2013年5月29日水曜日

第一章 一粒の麦(下) D.マッカスランド

今日は曇り空の家庭集会※
それから、聖歌隊の人々はスコットランドの詩篇からとった詩篇百二十一篇を歌った。

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。

感謝の祈りと埋葬のあと、彼らは最後の賛美歌、「労苦から解放されて休むすべての聖徒にささぐ」(For All the Saints Who from Their Labours Rest)を歌った。

YMCAのスタンレー・バーリング、ウイリアム・ジェソップ、ロード・ラドストックが失われた損失を思い、一方ではキリスト者が死に直面して知る望みを歌い上げた。彼らは押し寄せて来る感情と戦いながらも、歌うにつれ、チェンバーズが皆の者に慕われた楽天性と彼の神への抑えがたい確信を思い出していた。最後の数節において彼らの声は他の人々と一緒になり、遠くモカタム丘陵(Mokattam Hills)が薄暮のうちに沈む光景を前にして、あたり一面に響き渡った。

見よ、もっと栄光あふれる日がはじまる。
凱旋の聖徒が輝かしく飾られ上りゆく。
栄光の王が道備えをしてくださる。
ハレルヤ! ハレルヤ !
地の果てから、大海原の遠くから
真珠の門をとおって数えられない群衆のうちに
父、御子、御霊への歌声があふれ流れる
ハレルヤ! ハレルヤ!


ノーサンバーランドのフュージリアからやってきた火焔部隊は夕空に向かって三連発のライフルによる一斉射撃を行なった。ラッパ手が軍葬ラッパを鳴り響かせたとき、その音が遠くまでこだまとなって聞こえた。

 スタンレー・バーリングは墓の隣に立てられた小枝から白菊を引き抜き、ひざをかがめて、キャサリンに微笑みながら白菊を手渡した。彼女は花のかおりをかぎ、その笑顔に答えたとき彼は胸がかきむしられる思いがした。彼は両手で彼女の手をとり、やさしく握り立ち上がった。今更、このあどけない少女に自身が彼女の父を失った喪失感をどのようにしてわからせることができようか。

群衆は話ごちながら、互いに目を交わしては微笑みすら浮かべて各自散会して行った。なかには深い喪失感だけが残ったのだが。けれども、オズワルドと救い主を信じている者にはキリストによる勝利の思いが、最大の苦痛を凌駕していたのだ。ビッディーはやさしくキャサリンの手を握りしめ待ち受けている車に向かって歩き出した。二人はカイロの中心街ツベンマーの家に向かって車を走らせた。その時、目を閉じ、数ヶ月前オズワルドがザイトーンのバンガローで靴を磨いていた姿を思い出していた。彼らはそのとき友だちであるゲトルード・バリンガーが腸チフス熱で苦しみ瀕死の状態で寝ているのを病院へ見舞ったのである。

ビッディーは「神様は何をなさろうとしていらっしゃるのでしょうね」と言った。靴を磨きながら、それに答えてオズワルドは「ぼくは神様がなさることを心配していないよ。ぼくが関心を持つのは神様がどういうお方かということなんだ」

ビッディーはやっとのことで微笑んだ。夫がバリンガーへの愛と気配りから話していることが分かった。彼はバリンガー嬢に起きていることに深い気配りをしていたが、主ご自身がいまさねば、神様の働きはまさしく狼狽させるものだと知っていたからである。

彼女とオズワルドはちょうど結婚して7年が過ぎていた。そして今や人間的に見れば最悪のことが起こってしまったのだ。彼女は小さな娘を抱えて34歳でやもめになった。経済的な収入源もなく、また何らの支えもないのだ。もし十分な支えがなかったら、彼女は戦争中のこともあり、しかも外地の荒れ果てた砂漠地で家庭を愛することもなく生きることになったであろう。

彼女にとって答えようのないことがらを、人々は「あなたはイギリスに戻られますか。キャサリンはどうされますか。オズワルドがいない今あなたはどうやって家計を維持されますか」と問うたのであった。

ビッディーは目を閉じ、キャサリーンを自分の胸元に引き寄せながら、やさしく心にこみあげてくる賛美歌を歌い始めた。「わが魂よ、天国の王を、なんじのささげものを、王の足もとに投げ出してほめたたえよ」

すべてはなくなったように見えたが、彼女がこのように賛美する限り、万事休すではなかった。彼女のただ一つの望みは全能の神の恵みのうちにあったからである。(It would not be the last time she sang those words when all seemed lost and her only hope lay in the grace of Almighty God.)

