2019年12月15日日曜日

2019.12.14 at Poco rit in Musashi Urawa
わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。(ローマ10:20)

 私は27歳の時、イエス様を信じました。今から17年前です。私は、そのときまで神の存在を否定していました。理由は簡単です。神は見えないからです。科学が全てだと思っていました。キリスト教というのは上品な宗教かもしれないが、世の中の矛盾には目をつむっていて、人々に社会に対する批判力をなくさせる害のある宗教だと思っていました。

 だから、むしろこのような宗教は無くなったほうが良いと積極的に考えていました。私の目は世の中の富の不平等、社会の不公平に向いていましたので、それを解決するためにはどうすれば良いかを考えていました。たまたまその当時読んだ本の中に、人間の欲望の肯定こそが人間らしい生き方であり、その生き方を妨害しているのが高等宗教であるキリスト教であり、結局その思想が金持ちをのさばらすのであり、そのことを知らないでいるのは、大変愚かであるという思想に共鳴を覚えたのです。

 だから、私にはクリスチャンのいわゆる「聖さ」というものが信じられませんでした。なぜなら、それは自然の傾向に反する大変無理をした生き方であり、クリスチャンという存在はたいへんな偽善者のあつまりであるとしか思えなかったからです。

 だから、その当時親しかったクリスチャンの友人に手紙で自分の醜さを洗いざらい告白した時、相手のクリスチャンに軽蔑されると思っていました。ところが、逆にそのようなあなたの醜い罪のために、キリストは十字架にかかられたのであり、その私の罪のためにその友人が泣いたと言う文面に接して、この不思議なキリストのことが書いてある、聖書を読んでみようという思いがわいてきたのでした。

 社会を批判したり、またクリスチャンを批判してばかりで、とかく自分以外の外側に向けられていた刃が自分の内側の矛盾に徐々に徐々に向けられるように変わっていったのです。ただ、どうしても神の存在は信じられませんでした。ちょうどそのような時、自転車で、走行中のマイクロバスに接触して交通事故に遭い、危うく命拾いするというできごとが起こりました。

 後遺症に悩むうちに弱い自分の肉体に不安になり、神がいないと豪語している自分は単に強がっている人間にすぎないことを知り、自分の生命の支え手であり、造り主である神様の存在をいつしか認め、この神様に祈る生活に変えられていきました。それとともに傲慢であった神様を否定した生き方や、過去に父を裏切った生き方がいかに間違っていたかを知りました。しかし、感謝なことに自分の罪を神様に言いあらわした時、神様からの罪の赦しを体験したのです。私を二重にも三重にも苦しめていた罪からやっと解き放たれ、まことの解放感を味わったのです。それ以来今日にいたるまで私のこの魂の平安を奪うものはなく、本当にクリスチャンになって良かったと思わない日はありません。

 最後につい最近あった出来事をご紹介して私の証を終わらせていただきます。ある日、家の窓ガラスが壊されて困ってしまいました。しかしその窓ガラスは教会の方が即座に修理してくださったのです。それだけではありません。同じ日、自転車が盗難にあってこれまた困りました。ところが、これも別の教会の方のお取り計らいにより、新しい自転車が与えられたのです。

 私はこれ以上何をつけくわえる必要があるでしょうか。かつての私が思ったように、このような行ないは偽善者のするわざだと答えるのが正しいのでしょうか。いいえ、愛のなせるわざなのです。

 私のような自己中心のどうしようもない者が、今このように神を愛する者に変えられて、その上、神を愛するクリスチャン同士の愛の交わりをいただいていることを感謝します。皆さんも、ぜひこのクリスマスの時、イエス様を信じ神様に祝福される生涯にお入りになるようにお祈りします。

(昨晩、クリスマス・コンサートに招待され、初めてお聞きするパイプオルガンの演奏を堪能させていただいた。同時に牧師さんのクリスマス・メッセージをお聞きしながら、ゆくりなくも三十年以上前に出席していた教会の燭火礼拝での自らの証を思い出し、帰宅して引っ張り出してみた。1987年12月24日のことだった。再録する。)

2019年12月12日木曜日

本の中の本

客間に 御子の御姿 赤子なり 2019.12.10

私は、あなたのことばを心にたくわえました。(詩篇119:11)

 世界じゅうで最も偉大な宝は何かと言えば、それは聖書です。聖書は本の中で最も古い本ではありますが、また現代のわたしたちすべての人間の心や生活に最もふさわしい本ですから、ごく最近の本であるとも言えます。この本ほど世界の人々の思想を左右し、人類に大きな影響を与えた本は、ほかにありません。

 神は、聖書は神ご自身のものであり、霊感によってわたしたち人間に与えられたものであるとおっしゃっています。すなわち、霊感ということばによって、神はご自分が直接に息を吹き込む特別な方法で、聖書を人類にお与えになったのであるということを、お告げになろうとしているのです。この霊感を受けうるのはある特定の人々、すなわち、旧約の預言者と、新約の使徒たちに限られていました。これらの著者たちが、聖霊によって霊感を受けて書いたのが、聖書なのです。

 「預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(2ペテロ1:21)ダビデも「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。」(2サムエル23:2)と言っております。

 この聖書はすべて一字一句に至るまで、神ご自身のものであると、神はおっしゃっています。したがって聖書の著者は、自分の考えを全然その中にさしはさんでおりませんし、聖書を記述したにもかかわらず、自分が聖書を書いたのだと誇るようなこともしていません。聖書は神のみことばを含む本なのではなく、神のみことばそのものなのです。

 神はまた、宗教に関することで、これ以上権威のある本はないとおっしゃっています。神はすべてのことを、みことばを通して啓示なさいました。それゆえ聖書は完全なものなのです。これよりもっと新しい啓示があるかもしれないなどと思うべきではありません。わたしたちが知る必要のあることは、すべてこの聖書に書いてあるのです。

 神のみことばは、決定的なものです。したがって聖書にのべられていることは、すべて不変で、絶対的に正しいことです。神は聖書に書かれてある以上には、おっしゃることはないのです。つまり、聖書は権威をもって教義や道徳のあらゆる問題を教えているわけです。この聖書はあなたの本です。ーー「私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇119:11)ーーこの宝典に書かれてあることが、あなたの家庭にも、生活にも、心にも宿らなければなりません。聖書は試金石として役に立つのです。聖書によって何がまことで、何がまことでないか。何をしなければならないか、何をしてはならないか。また何を信じればよいかがわかるようになります。

 聖書はあなたの導きてになります。命にいたる細い道に導き、罪のおとし穴に落ち込まないように、あなたを守ります。

 それは足もとを照らすともしびであり、航路を示す灯台の光であり、あなたが失望や失敗にあったとき、あなたを元気づけてくれるのです。

 聖書はまた、よい道づれとして、あなたの役に立ちます。聖書は、主があなたのよい羊飼いであり、イエスがあなたの救い主であるという確信を与え、悲しみにあるあなたをよい友として慰め、あなたの涙をかわかし、あなたを希望で満たします。聖書はあなたが人生のいかなる状態にある時でも、それに適切なことばを持っております。

 それだからこそ聖書は、すべての時代を通じての宝典なのであり、神のみがわたしたちにこれをお与えになることができたのです。どうかこの聖書を常に身近におき、たいせつにしてください。そして聖書を読み、信じ、愛してください。あなたに対する神のみことばとして、聖書に強くたよってください。

  祈り

 いつくしみ深い父、主なる神よ。聖書によってご自分をわたしにあらわし、完全な救いをもたらすこの輝かしい福音によって、救いに至る知恵をわたしにお与えくださいましたことを感謝いたします。神のみことばである聖書を愛し、日々これを読むことにより、力と、慰めと、助けとが得られますように。わたしにとって必要なこの一つのもの、すなわち聖書にまさって親しみを感じるものが、この世に何もありませんように。神の霊感によるみことばの真実性を疑ったりすることなく、神のみことばの一言一句を、幼子のような信仰によって信じることができるようお導きください。

 このみことばが、地の果てまで達し、わたしの心に平安と希望をもたらしましたように、万人の心にも平安をお与えください。すべての罪をゆるし、神の救いの恵みの中に、わたしや、わたしの身内の者すべてを保ってください。神のみことばを学ぶことが、わたしたちの日々の喜びとなりますように。天から与えられた、生きたみことばである、わが主キリスト・イエスのみ名によって、心からお祈りいたします。     アーメン。

(『重荷も軽く』A・ドーフラー著1〜4頁より引用。)

2019年12月9日月曜日

つまずく

イチョウの お堀めぐるは 江戸の城 2019.12.7 

つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。(マタイ18:7〜8)

 先週の土曜日は高校時代の同窓生が21名集まって会食した。今回で37回目と言う。私は過去4、5回出席している。毎回12月第一土曜日、『日本倶楽部』となっているので間違うことはない。

 ところが2年前は出席するつもりでいたのに、怪我のため欠席せざるを得なかった。それは軽井沢から碓氷峠越えのバスを降りて信越線横川駅へ乗り換えを急いでいたため、あわててバスからステップを踏み出した途端、足が伴わず、その場で倒れ、車止めに顔面をしたたかぶつけてしまったからである。大変な衝撃であった。それもそのはず顎の骨を折ってしまっていた。40日間、口を閉ざし、歯を固定するのが最良の治療であった。その間、歯の隙間にストローを差し込み流動食で耐えに耐えた。

 その前の年は長崎行き、昨年は近江八幡行きとかちあい、過去3年間は出席できなかった。そういう意味では4年ぶりだった。会はいつもどおり各自の5分間スピーチがあった。大体が健康法の話である。中でも、つまずいた話が三人ほどからあったように思う。それを聞きながら、二年前のことを思い出していた。自分はもうすでに2年前経験したことだから、皆んなより早く歳をとっているんだなあーという思いであった。その中で一人の方が秀句を紹介してくださった。

 新涼や さびしさとして 在る身体

 中々味わい深い句である。なおあともう一句紹介してくださった。

 僅かなる 睫毛の陣地 夏化粧

 高校時代の彼女を知っているだけに、より一層身に迫った。同窓生は三時から二時間程度会食し、二次会にもそのままなだれ込む。いつもはそこで帰ってくるのだが、そのあと一人の方と喫茶店に立ち寄り、話合った。彼のうちに、キリスト信仰を知りたいという思いがおありのように拝見していたからである。もちろん、無神論者の彼にとっては神の存在は荒唐無稽以外のなにものでもない。橋渡しをすべき私にも知恵はない。結局、科学万能主義者であった私が、どのようにして50年前に、主なる神様を信じたか証をするしかなかった。

 まだまだ語り合いたかったが、時間も遅く別れざるを得なかった。お互いにがっちり握手をして。ほぼ一時間半ほど電車に乗り、夜道を急いだ。土曜日は風も出てきて冷え込みも厳しかった。線路沿いの10数分通い慣れた道であった。ところが漆黒と言ってもいいところがあった。そこで躓いた。2年前よりは衝撃は小さかった。夜闇にもかかわらず、前につんのめって倒れた様を身近に目撃しておられたのだろうか、一人の若い女性が心配そうに駆け寄ってくれた。「大丈夫です」と答えて、家までたどり着くことにした。

 そこから携帯で家内に連絡するという選択肢もあったが、結局7、8分あまり歩いて家にたどり着いた。口内に出血があり、血液サラサラの薬の常用の心配が頭をよぎり、救急車で、顎骨折でお世話になった病院に運んでいただいた。幸い、傷は唇を切った程度で、左足膝、右肘に痛みが少々ある程度で済んだ。家内は日頃から「夜道を歩くのはやめてほしい」と、言っていた。ましてや、今日の同窓生は一様に「つまずかないように」と口を酸っぱくして言っていた。

 家内の言はこれまでほとんど無視していたが、数時間前に聞かされた同窓生のことばとあいまって、自らの体力の衰えを痛感せずにはおれない。

 イエス様は冒頭の聖句にあるように「つまずきが起こることは避けられない」とおっしゃりながら、返す刀で、「つまずきをもたらす者は忌まわしいものです」とおっしゃっている。「忠告」を「忠告」と受け取らない己が姿は、やはりつまずきを知らず知らずに人様に与えて平気でいることの裏返しかもしれない。振り返れば、二、三日前に下記のみことばをとおして、「力と愛」の霊だけでなく、「慎み」の霊をもいただいていることに無自覚であった自分を示されていたばかりであった。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(2テモテ1:7)

2019年12月1日日曜日

すれちがいの人生(下)

都電にて 嫗のこころ 乗せ来るに 娘心は チョコ手づくり
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。ーー主の御告げ。ーー天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ55:8〜9)

 「すれちがい」は人間同士の間で絶えず、生じる。しかし、それに対して一々腹を立てていたのでは、愛は成熟しない。

 さて、以下私自身が38年前に経験したことを書いてみる。今年は、今日12月1日が日曜日となったが、38年前は11月29日が日曜日であった。日曜日の教会での礼拝に出席し、午後の教会行事も手際よく処理し、大学付属病院に入院中の父を見舞うために道を急いでいた。何しろ、その病院は遠方にあり、電車でほぼ二時間余かかるところにあった。

 その6日前の勤労感謝の日には、家族揃って見舞い、父にも喜ばれ、それまでの人生でもっとも心の落ち着く幸いな一時を過ごすことができた。祈りを拒否するであろうと思われた父も頭(こうべ)を垂れて子どもたち五人を交え、私たち夫婦と合わせて8人で祈ることができたからである。その時の私の祈りは、「主なる神様、あなたが、お父さんの病の中にいてください」というものだった。不思議と「病を治してください」ではなかった。

 そうして樹木が林立する、小高い丘状に位置するそのサナトリウムを私たちはあとにした。互いに手を振って、「また来るよ」、「また来いよ」といつまでも呼び交わしたい名残惜しい、けれども何か希望の湧いてくるようなひと時を経験させていただいたのだ。

