2018年7月7日土曜日

父と子

カルミア 仙台駅頭にて(5.27)

人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。(1ペテロ1・17)

 東京新聞の夕刊に『この道 小松政夫』と題して自叙伝が連載されている。その第四回目は「釣り」という題で小松氏が幼い時お父さんに一緒に連れて行ってもらった思い出話が書かれている。そこに次のような数節がある。

 河口近くの鉄橋の橋げたが父の釣りポイントでした。橋には砂利と線路があるだけで、手すりも何もない。風がビュービュー吹いている。父はゲートルと地下足袋をはき荷物を持ってひょいひょい先へ行く。私は「怖い、怖い」と腹ばいになっていると、父は「おまえは遅いからうちの子じゃない」と言って、どんどん離れていく。「はよこんかーい(早く来いよ」と叫ばれても動けない。すると父がびゅーっと全速力で戻ってきた。「ああ、くらさるる(なぐられる)」と覚悟したら、父は私をぱっと脇に抱えて近くの橋げたにぽーんと飛び降りました。その上を電車がギュワーンと走り抜けていく。汽笛も鳴らさない。父は震えながら「こん(この)バカが」と言いました。

 私は人一人しか渡れない一本橋を渡るのが怖くって、先に渡った友達と一緒に遊べなかった記憶がある。今でも苦手である。小松氏は私よりは腹が据わっていらっしゃるようだから、そんな一本橋は難なく渡られると思うが・・・。それにしても父親について述べておられるくだりは一つ一つ父親の厳しい姿と愛を見いだすことができる。小学生の頃だったか、父と一緒に船に乗って琵琶湖を航行したことがある。湖が荒れ、今にも転覆しそうな勢いであった。私の小さい心は縮み上がっていた。そこへ行くと父は酒を飲んでいたせいもあるが、「もっと揺れよ、もっと揺れよ」と楽しんでいた。そんな父がうらめしかったが、彼我の違いを感じた時でもあった。父がどうあるべきか小松氏の自叙伝を通して多く教えられる。

 さて、そんなことを思っていたら、冒頭のみことばについて笹尾鉄三郎氏の講義録(『笹尾鉄三郎全集第4巻264頁)を読む機会があった。彼は述べる。

人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら」、神はこの民はイスラエルなのだから、こればかりの罪は大目に見、これは異邦人だから遠慮なく罰するというようなことはなさらない。罪であればどこまでも憎み、信者、未信者にかかわらず、悔い改めて血潮※を受けたかどうかにおいて、それぞれの行いに従って報いをなされる義しき神である。※引用者注 イエス・キリストが十字架上で私たち罪人の身代わりに死なれ流された血潮、いのちを意味することば。
 「父」とは大変自分に近いもので、愛の方面から言えば実になれなれしいが、彼は私どもの畏るべきお方である。だから、一方に非常に恵みを感じ、一方では非常に畏敬戦慄を生じるものである。この二者は単に衝突しないというだけではなく、この畏れと安息とは常に伴うのである。だからもし一方に偏している者は、どちらに偏しているのであっても、両者とも救いを全うするものではない。

 まさしく至言である。それにしても鉄橋上でいのちを落としそうになった小松政夫氏のいのちを救ったお父さんの愛は父なる神様のひながたではないか。

あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。(出エジプト19・4)

2018年7月6日金曜日

蜜の一滴であろうとはつゆ知らず

谷口幸三郎 展 『こどもの絵』 西荻・数寄和
わたしは傷つけ、またいやす(申命記32・39)

 みなさん、恩寵があなた方とともにありますように! アァメン。私は、いま、あなた方の目の前から連れ去られて囚われの身になっているので、あなた方の徳をすすめて信仰や聖潔をさらに築き上げるために、あなた方を守るよう、神から課せられた私の務めを果たすことができない。だが、私の魂が父親らしい心遣いをもってあなた方の魂の永遠の幸福を願い求めていることは、みなさまにもお判りであろう。私は、以前と同じように、いまもう一度、セニルとヘルモンの山頂からあなた方を見守るとともに、さらにいまは、「獅子のほら穴、ひょうの山」(雅歌4・8)から見守って、あなた方が無事に目指す港へつくよう心から願っている。

 あなた方のことを思うたびに私は神に感謝している。私は荒野で獅子の歯にくわえられている時でさえ、神が溢れるほどの信仰と愛とをもって、あなた方に授けたもうた救い主キリストの恩寵と憐憫と知識と、御子のうちに父なる神をさらに深く知り親しもうとしているあなた方の飢えと渇きとを見て嬉しく思っている。あなた方の心の優しさ、罪に対する恐れおののき、そして神の前でも人々の前でも真面目で聖い態度を持っていることなども私にとって大きな慰めである。「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」(1テサロニケ2・20)