(Oswald Chambers: Abandoned to God by David McCasland11〜13頁。訳自身は相当な意訳になっているが、何となく文意を受け取っていただきたい。最後の文章がさわりの文章だと思うので、英文を併記しておく。※今日の家庭集会は第一テサロニケ2・4から「主に喜ばれるしもべとは」と題してメッセージがあり、私にとっては「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」が導きのみことばとなった。わがおおいは無数にある。でも主は取り除いて下さるのだ。感謝だ。一人のご婦人の証もいただいた。真実こもった証をお聞きした。主の前に「純真」であろうとする証をお聞きして、慰められた。次回は6月12日(水)14:00からである。)

2013年5月28日火曜日

第一章 一粒の麦(中) D.マッカスランド

つつじの花(小諸懐古園)
婦人やエジプト人からなる一般市民の大派遣団が葬列の行進を待ち受けていた。ザイトーンから現地の使用人たちまでが悲しみの面持ちでやって来ていた。後日、一人の目撃者は思い起こして語った。「カイロでチェンバーズが知っていた人のほぼすべての人が葬列を静かに見送ったと容易に見てわかった」と。

軍隊の中で愛情をこめて「O.C.」(保護官 the Officer in Charge を短縮したもの)として知られていたチェンバーズは盲腸の手術にともなう合併症のために前日に亡くなった。彼の逝去の報がカイロからパレスチナまで電信で伝えられたとき、何百という人々が信じがたく、頭を急に殴られるような思いでその知らせに接した。確かにその中には幾分かまちがい、曲解された知らせ、誤解もあった。なぜ神様はチェンバーズのような人をこれまで見いだせないほどの人だったのに、そのいのちを奪われたのだろうか。それになぜ、43歳なのか、全然意味のわからないことだった。

多くの兵士が、そっと静かなところに抜け出ては、このチェンバーズの死をひとりひとりが受けとめ、この神様にあって精力的に生きてきた若い男性が今や成熟した生涯をいかになしとげたかを思い感謝した。チェンバーズはどれほどしばしば兵士たちに「起こり得るどんな事柄も、神様の存在を否定したり、神様の贖罪が完全であるという真実さをひっくりかえすことはできない」と語っていたことだろうか。ベールシェバ近郊の前線で、ピーター・ケイは胸に砲弾を撃ち込まれたような衝撃を彼の知らせをとおして受けた。彼の思いはザイトーンでの少女キャサリーン・チェンバーズと彼女の父とともに過ごした日々に帰るのだった。彼がチェンバーズからイエス・キリストについて、また贖いについて聞いたとき、ピーターにとって唯一の宗教は酒であり、女であり、歌であった。彼が祈祷小屋(the Devotional Hut)の外に立っていた夜、チェンバーズはキリストを生き生きとあらわし、自らの救い主、主であると言っていたのだ。それなのに、今、チェンバーズは死んでしまったのか。ピーター・ケイはチェンバーズの死の知らせを聞いて、こうべを垂れ、感情を抑えきれず泣きじゃくった。オーストラリアの奥地から来た戦友たちは、誰も、戦闘に耐え抜いた強者の兵士がどうしてそのように涙を流しているのか理解できなかった。

ビッディーは将校たちが夫の棺を、安穏で静謐な共同墓地へと運び込むのを眺めていた。病院で彼のそばにいる間、昼も夜も彼女はオズワルドは必ず主の道を歩み通すと確信していた。その時彼女自身の心には聖書からのみことばが非常に鮮明に浮かび上がったように思われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(ヨハネ11・4)