 ところが、私はその日曜日、まだ一週間と経たない日時ではあったが、忙しいスケジュールの間隙を縫って、一人ではあったが再び慰問を敢行した。道々、父の好物と思われるお菓子などを買い集めて、遠くでさびしくしているであろう父を喜ばせようとひとしきり道を急いだのだった。

 ところがつい一週間前のサナトリウムの外観たたずまいではあったが、病院内では人の動きが激しかった。その内、院内の方々の視線は私が院内に入る動きに自然と収斂した。婦長らしき方が「今朝は元気だったのですが・・・。お宅に何度かお電話したのですが・・・」と言われる。そして霊安室に案内された。父に対面した。

 父の遺骸は教会の友人が車を出してくれ、三人がかりで時間をかけて深夜教会まで運び入れることができた。よもやと思ったが、牧師さんが教会で葬儀をやるべしと言い、実行してくださった。あれやこれやで一両日あるいはもっとかもしれないが時は過ぎて行った。ある時は一日中泣き明かした。いくら泣いても泣き足りない思いだった。そのうちふっと苦境にある時に絶えず示されるみことばに目が釘付けされた。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

 そうだ、父は、(福音を受け入れることに対して頑固だった)父は、主のあわれみで私たちより一足先に天の御国に行ったのだ。日曜日は「天下御免の寝て曜日」でないか、お前は何で「日曜日」は教会で礼拝しなければならないとがんばるのだ、と公私とも多忙な私の体を心配して言っていた。ある時など、父が瀕死の重傷を負ったにもかかわらず、たまたまその日が日曜日であったので駆け付けなかった時もあったほどの律法主義者であった私。父は召される日の朝、この日は息子家族は教会で礼拝をささげていることを間違い無く知っていたはずだ。

 そして、何か父に先を越されたと思い、天晴(あっぱれ)とさえ思った。こんなすばらしい福音をもっともっと多くの人に知っていただきたいと思い、それまでどちらかというと内向きの奉仕であった教会会計の奉仕をやめさせていただき、伝道の奉仕へと牧師に願い出て奉仕分担を変えてもらった。

 「すれちがい」と言えば、これほどの父子のすれちがいはないのでないか。人間的に言えば、一直線に私を愛してやまなかった父に対し、私は親不孝そのものだった。すれちがいの元凶だった。しかし主なる神様はまさにこの人間の愚かな行為のうちにちゃんとご自身の計画をもっておられるのだ。問題は鈍い私が知らなかっただけだった。

2019年11月30日土曜日

すれちがいの人生(中)

2019.11.25 A.M.6:33
愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。(箴言12:16)

 家内は家内で、私がこの日、帰ってくるらしいことは承知していた。しかし、何時ごろ帰ってくるかは知らなかった。多分いつも夜帰ってくるから、その頃だと高を括っていた。まして鍵を持っていないとは想像もしなかった。

 当日は一人で重篤のYさん(95歳)を、自転車でU病院へと20数分かけて出かけ、見舞っていた。苦しそうで、前回お訪ねした時とはちがい、随分弱っておられた。みことばを読んでお祈りしたが、アーメンと言われたのかどうか。ただ最後に「ありがとう」と言われた、ということだった。

 そのあと、美容院へ出掛けた。帰ってみて、私が帰っていること、しかも玄関先に荷物が置いてあることから、私が締め出しを喰らった事を初めて知った。あわてて私の携帯に電話したが通じなかった。私のiPhoneはすでに完全な電池切れの状態であった。

 今にして思うと、家内は典型的なアナログ人間で、私はデジタル人間。擦れ違いは早朝からすでに始まっていたのだ。LINEは家族が重宝しているとは言え、家内は全く関心がない。私の方で見るようにやかましく言って、やっと重い腰をやっこらさっと上げて参加するのが常日頃の所作である。こちらが午前7時半ごろデジタルで発信していると言っても全く通じていなかったのだ。

 問題は、そのあとだ。事態を知った私は数分前の家内への愛、感謝に満ち溢れてかけずりまわったこともそっちのけに、怒り心頭に喫して、あることないこと次々に繰り出しては、心ならずも亭主に締め出しを食わせた形になった家内を責めにかかった。とうとう最後は「ごめんなさい」の一言もないと言い張り、自らの「要求」を勝ち取った。「夫婦喧嘩は犬も食わない」とよく言うが、数分前までは野良犬同然だった私はとんでもない自己主張の権化と化した。

 考えてみると、数十年前、まだ結婚する3、4年前、京都駅前で朝、お互いに会う約束をしていたが、会ったのは午後4時ごろであった。私は約束の時間に彼女が現れなかったので、もう二人の関係はこれで終わりだと思った。でもあきらめきれなかったのも事実だ。止むを得ず、私は岡崎の美術館に行った。その時何をみたか覚えていない。上の空だったのだろう。ところが4時ごろ、当時まだ存在した京都駅構内観光デパートの階段を降りてくる彼女、憔悴仕切った彼女が、その時帰りを急いで階段を上がろうとしていた私の視界に入って来た。うれしかった。

 聞いてみると、彼女もまた岡崎美術館に行っていたということだった。ところでなぜ時間通り来なかったの?と聞いてみると、途中友人に会ってつい話し込んで遅れてしまった、と言った。こちらは関東からわざわざそのために来ているというのに・・・。人生には擦れ違いはつきものである。

 しかし、主なる神様がおられる。その方はすべての時、場所を支配し運行されている。そう考えれば、擦れ違いは本来あり得ないことでないか。そう思うのが私のうちに巣食っているエゴ、罪であることを改めて知る。冒頭のみことばの前半部は私自身の浅ましい姿そのもの、後半部はイエス様ご自身の姿である。

 明日は父の最後と自らの擦れ違いを書いてみよう。ちょうど中曽根康弘氏が亡くなったことが伝わって来た。政界の「青年将校」と言われた中曽根氏は総理大臣にまでなり、101歳まで生きられた。そう言えば一昨日前橋の知人の葬儀に出席したが、弔電のトップは御子息の中曽根弘文氏だった。

2019年11月29日金曜日

すれちがいの人生(上)

近江・能登川近郊 2019.11.24

愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。(箴言12:13)

 朝7時半ごろ、家族の愛用しているLINEに、米原駅を出発した旨、書き込んだ。午後4時過ぎ、大宮駅から荷物があるので家人に迎えに来てもらうために携帯に電話した。残念ながら通じなかった。この時点で私のiPhoneは電池切れ寸前であった。

 結局連絡できないまま、駅から自宅まで歩いて帰った。もともと出発の時点で歩いて出かけているのだから何ら不都合なことはない。ところが、玄関先は暗く、鍵がかかっていた。常時外出時には合鍵を持って出ることにしている。ところがその日に限って三日前の早朝出発時に急いでいたためもあり、不覚にも合鍵不持参であった。

 家の前でうろうろ歩くか、腰を据えて待つことにするか。二つに一つだ。確かにそのどちらも試みてみた。しかし、五分待てども帰って来ない。夕食のために買い物に出掛けたのだ。それなら、荷物はひとまず玄関先に置いて、そちらの方へと歩を進めた。もちろん歩を進めるという気楽なものではない。すでに長時間列車の旅で疲れ切っている身にとってはかなり応える歩行業となった。

 ところが、いつも今頃行くであろうと思う二軒のお店に行っても見つからなかった。この時点で、多分擦れ違いになったのだと悟り公衆電話を使って家に電話をしたが、空しく発信音が繰り返されるだけであった。

 そうこうしているうちに3、40分経ったであろうか。このごろのこととて日没も早く、その上、ぽつりぽつり雨が落ちて来た。さてどうしたものかと戻って来た玄関先で再び思案した。その内、天啓のごとく閃いた思いが浮かび上がった。そうだ、家内は私の荷物が重いのを気にしていたから、駅へ迎えついでにそちらのお店二軒に買い物に行き、駅前で待つつもりだという考えだった。

 それは申し訳ないと、再び雨中を顧みず、雨傘を持ってもう一度駅まで戻った。暗闇の中、健気に主人の帰りを待っている家内を想像しながら、道を急いだ。ところが残念ながらそこにもいなかった。これは完全な擦れ違いに違いない。そうは思っても携帯が使えないのは何といっても歯痒かった。再び駅前の公衆電話から家に電話したが、相変わらず通じなかった。

 様々な努力をしたが結局二時間弱、外をほっつき歩きまわっている野良犬同然の思いだった。六時過ぎ家に戻ったら、明かりがついており、もちろん鍵は開いていた。やっと家に入れた。あとがいけなかった。家内が家にいなかったのは私が想像していたいずれでもなかった。

  振り返ってみれば今日11月29日は父が1981年に召された日だ。あの日こそとんでもない擦れ違いだった。

2019年11月9日土曜日

天国の人名簿

長野県御代田町(2019.11.2)

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。・・・(マタイ5:3〜12)

 山上の垂訓は、わたしたちの主イエス・キリストの、記録された最も長い説教である。(略)山上の垂訓の最初の言葉に、キリストの人名録がある。この名簿に登録を許される資格は、この世の標準で判断されれば、奇妙で独特なものである。(略)

 まず最初に、イエスは心の貧しい者、みずからの霊的な絶望と要求とを感じる者の名をしるしておられる。これは、人は罪深くきよくない者であるから、功績によっては、救われないことを示すものである。彼らは、救いは恩恵によってのみ自分のものになることを知っている。こうした者に天国は約束されている。

 次にイエスは、悲しむ者を名ざしておられる。彼らは自分の罪に泣き、イエス・キリストの血がすべての罪から彼らをきよめて下さるという福音によって、慰められる者である。

 次に来るのは、たといわたしたちが高貴な身分であっても、自らの救いについて誇りうる者はだれひとりもいないということを知っている、柔和な謙遜な人である。神の恩恵は、わたしたちを神の国に招き、神の福音はわたしたちを信仰にみちびいてくれる。これは高価なものであるーーそれが神のものであるにもかかわらず、特権として受けて自分のものとなるのである。

 名簿の中には、次に義に飢えかわく者が続いている。彼らはキリストにおける神の愛を十分感知して、神に喜ばれることを行おうと切望し、努めている。彼らは満足し、神に報いる奉仕によって、最大の喜びを見いだすであろう。

 次に登録されているのは、あわれみ深い人である。彼らは親切であり、忍耐強く、思慮深い。彼らは苦しむ者とともに苦しむ。彼らはその新生した心の善良さから、善を行なう。彼らは親切をもって報い、あわれみが彼らに現われている。

 この名簿は、心の清い人がいなくては完全ではありえない。彼らの中には、わるがしこさも策略も見られない。口だけの礼拝は、このような人々には無関心である。彼らは神を見るであろう。

 記録はさらに、平和をつくり出す人たちをも含んでいる。わたしたちは、彼らを必要とする。彼らは生活をなめらかにし、摩擦をしずめる。神は彼らを、神の特別な子らと呼びたもう。彼らは家庭においても、教会においても、また国家にあっても、ものごとを円滑におさめるので、神に特に愛される者である。

 最後に、多くの迫害されてきた人たちが、キリストの名簿にしるされている。なぜなら、この世は、彼らをののしり、またきらったが、彼らはキリストを救い主また主として、告白した神の民だからである。あらゆる種類の虚偽と非難とが、彼らに計画的に投げつけられた。生活はきびしく、にがく、危険であった。しかし、彼らはどんなことにも屈せず、かえって喜んだのである。なぜなら彼らの名は生命の書に書かれているからだ。

祈り

 恵み深き主よ、あなたの恵みのうちに日々わたしを支えて下さい。罪をゆるし、正しい道にわたしをみちびいて下さい。生命の書にわたしの名が書きしるされている確かさをもって、慰めて下さい。わたしはわが主、わが救い主であるイエス・キリストによって、あなたから選ばれた者です。アァメン

(『聖書の黙想 第一巻マタイの福音書』アルフレッド・ドーフラー著矢野英武訳55〜59頁より抜粋引用。余談だが、そもそもこの本はその名も「復活書店」という知る人ぞ知る、名にしおう書店で数年前に100円で求めたものである。店主の方が今病に伏しておられることを2、3日前に知り、祈りの友の間でこの方のために祈り始めた。)

2019年10月30日水曜日

U病院への往復

琵琶湖東岸から西岸・比良山を望んで(2019.10.26)

 1981年11月29日、父が召された。その2ヶ月ほど前までは、市内のU病院に預かっていただいた。父は、今で言う、認知症を患っていた。69歳であった。当方は働き盛りの38歳であった。認知症の父を朝に夕に自宅からほぼ4キロほど離れている病院へと日参した。自転車での往復は雨が降ろうと降らなかろうと繰り返した。妻は二往復する場合もあった。しかし二人とも弱音は吐かなかった。吐いてはいられなかった。それしか道がなかったからである。しかし今から考えてみると、その時妻は6月に末娘を出産したばかりである。そんな体でよくも通い続けたと思う。

 それ以来、その道を通るのも嫌だった。その時の苦しい経験が思い出されるし、明らかに当方の体力が落ちていることを嫌が上にも自覚させられるからである。ところが、昨日、一人の青年から電話が入った。95歳の祖母が施設から病気のためU病院に入院した。大分衰弱が激しい、と。その青年とは面識はなかったが、祖母である方とは数十年にわたる信仰の友である間柄であり、つい2ヶ月前にもお訪ねしていた。

 今日、取るものも取り合えず、U病院に行くことを決心した。妻の方から言い出した。二人で自転車で出かけるのも久しぶりであった。しかし、それ以上にU病院に出かけるのは実に父の入院時以来である。38年という年数が経過しているのだ。10年ひと昔と言うが、大変な年月の経ちようである。その間、二人して良くも健康に恵まれたものだと感謝する。幸い、入院中の方と会話を交わすことができた。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
         (イザヤ41:10)

