伝える預言者であった。

 私は昨日はこの近江八幡の左義長祭なるものを好奇心もあって出かけてほんの少し見た。本来ならその写真を展示しても良いのだが、なぜか気が引けた。あまりにもそこにはまことの神、生ける神を知らされてない人々の姿があった。善男善女が神社に集まる。そのことは微笑ましい。でも果たしてそれだけだろうか。エレミヤは言うならばその苦悩を身に引き受けて苦しんだのだ。後世イエスさまはまさに善男善女の集まるエルサレムの現状を見て泣かれたのだ。

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。(略)それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(新約聖書 ルカの福音書19章41節〜44節)

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