2013年5月10日金曜日

証し人として生きようとする意欲(下)

木曽川渓谷・寝覚めの床※
第三は走ることです。まず主のみもとに走ること、それから苦しんでいる人のところに走ることが必要です。悔い改めない人間は永遠に滅びるという知識は、私たちを、たましいの救いのための目覚ましい運動へと駆り立てます。私たちがその人たちのために祈っていること、また苦しんでいることに気づく時、彼らはもはや無関心ではいられなくなります。彼らの足元の土台は取り除けられてしまいます。その結果、彼らはイエス様の御手の中に落ち着くまで、長い間精神的に動揺し続けなければなりません。
人々のところに走っていく前に、そしてまた、家庭集会を始めようとする前に、まずイエス様のところに走ってください。なぜなら、たましいを獲得することは人間の行ないの結果ではなく、主なる神お一人の御業だからです。私たちが主のみもとに駆け寄って祈るなら、主は大いなる力を現わしてくださいます。

恐れず、大胆に主イエスの証をすることができるように祈ってください。主イエスを十字架につけたこの世で主を証しすることは、決して簡単ではありません。初代教会の信者たちにとっても簡単なことではありませんでした。だからこそ彼らは祈ったのです。

主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。(使徒4・29)

この祈りは応えられました。

一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4・31)

備えられた人々のところに導いてくださるように主に祈ってください。だれにでも福音を宣べ伝えることよりも、常にそのために備えをしていることが大切です。「主よ。私は何をするべきでしょうか。あなたが望んでおられることを、私は行ないたいと思います」という態度が必要です。ピリポはこの心構えができていました。それで主は導くことができ、用いることがおできになったのです。適切な時に適切な言葉で語ることができるように祈るべきです。主お一人だけが、どんな場合にも何が必要であるかご存じです。たましいの救いのために祈ることは、悪魔に対する宣戦布告、すなわち戦いを宣言することであるということをよく覚えておくべきです。

私たちははっきりと特定のたましいのために、すなわち一人一人の名前と結びつけて祈らなければなりません。つまり一つ一つの祈りの対象を主に示さなければならないということです。時と場所を決めた祈りも大切です。答えが与えられるまで祈り続けましょう。「少しも疑わずに、信じて願いなさい」(ヤコブ1・6)とヤコブの手紙には書かれています。

主に大きく期待しないものは主を侮るものです。主はご自分のことばを必ず守られます。とても望みはないと思われることでも主に期待しなさい。祈りは、人々を救う場合の最も力強い神の道具です。

第四は重荷を負うことです。失われている人を愛し、共に苦しみ、走る者は、周囲のまだ信仰を持っていない人々に対して重荷を負うことになります。この重荷は最も重い重荷です。男の方よりもご婦人のほうが、このことについてたくさんのことを感じていらっしゃるでしょう。主イエスを信じている多くの奥様たちは、まだイエス様を信じていないご主人を持ち、共に生活する時、まったく孤独な状態におかれますが、それに対して教会はどれだけの重荷を負っているのでしょう。真の交わりは、いつでも共に苦しみ、共に重荷を負いあう備えができているところにあります。

互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。                         (ガラテヤ6・2)

実際の状態はどうでしょうか。集会のある兄弟は、以前統一教会に関係していました。しかしその後集会に導かれるようになり、主イエスを知ることによって救われました。彼は何年もの間集会で忠実なご奉仕をし、会社でも聖書の集いを始めました。けれども彼はその後横道にそれてしまいました。ある哲学者によって惑わされてしまったのです。その時集会はこの一人の兄弟の変化に無関心ではありませんでした。毎朝六時から七時までの間、五人の兄弟が私の住まいに来て、集会に来なくなってしまった兄弟のために共に祈りあいました。

一年半の間毎日、兄弟たちは奥樣方と共にこの重荷を担いました。私たちのすばらしい主は、祈りに応えてこの横道にそれていた兄弟を回復してくださいました。彼は再び用いられるようになり、四国に転勤した時、自分の家庭を開放して家庭集会を始めました。集会をするようになって最初の四ヵ月の間に七人の方が導かれ、イエス様を信じるようになりました。主イエス様のために人の重荷を負うものは、必ず報いられます。

(『なにものも私たちを神の愛から引き離すことはできない(下巻)』ゴットホルド・ベック著295〜298頁引用。※5月初め、いつもは中央線車両から眺めていたに過ぎない渓谷にはじめて降り立った。「木曽路はすべて山の中である」と始まる島崎藤村の大作『夜明け前』の「馬籠」の世界は間近にある。)

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