 の、みことばを枕辺でお読みし、お祈りした。大きな声で「アーメン」と言われた。考えてみると、昨日は尊敬する緒方貞子さんが亡くなったこと、またその前日には八千草薫さんが亡くなり、テレビで石坂浩二が「もう二度とあの声が聞こえないと思うと・・・」と涙を流されている様が流れた。愛する者との死別ほど悲しいものはない。そのような中で、死を目前にしても、なお「わたしの義の右の手で、あなたを守る」と言われるイエス様に頼れる信仰ほど強いものはないと思わされて辞した。

 元気が与えられ、別の方が入所されているN施設が程近いところにあるので、二人してお訪ねしようということになった。この方はこのブログでも何回か紹介している方だが、私と同年で優秀な方であったが脳梗塞が発端で今は体が不自由で言語も不明瞭になっておられる方だ。その方を覚え、一人の方がいつも週に一度の便りを出しておられる。肉の糧と霊の糧を満載された便りである。ところがどういうわけか今週は届いていなかった。

 この方をお訪ねするときは、大体病床から電話で、その便りを出しておられる方も交えて三人でお話しする。まさに私に言わせるとiPhone様様だ。早速お電話で便りが届いていない旨話す。そんなはずはないと言われるとおり、その後、事務所から「便り」が届く。三人して、ワっとばかり飛びつく。まずは肉の糧!そして霊の糧

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
           (詩篇23:4)

 ここでも祈る。彼はまたしても私の後について祈られた。そして「アーメン」と言われた。感謝であった。帰りに次女のお世話になった先生のお宅に立ち寄らせていただき、玄関で「あなたとともに(みことばの花束集)」をお渡しした。奥様のお顔はいつになく平安で、闘病中のご主人も病と向き合って生活しておられるとお聞きし、私たちは感謝して辞去させていただいた。

 この間わずか数時間、本来はU病院訪問が目的であったが、次々とイエス様を信じていなければ持ち得ない三組の方々とのお交わりが与えられた。38年前の苦しみの日々はもはやすっかり過去となってしまっていたが、その日々も主がともにいてくださり、私たちの人生に考えられない恵み(次女の誕生と父の召天)をくださったことを改めて思い出すU病院行きであった。

2019年10月11日金曜日

『富士日記』の余韻


あなたがたは、私が、きょう、あなたに命じるすべての命令を守りなさい。そうすれば、あなたがたは、強くなり、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地を所有することができ、また、主があなたがたの先祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われた地、乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。(申命記11:8〜9)

 やっと、全三冊からなる『富士日記』(武田百合子著)を読み終えた。確かに良い作品である。一言で言うとすれば、そこには「いのち」の尊さが描かれているのだ。たとえば、中巻にあるこんな記事だ。

昭和42年7月13日の日記。そこに古い新聞の投書記事が書き写されていた。

 「5月28日附毎日新聞、投書欄より
 ミツバチがやってきたら・・・作家大江賢次 61
 大都会でミツバチの群れがきて殺虫剤で退治したというニュースのたびごと、ベトナムと同様、人間の無知さに心が寒くなります。いまは花どき、全国の養蜂家たちが春はじめ鹿児島から、花を追って北海道までトラックで移動して、聖書にもあるとおり、流れるミツを集めています。
 花どきの今の季節がかき入れどきで、わずか三週間しか生きていない働きバチは、一つの箱から分封します。前の女王バチが新しい女王バチに王座をゆずり、別天地を求めているのです。
 この時期のミツバチは刺しません。体にとまっても大丈夫。あわてて手で払ったりしない限り、飼主の人間を恋い慕っているのです。球型(女王バチを護衛して丸くなる)になったら、警察に届け、警官もあわてずに噴霧器で羽をぬらし、袋で押さえて保管して、近隣の養蜂家に渡してください。一群二万、一匹で千五百の花をまわって、やっと米粒ほどのミツを集めるのです。」

そして同年7月18日が次の日記だ。

 「ポコ死ぬ。6歳。庭に埋める。
 もう、怖いことも、苦しいことも、水を飲みたいことも、叱られることもない。魂が空へ昇るといことが、もし本当なら、早く昇って楽におなり。」

 このように、生けるものの「生と死」が作者特有の観察眼で描かれている。ポコの死については、その後一年以上、事あるごとに涙を流す著者がいる。そして同書の下巻は昭和51年の9月21日の日記をもって終わるが、糖尿病のために日増しに山荘での生活は困難になり、とうとう肝臓が腫れ赤坂に帰り入院を待つばかりになってしまったご主人の最後の生の姿がありのまま描かれる。この後、武田泰淳は10月5日に亡くなる。

 愛犬ポコの死に注がれた痛切の涙は、百合子にとってその全存在とも言っていい泰淳に注がれるのは言うを俟たない。しかしこの日記はあくまでも生を全うした武田泰淳、その衰えゆく夫をいとおしみ愛し抜く百合子の証の書でもある。その中で都会人が、また筆の人が、地の人(山国の人)といかに親しく交わったか、随所に登場するリスや兎・鼠・イタチ、鳥との交流を挟みながら日記という形で次々進行していく。規則正しく書き留められる、食事の詳細、買い物にあらわされる支出は、それだけで忠実に消費のすさまじさをあらわして、旺盛な生きる力の証である。しかしそこには生の裏側にある死の影が見え隠れする。正直に人が生きる限りこのことに人は無感覚ではいられないはずだ。

 そして、下巻の昭和51年(1976年)の日記中におびただしいミホさん宛に百合子が何度も手紙を書こうとしていたことが記録されていた。

「○夜、ミホさん〔島尾敏雄夫人〕に手紙を書きはじめ、しばらく書いて破る。(8月3日)
 ○テレビのお国自慢なんかという番組で名瀬からの放送をやっていた。名瀬の少女が沖縄の歌を歌ったが、利発そうな美しい顔だちと礼儀正しいふるまいと真っ直ぐに向いた光る目が、ミホさんの少女の頃はこんな風だったろうと思わせた。(8月4日)
夜、裏返しのワンピースを縫い上げる。ミホさんに手紙を書きはじめてやめる。眠くなる。(8月9日)
 ○新潮社パーティーのときの写真が送られて来た。「俺、やせたんだなあ、洋服がぶかぶかで天皇みたい」と何度も写真を眺めて言う。秋から和服きて会に行こうかなあ、と言う。「島尾さんのミホさんから頂いた大島紬が揃っているから、大丈夫だよ。・・・(8月28日)
 ○夜、ミホさんに手紙を書いてやめる。「秋風秋雨人を愁殺すって、本当に秋瑾(しゅうきん)が死ぬときにいったの? うまいこというなあ」と降りこめられて、主人のそばにねころんできくと、「本当にいったかどうかは判らない」と笑いながら言う。」

 ミホ宛に何を伝えようとしていたのか、また実際その手紙は投函されたのか一切わからない。

 一方、次のような聖書に関連する二つの記事もある。
先ず、昭和45年9月30日だ。

「夜、ノンフィクションアワーで、アラビアのベドゥイン族を見る。聖書の世界をみているようだ。」

極めつきは、同年11月9日だ。

「昨夜の夢
 桟橋にノアの方舟が着いて、それに皆乗りこんでしまった。方舟は白くて豪華客船のようだった。乗りこんだ人たちは何故かどこにも見えなくて船はひっそりしているが、たしかに、さっき、皆乗りこんでしまって私だけ残って佇ってみている。嘘をついた人は残ることになると役人のような係の人がいったから私は「はい」といって残った。そしたら私と猫だけが残っていて、あとは皆乗ってしまった。私と猫200匹位だけ残って船をぼんやり見ていた。」

 これだけでは何のことかさっぱりわからないだろう。しかし私は今日掲げた見出しの絵を思い、百合子の「ノアの方舟」に対するアイロニーを読みこんだが、このような人に福音はキチンと伝えられなかったのかと思う。

 最後に島尾ミホと武田百合子のつながりについて、『狂うひと』(梯久美子著)と『富士日記』を読んだ後、知ったことを記念に記しておく。

第15回(1975年)田村俊子賞受賞者 島尾ミホ『海辺の生と死』

第17回(1977年)田村俊子賞受賞者 武田百合子『富士日記』

 すなわち、武田泰淳・百合子夫妻は島尾敏雄・ミホ夫妻とは文士仲間として互いに親しい先輩・後輩の間柄であったようだが、武田泰淳は田村俊子賞の選考委員の一人として島尾ミホが書いた『海辺の生と死』を推薦したが、その翌年1976年に亡くなっている。そしてそこにいたるまでの一部始終を書いた百合子の『富士日記』が田村俊子賞の1977年の受賞作品となっているという不思議な巡り合わせである。島尾夫妻は絶えず人の罪を見つめて来た作家である。武田泰淳はもと僧籍の身ではあったが、様々な人生経験を経て夫妻ともども、罪と罰の問題には無縁ではなかった。一人娘はミッションに進学させている。

2019年10月10日木曜日

読書日記(下)


「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげ(棘)はどこにあるのか」死のとげ(棘)は罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。(1コリント15:55〜57口語訳)

 こうして三冊本からなる『富士日記』の読書は今も続いており、やっと下巻にたどりついたというところだ。一方、聖書は日々手にしている。聖書の記述が奥深いものでありいのちの糧であることは言うまでもないが、この『富士日記』には人間生活の機微に触れた素晴らしさがある。そう言えば、加藤典洋もまた『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)という本の中で彼女の日記について

 荷風の日記が日本の戦前を代表する日記とすれば、戦後の日記を代表するのは武田百合子の『富士日記』か。・・・多くの記述は、日々の出来事、そしてその日その日の献立、買い物。しかし、これが面白い。読むとやめられない。

とまで書いている(同書67頁)。

 ところで、私はその本を読むかたわら、集会に来られた一人の方が『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著 新潮社)を読んでいると言われたので、読み始めた。何しろ650頁からなる大部の本で読むのに少々骨が折れた。しかし、この本もまた戦前から戦後に至る日本人を見舞った戦禍の傷痕に個人がいかに苦しむかということと、男女間のどうすることもできない愛欲の葛藤、また家族とは何かということについて一つの肖像を描いているともいうべき作品であった。

 ところが、事もあろうことか、その本の中で次のような叙述があった。

国府台病院の精神科病棟に入院中だったミホが、武田泰淳の妻・百合子に書き送った手紙には、親から離れて先に奄美に行くことになった子どもたちのために、阿川が靴を贈ってくれ、伸三とマヤはそれを履いて旅立ったことが書かれている。(同書567頁)

 ミホが入院していたのは1955年、36歳の時、その時、『富士日記』の著者武田百合子は30歳である。そんな古い昔から手紙をやり取りする間柄であったのだ。

 それだけではない。『富士日記』(中巻)の文庫本のあとがきに、しまおまほさん(恐らく島尾夫妻のお孫さんにあたるのだろう)の「加計呂麻日記」2019年5月3日から6日の様子が記されていたのである。ここまで来ると単なる読書の域を越えて私の読書そのものを導いておられる不思議な神様の摂理のようなものを感じるのである。

 逆に言えば、文士の世界も極めて狭いものであることがわかる。武田泰淳氏は芸術院会員になることを断った。一方島尾敏雄氏も一旦は芸術院会員になることを断った。彼らがそのことにこだわるのは戦争がらみの自らの国家に対する個人としての矜持があったからである。そして芸術院会員になることを文士仲間では「入院」と言うそうだ。ところが島尾敏雄はその最初の折角の志を捨てて、途中から「入院」したのだ。それは芸術院会員になれば年金がもらえるからという理由であった。すなわち、自分の死後病妻である妻の生活を支えられると思い、いやだった芸術院会員になることを受け入れたのだ。しかしそこには島尾氏の誤算があった。それはその年金は彼一身であって、彼が死んでしまえばもらえないということを迂闊にも知らなかったのである。結局島尾ミホさんは20年余り生きるのである。その上、作家として・・・。人生の妙である。

 こうした事情があり、本同士が密接に絡み合っていることを発見した。私は今まだ読んではいないが、『成城だより』(大岡昇平)を図書館からもう一冊借りている。大岡は武田の親友だ。そして『富士日記』には、武田に導かれて富士山麓に山荘を構えることになる大岡夫妻との交流が毎日のように描かれている。この大岡の代表作である『レイテ戦記』は私の書棚に読まれずして、数十年間久しく眠ったままである。この『レイテ戦記』は日本軍兵士としてフイリピンの人たちにどのようにかかわったのか、その正直な記録であるはずだと思う。この年代になってやっと読むにふさわしい時が来たように思う。近い将来読破したいと思っている。そして、今一度「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目である」(ヴァイツゼッカー)の名言を思うている。自らの過去は主なる神様の前で明白である。一つ一つ謙虚にならざるを得ない。

 読書は果てしない。人間が生きる限り続く生への執着がそうさせるのだと思う。一方で、読書はやはり人がまことの宝を探し求めて歩み続ける生業(なりわい)からくるのでないだろうか。そうとも思う。その二つの微妙なバランスを喝破しているハレスビーの文章を最後に写しておく。一つは新約聖書ヤコブ書1:14に範をとったもの。

 私たちは失敗したのです。私たちの勇気が足りなかったのです。私たちは崇高なものを慕い求めたり、希望したり、考えたり、話したりすることはできたのですが、生きることができなかったのです。なぜならば、生きることは、誘惑されるということですから。(O.ハレスビー『みことばの糧』10月6日からの抜粋)

