2023年4月27日木曜日

迂闊なり、忘れし、結婚記念日

薔薇の花 一輪善かれ 夫婦見つ
 「これまで、もっぱら外回りというか、散歩先の花々ばかり見とれては文章を綴ってきたが、いつの間にか、我が足元である庭先には、それこそ様々な花が次々に開花しては目を楽しませてくれている。このような中で、どうしても赤いバラが目立つが、これとても別のところでは真紅のビロード状の花を咲かせているし、それこそ白いナニワイバラは一週間ほど前に玄関先に一斉に花を咲かせ、壮観でさえあった。」と、10日前に、ここまで書きながら、ブログはずっとお休みにしてきた。

 書き込む内容がなかったわけではないが、自分自身の生き方を真剣に考えさせられる日々が続いているからである。そんな折、昨日夜になってから、長女が寄越したLINEで「おめでとう」と書いてあるスマホの文字に気付いて、一瞬何のことなのだろうと思ったが、その前に次女がすでに打電していて、「結婚記念日おめでとう」と書いてあった。ああ、今日は結婚記念日だったんだと初めて自覚した。家内に聞くと、家内は覚えていて、「いつ言い出すのだろうか」と待っていたと言う。次女の打電には「お父さんは、お母さんに何かしてあげたのかな?」とも書いてあった。

 昨日は朝から連日体の不調を訴える家内を病院にまで連れて行ったので、うっかりして忘れてしまった(のだろう)。それにしても結婚記念日をすっかり忘れているということは全く初めての経験であった。我ながら不覚だった。コロナに罹患こそしなかったが、コロナ禍以来、家内の体調はすぐれず、「男子厨房に入らず」と決め込んでいた私も、家内と一緒に台所に立つ機会がめっきり多くなった。それでも家事労働はほとんど家内に負わせっぱなしである。五十三年間、こうして長年連れ添ったきた家内に何の感謝の言葉も発せず、昨晩もそのまま休む始末だ。

 一日中お互いに顔を突き合わせての生活も20年が経つ。つい最近になって朝昼晩と三度の聖書の輪読と讃美、それに一日一回の散歩の日課、お互いに申し分ない充実した生活を送るように変えられつつある。それでも忍び寄る老いのしからしめる互いの心身の兆候には我慢し切れないでぶつぶつ文句を言ってばかりの私がいてどうしようもない。そのためもあって、下向きの生活がずっと続いているのだ。そんな私にもやっと春が巡ってきた感がする。それは過去を振り返る生活でなく、未来を待ち望む生活へと舵(かじ)を切り替える生活を聖書が約束しているということだった。こんなことは信仰者にとってはイロハのイで、当たり前のことではあるが、そこから外れた生活を日々歩んでいたからである。

 夜の家内との聖書の輪読個所はマルコ11章であったが、その22節の個所に対するF.B.マイヤーの註解でそのことを改めて知らされた。以下、マイヤーのことばを転記する。

イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。」(マルコ11・22)

 かつて私はある日曜日の朝、中国奥地伝道の父ハドソン・テーラーからこのテキストを学びました。彼は、神に対する私たちの信義ではなく、私たちに対する神の信義と解釈し、”神の信義を思え”と説いてくれました!
 この誠実な神のご計画を確信しましょう。私たちひとりびとりには、実に入念に備えられた道が与えられているのです。また道中に援助も準備されているのです。決して途中で倒れ伏してしまわないようにと。
 次に、この誠実な神の時を待ちましょう。申すまでもなく、全知なる神が私たち以上に必要を知っておられるのに、なお祈れと言われるのは、主に頼ることを私たちに憶えしめるためです。そして時として、答えを遅らせることがあるのも、ほかならぬご自身に対する私たちの信頼をたしかめさせるためなのです。
 そして、神に対して正しく歩むことです。古き生き方を脱ぎ捨てて、心を新たに、神に喜ばれるように歩みましょう。ご自身に対して全きものには、神の力も全面的に発揮されるのですから。(『きょうの力』F.B.マイヤー原著小畑進編著635頁より引用)

 さて、それではその神の信義とは何であろうか。その最たるものは言うまでもなく、主イエス様が再び来られるという約束である。昨晩、結婚記念日云々も忘れていた私は家内にその希望を縷々(るる)述べていた。53年目にして共に確認し得たみことばである。その極め付きのみことばを書く。

祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むように(新約聖書 テトスへの手紙2章13節)

 ちょうど、昨日は日本の総人口が2070年には8700万人になり、少子高齢化はますます進み、外国人の占める割合も一割を超えるという未来予測が推計値として発表された。50年ほど先の予測値であり、そのための備えが今から論議されている。当然であろう。主の御再臨に備えるように希望を持つように示された私にとり、今後どのように歩んでいけばいいのか祈りつつこのことを受けとめて行きたい。

2023年4月15日土曜日

春のどか 太公望に 平和あれ

川縁に パラソル開く 釣り人ら
 今日はあいにく雨である。二日前の古利根川で目にした光景である。赤のパラソルは目立つ。この緑なす川縁の風景に快いアクセントとなっていた。この方はその前日もここで釣り糸を垂れておられた。画面左側にはやはり5、6名であったろうか、釣り糸を垂れている太公望がいらっしゃった。川は豊満で海のようだった。

 今日の雨降りは、一層水かさを増して、魚たちは喜んでいるのだろうか。魚の生態も知らず、呑気なこと、児戯にも等しいことを考えている。釣り人らは、この雨天下、次なる秘策をねらって格好のポイントを押さえる準備をしておられるのだろうか。人ごとながら興味ある川縁の人と魚と緑の織りなす平和な風景である。

 さて、われらが主なるイエス・キリストは大工であったが、どっこい海にも魚にも強かった。そのエピソードを福音書から引いてみよう。

群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。(新約聖書 ルカの福音書5章1節〜6節)

 この福音書を書いた人物はルカと言い、医者であった。魚は海に川に生息する。釣り人は釣果(ちょうか)を求めて根気強く釣り糸を垂れておられるのだろう。一方、漁業者は漁獲を求めて日々天候と相談されながら漁をされており、私たちはそのおかげで魚を食べることができる。いつも変わらぬ人間世界の現実である。

 その現実世界にあって、イエスはこの石をパンに変えて見ろというサタンの声に耳を貸されなかった。しかし、ここではたいへんな奇跡が行なわれている。十字架から飛び降りてみろと罵られたイエス・キリスト、そんなことは日常茶飯事で神の子はできたはずである。しかし、十字架からは降りられなかった。かえって人間のなすがままにまかされ、逆にそのような人間(自分を十字架につけてやまない人間)の赦しをひたすら祈られた。そのことも、やはりこの医者ルカが後半で記している。だとすると、このシモンという漁師になさったみわざは、シモンのためになさった奇跡、シモンの「信仰」のためになさった奇跡だと考えるしかないのではないか。

2023年4月14日金曜日

今日は金曜日である!

十字架 レンブラントの 描きし絵 
 今日は金曜日である。先週の金曜日もこの絵を見ていた。いや、五十五年間、この絵を見てきた(と言っても過言ではない)。それほどこの絵は強烈であった。十字架からイエス・キリストを取り降ろす場面を描いたレンブラントのエッチングである。何よりも印象的だったのは、画面中央の梯子段上から、こちらを凝視するかのような男の表情である。

 その表情には、悲しみ、怒りを、見る者に与えるかの感があり、いつもそこだけに捉えられていた。それはレンブラント自身を描いているのだと思っていた。その見方は多分間違っていないと思うが、それは他者に向かうより、自己を凝視する視線だと今回思うようになった。そしてイエス・キリストの生身のからだのやわらかさが何よりも印象的で場違いであるように思わされた。

 この絵(絵葉書)は55年前の今日、東京の国立博物館で手にしたものである。暦を調べてみると1968年の4月14日はイースター(復活祭)の日であった。その日、私は25歳になる足利商業高校の新米の教師であったが、2年目にして担任となり、その一週間後初めて訪れた日曜日、休みの日だというので、東京のレンブラント展にまで出かけ、入手した絵葉書の一つである。

 絵葉書の裏面は、手紙となり「(前略)こちらは毎日充実した生活を送っていて幸福です。クラス担任になるとやはりやりがいがあります。それでも一週間ばかり前はあれやこれやで精神的に参る日々を送っていたんですから、ぼくの生活力も大したものだと自惚れています。聖書は最近読んでいません。教会へはずっと前、行きましたが、どうもああいう雰囲気に偽善めいたものを感じて足が遠のいています。その代わりプレーヤーを買ってバッハの曲を欠かさず聞いています。昨日はレンブラント展を見てきたのですが、もうなんていうか僕がするべきことは方向は決まっているし、レンブラントという天才でさえああいうふうに人生を送らねばならなかった(特に自画像の移り変わり)という祈りめいたものを感じました。(後略)」と今も変わらぬ私の字で綴られていた。