グラディス・イングラムとエヴァ・スピンクは、オズワルドが微笑みながら地上を去って行ったであろうと思っていたので、互いに涙を流さないように二人して手をしっかり握り合っていた。ロンドンの聖書訓練学校(the Bible Training College)で、チェンバーズは、決して間違ったことはなさらない愛である神について確信をもって語っていた。戦争が始まったとき神は彼らすべてを神様に仕えさせるためにエジプトへとお導きになったのではないか。神様は彼らから目を離されることなく、その恩顧のうちに守ろうと約束しておられたのではないか。神はそうなさらなかったのだろうか。

高名なアメリカの宣教師であるサムエル・ツヴェメル師はスコットランドの従軍牧師であるパドレ・ウィリアム・ワトソンと一緒に短く話した。彼らのメッセージはイエス・キリストについてであり、神のしもべオズワルド・チェンバーズをとおしての神の働きについてであった。そして神にあるキリスト者の永遠の希望について話をした。

(Oswald Chambers: Abandoned to God by David McCasland10〜11頁)

2013年5月27日月曜日

第一章 一粒の麦(上) D.マッカスランド

石楠花の花(浅間山・鬼押出し)
ビッディ・チェンバーズは旧カイロのイギリス軍の共同墓地の高い鉄製の門に向かってまっすぐ一列に並んでいる細い木製の十字架群の向こうを一瞥した。彼女は葬列が近づいているにちがいないと知っていたが、今彼女が立っている共同墓地を取り囲むように走る高い石壁は、間近に聞こえはするが、今日の彼女の気持ちとは、普段聞き慣れはしているものの、余りにもそぐわない街路の喧噪から守ってくれていた。

彼女のかたわらには四歳になるキャサリンが静かにしてはいたが、いぶかしげな面差しで立っていた。キャサリンはお父さんがイエス様のところに行ってしまった、それはすばらしいことだと知っていた。しかし、お父さんは以前から色んなところへーアレクサンドリアやファイヨンやイスマリアやスエズにまでもー出かけることがあった、だからもうすぐ家に帰って来ると疑いげもなく信じてもいた。

ビッディーはちらっと、夫のオズワルドと二人で「神様の花」と呼んでいた少女を見やった。お互いに目と目が合い、キャサリンの顔が微笑んだ。ビッディーは娘の思いを知りたいと思った。多分、娘はお父さんが今天国で兵隊さんたちを助けているので、絶対に戻ってきはしないことを完全にわかっていることだろう。娘の神様に対する純真な信仰のゆえに、彼女は自分のまわりにいるどの大人よりもあの恐ろしい結末を受け取ることができたのだろう。キャサリンは何がお母さんを悲しませているかを良く知っていた。前の日、ビッディはあどけない娘を両腕に抱きしめ、泣きながら、「お父さんは天国へ行かれたのよ」とささやいた。それはキャサリンにとってお母さんが泣くのを初めて見た時だった。

街路の馬がちらっと目に入り、ビッディーの目は再び門へともどった。彼女は少し目を細めてみやった。それは彼女が完全に受け入れられない事態に対してよく見せる独特の仕草であった。彼女はオズワルドに対するこの軍隊による葬儀が物々しくなったことが不愉快だったのだ。彼女はオズワルドが仕え愛した人々のゆえにこのような葬儀に同意しただけだった。ところがこれが軍隊がオズワルドをほめたたえ、お別れをしようとするやり方であった。

葬列は、午後四時に、ナイル川の西岸から一マイル離れたギゼー赤十字病院から出発した。棺にはユニオンジャックの旗がかけられ、白菊の小枝におおわれていたが、四頭の黒馬のチームによって引かれた砲車に乗せられていた。六人の将官が棺のそばにつきそい、ささげ銃(ライフル銃)を携えた百人の兵士たちの護衛が続く行進であった。これが軍隊で命を落とした戦友に対する伝統的な尊敬の表し方であった。

雲一つない空の下、行列はナイル川の濃緑色の川にかかる橋を横切り、東方へと移動して行った。ロバに引かれた荷車や野菜を売り歩く行商人が、ほこりにまみれた街路に押し黙るようにして立っていた。その間を兵士たちと砲車はゆっくりと通り過ぎて行った。裸足のこどもたちが驚きの目で眺めていた。