 今一つは、今日の『みことばの糧』の箇所マタイ13:44にちなんだもの。

 少数の人は、親戚や友だちをとおして、キリスト教と何らかの関係を保っています。しかし、キリスト教を有益なものとは、一度も思ったことはありません。むしろ避けえない災だと考えています。彼らは、何事も順調に行くためには、自分たちもいつかは、キリスト者にならねばならない、と本能的に感じています。けれども、それは事情のゆるす限りあとまわしにします。彼らには宝が見えないのです。ああ、恵みに富たもう神、全能の神よ。この国の人々にあわれみをたれたまえ。(O.ハレスビー『みことばの糧』10月10日からの抜粋)

2019年10月9日水曜日

読書日記(上)

「もの思い」(谷口幸三郎作)
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ6:26〜27)

 今年の夏は昨年に増して暑かった。来年の夏のことを思うとぞっとする。しかしこんなことを書くのも健康に恵まれているからだろう。今病床で死を前にして苦しんでいる人には何の慰めにもならない言い草だ。

 この夏、ブログが更新できなかったのはその暑さのせいもあるが、もう一方で、何人かの方々の著作を読み、個人的には様々な境涯にあり、そのことを考え続けたからである。個人的なことは語れないが、読んだ著作のことなら語れる。その始めとなったのが、図書館で目にした『群像』9月号の高橋源一郎の「彼は私に人が死ぬということがどういうことであるかを教えてくれた」という長い題名を持つ論考であった。その末尾に彼はこの追悼文の相手である加藤典洋氏の手になる著作『人類が永遠に続くのでないとしたら』のあとがきの文章を次のように紹介していた。

「この本を書くなかで、私の環境にも変化があった。それは、息子の加藤良が昨年2013年の1月14日、不慮の事故で死んだことである。享年35歳。このことで、私は突然、この世に自分がひとり、取り残されたと感じた。
 彼は私に人が死ぬということがどういうことであるかを教えてくれた。
 それは人が生きるとはどういうことか、ということでもある。彼の死がその後は、私が右のことを考え続けるもう一つの理由になった。この本に、彼の存在の影がいささかなりとさしていることを、遺された者の一人として願っている」

 加藤典洋氏の存在を知っていたが、それ以上は知らなかった。しかし、この一文がきっかけとなり、能う限り彼の本を次々読んでいった。戦後の日本社会の歩みを理解していたつもりの自分にとって刺激の多い諸著作であった。と同時に東京新聞夕刊の「この道」の連載記事は加藤登紀子氏から西村京太郎に移っていった。そして推理小説の書き手であるとしか知らなかった西村京太郎氏の叙述を通して具体的な戦前から戦後への人心の変化を知るように変えられていった。

 そんなおりさらに図書館で『富士日記』(武田百合子著)に出会った。この本は戦後というより、高度成長時代も終わり翳りを見せる、しかし安定期に差し掛かっている時代の中で作家として円熟期にあり、それゆえ経済的に恵まれ、富士山麓に山荘を持つ武田泰淳夫妻の妻側から見た毎日の出来事が淡々と書かれている作品である。そこには生きた人間が次々彼女の筆をとおして読み手である私に伝わってきて手放すことのできない本になってしまい、今だに下巻を読んでいる始末だ。

 昭和39年から昭和41年の長い日記(上巻)の中に、一箇所、富士山の夕日であっただろうか、それを目にして思わず、創造主に対する畏敬の念が吐露されているところがあるのをみてびっくりした。それは百合子が聖書に接している不思議さを感じた瞬間であった。そして中巻に入って、百合子が愛犬の死に自らの罪責感で泣き暮らす様子が描かれ、それは年単位でその悲しみがあらわされるほどの悲しみようであり、私にとって作者の愛の心を逆に推し量るものとなった。

 その中巻の303頁、昭和43年5月22日の記事に次のような文章があった。

 私がまだ起きないうちの出来事。〈便所にいると、上の松の根元あたりで、がさがさ大きな音がする。大きな鳥でもきているのかと窓から覗くと、黒っぽい兎とイタチが死に物狂いで格闘していて、兎は噛まれたらしい。兎とイタチはもつれるように下の方へ走ってゆき、また兎だけ石段をよたよたと戻って上っていった。年とった兎らしかった〉と主人は話した。
 野の鳥獣は楽ではないねえ。獣は病気をしても看病してももらうこともなく、私は病気になりましたと発表することもなく、じっと死んでゆく。年とっても一人でじっと年をとるだけだ。病気をしたり、年寄りだったりすれば、歩いているだけで、すぐ襲いかかられる。噛み殺されるか。穴の中で動けなくなって死んでゆく。エス様は「空の鳥を見よ」とおっしゃるが。

 ここにもエス様と様づけで呼ばれているという発見であった。ひとり娘花子さんを立教女学院に進学させているようだから、決して福音に接していなかったとは言い難い人であったことが想像される。もっとも人は福音を聞くこと以上に福音を受け入れることが大切なのだが・・・

(今日の図柄は、この前、9/20~10.2まで京都で開催された畏友谷口幸三郎氏の個展の案内葉書を採用させていただいた。この幸三郎氏もつい二、三年前、立教女学院で大切な仕事をしておられた。)

2019年8月29日木曜日

やみの中を歩いても

ドイツ・フュッセン近郊の湖(?) 2005.10.21

なぜならば、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。(コリント人への第二の手紙4:17)

 パウロの生涯の大部分は、重く患難がのしかかっていましたけれども、彼は歌っています。だれもパウロのたたえの歌の中に、悲嘆をみつけることはできません。パウロの讃美の歌には不協和な音はありません。苦難にあっても、パウロは喜んで言っています。「なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。

 聖書は、わたしたちが人生においてぶつかる患難について、いろいろと言っています。一つには、苦難はわたしたちを正しくするものであると教えています。「主は愛する者を訓練し」、すなわち、神はわたしたちの人生の歩みにおいて、わたしたちを鍛錬なさるのです。

 聖書はまた、患難は、キリストに従ってわたしたちが負う十字架のようなものであると言っています。すべての苦難が十字架ではありません。なぜなら、病気や不幸や苦しみは、キリストを信じない者にもわざわいだからです。しかし、わたしたちが負う十字架は、わたしたちの主のために耐えて負うものです。幼な子のような信仰をもってキリスト者が苦難を忍ぶとき、それは、救いの主に従って喜びと希望と忍耐をもって負う十字架となります。

 これらの患難は、多くの場合悲痛です。パウロも「肉体の一つのとげ」と言っているように、彼のからだをさいなむ、痛いものです。このような苦しみは、よくわたしたちを恐れさせます。そしてわたしたちは神が不公平だと思い、しばしばいらだったり、不満になります。わたしたちはこれまでにどれほど神の恵みをいただいたかを忘れ、またこれから先の栄光を見失ってしまうのです。

 患難は悲痛なものですけれども、パウロはこれを「軽い」と言っています。というわけは、この苦しみは今だけのことであり、物的なこの世の中だけのことであるからです。この苦しみや困難は、わたしたちから福音の与える祝福も希望も奪いとることはできません。また天国の栄光も永遠の命の恵みも、わたしから奪うことはできないのです。ですからパウロは「このしばらくの」ということを強く言っているのです。

 確かにこのような苦難が一生続くこともしばしばありますが、永遠の時に比べれば、人の一生は「このしばらくの」時でしかありません。けれども苦しみの時はとても長く思われれます。むすこの事故の詳しい知らせを待つ母親には、数分間が数日のように思われます。しかし、むすこがピクニックなどに行って楽しく過ごしていると、一日などはまたたくままにたってしまうのです。未来に待つ永遠の栄光を待ち望むならば、パウロが言うように、患難も軽く、またしばらくの間のことです。

 ですからわたしたちは、この世から目をあげて永遠を見つめるべきです。まだ見ぬ輝かしい約束にわたしたちは目を向けなくてはなりません。そうすればわたしたちはどんなものにも比較できないほどの永遠のたまものに囲まれていることに気づくでしょう。この世の今ぶつかっている苦労や困難も、永遠の宝と比べればとるにたりないほど軽いものなのです。

 しかし、もしわたしたちが未来に待つ栄光に目を向けるならば、当然神のみことばの中に表わされている神の約束に注意をはらうでしょう。人生のどんな困難にも試練にも耐え、喜んで忍ぶことができるのは、キリストを信じる者たちだけです。なぜならば、わたしたちの主、イエス・キリストに表わされた神の愛を、何者も奪うことができないということを知っているからです。人生のすべての苦しみや悩みにかこまれても、キリスト者は救世主のうちに力と希望とを見いだします。ですからパウロは「わたしに力を与えるイエス・キリストを通してわたしはすべてのことができるのである」と言っているのです。

 わたしは「いさおなきわれを」(讃美歌271番)というあの美しい讃美歌を書いたシャーロット・エリオットがもしも病気でなかったならば、けっしてあの歌を書けなかったであろうと信じています。病人用の車の付いたいすから立ちあがれないからだであっても、心にイエス・キリストをいだくならば、人生は暗やみではないことを学んだのでした。身動きもできない彼女は、こう書いています。

  苦しみと疑いのあらしに、うちとそとの戦いとおそれに、
  わたしはうちたたかれ、おののく。
  おお、神の小羊よ、いさおなきわれは、みもとに行く。

    祈り 

 おお主よ、この世の労苦と試練の戦いに疲れはて、わたしは力を失い、失意にうなだれています。どうぞあわれみ深い主よ、わたしの心をゆるがぬ信仰と大いなる満足と、大きな希望でみたしてください。どうぞわたしに日々あなたがじゅうぶんな力を与えてくださることを信じさせてください。そして神の子らには限りない栄光が与えられている真実を、わたしの心に覚えさせてください。信じる心で、「みこころのままに」と言うことができる者とさせてください。

 天の父よ、わたしは鏡の前に立ってもはっきりと見ることができず、なぜこれらの苦しみがわたしに与えられるのか、理解することができません。けれども、わたしはあなたを信頼し、あなたの約束を疑わず、わたしとわたしの家族にその約束が実現されることを確信いたします。静かな、休養の日をお与えください。わたしの罪をゆるして、わたしの信仰を強めてください。わたしを救うために十字架の苦しみを耐えて負ってくださった、わが主、わが救い主、イエス・キリストによってこれらのことを祈ります。 アーメン


(『いこいのみぎわ』A.ドーフラー著松尾紀子訳65〜70頁より引用。)

2019年8月22日木曜日

ゆるし6(ゆるす者とされ)

いじめられたり わるくちをいわれたときも
ともだちのために かみさまに
おいのりして ゆるしてあげなさい

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。(1ペテロ4:7〜9)

 ゆるすことは愛することとの関係によって、よく説明できよう。「愛を求める人は人のあやまちをゆるす」(箴言17:9)。「少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」(ルカ7:47)「互いにゆるし合え」。これは「わたしたちは互いに愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている」(第一ヨハネ4:7)とのことばに相当する。この「愛する」ということと、「ゆるす」ということとを、ほとんど同じ内容に聖書では使っている。

 更に第一ヨハネ4章のことばを続けよう。「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛(ゆるし)が明らかにされたのである。・・・わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛(ゆるし)がある。愛する者たちよ、神がこのようにわたしたちを愛して下さった(ゆるして下さった)のであるから、わたしたちも互いに愛し合う(ゆるし合う)べきである」(8〜11)。

 私たちは、この最後のことばに注意しなければならぬ。私たちが互いに愛し合うのは、「神がこのようにわたしたちを愛して下さったので」であって、「神がわたしたちを愛しておられるように」ではない。私たちが互いにゆるし合うのも、神がキリストの十字架上の死によって、ゆるされたようにではなく、キリストの死によって、ゆるされたからである。この愛と、このゆるしとは、神からのものであって、人間からのものではない。生まれながらの人間は、この愛も、このゆるしも知らない。人を愛するといっても、自分に利益があり、損をしないときであり、人をゆるすといっても、自分に損がなく、かえって、それによって、人にあがめられ、自分の面子が保たれているかぎりにおいてである。実にただ、キリストの十字架によって啓示したもうた愛とゆるしを、わたしのものとして経験し、これによって新しく生まれかわらされた者だけが、互いに愛しあい、敵をもゆるすことができる。「あなたがたは、実に、そうするように召されたのである。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである」(第一ペテロ2:21)

 私たちは山上の垂訓に、そして、日々の祈りの主の祈りに、自分に罪を犯す者をゆるすことを教えられ、そして、そうすることができるようにと、神に助けを求めている。しかし、自分に犯された小さな罪をゆるしたとしても、私たちはその小さなわざを、あたかも自分の偉大な功徳ででもあるように誤信し、人もそう評価しがちである。そのため私たちは、ゆるしてやった人に会うたびごとに、そのことを思い出し、恩にきせがちである。それではまだ、その人の罪をゆるしたことにはならない。神のゆるしは、その罪を全く忘れて、罪のないものとして対してくださるのである。

 私たちも、自分の行なう罪のゆるしの小さなわざが、いつ、どこで、だれに行なったかも、ことさらに自覚しないほどに、キリストのゆるしの中にあって、ごく自然に行なわれるようになりたい。いま、受難節にあたり、十字架のことばを瞑想するとき、わたしたちに、そして、家庭に、社会に、国家間に欠けているのは、この「ゆるし」ではなかろうか。このゆるしの福音に生きず、また宣べ伝えることにも怠慢な罪を、どうか、おゆるしくださいと、祈らざるをえない。

(『受難の黙想』20〜22頁より引用。以上で名尾耕作氏の「ゆるし」の引用は終わる。なお、ほとんどこの文意にもとづいて今週の日曜日多くの方を前に話をさせていただいた。)

2019年8月21日水曜日

ゆるし5(主に託された財産)


あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです。(ダニエル9:9)

 わたしたちはイエスがだれであり、何をなさったのかを知っている。それで、何を私たちはしなければならないのだろうか。

 「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい。互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい」(コロサイ3:12〜13)