 その日がイースターであることも知らず、一端(いっぱし)の考えを生意気にも吐露している。その私が、二年後の1970年には結婚して、キリスト者として家庭を持つようになり、レンブラントの目をとおしてイエスさまを知るだけでなく、聖書そのものからイエスさまの十字架降下を考えるように変えられたのだから、今となってはこれすべて不思議なことだ。そして、気がついてみると、すでに50年以上経過している。

 果たせるかな、今年は新たに、『暗い雲の下』と題する以下の文章を通して、十字架が主イエスさまにとっていかなる苦しみであったかを改めて覚えることができた。煩を厭わず転記して見たい。

 それは聖金曜日の十二時でした。
 これまでイエスはいつも人々の間におられました。彼は今三時間も十字架にかかっておられましたし、九時から三時間の間に、はじめて三つの言葉を言われ、敵のために祈られ、母を慰められて、悔い改めた強盗を救われました。

 しかし今、彼はあたかも人々と手をお切りになったように見えました。くちびるをつぐんで、彼はあらゆるものや、あらゆる人から退いておられます。

 聖書はこのことを短い数言で述べています。ただ、それにつづく、ひるの十二時から午後三時までの三時間が、それ自体区分を作ることが、きわめて明らかになっています。

 それは別として、それに伴う驚くべきしるしーーイエスの受難に伴った自然のしるしーーだけが語られています。太陽は暗くなって、もはや光を放ちませんでした。にぶい鉛の円盤のように、赤っぽい灰色の空にかかっていて、息詰まるようなやみが、すべてのものをおおいました。最も不敵なあざけり人たちの舌をも拘束する、おしつけるような沈黙がありました。まるで夜になったように、小鳥たちは黙りこみ、小さい春の草花は頭をたれ、花びらを閉じました。人々はこの奇跡をも「説明」しようと努めてきたではありませんか。かれらは、それがこの時「偶然に」起こった日食だった、と推測し、その日食が、それを目撃した迷信的な土着民たちには、そうではなかったにしても、私たち、現代の大いに文化の進んだ教養ある人々にとって、本当に事件全体を「自然」にしたのです。しかし、悲しいかな、この「説明」はあたっていません。私たちは、イエスの死が過越の祭の時に起こったことと、過越の祭はいつも満月の時に来ることを、知っています。しかし天文学は、日食が新月の時にしか起こらないと、私たちに教えているのです。

 いや、この自然のしるしも、何かもっと高いものを暗示しているようです。クリソストムも「太陽は主の不名誉を見ないように顔を隠した」と言っています。そのとき(旧約聖書)ヨエル2章31節のこういう言葉が成就しました、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり」またイザヤ書50章3節「わたしは天をやみでおおい、荒布をそのおおいとする」また特にアモス書8章9節〜10節「その日にはーー神である主の御告げ。ーーわたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。」

 そして、やみがゴルゴタの上にたちこめたとき、それは精神的なやみ、神に見捨てられているやみの姿で、その中にイエスはこの三時間はいっておられました。何びとも、そこで起こったことを根底まで、最も深い真実の中に見ることはできません。というのは、もしも私たちにできたとしたら、私たちの胸は張り裂けたことでしょうから。私たちは、神の聖さの輝く白さ、罪に対する神の激しい怒りを、のぞきこむことに耐えられないし、イエスの受けられた地獄の苦しみの奥底を、のぞきこむことにも耐えられません。

 ただこのこと、この三時間のうちに、あがないの偉大な永遠の救いのわざが、なし遂げられた、ということだけを、私たちは知っています。そのとき、あなたや私が神の名誉の輝かしい盾を汚した、あらゆる無数の罪とがのために、刑罰を要求する神の聖さと、清い罪のない血で私たちの罪を洗い去られた、イエス・キリストに現れた神の愛との間に、大いなる和解が起こりました。(『受難の七日間』348頁〜351頁)

 この暗黒の三時間に、どんなにイエスさまが、私たち罪人の身代わりとなって父なる神様から捨てられ、全くの孤独、地獄に突き落とされる孤独を経験されたかを、著者のフィビガーは更にくわしく考察しているが、残念ながら今日は省略せざるを得ない。それこそ、イエスさまが父なる神様から引き離された孤独の三時間の実相であり、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という叫びであったとだけ付け加えて置こう。

