2013年5月27日月曜日

第一章 一粒の麦(上) D.マッカスランド

石楠花の花(浅間山・鬼押出し)
ビッディ・チェンバーズは旧カイロのイギリス軍の共同墓地の高い鉄製の門に向かってまっすぐ一列に並んでいる細い木製の十字架群の向こうを一瞥した。彼女は葬列が近づいているにちがいないと知っていたが、今彼女が立っている共同墓地を取り囲むように走る高い石壁は、間近に聞こえはするが、今日の彼女の気持ちとは、普段聞き慣れはしているものの、余りにもそぐわない街路の喧噪から守ってくれていた。

彼女のかたわらには四歳になるキャサリンが静かにしてはいたが、いぶかしげな面差しで立っていた。キャサリンはお父さんがイエス様のところに行ってしまった、それはすばらしいことだと知っていた。しかし、お父さんは以前から色んなところへーアレクサンドリアやファイヨンやイスマリアやスエズにまでもー出かけることがあった、だからもうすぐ家に帰って来ると疑いげもなく信じてもいた。

ビッディーはちらっと、夫のオズワルドと二人で「神様の花」と呼んでいた少女を見やった。お互いに目と目が合い、キャサリンの顔が微笑んだ。ビッディーは娘の思いを知りたいと思った。多分、娘はお父さんが今天国で兵隊さんたちを助けているので、絶対に戻ってきはしないことを完全にわかっていることだろう。娘の神様に対する純真な信仰のゆえに、彼女は自分のまわりにいるどの大人よりもあの恐ろしい結末を受け取ることができたのだろう。キャサリンは何がお母さんを悲しませているかを良く知っていた。前の日、ビッディはあどけない娘を両腕に抱きしめ、泣きながら、「お父さんは天国へ行かれたのよ」とささやいた。それはキャサリンにとってお母さんが泣くのを初めて見た時だった。

街路の馬がちらっと目に入り、ビッディーの目は再び門へともどった。彼女は少し目を細めてみやった。それは彼女が完全に受け入れられない事態に対してよく見せる独特の仕草であった。彼女はオズワルドに対するこの軍隊による葬儀が物々しくなったことが不愉快だったのだ。彼女はオズワルドが仕え愛した人々のゆえにこのような葬儀に同意しただけだった。ところがこれが軍隊がオズワルドをほめたたえ、お別れをしようとするやり方であった。

葬列は、午後四時に、ナイル川の西岸から一マイル離れたギゼー赤十字病院から出発した。棺にはユニオンジャックの旗がかけられ、白菊の小枝におおわれていたが、四頭の黒馬のチームによって引かれた砲車に乗せられていた。六人の将官が棺のそばにつきそい、ささげ銃(ライフル銃)を携えた百人の兵士たちの護衛が続く行進であった。これが軍隊で命を落とした戦友に対する伝統的な尊敬の表し方であった。

雲一つない空の下、行列はナイル川の濃緑色の川にかかる橋を横切り、東方へと移動して行った。ロバに引かれた荷車や野菜を売り歩く行商人が、ほこりにまみれた街路に押し黙るようにして立っていた。その間を兵士たちと砲車はゆっくりと通り過ぎて行った。裸足のこどもたちが驚きの目で眺めていた。

西の方、古代エジプト人によって尊崇された灼熱の太陽はギザのスフィンクスやそびえるピラミッドへ日を落として行った。その向こうには大西部砂漠がきらきら光る地平線に向かって広がっていた。

1917年の11月まで、第一次世界大戦は4年目の殺戮の年月へと思い足取りで歩を進めつつあった。死がエジプトのありとあらゆる病院で日常茶飯事に訪れつつあった。軍による葬儀は当たり前であったが、この葬儀は通常のものではなかった。それは高級将校や政府高官のために準備される要素をふくんでいたからである。そのような栄誉を与えられた男は将校でも高官でもなく、ザイトーン近隣のYMCAの主幹であるオズワルド・チェンバーズ師であったことは異常なことであった。

(本稿はOswald Chambers: Abandoned to God by David McCasland9〜10頁の私訳である。「エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである」出エジプト12・30「万軍の主は・・・万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる」イザヤ25・6〜8。)

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