 「主も、このようなはずかしめを受けて、私たちをゆるして下さったのだから、私たちも互いにゆるし合わなければならない」。単にイエスによる罪のゆるしを信ずるだけではなく、互いにゆるし合わなくてはならない。私たちは自分に犯された罪をイエスがなさったように、ゆるすことができるであろうか。それはできそうもない。しかし、それをやりなさいとイエスは命じておられる。ペテロでさえ、イエスに、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」と問うている。イエスはこれに対し、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」と答えて、あの有名な一万タラントの負債ある者が、自分がゆるされたのに、自分に百デナリ負債ある者をゆるさなかった話をされている。

 この話の重点は、主人が負債あるしもべを「あわれに思って」、彼をゆるしたことである。だから、「わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか」(マタイ18:21〜35)。あわれみがあって、ゆるすことができる。私たちが人をゆるすことができないのは、神のキリストをとおしてのあわれみとゆるしとを私のものとして経験していないからである。私たちが他人の罪をゆるすのは、私がゆるすのではなく、私の罪をゆるしてくださったイエスによって、ゆるしていただくのである。ステパノが祈っているように、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と。

 私たちは、さきの一万タラントの負債をしていたしもべと同じである。私たちは神に対して、自分がどんなことをしても払うことのできない負債をもっていたのであるが、あわれみとゆるしに富みたもう神(ダニエル9:9)は、私たちの負債をゆるしてくださったのである。私たちの財産といえば、このゆるされた負債である。人が私から借りる金は、この財産からである。この財産は自分のものとなっているが、さきに負債がゆるされているからである。この意味で、他人の負債をゆるすことのできるのは、自分の負債がゆるされている者だけである。神のあわれみを、その身に味わった者だけが、ほんとうに人をゆるすことができる。それは自分が獲得した財産によってではない。

(『受難の黙想』18〜19頁より引用)

2019年8月20日火曜日

ゆるし4(過越の小羊イエス)

主よ、感謝します!
わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしなさい。(ルカ22:8) 

「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」
     (詩篇130:3〜4)

 不義に対する神の刑罰を恐れるのが自然であるが、ここでは、かえって、その不義をゆるしてくださるので、神を「おそれかしこむ」と言っている。刑罰は人を殺し、ゆるしは人を生かす。私たちが神を愛し、神を恐れるのは、義なる神が、その義をキリストの贖罪の死によって私たちに与えられたからである。「父よ、彼らをおゆるしください」。ここに神の厳しい義の成就を見る。ここには、ごまかしとか妥協などはない。この「恐れ」は、律法を完成するための「おそれ」ではなく、私たちが、キリストの罪のゆるしによって、義とされ、聖とされたことに対する「恐れかしこみ」であり、恐怖ではなく、むしろ、神へのおそれ多い感謝そのものである。

 「彼らをおゆるしください」との祈りは、キリストが自分の権利を主張なさるのではなく、かえって、ご自分の権威と位を放棄されるのである。神の子であり、救い主であるかたが、人間の罪をご自分の罪として負い、罪びとのひとりに数えられるのである。罪のゆるしは体面をつくろう律法の世界にのみ生きている者にはとうてい理解できない。ゆるしは自分の「面子」(めんつ)をつぶすことであるから。

 「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、
 威厳もなく、
 われわれの慕うべき美しさもない」
                (イザヤ53:2)

 実に、他人の罪をゆるすその姿は、その人の面子も、まるつぶれであり、威厳もない者のようにならなくてはならない。イエスを十字架につけて、この祈りを聞いた者たちですら、「彼は他人を救った。もし、彼が神の子キリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」、「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」と叫んでいる。人の罪をゆるすため、侮辱され、つばきされ、打たれ、傷つけられて、十字架につけられているこのみすぼらしい姿のイエスを見て、彼らはイエスがだれであるのか、イエスが何をなさっているのか、わからずにいたのである。

 このことは、イエスの方から言えば、「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」であり、また、ある写本にあるように、「彼らは何であるかを知らないのです」と言うことができる。イエスとわたしたちとの関係がはっきりするとき、わたしたちの存在も明らかとなる。いまここでは、「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」とのことばについて考えたい。

 彼らがイエスを十字架につけたその時は、ちょうど、過越の祭の始まる日であった。この日の夕刻、つまり日没から、ユダヤ人の三大祭の一つである過越の祭が始まる。過越の祭りを守る目的は、当時から約千三百年前、彼らの先祖たちがエジプトで奴隷であったとき、神はモーセをとおして彼らをエジプトから救い出し、約束の国カナンに導かれるに際し、ユダヤ人とエジプト人に対して、十の災害の奇跡を与えられた。この過越の祭りの起源の一つとユダヤ人によって伝えられている災害の奇跡は、その最後のものであった。

 それは、一歳の雄の小羊で傷のないものを選び、ニサンの月の十四日の夕刻、これをほふり、その血を家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗ったのである。それは、モーセをとおして命ぜられた神のみことばどおりにすることであった。そのとおりにした家だけは、人とけものとのういごが打ち殺されるという災害からまぬかれた。すなわち、災害が過ぎ越したのである。それで過越の祭りを守る一つの目的は、小羊の血によって災害が、まぬかれたということを記念することであり、もう一つの目的は、その小羊の肉はもちろん、その頭も足も内臓も火に焼いて、家族の者たちが食べてしまうことにより、神と一つになることを記念するためであった。過越の祭りとパン種を入れないパンを食する除酵祭とが一つにして守られるようになったが、私たちは今ここでは、過越の祭りがこの傷のない小羊の血による救いを記念することにあったという点に注意したい。

 彼らユダヤ人は、今日でも、モーセをとおして与えられた神の命令を忘れてはいない。「あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。あなたがたは主が約束されたように、あなたがたに賜わる地に至るとき、この儀式を守らなければならない。もし、あなたの子供が『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」(出エジプト12:24〜27)。

 彼らユダヤ人は、この日、この過越の祭りを守るために、彼らの罪のきよめのための罪祭としての過越の小羊、すなわち、神との和解(神と一つになる酬恩祭)の犠牲としての小羊を殺さねばならなかった。それが、今、彼らがイエスを十字架につけた同じ日であり、同じ時刻であったということは何という皮肉であろう。

 「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。実に彼らは、先祖代々、過越の傷のない小羊を殺し、その血によるあがないを信じてきたのであったが、それが、今、彼らが十字架につけている罪のないイエスの血によるあがないの予表であったことに気がつかなかったのである。後でパウロは「わたしたちの過越の小羊であるキリスト」(第一コリント5:7)と言っているが、イエスを今、十字架につけているユダヤ人たちは、イエスを罪のあがないのための汚れなき小羊としてみることなく、かえってイエスを、神を冒瀆したにくむべき大罪人として処刑していたのである。

(『受難の黙想』13〜17頁より引用)

2019年8月19日月曜日

ゆるし3(律法の成就)

おとうさんは おとうとを しっかりと だきしめました

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)

 このように罪のゆるしは、罪の負債を帳消しにするだけではなく、その負債を補って、負債のないものとすることである。百万円の借金をしている者が、それを返済することができないとき、その借金を帳消しにすれば、その人は借金はなくとも、まだ百万円は事実上、たりないのである。だから、この百万円を補ってやれば、その人は完全に満ちたりて生きて行ける。つまり、その負債に対して、二倍のものを与える。これが罪の負債のゆるしである。

 終末的預言と私は解釈するイザヤ40:2に、これがはっきり述べられている。
 
   「ねんごろにエルサレムに語り
    これに呼ばわれ、
    その労苦は終わり
    そのとがはすでにゆるされ、
    そのもろもろ罪に対して
    二倍のものを、
    主の手から受けた」

 この二倍のものは、「二倍の刑罰」ではない。原典に、「刑罰」ということばはない。それで、かえって、「恵み」と解釈できる。罪のゆるしの恵みである。これは同じくイザヤ61:7の、

   「あなたがたは、さきに受けた恥にかえて、
    二倍の賜物を受け、
    はずかしめにかえて、その嗣業を得て楽しむ」と同じである。

 旧約聖書の中で最も感動的な事件は、ヨセフが自分を売った兄弟たちをゆるす物語である。ヨセフが父ヤコブの年老いての子であり、ヤコブの愛妻ラケルの子であったので、彼は特に父に愛せられていた。そのため、彼の腹ちがいの兄弟たちは彼を憎み、彼をなき者にしようとして、彼をエジプトに奴隷として売った。彼はある時は投獄されたが、神のまもりによってエジプトの首相の地位につくようになった。後にエジプトをはじめ近隣諸国に、ききんがあったとき、カナンの地にいた自分の兄弟たちは、ヨセフが首相にまで出世しているとはつゆ知らず、彼に穀物を売ってくれるように頼みに来る。ヨセフの方では、彼らが、自分の兄弟であることに気づき、彼らが自分の兄弟に対して、どのような変化をきたしているかを、ためしてのち、彼らに自分自身の身をあかしした。兄弟たちは驚き、そして彼を売った罪のゆえに罰せられることを恐れた。しかし、ヨセフは彼らの罪をゆるし、「わたしをここに売ったのを嘆くことも、悔やむこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです」(創世記45:5)と言って、彼らを責むることもせず、かえって、彼ら兄弟と父ヤコブをエジプトに迎えるために多くの贈り物をなし、彼らにエジプトでも最良の土地を与え、彼らを優遇したのである。

 あの放蕩息子の場合もそうである(ルカ15:11〜32)。父は彼が帰って来たとき、責むることもなく、かえって、父の方から遠くはなれている彼のところに走り寄り、その首をだいて接吻した。それどころか、彼のために最上の着物を出して着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせ、肥えた子牛をほふって祝宴をはった。これが罪のゆるしである。兄弟たちの罪を忘れてしまうだけではない。放蕩息子の浪費を、帳消しにするだけではない。彼らの罪に対する二倍も三倍も、いや、それ以上の恵みをもって彼らをいやし、生かしてやることである。

 この事は、律法を破り、律法を廃棄するかのように思われる。目には目、歯には歯というのが律法のおきてである。または、矯正のためと、みせしめのために、罪に対する相当な刑罰が定められている。罪のゆるしは、これが実は福音の中心であるが、この福音は律法を無視するかのように見える。しかし、そうではなく、かえって、律法の完成である。律法は罪でもなく、律法そのものは聖なるものであって、正しく、かつ善なるものである(ローマ7:7〜12)。罪のゆるしは、その罪に対する刑罰の律法を無視することではなく、また、大目に見て見のがしてやるというのでもない。キリストによる罪のゆるしは、その刑罰をキリストが受けられたことによってゆるされるのであって、キリストが律法を完成してくださったことによる。私たちは罪のゆるしの福音の恵みに、あまえてはならない。「律法のもとにではなく、恵みのもとにあるからといって、わたしたちは、罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない」(ローマ6:15)。

 父なる神は、わたしたちの小さな罪も見のがしになるおかたではない。これに対する刑罰は、ご自分がお与えになった律法に従って、これを行使される。しかし、今や、それをキリスト・イエスをとおして遂行されているのである。

(『受難の黙想』9〜13頁より引用)

2019年8月18日日曜日

ゆるし2(罪なき者と認められる)


主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ4:25)

 次に、イエスが父なる神に、「彼らをおゆるしください」と祈っておられることは、イエスに罪をゆるす権威がなかったからであろうか。先述の「人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」(マタイ9:6、マルコ2:10、ルカ5:24)とのイエスのことばは、単なる誇示ででもあったのであろうか。「もし人が人に対して罪を犯すならば、神が仲裁される。しかし、人が主に対して罪を犯すならば、だれが、そのとりなしをすることができようか」(サムエル上2:25)。人に対する実罪も神に対する原罪も、これをゆるすことのできるのは、神だけであると言う律法学者の主張は正しい。人が人に対して犯す罪も、それは神に対してであるからである(ルカ15:18、21)

 それで神は世の初めから、神に代わり、神の権威をもって罪をゆるしてくださるかたの像を、預言者たちのことばをとおし、または礼拝の祭儀において、すなわち、犠牲の小羊をとおして、旧約聖書にその予表をしておられる(ヘブル1:1〜2)。この預言と犠牲による象徴は、神が人となった罪なきイエスの十字架上の死と復活という仲介のわざをとおしてのみ、罪のゆるしが完成するということである。この預言と犠牲の意義を信じていた洗礼者ヨハネは、イエスを迎えて、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ
1:29)と、イエスに対する信仰を告白した。のちに石に打たれて殉教の死をとげたステパノも、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」と、主イエスにとりなしの祈りをささげながら、父なる神のみもとに召された(使徒7:60)。ふたりとも主イエスに罪のゆるしの権威があることをみとめているが、これがただ一つの、神が人の罪をゆるしてくださる道である。神の側からおりてきて、人の罪をゆるしてくださったのである。

 「まことに彼はわれわれの病を負い、
  われわれの悲しみをになった。
  彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
  われわれの不義のために砕かれた。
  彼はみずから、こらしめをうけて、
  われわれに平安を与え、
  その打たれた傷によって、
  われわれはいやされたのである。
  彼が自分を、とがの供え物となすとき、
  その子孫を見ることができ、
  その命をながくすることができる。
  彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
  義なるわがしもべはその知識によって、
  多くの人を義とし、
  また彼らの不義を負う。
  しかも、彼は多くの人の罪を負い、
  とがある者のためにとりなしをした」
         (イザヤ53:4〜12)

 実に、この預言の完成のための祈りが、「父よ、彼らをおゆるしください」の、ひとことにあらわれている。イエスは口先だけでこの祈りをされたのではない。責任をとって、ご自身が十字架にかかり、その苦しみの真っ最中に祈られたのである。人間の罪のゆるしのためのいっさいの責任と損失と犠牲とを、罪のないご自分が受けて、父なる神のみ前において、人間が罪なき者として認めていただくためである。罪のゆるしは、こうして初めて可能なのである。イザヤの預言のとおり、イエスは人間の病を、ご自分の病として負い、悲しみも不義も、これをご自分のものとして受け、ご自分はそのためにこらしめを受けて砕かれ、ご自分を愆祭(けんさい)の犠牲の小羊とされて死なれた。その傷によって彼らも、私たちもいやされ、平安が与えられ、神のみ前に義なる者とされているのである。これが罪のゆるしであって、これが復活において証明されている。

