2013年5月13日月曜日

ご結婚おめでとうございます

以下に紹介するのは、去る5月5日に招待されて出席させていただいた新郎の挨拶、全部でおよそ30分ほどの中味の濃い味のある話の冒頭部分である。

非常に緊張していますけれども、よろしくお願いします。原稿は用意しているのですが、最初は挨拶ですので・・・。本日はこのような私どもの結婚式に集まっていただき本当に感謝です。

実際は結婚の意義、結婚の意味を考えてみた時に、結婚式をすることが果たして重大な事なのか、大きなことなのか、すごく迷いまして、いざ結婚を考えてから結婚式を挙げるまでというのは四年ぐらい、すごく悩んだんですね。

それはなぜかと言うと、やはり結婚を考える時に、僕は神様に向いて結婚するものだと思っていましたので、その神様との会話と言いますか、会話というものを重きに置いたということです。でも他の社会というか、会社でや、学生時代に、数件結婚式に呼ばれまして・・・。結婚式というのはいろんなことが約束されて結婚されている方がたくさんいるんですが、でも、僕にとっては違和感があったんですね。

どうしても、その結婚の約束をする時に、たとえば人の前で人に誓うことであったりとか、そういうことを目の当たりにすると、何かそれはちがうんじゃないかなと、今日最初のベック兄のメッセージにもありましたけれども、人の心はつねに動くものであって、(僕も今は緊張していますし)怒ったり、泣いたりとか、笑ったりとか、ほんの一瞬一瞬で人の心は動くもので、そうした人の心、すごく移ろいやすいものの中で、相手に永遠の愛が誓えるかと言うと、僕はそうじゃないと思うのです。

やはり永遠に動かないものに対して誓うことが僕は結婚だと思うし、死が二人を分かつまでとか、いろいろありますけれど・・・。死はうちの母が示してくれたのですが、死は終わりじゃないのです。死より、もっと先のもの、天国に行ってもずっと一緒にいる、それがやはり結婚の真実と言いますか、事実だと思いますし、やはりそうした形で結婚式というのを行ないたかった。

だから、これから証をする、証と言えるかどうかはわからないですけれど、こうやってこのような形で結婚式を行い、こうして開けたということが最大の証じゃないかと僕は思っています。やはり今の時代、結婚というのがちょっと軽く見ているところがあるんじゃないかと僕は思うのです。もっと結婚というのは重大なもので、やはり人生の岐路ではないですけれど、やはり大きなマイルストン(一里塚)としてあるものだと思っていますし、それにやはりずっと愛し続ける、永遠に愛し続けるということであれば、揺るがない確信のもとに式を行なう、そのもとで相手を幸せにする、もちろん人の幸せを望むということはクリスチャンにとって、神様に向かって、その幸せを祈る、その喜びを受けるということになるんですが、やはり絶対的に揺るがない、その価値観的に動かないものを信ずるというのがすごく大切なことだと思うんですね。

よく、信仰と宗教との違いとか、クリスチャンであることとか、もっと言えばこのキリスト集会がどのようなものであるかということを話すと、中々難しいことで、皆さんもご経験あると思うのですが、とらえどころがなく、つかみどころのないものなんですね。そんな中で愛想もつかさず(彼女は)四年間つき合ってくれて、その中々わからない、式の形式もわからずに、自分だけの意志と言いますか、結びつきだけで、この場に(皆さんにも)集まっていただいたことに本当に感謝です。

(全体の挨拶を紹介しないで冒頭部分だけしか紹介できないのはまことに残念だが、すでにこのわずか5分足らずの話の中に新郎の思いが現われている。しかも、その背後には昨年11月に召された亡母の祈りがあり、はからずも御母堂をはじめご家族におよんだ揺るぎない主の愛は、今や新郎の口を通して明らかにされたと言える。誰が、あのにわかに襲った病魔で苦しめられた、このご家族を、こんなふうに主が祝福されると知り得たであろうか。あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。1コリント10・13。古都の古い伝統としきたりしか知らなかった新婦が、新郎の愛に支えられ、様々な戸惑いのうちにも、主イエスを紹介され、新郎に従う道を選ばれ、実現した新カップルの誕生を、心から喜びたい。おめでとうございました!)

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