2023年4月11日火曜日

春深し チェンソー音 喧し

身を切られ 新芽を待つや クスノキよ
 薬草園(※)内のクスノキの大木の枝落としがなされていた。画面左奥のクスノキがそれだ。そのてっぺんに、作業をする方が跨(また)がるように立っておられ、チェンソーの音だけがいやに喧(かまびす)しかった。クスノキにとっては「荒療治」とも言うべきことがらではないのか。

 これとは違うが、最近、市内のあちらこちらで、樹木が根っこから切断されて、無惨なその姿をさらけだしているのをよく目の当たりにする。道路交通の便宜のためであろうか、散歩者としては、心が傷む思いで、その側を通り過ぎる。そっと手で触り「ご苦労さんでした」と言ってみたい。

※薬草園について次の案内記事がある。https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/kasukabe/national-medicinal-herb-garden-trace-61829313/

木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。しかし、人間が死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか。
(旧約聖書 ヨブ記14章7節〜10節)

今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。もし、キリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(新約聖書 2コリント15章20節、17節)

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