西の方、古代エジプト人によって尊崇された灼熱の太陽はギザのスフィンクスやそびえるピラミッドへ日を落として行った。その向こうには大西部砂漠がきらきら光る地平線に向かって広がっていた。

1917年の11月まで、第一次世界大戦は4年目の殺戮の年月へと思い足取りで歩を進めつつあった。死がエジプトのありとあらゆる病院で日常茶飯事に訪れつつあった。軍による葬儀は当たり前であったが、この葬儀は通常のものではなかった。それは高級将校や政府高官のために準備される要素をふくんでいたからである。そのような栄誉を与えられた男は将校でも高官でもなく、ザイトーン近隣のYMCAの主幹であるオズワルド・チェンバーズ師であったことは異常なことであった。

(本稿はOswald Chambers: Abandoned to God by David McCasland9〜10頁の私訳である。「エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである」出エジプト12・30「万軍の主は・・・万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる」イザヤ25・6〜8。)

2013年5月25日土曜日

主よ、あわれんでください

信濃鉄道沿線「平原」付近
 先週の土曜日は三人の学友(一人は先輩、二人は後輩になる方)と信州路を楽しんでいた。鬼押出し、軽井沢、小諸懐古園、上田城と長野在住の後輩が車を出してくれ、四人で行を共にした。そのうちの二人は遠く山口、広島から来られ、私は埼玉からの参加であったが、前日に長野に集合し、その夜は遠来組のお二人にはわが御代田の「宿舎」に一泊していただいた。

 もともとこのような集いが計画されたのは、広島在住の先輩の音頭によるものだった。ところが四者がなぜ一堂に会するようになったのかはお互いの相互関係が今一つわからなかった。何しろ半世紀前の学生時代の交友関係であり、お互いに忘れていることが余りにも多いからである。でも、この集いは一泊二日の日程でとにかく成立した。そして、これほど愉快な集いはなかった。

 長野で一席が持たれたが、下戸は私一人。だから聞き役に徹した。話の中で一人の方が今まで読んで良かった本をあげられた。その話の中で二番目に挙げられたのが、三浦綾子原作の『塩狩峠』であった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2009/11/blog-post_09.html
そしてその方はその作品の要所を的確に説明された。これには驚いた。次男の名前はその作品の主人公から取っていた。私はこの集いにおいて主が導いて下さることに従いますと祈るだけであった。あとは何もできなかった。

 鬼押出しでは浅間噴火のすさまじさ、創造主のご存在を間近に感じざるを得なかった。前日は長野に着いて間もなく、善光寺へ案内され戒壇めぐりにも同行した。 短い旅の中ではあるが、互いに胸襟を開き、それぞれの思いを披瀝することのできる幸いを噛み締めた。たまたま、わが「宿舎」には次のみことばがかかっていた。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。(旧約聖書 伝道3・11)

 互いの人間関係も不明瞭のまま、こうして成立した旧交を温める旅路は、交わりが進む中で、お互いが大学の生協の仕事で知り合った間柄であることは揺るぎ得ない事実となった。それにしてもどうして今のこの時期に私たちは一堂に会したのか。神のなさることとしか言いようがなかった。そして別所温泉へさらに旅路を進める先輩は長野の後輩が車で送り、私は上田駅で松本に行こうとする山口から来た後輩を送った。そして私は一人になった。

 ところが、上田駅で帰りの上り軽井沢方面の車両に乗り込む時、降りる乗客数名のうちに見慣れた顔があった。大学の先輩で愛知県のO氏であった。名乗りを上げたが列車発車間際であったので、あっという間に別れざるを得なかった。前夜、四人でお噂をしていたO氏であった。私は妙な高揚感を抱きながら、携帯に向かいその顛末をメールに認め始めた。その時だった。家内から電話が入った。