(『受難の黙想』6〜9頁より引用)

2019年8月17日土曜日

ゆるし1(神の子とせられる)


「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)

 これはイエスの十字架上の七ことばの、最初のとりなしの祈りである。ここにイエスがこの世に来られた目的と、聖書全体が告げ知らせる罪のゆるしの福音が語られている。また、このことばのゆえに、イエスが十字架につけられたのである。

 イエスが安息日に、三十八年のあいだ病気で歩けなかった者をいやされたとき、ユダヤ人のある者たちは、イエスが安息日のおきてを破られたと非難した。そこでイエスは、「わたしの父は、今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(ヨハネ5:1〜18)と答えられた。すると、ユダヤ人たちは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたとして、イエスを殺そうと計った。この同じことば「父よ」との呼びかけを、今ここでも最初に神に対して呼びかけておられる。

 また、イエスが中風の者をいやされたとき、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。すると律法学者たちは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って、また、イエスを非難した(マルコ2:7、ルカ5:21)。こうして、イエスを十字架につけた理由は、イエスが罪のゆるしの権威を持っておられたがゆえにであった(マタイ9:6、マルコ2:10、ルカ5:24)。これはユダヤ人にとっては、神を汚す冒瀆罪として死に値した。この同じことばを、今また十字架上で言っておられる。「彼らをおゆるしください」。

 ご自分が非難され、処刑される理由のことばを、受肉のイエスの最後のことばの最初に言っておられるのは、イエスがこのために来られたからである。神を父と呼ぶことのできないほど、全く神と絶縁の状態にある罪びとを、神を父と呼ぶことのできる神の子らとするために(ガラテヤ4:4〜7)、今、イエスは十字架上で、「父よ、彼らをおゆるしください」と祈りつつ、ご自分が罪びとの罪を負い、罪びととして処刑されておられるのである。

 神を父と呼ぶことが、なぜ、神を冒瀆することであろうか。それは神と人間とが、通俗的な表現をとれば、血縁関係にあることを言っているからである。しかし、神は神であって、人ではない。人間にとっては絶対他者である。創造者と被創造物とのあいだには、血縁関係は全くない。だからイエスを単なる一個の人間とみるユダヤ人にとっては、イエスが神を父と呼ばれることによって、ご自分が神の子であることを示されたのであるから、神を冒瀆するものとして、非難したのである。

 旧約聖書の中で、神を父と呼んでいる個所がいくつかある(申命記32:6、イザヤ63:16、マラキ2:10など)。これらはイスラエルの民に対して、父性愛とでもいう関係で述べられたのであり、またヤハウエを自分たちの神とするイスラエルの民を神の子として述べている個所(ホセア1:10、詩篇29:1、創世記6:2など)も、そういう意味で用いられており、個人的に神を自分の父として呼んでいる個所はない。しかし、メシヤ的預言と言われているサムエル下7:14、歴代上22:10では、メシヤと神との関係が、「彼はわが子となり、わたしは彼の父となる」と預言され、イエスと神との関係が明記されている。ユダヤ人が攻撃するのは、また、この点であって、イエスが神を父と呼ばれることによって、ご自分が、あのメシヤであり、まことの神の子であることを言っておられるからである。

 旧約聖書に預言され、約束されておられたメシヤとして、この世に来られたイエスが、その目的を完成されるとき、神に対して「父よ」とお呼びになることは最も適切であり、これ以外に、神を呼ばれることばは、ほかにない。あの放蕩息子が言ったように、「父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません」(ルカ15:21)という状態にある人間を、神の子と呼ばれるようにし、その神を父と呼ぶ関係に入らしめるために、いま、十字架にかかっておられるのである。そのとき、神をお呼びになるのに、いったい、どのような呼びかたがあるであろうか。わたしたちが神を父と呼ぶことのできるのは、このイエスのとりなしの祈りによるものであり、この祈りが実現するために、イエスは十字架にかかっておられるのである。わたしたちは、このイエスの贖罪の死、それによる、神とのとりなしをぬきにしては、神を父と呼ぶことはできない。また、絶対他者である神との関係にはいることも、神を知ることもできない。

(『受難の黙想(十字架上のことば)』聖文舎1963年刊行。7人の方が書かれている。今日から6回にわたって引用するものはその中のお一人名尾耕作さんの文章である。名尾さんはかつて何度もこのブログで紹介してきた『聖霊を信ず』ヴィスロフ著の訳者でもあられる。)

2019年8月9日金曜日

神の家を支える二つの支柱

Calendar by Keiko Murakami

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

 今日最もひどく攻撃されているキリスト教会での二つの支柱は、生まれながらの人間の罪に関するキリスト教の教理と、キリストにある、功なくして得られる神の恵みの教理とであります。この支柱のいずれかが破損されても、神の教会は崩壊するでしょう。その一つだけでは、神の家を支えることはできません。人間の堕落を認めずしては、神の恵みは無意味であります。また神の恵みなしには、生まれながらの人間は絶望的に失われます。しかし人間の堕落が十分に認められるところで、恵みだけが救うことができます。もし人間が全く無力であれば、そのとき彼の全き救いは、ただ恵みによるのみです。

 恵みは他に助け手を必要としません。恵みのみであるか、恵みが無いか、いずれかです。キリスト者の真理は、信仰のみによる義認の教理によって立つか、倒れるかであります。「キリスト者の心から、罪のゆるしをとりだせば、諸君は、キリスト教信仰から心をとったことになる」(H・G・ストゥブ)

 ルターは「ここに、重要な信仰箇条と、福音の基礎がある」と言い、スクリーヴァーは「神の前における罪びとの義認の教理は、キリスト教の主要信仰箇条である。この教理は、まことの天の太陽でもある。これなくしては、すべては暗黒である」。

(中略)

 義とされるとは、いかなる意味でしょうか。
 ポントッピダンは、次のように答えています。「義認(義とされる)とは、次のことから成立している。すなわち神は、恵みによって、キリストの義を、悔い改めた者または信仰ある罪びとに帰すること、そして神は、彼の罪とその刑罰とを彼から免除し、キリストにあって、彼をあたかも彼が罪を犯さなかったかのようにみなしたもうこと」。

 義認とは、実際は、法律上の概念であります。これは、裁判の判決の意味からなっています。天のみ国において、神は罪びとを名ざして呼ばれ、彼を義であると、宣告されるのです。罪びとの側には、何もなされていないのです。このことは、生まれかわりにおこるのです。義認は、罪びとが自由であるとの、恵み深い宣言であります。
 
 だれがわたしを罪に定めようとするのか
 イエスの血に浸っているものを
 国々を治めたもう神は
 判決をくだす裁判官だ
 このもの、彼は自由になった
 イエスの血に清められたと
 青ざめたサタンよ、罪よ、死よ
 だれがわたしを罪に定めようとするのか(ブロールソン)

(中略)

 「罪は地獄である。罪のゆるしは天である」(スクリーヴァー)「諸君の価値は、諸君に助力を与えない。諸君の無価値は、諸君を害さない。水の一滴が、大洋と比較されるがごとく、わたしの罪が、キリストにある神の測り知られざる恵みと比較される」(アーント)

 「ゆるすことは、免除することと異なっている。神は罪を免除されない、神はそれをゆるしたもう。ゆるしは、純粋な恵みを含んでいる」(ロセニウス)。「恵みと平安は、キリスト教のすべてを含んでいる。恵みは罪をゆるし、平安は良心に憩いを与える。罪のゆるしなくして、良心の平安はない。しかし罪は、恵みによってゆるされ、取り去られる」(ルター)。
 
 こうして、今やすべての疲れた罪びとは、その目をあげ、キリストを見ることができます。だれも、汚れの中にあって、洗っても清くなることはできません。だれも、自分の病気のまわりをかけめぐっても、丈夫にはなりません。だれも、自分自身を見つめても、救われません。しかしキリストの内に、いやしと救いと祝福とが、信仰によって、彼を見るすべての人のためにあります。信仰によって見ることにより、人は自分に起こりうる最大の奇跡を経験します。信仰によって見ることは、すべてのことにまさって、些細で、取るに足りないように思われましょうが、しかしそれは、ラザロを、その墓から呼び出すことよりも、大きい力ある奇跡を成就するのです。

 あなたが、この世の旅路を終わって後、救いを得ようとして、自分のすべての罪のために、後悔の苦行の道を続ける必要はありません。神の子キリストが、あなたに代わって、苦難の道を歩かれたのです。あなたは、自分の罪を自分であがなうことはできません。あなたの罪のための贖罪は、すでになされているのです。あなたのなすべきことは、ただ、「ありがとうございます」ということだけです。そうしたならば、すべてのものは、あなたのものです。

(『聖霊を信ず』55〜59頁抜粋引用。長らく連載したこのヴィスロフの文章も一先ず今日で終わりにする。この一連の文章は彼の同書の第3章「聖霊と世界」の中の2、「聖霊が罪人をキリストに追いやるとき」からの引用であった。それにしても結局、神の家を支える二つの支柱とは何なのか、つねに覚えたいことでなかろうか。なお、今日のカレンダーは愛する方の労作である。記して感謝申し上げる。)

2019年8月8日木曜日

信仰とは生まれたての嬰児のようなもの

センスある暑中見舞い状
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(ヨハネ3:6〜7)

 罪の非行についての深い悲しみを、ほんとうに知っている人は、古い生活を身につけたまま、神の国にもぐり込もうとはしません。罪に対する正しい悲しみは恵みを正しく自分のものにする、確かな保証であります。心の内のこの同じ悲しみが、魂からすべての悪だくみを追い出します。もし、悲しみがはいってくれば、悪だくみは出て行かねばなりません。

 福音は学びとられるものではありません。魂がそのみじめさに苦悶し、途方に暮れてしまうとき、すべての暗記していた教訓が、ただの文字と言語になります。今まで読んでいた聖書の章句も、ただ音のみの空虚なことばとなります。しかし、聖霊が光を照らし始め、魂がその光に従順に従うとき、その時になって、初めて、今まで見たことのないものを、不思議にも感じ始めるのです。彼が子供の頃からもっていた知識が、生々と、力強く彼に語りかけます。彼の耳にひびく聖書の章句は、福音の光栄のおとずれとなります。すべてがキリスト中心になります。聖霊は、おおいをとり除き、彼にキリストを示します。

 かなしみの涙で、充血したまなこに、よろこびの涙が輝き、深刻な苦悶が解放されて、歓喜となり、心の「わざわい」が、天の「祝福」に代わり、罪の宣告は、放免されて無効となり、シナイ山がゴルゴタの丘に席を譲らなければならない。このような場合、だれがこのことが、あわれな罪びとに意味を持つかを、十分に描写しうるでありましょうか。この世では、この福音にくらぶべきものは何もありません。何ものも、すべてが、人間的なものと相反するものは他にありません。何ものも、かくも不合理で、理解しえないものは他にありません。何ものも、このように全く神聖にして、光栄あるものは他にありません。

 何ものも、天において、神のひとり子より、価値あるものは他にありません。何ものも、聖金曜日より、この世を恐ろしき恐怖でみたしたものは他にありません。何ものも、その君が致命的打撃をうけたことより、ひどく地獄を震い動かしたものは他にありません。しかしまた、何ものもこのような喜びで、天をみたしたものは他にありません。福音の力が、ひとりの罪びとをかち得るたびごとに、天使の立琴は、讃美の歌をかなでたのであります。

「義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行くからである」。

 義の基礎となるものは、キリストが救いを完成して後、そして罪と、死と、悪魔に完全に勝利を得られて後、彼の父のもとに行かれるということであります。今や彼は、父のみ前にあって、わたしたちの罪のための、彼の犠牲を、有効なものとなしておられるのです。聖霊が罪びとに示すものは、このキリストにある完全な救いであります。罪びとは、これが、自分のためになされていることを知るのであります。「わたしのために、彼の愛の心は裂けた。これは全く、わたしのためであることを思え」。

 しかし信仰とは何でしょうか。信仰は、わたしの救いに必要であります。しかし信仰は、どこから来るのでしょうか。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」(ヘブル11:6)。ここでもまた、救いが徹頭徹尾、神のわざであることを知るのであります。魂がこれを明瞭に理解しなかったときに、聖霊は信仰を賜物として与えられたのです。「人生における最大の芸術は、キリストを信ずることである。その芸術は、ただ聖霊の学校でのみ学ばれる」(スクリーヴァー)。

 フィリップ・メランヒトン※は、そのアウグスブルク信仰告白弁証論の中で「義とする信仰は、単に歴史的知識ではなく、罪のゆるしと恵みによる義についての、神の約束を信ずる信仰である」といっています。

 知識の信仰を、救いの信仰にするものは、魂の苦悩であります。苦悩する魂の痛みを通して、信仰は、聖霊によって生まれるのです。しかし魂は普通、あまりにも、その苦痛に占領されてしまって、何が生まれつつあるかを知らないものです。しかしながら信仰が生まれているのです。「信仰とは、生まれたての嬰児のようなものだ。それは裸で、着物を着ずに、その救助者、救い主の前に立つ。そして彼からすべてのもの、義と、あわれみと、聖霊を受ける」(アーント)