 私は獅子の屍から採った蜜の一滴を、ここに封じて、あなた方におくる(士師記14・5〜8)。私もそれをなめて、たいへん元気づいた。(試練は、はじめて出会った時には、サムソンに向かってほえかかった獅子のようなものだが、それに打ち勝ってから、もう一度見直すと、その中にみつばちの巣があるのに気づく。)

ペリシテ人たちには私の言う意味はわかるまい。それは、そもそもの初めから、今でもなお、私の魂に対する神のわざに関することであって、あなた方にもお判りのように、私は幾度も打ち倒されてはまた起き上がったのである。というのは、神が私を傷つけ給い、そしてその御手で私を癒し給うたからである。聖書の中のイザヤ書第38章19節には「父は子らにあなたのまことについて知らせます」と書かれている。しかり、このゆえに、私はシナイで長い間横たわり(レビ記4・10〜11)焔と雲と暗黒とをみて、「我が世にあらん限りはエホバを畏れ、そのなし給える奇しきみわざを子孫に語り伝え」たいものだと思った(詩篇78・3〜5)。

(『罪人らの首長に恩寵溢る(キリストにおける神の広大な御恵みが、その貧しいしもべジョン・バンヤンに与えられた短い物語)』バンヤン著小野武雄訳 新教出版社1951年版13〜14頁より引用。一部新改訳版の聖書に変えたところがあり、また文中の「試練」は原文は「誘惑」だが、あえて昨日の柳田氏にならって「試練」に置き換えた。これはバンヤンが入獄中執筆したもので、その冒頭の箇所である。1666年にイギリスで発行された。名誉革命の2年前である。青字の部分を柳田氏は『ペテロの手紙の研究』の末尾の方で、「苦難」について説明するために引用されていたので掲載してみた。)

2018年7月5日木曜日

苦難の意味

谷口幸三郎 展 『こどもの絵』 西荻・数寄和

あなたがたが召されたのは、実に(苦しみを受け、しかもそれを耐え忍ぶようにと)そのためです。(1ペテロ2・21)

 苦難は、いつもわたしたちを、なにかの形で、意地悪く、死の前に立たせる。この意味で、苦難とは、わたしたちが、生のただ中で、意地悪く押しつけられる、なんらかの死の体験である、と言えよう。「意地悪く」というのは、苦難においてわたしたちに語りかけてくるのは、いつも悪魔だからである。悪魔は、苦難において、わたしたちの生の唯中になんらかの問の形で死の恐怖を持ち込む。そして、わたしたちをまごつかせた末、まんまとこの恐怖のとりことすることによって、わたしたちに信仰の確信を放棄させ、わたしたち自身を進んで死の支配に委ねさせるように仕向ける。

 たとえば、わたしが病床で、肉体の耐えがたい苦痛をとおして、「あなたの罪は本当に赦されているのか」と問いかけられる場合、この問いは、否定の答を期待しているのである。だから、悪魔のいじわるな問なのである。そこでわたしが、かりに深刻な表情で、「いや、わたしの罪は本当に赦されてはいない」と答えれば、それこそ悪魔の思うつぼにはまったことになる。

 こう答えた瞬間に、わたしの肉体の耐え難い苦痛は、文字通り、わたしの犯した罪に対する神の怒りの火となって、わたしの上に降りかかってきて、わたしを責めさいなみ、のろわれた絶望感と、孤独感とに突き落としてしまう。この時、わたしはもはや信仰の確信を放棄してしまっている。わたしの全生涯をかけた信仰の努力は、水泡に帰してしまい、わたしは敗残者として死につかなければならない。この唯一つの失答によって、いっさいは終わりを告げる。

 けれども、この場合、わたしが真実に、キリストにあって病苦を耐え忍んでいるとすれば、わたしはかならず、悪魔のいじわるな問にさからって、こう答えるにちがいない。「そうだ、キリストはこのわたしの罪のために死んでくださったのだから、わたしの罪は本当に赦されているのだ。今、わたしがもっともみじめな者に見える、この死の苦しみのただ中でさえ、真実に、完全に、赦されているのだ。悪魔よ、キリストが御父の御旨に従って、お前が彼に押しつけた死の苦しみを従順に耐え忍ばれたように、わたしもキリストの御足の跡に従って、今お前が押しつける同じ苦しみを、従順に耐え忍ぶ。それは、キリストとともに死人の中からよみがえるためである」。