 次男の妻(パリから10日ほど前三週間の予定で帰国していた)の異変を知らせるものだった。都内の駅で倒れ、救急車で運ばれ、搬送先の病院で救命のために手術が行なわれ、4時間かかるというものだった。全く肝を冷やすできごとであった。その時はすでに3時半を過ぎていた。途方に暮れるばかりで、動く電車の中で最初は搬送先も不明でどのように行動して良いのでしょうかと主に問うばかりであった。それでも携帯を駆使し、やっと搬送先がわかり大宮まで新幹線で行くことにした。結局6時には病院内に到着して、さらに数時間後にいのちの助かった彼女に病室で対面できた。彼女のお母さんと叔母さん、そして私たち夫婦四人でベッドで祈りをささげた。もう10時近かった。

 パリにいた次男も翌日には急遽帰国した。それから、あわただしい一週間が経過しようとしている。旅の同行者であった方々には心配していただく結果になったが、音頭を取った広島の先輩は、私からの知らせを聞いて、このことも神様の采配かもしれないとメールを寄越して下さった。多くの主にある兄姉が次男夫妻とお父さんお母さんのために熱心にとりなしの祈りをして下さっている。感謝にたえない。私はあの二日間の旅路を支えるみことばを心の中で反芻せざるを得なかった。そして、今もそのみことばは私の心を占領している。

天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。 

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 

引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。


私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。(伝道3・1〜8、14)

2013年5月13日月曜日

ご結婚おめでとうございます

以下に紹介するのは、去る5月5日に招待されて出席させていただいた新郎の挨拶、全部でおよそ30分ほどの中味の濃い味のある話の冒頭部分である。

非常に緊張していますけれども、よろしくお願いします。原稿は用意しているのですが、最初は挨拶ですので・・・。本日はこのような私どもの結婚式に集まっていただき本当に感謝です。

実際は結婚の意義、結婚の意味を考えてみた時に、結婚式をすることが果たして重大な事なのか、大きなことなのか、すごく迷いまして、いざ結婚を考えてから結婚式を挙げるまでというのは四年ぐらい、すごく悩んだんですね。

それはなぜかと言うと、やはり結婚を考える時に、僕は神様に向いて結婚するものだと思っていましたので、その神様との会話と言いますか、会話というものを重きに置いたということです。でも他の社会というか、会社でや、学生時代に、数件結婚式に呼ばれまして・・・。結婚式というのはいろんなことが約束されて結婚されている方がたくさんいるんですが、でも、僕にとっては違和感があったんですね。

どうしても、その結婚の約束をする時に、たとえば人の前で人に誓うことであったりとか、そういうことを目の当たりにすると、何かそれはちがうんじゃないかなと、今日最初のベック兄のメッセージにもありましたけれども、人の心はつねに動くものであって、(僕も今は緊張していますし)怒ったり、泣いたりとか、笑ったりとか、ほんの一瞬一瞬で人の心は動くもので、そうした人の心、すごく移ろいやすいものの中で、相手に永遠の愛が誓えるかと言うと、僕はそうじゃないと思うのです。

やはり永遠に動かないものに対して誓うことが僕は結婚だと思うし、死が二人を分かつまでとか、いろいろありますけれど・・・。死はうちの母が示してくれたのですが、死は終わりじゃないのです。死より、もっと先のもの、天国に行ってもずっと一緒にいる、それがやはり結婚の真実と言いますか、事実だと思いますし、やはりそうした形で結婚式というのを行ないたかった。

だから、これから証をする、証と言えるかどうかはわからないですけれど、こうやってこのような形で結婚式を行い、こうして開けたということが最大の証じゃないかと僕は思っています。やはり今の時代、結婚というのがちょっと軽く見ているところがあるんじゃないかと僕は思うのです。もっと結婚というのは重大なもので、やはり人生の岐路ではないですけれど、やはり大きなマイルストン(一里塚)としてあるものだと思っていますし、それにやはりずっと愛し続ける、永遠に愛し続けるということであれば、揺るがない確信のもとに式を行なう、そのもとで相手を幸せにする、もちろん人の幸せを望むということはクリスチャンにとって、神様に向かって、その幸せを祈る、その喜びを受けるということになるんですが、やはり絶対的に揺るがない、その価値観的に動かないものを信ずるというのがすごく大切なことだと思うんですね。