 さて、今朝、何気なしに一通のメールが入っているのに気づいた。まさに55年前に私が初めて担任となった時の生徒さんからのものであった。ほぼ一週間前の4/6のブログでその生徒さんたちが私にくださった愛の奉仕のわざを思い出し、紹介したが、それと同時に、そのうちの一人の住所は分かっていたので手紙を出し、53年ぶりにお礼を筆に認めることができた。ところがその彼からの応答は昨日までなかった。

 それもそのはず、同君はその4/6から4/13の昨日まで海外に出ており、帰国するなり私の手紙を見て、すぐメールされたのであった。そこには来年四月の皆既日食の調査のことが書いてあった。私はそのあまりにも絶妙なタイミングの良さに内心驚かされた。なぜと言って、ほぼ2000年前の受難週中の聖金曜日について、昼間の三時間全地は真っ暗になったが、その日は皆既日食の日ではあり得ない、とフィビガーは先述のように、それは「偶然」でも「自然」でもなく、「預言の成就」だと述べていたからである。

 一方、掲出の絵は1633年オランダでレンブラントが残した『十字架から降ろされるキリスト』と題したエッチングである。390年前の我が日本は折しもキリシタン禁制下、同時に鎖国令が本格化する時でもある。しかもそれにもかかわらず日本が通商を認めていた相手国はオランダであった。果たして、レンブラントのこの絵は当時の日本人の知るところではなかったのか。これまた尽きない興味が湧いてくる。

 一枚の絵、一通のメール、さまざまな人と人との出会いを残して歴史は進行する。しかし、そこには揺るぎない神の御意志(愛)のみが貫かれているのではないだろうか。それこそが、イエス・キリストの生涯であり、その集約はまさしく「十字架」と「復活」である。終わりに、ふたつのみことばを確認しておきたい。

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(新約聖書 1コリント人への手紙1章18節)

主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(新約聖書 ローマ人への手紙4章25節)

2023年4月13日木曜日

桜前線山上へ

高原の 桜並木の 艶やかさ photo by Yoshiko Hoshi
 知人から、桜便りがLINEで送られてきた。ここは小諸高原だと言うことだ。画面にはみことばとある方の文章が載っていた。当方の所望のため、このようにわざわざそれを除いてのお写真も添えて送ってくださった。山を身近に覚えることの少ない私、また人々が「桜」「桜」と言うと、身を引いてしまう素直でない、あまのじゃくの私にとっても、見下ろす桜の風景は絶品で、併せて下界の姿を遠望できたのも幸いであった。遠くの山並と言い、近くの高原の階段上の桜並木と言い、その間に町の風景を見る時、まるで神の愛に私たちはしっかりくるまれ、育(はぐく)まれていると言わんばかりの錯覚さえ覚えさせられた。

 紹介されていた文章は次のものだ。

聞こえて来る雑多な声の中に、主の声を聞き分けるのは簡単ではありません。けれども私たちは、肩書きや地位の誘惑からも、物質主義や同調圧力からも、御子によって完全に自由にされた者です。私たちには真の自由が与えられているというあなたの約束を、いつも忘れずにいられますように。                    
                    マックス・ルケード

 そして、みことばは次のものであった。

もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(新約聖書 ヨハネの福音書8章31節〜32節)

2023年4月12日水曜日

春走り 花の命は 短かけり

八重桜 ハナミズキつつじ 春走る
 散歩するたびに、草花がどんなに私たち人間に豊かな潤いを与えてくれる存在であるかを思う。写真はその名も「緑小学校」の校庭の一角である。桜はほとんど散ってしまい、今や八重桜がその名残を埋めるかのように咲いている。それと同時に、ハナミズキ、つつじがいつの間にか盛んになり、春の選手交代の感ありである。まもなく皐月(さつき)も咲くであろう。

 この豊かな自然のもとで暮らしている私たち日本人は、「花婿」「花嫁」と「婿」「嫁」の前に「花」と言う言葉を付け加えている。英語ではどうなのだろうか。林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と詠った。豊かな感性に恵まれている日本人はこうして五七五からなる俳句という短詩形を創出したのだろうか。