(『聖霊を信ず』52〜54頁引用。※ルターの協力者、ただいろんな見方ができる人物のようだ。さて、昨日の某氏の結婚の発表、嬰児の誕生の予告、いずれもおめでたいことだが、私たちは手放しで拍手喝采するわけにはいかない。今日の文章の冒頭部分に注意いただきたい。「罪の非行についての深い悲しみを、ほんとうに知っている人は、古い生活を身につけたまま、神の国にもぐり込もうとはしません。」と言っています。一方、「報道ステーション」は大々的にトップニュースで報道しましたが、今朝の東京新聞では26面、14面扱いです。このくらいが妥当ではないでしょうか。「劇場民主主義」に飲み込まれないようにしたいものです。)

2019年8月7日水曜日

聖霊が罪びとをキリストに追いやるとき

夏盛り 夾竹桃 涼しげに 白さも白し 毒性ありて  

義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。(ヨハネ16:10)

 救いは、徹頭徹尾神のわざであります。生まれながらの人間の、凍った畑の中の、氷の最初の一辺がとけるのは、神の恵みの太陽のわざであります。春のしっけた土地からのぞく、最初の植物は、神の恵みの暖かさと、光によって生み出されたのです。最初の漠然とした、不明瞭な、不確かな、神への切望は、人間の内での、神の霊の働きであります。心の不安、罪の重荷、神なき生活における疲れ、これはすべて、神の霊の活動の成果であります。慰め主「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。(口語訳:世の人の目を開くであろう)」(ヨハネ16:8)

 聖霊の任務とその恵み深き目的は、キリストを人間の生活の中に、もたらすことであります。しかしこのことは、人が自分の心の極度の罪と堕落とを見るまで、できないことです。この理由で、聖霊は義を示す前に罪をあらわにします。人が神の恵みを必要と感じない前に、キリストの恵みを説教することは、石に香油をそそいでいるようなものです。人はキリストの栄光を見ることができる前に、自分自身の魂の醜悪を見なければなりません。まず彼は、傷つけ、それからこれを癒したまいます。まず彼は、殺し、そしてこれを生かしたもうのです(申命記32:39)。まず彼は、罪をあらわにし、それから義をあらわしてくださいます。まず罪びと、それからキリスト。

(中略)

 聖霊は、ただ罪を示すばかりでなく、もちろんこれをなすが、または、ただに罪がなんであるかを、私たちに証明するばかりでなく、もちろんこれもなすが、聖霊は罪の判決を下すのであります。有罪の宣告をうけた人は、もう弁論の必要はなく、弁解も言いのがれもありません。また自分の罪のために口実をもうけたり、弁解をこころみる魂は自分の罪を悟っていないのです。自分の罪を認めた罪びとは、神が正しいことを認めます。彼の口がふさがれ、彼が「神のさばきに服している」ということは、彼について正しく言っていることです(ローマ3:19)。特に罪びとの口をふさぐものは、彼が、すべての罪のうちに罪の本質を見ることであります。「罪とは、彼らが、わたしを信じないことである」。

 否定することは罪であります。恐ろしい罪であります。しかし信じないことも、また罪であります。まことにこれが全人類の根本的罪であります。すべての一般的罪は、不信にその根をもっています。不信は、すべての罪の母であります。ルターは、不信を「最も悪い精神的悪徳」と呼んでいます。彼のローマ人への手紙の序言に「不信は、すべての罪の根であり樹液であり、主力である」と言っています。神なき生活は、あなたの生活の根本的重大な罪であります。人がさばきに服しているということは、特にこの罪のゆえであります。また聖霊の光によって覚醒された魂が見るようになるのは、この罪であります。

 この聖霊の働きは、決して楽しいものではありません。なぜなら、これは罪びとを最もひどい苦悩、罪に対する苦悩、に導くことを意味するからであります。罪びとが、魂の苦悩のうちから「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ」(イザヤ6:5)と叫ぶほど深刻なうめきは、この地上におこりません。しかしながら、この悲痛な叫びは、天使を動かし、神のみこころそのものを動かし、限りなき喜びが与えられるのであります。(ルカ15章)。

 聖霊のこの痛ましい働きは、終着点ではありません。それは手段にすぎません。今や聖霊は、もしその働きを続けることがゆるされるならば、その魂のなかで、彼の働きを続けます。「義についてと言ったのはわたしが父のみもとに行き・・・」(ヨハネ16:10)。このことは、祝福された神の霊でさえ、なすことを許されなかった、最も祝福されたわざであります。今や聖霊が、罪びとにキリストを啓示するのであります。なんとこの二つのことが、密接に、聖書に示されていることでしょう。「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ」「あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。イザヤはこのように経験したのです。

 あるいは、パウロも同様であります。「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない」(ローマ7:24と8:1)福音の祝福は、苦難の苦痛を通してのみ、知ることができます。この死のからだに対する苦闘に苦悶する者のみが、キリストにあって、自由にされるとの意味を、正しく知ることができます。「神にある喜びは、悲しみのうちに生まれる。神聖な悲しみは、神聖なる喜びの先駆者である」(スクリーヴァー)

(『聖霊を信ず』ヴィスロフ著名尾耕作訳49〜52頁より、抜粋引用。昨日ハレスビー、ヴィスロフと同じノルウエー人の作家イプセンの戯曲『野鴨』を読む機会を得た。ヴィスロフが、今日引用した文章の少し前のところで『野鴨』に触れているところがあったからだ。イプセンは「『理想』っていう気取った言葉は、使わんことにしましょうや、『嘘』っていう便利な言葉があるんでね、ーーそれで充分。」(岩波文庫版原千代海訳193頁)と劇中の人物に語らせているが、それを巧みに用いて、「人間の自然的善を信ずる宗教的理想主義は、人間を虚偽に導きます」と警告し、今日の引用文に至っている。ノルウエーの人々の人間観の深さに福音が及ぼしている影響、イプセンにもそれがあったのではないかと秘かに推量した。それはともかく、読者の中でまだこの戯曲を手にしておられない方がおられ、興味関心を示される方がおられるなら、是非一読をお勧めしたい。)

2019年8月6日火曜日

私たちに必要な墓守とは?

滔々と 渇きを満たし 流れ行く 古利根川べり 主の血の愛
(手前が下流です)
血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。(ヘブル9:22)

 人々が、神の怒りを理解していないと、身代わりとしてのキリストを必要としなくなります。キリストの血なくして、勇敢にも聖所にはいろうとします。この点、キリストの代償的わざを無益にしようとして、強い力が働きかけたことは不思議ではありません。神の教会は、キリストのあがないの死の、この真理の上に、その救いを建てているのです。ゴルゴタは、教会の聖壇であります。ここに不純なものが見られるならば、神の全聖所は、けがされるでありましょう。十字架はキリスト教の逆説であります。キリスト教信仰の、つまずく石です。この理由で、多くの人々は、キリスト教をもっと魅力的にし、現代に適したものにするために、十字架を取り除こうとします。

 しかし、わたしたちは、キリストのあがないの死についての、啓示された神の真理に関しては、毛頭も、これを譲歩しようとは決していたしません。神の教会は、これなくしては生きていけません。これ以外のところに、わたしたちの救いの望みを建てようとも思いません。わたしたちは「イエスの血によってのみ」、勇敢に聖所にはいるのであります。ゴルゴタが陳列場になるには、あまりに恐ろしすぎます。キリストの死の成果を、ただの展覧にするにはあまりにも栄光に輝きすぎます。

 罪に関する項目で、人間性の堕落と、その全き無力を見てきましたが、今やその考えに戻らなければなりません。人間はそれ自身、善であると信ずることは、聖書の教えと全く相反することをみてきました。「人間のうちにある神」の教理は、邪教であり、罪と人間性の全堕落に関するキリスト教の教理と、相反します。

 しかし、人間性の中の「神の像の痕跡」について考える場合、わたしたちは、聖書がゆるす以上に、また生まれかわっていない人間に実際に見られる以上に、この表現に立ち入らないよう、十分警戒しなければなりません。

 罪への堕落によって、人類は全く滅びたのであります。生まれながらの人間の中には、神をよろこばす、いかなる性質もないのです。堕落ののち、人間に残ったものは、神がおられるはずであったところの、せいぜい空虚くらいなものであります。生まれながらの人間が、どんな神を渇望するかについて、多くのことが言われていますが、それは、盲目のうちに、神に帰る道を見いだそうとしているのです。聖書は「神を求める人はいない」(ローマ3:11)と言っています。神を、全く真実に求めることは、神の霊の働きの成果であります。
   (中略)
 したがって「神の像の痕跡」は、否定を意味します。つまり、神がそこにいないということです。「人間の敬虔さは、彼が神を必要とすることにある」(ブルンナー)。現実に、これと同じ思想をアウグスティヌスの有名なことばの中に見いだします。「人は神のために創造されている。それで、彼が神のうちに憩うまでは、憩いがない」。「生まれながらの人は、神の霊の賜物を受け入れない。それは彼には愚かなものだからである。また聖霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない」(第一コリント2:14)。「肉にある者は神を喜ばせることができません」(ローマ8:8)。

 義人はいない。ひとりもいない。
 悟りのある人はいない。
 神を求める人はいない。
 すべての人が迷い出て、
 みな、ともに無益な者となった。
 善を行なう人はいない。
 ひとりもいない。(ローマ3:10〜12)

 このことばを読めば、この世界は、善人のいないからっぽになります。「いな、ひとりもいない」とくり返されていることばは、人間の善性に対する古くからの信仰を、埋葬している墓守のようであります。

(『聖霊を信ず』45〜48頁より抜粋引用。家の前の看板聖句に「あなたは、赦しの神。われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。」詩篇99:8〜9と書いた。数日前、通りがかりの人が、私の姿を認めながらも、柏手を打つようにしてその看板聖句のことばに敬意を表した。その方に一冊の小冊子「主は生きておられる」51号をお渡しした。願わくば、ともに、善性を葬り去って手を取り合って流された血潮を感謝する間柄、兄弟とならせていただきたいものだ。) 

2019年8月5日月曜日

Nobody Knows De Trouble I've Seen


彼によって神の怒りから救われる(ローマ5:9)

 わたしはかつて、黒人の婦人が、十字架についての歌をうたうのを聞いたことがあります。「彼らは彼を十字架につけたり、されど彼もだして物いいたまわず」深い単調なアルトで、彼女はこの句を繰り返し繰り返し歌いました。このことばと曲は、聖金曜日の劇・その苦しみと恐怖とを、わたしたちの眼前に描くかのようでありました。これを聞いたものは、みな、十字架のもとにおかれたようでありました。

 彼女が歌い終わると、嵐のような拍手が起こりました。熱狂した聴衆は、荒々しく拍手をしました。それは芸術でありました。すばらしい芸術でした。わたしは前にかがみ、わたしの手をできるだけ耳に強くあてて、ふさいでしまいました。これらすべての拍手は、わたしにとっては、神を冒瀆する嘲笑としか思えませんでした。しかしわたしは、自分の心に奥深く「主よ、なんじの苦しみに感謝したてまつる」と言わざるをえませんでした。

 十字架のことばは、単に人を楽しませるために語られたり、歌われてはなりません。これはあまりにも聖であり、おそるべきものであるので、人を楽しませ、人の人気を得るために用いられてはなりません。十字架がキリストに対して何であったかを、わたしたちは全力を尽くしても述べることはできませんし、またそれだけ理解もできません。しかし聖書の次の句は、この一端を知らしてくれます。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。」(第2コリント5:21)キリストはただに人間とされたばかりでなく、また罪びととなされ、罪であるとさえなされたのであります。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなった」(ガラテヤ3:13)。

 キリストはみずからを、罪深い人類のひとりと等しくせられました。人間が自分たちの罪によって積み上げたすべてののろいを、彼はそれをご自分のものとされ、その結果を味わわなければならなかったのです。彼はみずからの罪と等しくされました。まことに彼は、すべての罪の人格化そのものになられたのです。

 それゆえ、すべての神の怒りは、キリストの十字架にそそがれたのであります。彼は、わたしたちの身代わりとして死にたもうたのです。彼は、わたしたちの罪の結果として、当然受くべきすべての苦難をあますところなく苦しまれたのであります。十字架上の最も深刻な苦悩は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)のことばに表現されています。

 ああ世界はここにかかっている
 彼の愛のみ手は差し出されている
 なんじの救い主は、十字架上に
 いのちの君は望んでおられる
 苦しみ、侮辱、喪失にたえ
 すべての義が成就することを(パウル・ゲルハルト)

 キリストの十字架から、「完了した(口語訳:すべてが終わった)」(ヨハネ19:30)との大勝利の勝鬨が、絶えず叫ばれています。

 憎しみが、十字架で、一時は、勝利を得たかのごとく公然と示されたが、しかし、まさしく同じ場所でそれは敗北しました。愛は降参することによって、勝利を得ます。自己犠牲においては、愛は征服できないものです※。憎しみが、勝利を得るように見えれば見えるほど、それだけその敗北は確かであります。それゆえ、十字架の成果は、完成された救い、贖罪の神、開けられたる天であります。「人の子が来たのが・・・多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」(マタイ20:28)多くの著名な人々は、なぜ自分たちがきたのであるか、また自分たちの計画を大言壮語しますが、だれも自分は〈死ぬ〉ためにきたと言ったものはありません。

 「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです」(第二コリント5:14)。キリストの死は、すべての時代、すべての国民に有効なものであります。「ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブル9:12)、「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです」(ヘブル10:14)。

(『聖霊を信ず』40〜42頁より引用。文中の※「自己犠牲においては、愛は征服できないものです」が何度読んでもストンと落ちてくるようで落ちてきません。どなたか教えていただけると幸いです。標題はあえてNobody Knows De Trouble I've Seenにしました。https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQを視聴してみました。)

2019年8月3日土曜日

あなたは十字架をどのように受け取っていらっしゃいますか


十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(1コリント1:18)