 こう答えた瞬間、わたしは、無数の天使の軍勢の吹きならす勝利のらっぱと、さんびとほまれの歌とに、かこまれているのに気がつく。死の苦しみを乗り越えて、わたしの信仰は、疲れ果てた魂の中に生き生きとよみがえり、天からの喜びにみたされて、いよいよ高揚する。キリストの血が、わたしを死の支配からあがない出したことを、いよいよ固く確信する。わたしの外なる人は、死の床にあえぎ苦しんでいるが、内なる人は、復活の大気を呼吸している。わたしは悪魔の試練に打ち勝った。勝利の喜びは、全身全霊に浸透し、わたしを救った神への感謝は、高まるばかりである。神の守り、キリストの臨在、インマヌエル、契約の民であることの確信は、死の苦しみを貫いて、いよいよ固くされる。

(『ペテロの手紙の研究』柳田友信著 1960年 聖書図書刊行会発行 209頁より引用。引用者はかつて柳田友信氏から日本文化史だったか、ルツ記だったかの講義を受けたことがある。それは1980年前後だと記憶するが、その時の氏の熱弁ぶりは今も鮮やかに思い出すことができる。確か、着物姿で現れ、風呂敷包みにたっぷり本を忍ばせておられたように思う。最近縁あってこの書物を熟読・再読しているが、柳田氏の信仰が紙面から飛び出さんばかりの勢いをもって迫ってくる。それでいて引用文献も豊富正確でキリスト者必読の文献の一つであると思う。)

2018年7月4日水曜日

紫陽花のひとりごと



わたしに聞け。・・・胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。(イザヤ46・2)

 すっかり暑い夏になってしまいましたね。連日のサッカーフィーバーも日本チームの善戦による惜しい敗戦の挙句あっけなく幕を閉じましたね。さて、今日は10日ほど前に私が見聞きしたことをお話ししましょう。
 その日、私は店主の方がとっておきのお客様にと花瓶に活けられたのです。もちろん、私とて畑でのびのびと羽根を伸ばして生きている方が良いに決まっています。そこで人知れず枯れていくのが私の使命ですから。でも、この時は切られながらも何となく待ち構えている僥倖に心がときめいたのです。
 その日、室内にお客さんが六人入ってこられました。皆さん、立席のテーブルに誰がどこに座るかお互いに譲り合いながら、庭の緑滴る木々に一同で見とれておられ、部屋の隅にある私に目を留めておられなかったようです。かえってそれは私にとって好都合でした。皆さんのお話をゆっくりお聞きできたからです。
 こういう席に立ち会うのはもちろん私はこれが最初で最後になりましたが、私にとって幸いでした。この六人の方の語らいが自然に進んでいる中で、30年以上前の両者の共通の知人の話になったからです。

「Kさんには大変お世話になり、一緒に学年を持ちました。その縁で結婚式※にも招待されました」
「ヘー、結婚式には私たちもまだ当時7ヶ月だったこの子を連れて出席しましたよ」
「すると、あの結婚式にいらっしゃったのですか。確か新郎の恩師が中野孝次さんで、のちに『清貧の思想』を著されましたよね。」
「そうです。私たちはKさんご夫妻が結婚されるにあたりキューピット役だったんですよ。それから、私たちの結婚式では逆にKさんに司会をしていただいた間柄なんです」
「そうですか、不思議ですね。(私はお二方とお会いするのが随分と遅れたので内心心配していたのですが、それこそもう随分前からお互いに結ばれていたのですね)」

 こんなふうに話が弾むなんて珍しいと皆さんが思われたのでしょう。その後、六人の方々の間でさらに親しみの感情が増し加わり、室内の空気がより濃密になりました。私の肌にもそれが何だかじかに伝わってきた思いでした。宴も終わり、ほっとした皆さん方が私のそばで写真をお互いに撮られました。それはそれはいい晩でしたよ。私はその晩花瓶から出されましたが、神様の摂理を思いどこにいようとも、神様にお従いすることが私たち被造物にとって最大の幸せだと思ったことです。

※家に帰って探してみたら、当日の結婚式の資料が『御列席者御芳名 1986.11.22 於 日比谷松本楼』として私のファイルに大事にしまわれており、当日の出席者の名前とプロフィールが紹介されていた。ちなみに差し障りのないところで前述の中野孝次氏の紹介文は「作家。元国学院大学ドイツ語教授。同山岳部部長。新郎を始め山岳部の者が公私とも、本当にお世話になった先生」とある。もちろん私たちのプロフィールももそこに載せられていた。