よく、信仰と宗教との違いとか、クリスチャンであることとか、もっと言えばこのキリスト集会がどのようなものであるかということを話すと、中々難しいことで、皆さんもご経験あると思うのですが、とらえどころがなく、つかみどころのないものなんですね。そんな中で愛想もつかさず(彼女は)四年間つき合ってくれて、その中々わからない、式の形式もわからずに、自分だけの意志と言いますか、結びつきだけで、この場に(皆さんにも)集まっていただいたことに本当に感謝です。

(全体の挨拶を紹介しないで冒頭部分だけしか紹介できないのはまことに残念だが、すでにこのわずか5分足らずの話の中に新郎の思いが現われている。しかも、その背後には昨年11月に召された亡母の祈りがあり、はからずも御母堂をはじめご家族におよんだ揺るぎない主の愛は、今や新郎の口を通して明らかにされたと言える。誰が、あのにわかに襲った病魔で苦しめられた、このご家族を、こんなふうに主が祝福されると知り得たであろうか。あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。1コリント10・13。古都の古い伝統としきたりしか知らなかった新婦が、新郎の愛に支えられ、様々な戸惑いのうちにも、主イエスを紹介され、新郎に従う道を選ばれ、実現した新カップルの誕生を、心から喜びたい。おめでとうございました!)

2013年5月11日土曜日

真の人間 ハルヴァーソン

旧中学校校舎校庭にあった師弟像(妻籠宿にて)
人間は神のかたちに造られたものだ。だから、人間が神に似れば似るだけ人間らしくなったと言うことができる。反対に、神に似なければ、それだけ、人間らしさがなくなったと言える。

辛辣な言い方を許してもらえば、神に似るということは、うすっぺらな清教徒的敬虔さを意味することではない。イエスは完全に神に似ておられた。人間の中の人間であった。文字どおりの人間であり、しかも完全な人間であられた。事実、イエスは、古今を通じ、あるべき姿を備えられた、唯一の人間であられた。

神と交わりを持たない人間は、正しい状態にあるとは言えない。イエス・キリストこそ、人間の正しい状態にあられたかただ。

しかし、イエスは、通常考えられるような敬虔さの持ち主ではなかった。それどころか、その当時の人たちの持っていた敬虔の概念をくつがえされたのである。イエスは、彼らの規則を打ち破られた。だから、人々は、イエスに、食いしん坊の大酒飲みというレッテルをはったのである。中でも激しく攻撃したのは宗教家たちであった。

神の恵みは、人間をよりイエスに似た者とするために、人の中に働く。クリスチャンの生活に働く天の父なる神の最終目標は、ご自身のひとり子イエスに似た者とすることだ、と言ってよい。神のひとり子に似て行く過程において、人間らしさは育って行く。

こうして、イエスに似ている者ほど、より人間らしい人間であり、イエスに似ていない者は人間らしくない人間である、という基本的原則が成り立つ。人間らしさは、その人がどれだけ神に似ているか、ということによって測られる。もともと神が人間を造られたのであり、人間性を造り出すことのできるのも神だけだからである。

人間を造るのは神だ。だから、父なる神のご意志に従う人は賢い人である。そのような人は、キリストに似た者にしようとして働く聖霊の導きに自らをゆだねて日を過ごす。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3・18)

(『聖書と人生』リチャード・C・ ハルヴァーソン著小鮒専三訳1973年刊行10〜11頁引用。著者はエペソ4・17〜32を読むように勧め、さらに次のように付け加えている。「17〜19節の、新生していない人についてのパウロの分析は、実によく急所をついている。異邦人の歩みの特徴は何か。22〜24節までの聖句の意味は何か。30節に示されている聖霊の働きと、使徒パウロの警告に注意せよ。」)

2013年5月10日金曜日

証し人として生きようとする意欲(下)