 もちろんこの豊かな自然に養われたのは日本人だけではない。神の子であり、人の子であるイエスさまは自然を熟知しておられた。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(新約聖書 マタイの福音書6章27節〜30節)

 昨日はイギリスのチャールズ王の戴冠式についてNHKテレビでくわしい紹介があった。見ながらどんなに素晴らしいものか是非みたいものだと思った。しかし、上のみことばが教えるところによると、ソロモンというところをチャールズ王と入れ替えて読む時に、私のその見方も近視眼的な見方にすぎないことを教えられる。

2023年4月11日火曜日

春深し チェンソー音 喧し

身を切られ 新芽を待つや クスノキよ
 薬草園(※)内のクスノキの大木の枝落としがなされていた。画面左奥のクスノキがそれだ。そのてっぺんに、作業をする方が跨(また)がるように立っておられ、チェンソーの音だけがいやに喧(かまびす)しかった。クスノキにとっては「荒療治」とも言うべきことがらではないのか。

 これとは違うが、最近、市内のあちらこちらで、樹木が根っこから切断されて、無惨なその姿をさらけだしているのをよく目の当たりにする。道路交通の便宜のためであろうか、散歩者としては、心が傷む思いで、その側を通り過ぎる。そっと手で触り「ご苦労さんでした」と言ってみたい。

※薬草園について次の案内記事がある。https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/kasukabe/national-medicinal-herb-garden-trace-61829313/

木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。しかし、人間が死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか。
(旧約聖書 ヨブ記14章7節〜10節)

今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。もし、キリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(新約聖書 2コリント15章20節、17節)

2023年4月10日月曜日

日々イエスさまの御顔を仰ぎ見よう

イースター 友の語りし 喜びよ  
 昨日はイースター、主のよみがえりを記念する日だった。

 教会に出席していた頃は、「受難の七日間」を覚えて、その一週間前の日々、早天祈祷会が持たれていた。牧師がイエスさまの受難の七日間に応じたメッセージをしてくださった。出席は自由参加であったが、私はほぼ二十年間皆出席だったのでないかと思う。普段とは違い、朝早く起き、出勤前に会堂にまで出かけ、イエスさまの私たち罪人のための犠牲である十字架を思い、祈りをささげ、身を慎んだ。それは同時に我が身にとっては克己の一週間でもあった。

 その一週間もイースター(復活祭)の朝を迎えると、一気に喜びに変わり、爆発する喜びをあらわすべくありとあらゆる方法を用いて市民のみなさんのところへ福音を携えては出て行った。イースターの一日は教会員総出で野外に出て様々なイベントを行なった。「主はよみがえられた」と大きなアドバルーンを打ち上げたのを始めとして、野外に集まったたくさんの人々と礼拝をともにし、風船を飛ばした。それが終わると、「受難劇」を演じたり、模擬店を何店か出し、教会前は通行止めにしていただいた。夜は夜で映画会を野外で催し、一日お祭り騒ぎだった。

 一番気掛かりだったのは、天候であった。折角前日まで用意していても、当日朝になってみたら、雨が降ってたでは、すべての事前計画はだめになってしまう。しかし、その二十年間のイースターの日々、雨で中止した記憶はない。むしろ目まぐるしく動く雲や雨にさらされながらもその時は太陽が顔を出しイースター礼拝を予定通り送れた記憶があるほどである。クリスマスにくらべるとイースターは日本人には馴染みがない。ましてやイースターは日曜日だが、固定していない。年によってちがう。春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決まっているようで、今年は四月九日であった。

 その私が教会を出て、すでに三十三年経ってしまった。その日々は毎日がクリスマスであり、イースターであり、特別この日がイースターだと言って「克己」と身構えることはなくなっている。私自身、教会を退会して以後、信仰を捨てたわけでなく、むしろ主イエスさまの恵みをより一層体験する日々である。その私ではあるが、昨日は三ヶ月に一回の市川での礼拝に出かけた。当日は礼拝の後、福音のメッセージをするように依頼されていた。そのこともあって、先週はイエスさまの「受難の七日間」を覚えて、日を過ごした(つもりである)。

