2013年5月28日火曜日

第一章 一粒の麦(中) D.マッカスランド

つつじの花(小諸懐古園)
婦人やエジプト人からなる一般市民の大派遣団が葬列の行進を待ち受けていた。ザイトーンから現地の使用人たちまでが悲しみの面持ちでやって来ていた。後日、一人の目撃者は思い起こして語った。「カイロでチェンバーズが知っていた人のほぼすべての人が葬列を静かに見送ったと容易に見てわかった」と。

軍隊の中で愛情をこめて「O.C.」(保護官 the Officer in Charge を短縮したもの)として知られていたチェンバーズは盲腸の手術にともなう合併症のために前日に亡くなった。彼の逝去の報がカイロからパレスチナまで電信で伝えられたとき、何百という人々が信じがたく、頭を急に殴られるような思いでその知らせに接した。確かにその中には幾分かまちがい、曲解された知らせ、誤解もあった。なぜ神様はチェンバーズのような人をこれまで見いだせないほどの人だったのに、そのいのちを奪われたのだろうか。それになぜ、43歳なのか、全然意味のわからないことだった。

多くの兵士が、そっと静かなところに抜け出ては、このチェンバーズの死をひとりひとりが受けとめ、この神様にあって精力的に生きてきた若い男性が今や成熟した生涯をいかになしとげたかを思い感謝した。チェンバーズはどれほどしばしば兵士たちに「起こり得るどんな事柄も、神様の存在を否定したり、神様の贖罪が完全であるという真実さをひっくりかえすことはできない」と語っていたことだろうか。ベールシェバ近郊の前線で、ピーター・ケイは胸に砲弾を撃ち込まれたような衝撃を彼の知らせをとおして受けた。彼の思いはザイトーンでの少女キャサリーン・チェンバーズと彼女の父とともに過ごした日々に帰るのだった。彼がチェンバーズからイエス・キリストについて、また贖いについて聞いたとき、ピーターにとって唯一の宗教は酒であり、女であり、歌であった。彼が祈祷小屋(the Devotional Hut)の外に立っていた夜、チェンバーズはキリストを生き生きとあらわし、自らの救い主、主であると言っていたのだ。それなのに、今、チェンバーズは死んでしまったのか。ピーター・ケイはチェンバーズの死の知らせを聞いて、こうべを垂れ、感情を抑えきれず泣きじゃくった。オーストラリアの奥地から来た戦友たちは、誰も、戦闘に耐え抜いた強者の兵士がどうしてそのように涙を流しているのか理解できなかった。

ビッディーは将校たちが夫の棺を、安穏で静謐な共同墓地へと運び込むのを眺めていた。病院で彼のそばにいる間、昼も夜も彼女はオズワルドは必ず主の道を歩み通すと確信していた。その時彼女自身の心には聖書からのみことばが非常に鮮明に浮かび上がったように思われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(ヨハネ11・4)

グラディス・イングラムとエヴァ・スピンクは、オズワルドが微笑みながら地上を去って行ったであろうと思っていたので、互いに涙を流さないように二人して手をしっかり握り合っていた。ロンドンの聖書訓練学校(the Bible Training College)で、チェンバーズは、決して間違ったことはなさらない愛である神について確信をもって語っていた。戦争が始まったとき神は彼らすべてを神様に仕えさせるためにエジプトへとお導きになったのではないか。神様は彼らから目を離されることなく、その恩顧のうちに守ろうと約束しておられたのではないか。神はそうなさらなかったのだろうか。

高名なアメリカの宣教師であるサムエル・ツヴェメル師はスコットランドの従軍牧師であるパドレ・ウィリアム・ワトソンと一緒に短く話した。彼らのメッセージはイエス・キリストについてであり、神のしもべオズワルド・チェンバーズをとおしての神の働きについてであった。そして神にあるキリスト者の永遠の希望について話をした。

(Oswald Chambers: Abandoned to God by David McCasland10〜11頁)

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