木曽川渓谷・寝覚めの床※
第三は走ることです。まず主のみもとに走ること、それから苦しんでいる人のところに走ることが必要です。悔い改めない人間は永遠に滅びるという知識は、私たちを、たましいの救いのための目覚ましい運動へと駆り立てます。私たちがその人たちのために祈っていること、また苦しんでいることに気づく時、彼らはもはや無関心ではいられなくなります。彼らの足元の土台は取り除けられてしまいます。その結果、彼らはイエス様の御手の中に落ち着くまで、長い間精神的に動揺し続けなければなりません。
人々のところに走っていく前に、そしてまた、家庭集会を始めようとする前に、まずイエス様のところに走ってください。なぜなら、たましいを獲得することは人間の行ないの結果ではなく、主なる神お一人の御業だからです。私たちが主のみもとに駆け寄って祈るなら、主は大いなる力を現わしてくださいます。

恐れず、大胆に主イエスの証をすることができるように祈ってください。主イエスを十字架につけたこの世で主を証しすることは、決して簡単ではありません。初代教会の信者たちにとっても簡単なことではありませんでした。だからこそ彼らは祈ったのです。

主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。(使徒4・29)

この祈りは応えられました。

一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4・31)

備えられた人々のところに導いてくださるように主に祈ってください。だれにでも福音を宣べ伝えることよりも、常にそのために備えをしていることが大切です。「主よ。私は何をするべきでしょうか。あなたが望んでおられることを、私は行ないたいと思います」という態度が必要です。ピリポはこの心構えができていました。それで主は導くことができ、用いることがおできになったのです。適切な時に適切な言葉で語ることができるように祈るべきです。主お一人だけが、どんな場合にも何が必要であるかご存じです。たましいの救いのために祈ることは、悪魔に対する宣戦布告、すなわち戦いを宣言することであるということをよく覚えておくべきです。

私たちははっきりと特定のたましいのために、すなわち一人一人の名前と結びつけて祈らなければなりません。つまり一つ一つの祈りの対象を主に示さなければならないということです。時と場所を決めた祈りも大切です。答えが与えられるまで祈り続けましょう。「少しも疑わずに、信じて願いなさい」(ヤコブ1・6)とヤコブの手紙には書かれています。

主に大きく期待しないものは主を侮るものです。主はご自分のことばを必ず守られます。とても望みはないと思われることでも主に期待しなさい。祈りは、人々を救う場合の最も力強い神の道具です。

第四は重荷を負うことです。失われている人を愛し、共に苦しみ、走る者は、周囲のまだ信仰を持っていない人々に対して重荷を負うことになります。この重荷は最も重い重荷です。男の方よりもご婦人のほうが、このことについてたくさんのことを感じていらっしゃるでしょう。主イエスを信じている多くの奥様たちは、まだイエス様を信じていないご主人を持ち、共に生活する時、まったく孤独な状態におかれますが、それに対して教会はどれだけの重荷を負っているのでしょう。真の交わりは、いつでも共に苦しみ、共に重荷を負いあう備えができているところにあります。

互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。                         (ガラテヤ6・2)

実際の状態はどうでしょうか。集会のある兄弟は、以前統一教会に関係していました。しかしその後集会に導かれるようになり、主イエスを知ることによって救われました。彼は何年もの間集会で忠実なご奉仕をし、会社でも聖書の集いを始めました。けれども彼はその後横道にそれてしまいました。ある哲学者によって惑わされてしまったのです。その時集会はこの一人の兄弟の変化に無関心ではありませんでした。毎朝六時から七時までの間、五人の兄弟が私の住まいに来て、集会に来なくなってしまった兄弟のために共に祈りあいました。

一年半の間毎日、兄弟たちは奥樣方と共にこの重荷を担いました。私たちのすばらしい主は、祈りに応えてこの横道にそれていた兄弟を回復してくださいました。彼は再び用いられるようになり、四国に転勤した時、自分の家庭を開放して家庭集会を始めました。集会をするようになって最初の四ヵ月の間に七人の方が導かれ、イエス様を信じるようになりました。主イエス様のために人の重荷を負うものは、必ず報いられます。