 そのために『受難の七日間』という、その名もずばりの、デンマーク人のA・フィビガーという方が書いた本を引っ張り出して読んだ。随所に線が引かれていて、何年か前に読んだようだが、すっかり忘れてしまっている。つかみ読みをしていたようで全編初めから終わりまで読み通した記憶はない。その本を改めて読み進めるうちに、聖書の奥深い叙述に改めて目を開かされた。閉じていた霊の眼が開かれたと言った方が正確だ。それをもとにイースターのメッセージを準備するには全く時間オーバーであり、土曜日の深夜まで何を語るべきか答えは一向に出ずじまいであった。とても市川にお邪魔するわけにはいかない、と心の葛藤は続いた。

 でも、出かけた。教会には牧師がおられる。ところが私の出席している集会は素人集団である。誰が何を語ろうが、語る人に全て任されている。これほど乱暴なことはない。しかし、それぞれが、主と聖書のことばをとおして日夜教えられている。だから、語る人、聞く人の垣根はすでに取っ払われている。教会では牧師さんが語られる聖書の解き明かしを、信者は口を開けて待っていれば良かった。考えてみれば、教会を出てすでに三十三年間、私は今度はその素人集団の一人として人前で聖書から話をさせていただいてきた。その私にとり、ここ数年聖書からお話をすることができなくなっている。それは聖書の真理を全く知らないという発見である。今回経験した心の葛藤もそのひとつだ。

 ところが、昨日は昨日で主の豊かな導きがあった。私の話の司会に久しぶりにお会いした方にお願いしたところ、その方が、ご自身の過去一年間の闘病のありさまを率直に話してくださった。一年間に三つの病(胸膜肺炎、胃がん、ヘルニア)を抱え、死を覚悟したこと、毎朝、目を覚ましてみると、生きていることを確かめる、その度に生きようとする力に満たされた。死にたくない、死ぬわけには行かない。私にはまだし残したことがらがあると語られた。苦しみをとおして与えられる喜びを味わったとも話してくださった。

 私はお聞きしながら、私も聖書の真理を理解するまでは死にきれないという思いがあるので、その方がおっしゃった「死にきれない」という思いに共感できた。それは「死にきれない」と思っても、「死がやってくれば素直に従おう、しかし、その時までやるべきことをやっておかなければならない」という決意の表明でもあった。もう今日のお話はやめにしようと思ったが、予定していた話「神の和解を身に帯びて」という題名でつたない話をさせていただいた。

 記念にその方の話をお聞きして感じた私の印象のみことばと、私自身がお話でお伝えしようとしたみことばをそれぞれ順に書かせていただく。

私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。(旧約聖書 詩篇17編15節)

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。見よ、古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(新約聖書 2コリント5章17節〜18節)

2023年4月6日木曜日

最も小さい者たちのひとりにした

春深し ためすすがめつ 眺めおり
 ほぼ半崩れのアルバム帳に、一枚の写真があった。ほとんど数十年見ていなかった代物である。しかし、私にとって捨て難い写真ではある。写真のどの若者にも純な未来が透けて見える。この五人の若者は、私が1970年5月に下宿先から県営住宅に移った時に引越しを手伝ってくれた御仁である(写真は引っ越し先の県営住宅前のもの)。

 半世紀以上も経つ写真になぜそんなに愛着を覚えるのだろうか。改めて五人の若者の姿を見る時、その眼差しだけは今も鮮明に焼き付いているからである。それもあってだろうか、二十数年前、せんげん台駅で一人の方とすれ違い、思わず声をかけた。この写真の右端の人である。不思議なことにすらすらと名前が出て来た。

 先方はこれから電車に乗り、東京への出勤途上であり、長話もできず、ほんの2、3分の立ち話で終わった記憶がある。ところが昨年11月8日皆既月食の話で持ちきりだった時、NHKが一人のアマチュア天文家を紹介した。びっくりした。同じ彼だった。歳老けたとは言え、紛うことのない彼であった。

 その報道では同君は60年来の天文観察家であると報じていた。だとすれば、私は彼が高校一年の時の担任であったから、知っていても当然である。私は自らの不明を恥じる思いだった。同時に交通事故で担任を降りざるを得ず、その時の生徒諸君には顔向けできない思いもあった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/03/1969312.html 私の引っ越しは、それから二年経って、ちょうど彼らが三年になったばかりであった。とっくに担任を離れ義理を欠く私のために、この五人の若者が手伝ってくれたのである。

 考えてみれば、人生すべてこれ塞翁が馬である。その時点、時点で誠意を尽くす人間の生き方こそ求められていると自戒する。また、五人の若者の純な眼差しが今も生きていることを切に祈る。受難週の火曜日、一昨日(4日)の引用箇所に引き続いて、やはりイエスさまは重要なことを語っておられる。以下がそのフレーズの一つである。

「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(新約聖書 マタイの福音書25章31節〜40節)

2023年4月5日水曜日

春の海ひねもすのたりのたりかな(蕪村)

桜散り 鯉さかのぼる 長閑(のどけ)さよ
 古利根川堤の桜もとうとう散っていく時を迎えた。川沿いの道だけでなく、川岸にも、花びらが一面散りばめられ、小さな貝殻が無数にあらわれたかのように見える。もちろん川面にも点々と花びらを落としている。目を凝(こ)らせば、川には鯉がそれぞれ遡行しているのが見える。時には勢いよく跳ね上がる鯉も散見できる。「おーい、鯉よ、水のなかはどうだい?」と声をかけたくなる。

 川を泳ぐ魚は鯉だけではない、「くちぼそ」もいる(らしい)。桜見に集ってくる人々の会話からその声が聞こえて来た。そう言えば、白鷺は、魚を追いかけまわし、見事に掬い上げている。獲物はくちぼそだろう。水面下の世界はそれはそれで豊かな「生」の宝庫なのだ。

 昨日も夢を見た。夢を見ない日はない。ハッとすることが多い。夢とは何なのだろう。深層心理を、ふと水面下の魚の動きに擬して考えていたら、次のみことばがあることを知った。

人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、夢あるいは夜の幻のうちで、彼は人々の耳を開き、警告をもって彼らを恐れさせ、こうして人にその悪しきわざを離れさせ、高ぶりを人から除き、その魂を守って、墓に至らせず、その命を守って、つるぎに滅びないようにされる。(旧約聖書 ヨブ記33章15節〜18節 口語訳)

2023年4月4日火曜日

Rejoiceの根源は滅びないみことばにあり

春の日 造り酒屋の 壁落ちて
 三月初め、ふるさとに帰り、何となく、心惹かれるまま、カメラに収めた。煙突が見える。しかし店先には人っこひとりいない。上方には日輪が輝いている。

 NHK朝ドラ「らんまん」が始まった。最初の場面は「甑(こしき)なおし」とか言う、造り酒屋にとって欠かせない祝い事らしきものの一部始終がドラマの中で描かれていた。時は慶応三年(1867年)と言うから、明治以前である。

 町に造り酒屋と言えば、上掲のものしか頭に思い浮かばない。ここにも往時あのような賑やかな人々の行き来があったと思うと、無性に寂しい。

 作家の中村文則さんが、大江健三郎の追悼文を書いていた。(4/3東京新聞夕刊)全文を紹介するのが礼儀なのだが、末尾を紹介させていただく。

 大江さんの作品に『Rejoice!(喜びを抱け!)』という言葉が度々出てくる。人生は辛い。でも喜びを抱けと。僕は大江さんに救われた。大恩人だ。その存在が、もういない。
 僕は今、とてもRejoice!という気分にはなれない。幾つも大江さんの追悼文の依頼があり、実はこれが四つ目になる。ずっと堪えていたけど、書いている途中でさっき急にこみあげてしまい、この原稿は泣きながら書くことになった。僕は今、とても悲しい。作家になって二十年を超えたけど、こんな風に、泣きながら原稿を書くのは初めてになる。
 大江さん、あなたの作品は、僕にとって、大勢の読者にとって、生涯の宝です。本当に、本当に、ありがとうございました。

 中村さんは目の前にいた、偉人、恩人であった大江氏の非存在を悲しんでおられる。私がいなかの造り酒屋の廃屋に寂しさを禁じ得なかったのも、もとをただせば同じ根っこにある感情のしからしめるものなのかもしれない。結局、中村さんの悲しみも、私の寂しさも、滅びることの悲しさによるのではなかろうか。

 一方で、私は廃屋の上空にある日輪を意識しながら、日輪は廃屋のすべてを知っている、そこに光が輝いている。神さまもそのようにして私たちの一挙手一投足を見そなわしていてくださるのだと思って慰められた。

 さて、今週はイエス・キリストの受難週にあたる日々である。日曜日にエルサレムに入場されたイエスは、月曜日宮きよめをなさり、この火曜日は宮における最後の日になり、したがって退去の時でもあった。イエスの弟子であったペテロ、中村さんが大江さんに流した以上に涙を流したはずのペテロは、この日の主イエスの長い重要なメッセージをマルコに伝えているが、その中に次のみことばがある。