(『なにものも私たちを神の愛から引き離すことはできない(下巻)』ゴットホルド・ベック著295〜298頁引用。※5月初め、いつもは中央線車両から眺めていたに過ぎない渓谷にはじめて降り立った。「木曽路はすべて山の中である」と始まる島崎藤村の大作『夜明け前』の「馬籠」の世界は間近にある。)

2013年5月9日木曜日

証し人として生きようとする意欲(上)

「証し人として生きようとする意欲」については四つの事柄、すなわち愛すること、苦しむこと、走ること、重荷を負うことをあげることができます。

第一は愛することです。

人から愛されたくない人間は一人もいないでしょう。他の人から除け者にされ、孤立し、絶望的になった人は、決して幸せとは言えません。この世でも隣人を愛することについていろいろなことが言われていますが、結局はみな自分自身のことだけしか考えていません。本当の悩みは見過ごされ、過小評価されています。人間はみな、静けさと愛とを切に求め、憧れています。人間は憩いのないものです。人間は、財産を持ちたい、人から認められたいと思っています。しかしそれらの願いの背後には、永遠なるもの、真の満足を与えてくれるお方、すなわち主イエスに対する渇望が隠されています。もし私たちが主イエス・キリストを第一にし、心から愛し、その動機が純粋であるなら、私たちの周囲の人たちは自発的に主イエスを信じ、主に従う決心をするようになります。実は、今日一番必要とされているのはこのことなのです。

私たちの回りにいる人たちは、私たちがその人たちを本当に愛していること、助けてあげたいと思っていること、私たちはその人たちのために存在していること、その人たちのために喜んで犠牲を払い、時間を割こうとしていることに気がついているでしょうか。

第二に、苦しむことです。

苦しむとは、主イエスの苦しみにあずかるという意味です。主イエスは群衆をご覧になった時可哀想に思われました。それは彼らが羊飼いのいない羊のように、弱り果てて倒れていたからです。証し人として生きて行こうとする時、まず自分の周囲を正しく見る、つまり主イエスの目で見ることが大切です。それは、人々の本当の悩みを見ることでもあります。ある合唱曲の中に次のような一節があります。「今日世界が必要としているのは主イエスです。主お一人だけが世界を解放できます」。

主イエスの目でもって何百万人という人々の現実の姿を見る者は、主イエスの嘆きと同じ気持ちをもちます。そしてその人はこの世が「欲するもの」ではなく、「必要としているもの」を与えるでしょう。使徒の働きの3章に出てくる乞食は、お金や施し物を欲しがりました。確かにこの貧乏人はそのようなものさえあれば満足だったでしょう。しかし、幸運にも乞食の期待は裏切られました。そのかわり彼はもっとすばらしいものを貰いました。この乞食は自分の「欲しいもの」ではなく、「必要としているもの」を貰ったのです。

回りの人々に対して目を向けるようになると、その人は苦しみ始めます。エルサレムを思って泣いた主イエス様の苦しみを理解するようになります。エルサレムの町、そして人々が、真の平和のために必要なものを欲しいと思わず、かえってそれを受け取ることを拒んだゆえに、主イエスは苦しまれました。悔い改めて救いに至る機会を提供されているにもかかわらず、意識的に、無意識的に、人々が再三にわたって拒み続けたので、主は苦しまれたのです。

みこころにかなう教会とは、どのような教会なのでしょうか。それは、正しい教えを教えたり、この世の不信仰を裁いたりすることによってではなく、それらの下に身を屈め、本当に苦しんでいることによって見分けられます。主なる神の霊は深い同情の霊です。共に苦しまなければ、決して傷は癒されません。共に苦しむことのできない者は、主の愛を伝える者とはなれません。主が救ってくださる血潮の証し人でありたいと願うなら、私たち自身が苦しまなければなりません。

(『なにものも私たちを神の愛から引き離すことはできない(下巻)』ゴットホルド・ベック著293〜295頁より引用。写真は昨日の家庭集会に掲示した聖句看板である。家庭集会には地元の方はもちろんのこと、遠くから、長野から、宇都宮から、千葉から、東京から、ドイツからとそれぞれの方々が、主のみことばを求めて足を運んでくださった。次回は5月29日午前10時半からである。)