この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(新約聖書 マルコの福音書12章31節)

 そのペテロは自らの手紙の中で次のようにも語っている。

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(新約聖書 ペテロ第一の手紙1章23節〜25節)

2023年4月2日日曜日

「眠」主主義にしないために

二人して 招くうさぎに 頬(ほほ)ゆるむ
 統一地方選挙が始まった。どの立候補者も自分に投票してもらおうと、名前の売り込みに躍起だ。一昨日もお子さん連れの知人と玄関先で話している時に、名前を連呼する宣伝カーが家の前を通った。子どもは珍しいこともあって車の方に飛び出す。親はあわてて子供の動きを押さえるべく出かける。すかさず、車内から、「わざわざ家から出て来て応援してくださってありがとうございます」との声がマイクをとおして流れた。

 こちらは知人と談笑しているひとときなのに、その時間・場所をこの宣伝カーに体(てい)良く利用されただけである。このような宣伝は身近に経験することだから、それに今更目くじらを立てても仕方ないのかもしれない。そうは言ってもあまりにも情けない。こういう立候補者には絶対投票したくない。頬はゆるむどころか、苦笑せざるを得ず、顰(しか)めっ面になった。

 効能を語らず、いいから飲め、飲めと言われて、誰がそのような薬を飲むだろうか。政策を語り、その是非を問うて欲しい。口先三寸でなく、真実を語って欲しい。そういう候補者に一票を投じたい。そうでないとWBCで世界一になったとしても、野球は一流、政治は三流と言われかねない。東京新聞の投稿川柳に「主主義 脱却したい地方選」というのがあった。何とかしなければならないという思いが私だけでなく、人々にあることを知る。

真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。正しい者の光は輝き、悪者のともしびは消える。(旧約聖書 箴言12章19節、13章9節)

2023年4月1日土曜日

名前こそ主の贈り物

モチノキの 名前見つける うれしさよ
 「名前」というものは一つしかない。その名前を織り交ぜながら私たちはお互いに人とのコミュニケーションを取っている。「名前」が思い出せないと、なかなかコミュニケーションがうまく取れない。神さまは私たちひとりひとりに「名前」をつける能力、覚える能力を与えて下さっている。

 上掲の木々は桜並木で人々が沸きかえる中、たまたま一昨日知人とお出合いした時に、眼にした木々であった。その木々に咲いている黄緑色の花は、それに連なる桜の木々と良いコントラストを成していた。「桜」、「桜」と人々が騒ぐ中で、地味だけどここに私はいるよと語りかける思いがした。一体何の木なんだろうと、昨日も出かけ二日がかりで探索した。その木は三本であり、名前を見つける補助手段であるサイトも初めて知った。

 その結果、幸い見つけることができた。モチノキと言えば縁起を担いで庭には必ずある木々で、私の故郷の家の庭にも植っている。だから80年の間、私も見てきたはずだ。ところがこのような花の美しさを味わったことがない。とすると、別物だろうか。いやいやこの木は確かに「モチノキ」だ。ここまで考えて、「名前」の意味するところの素晴らしさを了解した。振り返れば、私自身、大学の農学部林学科を受験し合格した過去がある。その道を進んでいたらと思うと不思議でならない。
 
 木の名前を知るために、様々な特徴、葉の形、花の様子、樹木の外観を調べれば分かると案内してあった。http://www.tree-watching.info/index.html 時あたかも新年度からNHKの朝ドラ「らんまん」が始まる。かつて「エール」を欠かさず視聴して多くの恵みをいただいた。牧野富太郎は私の少年時代の最初の偉人であった。その後、長ずるに及んで、単なる名前を知るだけでは能ある仕事とは言えないとばかり、湯川秀樹に今度は鞍替えしたのだが、若気の至りというか、それが一面的な見方にすぎないとは、この歳になってはじめて理解するようになったことだ。

 「名前」こそ、すばらしい名辞である。昨日も同じ古利根川沿いを散歩していて、知人と擦れ違った。一緒に散歩している家内は気づかなかった。私はその人の名前が思い出せないので、説明するのに難儀した。十数分経ってその人が「いわぶち」さんであると天啓のごとく私の脳裏に浮かび上がってきた。ありがたきかな、「名前」である。

神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。(旧約聖書 創世記2章19節)