 十字架は、人間の理性に訴えるのでなく、人間の心と生活とに訴えるのであります。それは、贖罪の果実が味わわれ、その力が経験されるためであります。人間が十字架を必要とする程度に従って、十字架の力を知り、贖罪の神秘の深さを見ることがゆるされています。

 信仰者の愛は、イエスの十字架を、バラの花輪で飾り、それを聖なる神秘でかこみました。今日では十字架は、着物や、祭壇や、家庭または教会の飾りとなっています。これは十字架を装飾とするのは愛でありますから、たぶんその習慣には誤りはないでしょう。

 しかしわたしたちは、十字架が、この世で最大の恐怖を意味していることを、決して忘れてはなりません。十字架は、罪の地獄の威力について、神の怒りの嵐について、憎しみと釘と血について語っています。十字架は、最も恐ろしいものの啓示であります。十字架においてこそ、最も恐ろしき地獄を瞥見するのであります。ここにこそ、他のいかなる場所よりも罪が公然とその悪魔性を発揮しているのです。十字架において、天はその最大の犠牲の血をもたらし、十字架において、地はふるい、地獄の王は、その致命傷をうけたのであります。

 十字架を、審美的に考えてはなりません。十字架上の血のしたたる死は、すべて審美的なものと、全く反するものであります。決して十字架について無意識に語ってはなりません。十字架は、非常に神聖なるものでありますから、深い意味なしに、これをスローガンとしたり、ときの声として使用してはなりません。十字架は非常に恐ろしいものでありますから、これを軽々しい調子やえみをたたえて歌うべきではありません。十字架のことばを、決して、陳腐、空虚な無意義なものとしてはなりません。十字架のことばは、ただ深い畏敬と、聖なる熱心と、うち砕けたる心と、まじめな感謝をもってキリスト者の唇に語られなければなりません。

 救うかたは、「十字架にかかりたもうおかた」であって、十字架ではないことを、決して忘れてはなりません。十字架には、何も魔術的な力はありません。十字架それだけを飾ったり、礼拝してはなりません。価値あるものは「小羊」であって、彼こそ礼拝され、あがめられ、讃美さるべくほふられたもうたのであります。

 神を信じ、神にたよる心にとっては、十字架につけられたもうたかたが、完成されたわざを、いつも瞑想することは、何ものにも増してたいせつなことであり、効果の多いところであります。なぜなら、彼のうちに、その心は、救いと生命とをもっているからであります。
  死の矢がわれをおそうとも
  わが命はキリストの血のうちにある
  全世界われにそむくとも
  この慰めこそわれを強む
  そは失望に痛める魂をいやし
  苦難の思いに沈めるときに新しき勇気を与う
  風の吹くがごと、多くの思いわが心を乱す時も
  われ知る彼の血は、信仰のよりどころなるを(パウル・ゲルハルト)
 「わたしたちの主イエス・キリストのみ傷を、常に絶えず思うほど、わたしたちの良心の傷をいやすに効果のあるものは他にない」(クレアボーのベルナルド)

 「非常に偉大にして測り知れない一人格者が、ひとりの人に会い、彼のために苦しみ、死んだとしたら、口に言い表わすことのできない堪えがたい真剣さがあるにちがいありません。またあなたが、神の子ー父の永遠の知恵ー彼ご自身が苦しみたもうことを厳粛に考えるときには、あなたは恐れおののくにちがいありません。そしてそうすればするほど、あなたは、このことを真剣に考えることでしょう。それゆえ、あなたがキリストにこの苦しみを負わしたのであるとの事実を、深く心に銘じなければなりません。あなたがキリストのみ手にさされている釘を見る時、そのとき、これはあなたのなしたわざであることを十分に、しかと信じなさい。あなたが、彼のいばらの冠を見る時、そのとき、これはあなたの悪の思いであることを信じなさい」と、ルターは言っています。

(『聖霊を信ず』フレデリック・ヴィスロフ著名尾耕作訳38〜40頁より引用。この書物もA牧師の愛用の書物であったようだ。もう10数年前に読んだものだが、今回はA牧師がどんな思いでこの書物を読まれたか味わいながら読んでいる。名著の一つだと思う。本の帯でヴィウロフはハレスビーらの下で研鑽を積んだと紹介されていた。)

2019年8月2日金曜日

A牧師の聖書

左手に ブルーベリーを 摘み取りて 笑顔こぼれり 貧者の庭

家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。(ルカ13:25)

A牧師のご講義をお聞きしたのは、かれこれ30年以上前で、教会に出席していたころである。それがどのようなテーマであったかも正確には覚えていないが、多分「信教の自由と日本の教会」の講義題名であったのではないだろうか。

 その後、教会を出て、集会に集うようになって、教会時代の反動というか、学ぶことを極度に軽視した信仰生活を送り続け、教会時代にせっせと読み漁った、あるいは読み漁ろうとした本などをほとんど処分してしまった。聖書一冊あれば事足れりという思いであった。

 その後10数年して定年時期がやって来て、再び所蔵本の大量処分を断行した。今考えるとずいぶん貴重な本をたくさん手放してしまった。どっちみち、これらの本は図書館で備え付けるだろうからという見通しがあった。ところが豈図らんや、現在の図書館は古い書物は置こうとしないようだ。あるいは置こうとしても、私とは関心が違うので、ずいぶん当てが外れて、私の所持していた稀観書は残念ながら置いていない。

 それもあって、その後、二、三年経ってからつでを頼って再び古書を買いあさるようになった。そのような折り、冒頭のA牧師の署名入りの聖書を手にした。新改訳の第一版であるが、A牧師の性格そのままをあらわす丁寧な扱い、さては行間にはギリシア語、はてはヘブライ語まで小さな赤字で記入されている代物である。

 当時から興味を持って書棚の一角に並べておいた。ところが現金なもので、その後、親しくしていただいている知人からA牧師にまつわる芳しくない評判を聞いた。それだけがきっかけとなったわけではないが、久しくその聖書はいつの間にか、私の書棚の隅っこに置かれ、押し込まれた形になってしまった。

 ところが歴史はめぐるというか、最近このA牧師の存在が気になり、著書を二冊ほど読んだ(いずれも聖書と一緒に買い求めていたもので)。そして昔知人から聞いた話も誤解ではないかと思い始めるようになった。その挙句、久しぶりにA牧師の聖書を紐解いた。裏表紙には横書きで次のように書いてあった。

キリスト教式結婚式の要件('82.2.1)
1、Mt 19:6 〈神があわせたもうたもの〉がめいかくであること
  牧師はその神の代理者
2、神はどのような人を合わせたもうか
  Ⅱコリント6:14 信仰という基本的なもので一致していること
 以上によらない司式は、牧師の越権行為となる。
 (キリスト教式結婚式自体が成立しない)

 そして右隅には「地獄」という標題のもと以下の聖句箇所が明示してあった。

Rev 20:10(Mt 25:41) Mt 8:12 13:42,50 22:13 24:51 25:30 Lk 13:25 Mk 9:48

(引用者注:Revは黙示録、Mtはマタイの福音書、Lkはルカの福音書、Mkはマルコの福音書)

 私にはA牧師の思いが痛いほど伝わって来た。そこには毅然とした彼の結婚観と死生観、ひいては主を恐れてやまないその信仰が示されていたからである。

2019年7月10日水曜日

天に参入する喜びを独り占めにするな

梅雨寒に 名も知らぬ花 華やぎて

 長年、筋萎縮症の病の中にある主にある友からメールをいただいた。「梅雨寒」と出だしに書かれてあった。ちょうど私は来週の家庭集会の案内ハガキを書いていた。今頃の気候をどう表現していいのか迷っていて、「梅雨になっても、いつもより気温が低く過ごしやすいですが、云々」と書き始めたが、ちょっと説明調しすぎて、いやだなあと思い、別の文章に置き換えて投函した。そのあとに先ほどのメールに接したのだ。ああ、彼女は私と違って行動の自由を奪われているのに、今の季節を正確に言い表しているなあ、となぜか痛く感動した。

 さて、投函するため、郵便局まで歩いて行った。久しぶりにのんびりと散歩がてらの歩行となった。するともう80はとっくに超えていると思われるご高齢のお方が一人住まいでいらっしゃるが、その方の家の前を通ると、いつも綺麗に住んでいらっしゃるその立ち居振る舞いに敬意を表せざるを得ない思いにとらわれる。よく見ていると、この方はいつも何でも手作りで楽しまれる。これからは葡萄棚などが大変な見ものであるお宅である。その葡萄棚の下で、今日はご老人が柱にくくりつけたチューブのようなものを、一方は自分の腰に巻きつけて柱にくくりつけたところと適当に間合いをとってはバウンドよろしく腰を鍛えておられるのだ。大変な研鑽ぶりだ。おそらく老人は誰の世話にもならないように、万一に備えてこうして体を鍛えておられるのだろう。精一杯努力されることを願ってその場を離れた。(もっとも当方が勝手に老人扱いしているだけで、ブログ氏とはそう年齢が違わないのかも知れぬ。)

 次に目にしたのが、首にひもをつけられて家の玄関の門扉の外で寝っ転がっている猫だった。猫にひもをつけるなんて、猫もさぞかし不自由だろうなあとは思ったが、結構猫はいつも自由を満喫しているようだ。ひもは大変長目で室内から前の路地のある程度のところにまでは自由に動けるからだ。この風景もいつもながら見慣れた風景ではある。ところが今日は違った。門扉の中に、二匹の子犬がちょこんと座っていたのだ。見ると彼らには首輪ははめられてはいない。おとなしそうに座っていて、私が立ち去るのを可愛い目で追っている。もちろん吠えない。そうか、猫は自由にくぐり抜けてどこにでも出かけて行ってしまうが、子犬にはその心配は要らないのか、と勝手に合点してその場を立ち去った。

 郵便局の帰りにその前を通ればひょっとしてかわいい写真が撮れるかもしれないと思ったが、案の定、もう猫も子犬もいなかった。でもひもだけは見えた。立ち止まって紐の先を見たら、玄関のドアの下をくぐっているのがわかった。今頃は家の中で過ごしているのだな、子犬も室内で飼っているのだろうなあ、飼い主はどんな方だろうかと想像を逞しくしたが、もちろんその人物像を描けるはずがない。

 こうして端なくも三者三様の方々の姿を追ってみたが、それぞれの方々のうちに懸命に生きておられる姿を思った。そして今朝読んだオースティン・スパークスのことばを思い出した。「人々はいろんなことを見聞きしますが、それらが真実の姿を示すところにまで決して参入しに来ないのであります。もし『すべての霊的祝福』エペソ1:2が、キリストにあって天にあるのなら、あなたがたが天に参入するまでは何も知ったことにはなりません。あなたがたはそれらの祝福が支配する天にあるところにまで達する必要があります。」(http://www.austin-sparks.net/quotes.html

 冒頭の友は、主イエス様を愛しておられ、天にある霊的祝福をもって私たちを祝福してくださる方をご存知である。とすれば、あとの二組の方、一人の方はお顔を知っている。もう一人の飼い主なるお方は猫こそ知っているがどんなお方か知らない。ただ、私が知らないだけで、天なる神様はとっくにご存知である。となれば「天への参入あれかし」と今度通るときは、これらの方々のために祈らねばなるまい。

2019年6月17日月曜日

Help, Lord.

水田の江州路 画面奥に安土セミナリヨ(6月1日)

主よ、お助けください。(詩篇12:1)

 この祈りはすばらしい。それは短いが適切であり、寸鉄人を殺すの味を持ち、かつ暗示的であるからである。ダビデは忠実な部下が少ないのを嘆き、願いのうちに心を天に向けた。被造物が頼みがいのないのを見て、彼は造り主のもとに走った。彼は明らかに自らの弱きをおぼえた。しかし同時に、真理のために心から自分の力を尽くさんとした。なぜなら自ら何もせずに助けを求むることはあり得ないからである。この短い祈りは単刀直入であり、極めて明確である。ある信者たちの長々しい祈りにはるかにまさる。詩篇記者は熟考せる祈りを携えて一途に神のみもとに行った。彼は何を求め、またどこに求むべきかを知っていた。

 主よ、同じように祝された方法をもって祈ることを教えたまえ。この祈りの用いられる場合は極めて多い。摂理により苦難をうけ、疲れし信者が他のすべての助け手に裏切られた時の祈りとして、これは最も適当である。教理の困難に会う学生は、偉大な教師である聖霊に「主よ、お助けください」と叫んでしばしば助けを得ることがある。内なる戦いにある信仰の戦士が御座に向かって助けを求めるのに、この祈りは模範となる。主のわざに従う働き人は、この祈りにより機に適う恵みを得る。疑いつつ驚きつつ神を探求する罪人も、この力ある願いをなすことができる。事実この祈りは、すべての場合とすべての時、またすべての場所において、貧しい魂の転換点となり得る。私たちが生ける間も死の時にも、苦しみの時また働く時にも、この祈りは私たちに適う。私たちの助けは主の中に見いだされる。それゆえ主に向かって、叫ぶことを怠らないようにしようではないか。

 祈りがイエスを通して誠実に捧げられるならば、必ず応答がある。主の御人格を見るとき、私たちは決してその民を見捨てられないことを確信する。父また夫としての主と私たちの関係は、確実な彼の助けを私たちに保証する。イエスを私たちに与えられたことは、すべてのよき賜物を私たちに与えるとの誓いのしるしである。「恐れてはならない。わたしはあなたを助ける」(イザヤ41:13)との確実な御約束は変わらぬ。

※昨年、私はこの日の朝、孤独であった。目的地に向かう車中でも不安と恐れに襲われていた。そのとき、英文サイトの「朝ごとに」のアプリを開いた。”Help, Lord.”Psalm 12:1というアルファベット文字が飛び込んできた。まさに絶体絶命のピンチに立たされた私にとりまさにうってつけの御言葉であった。ポケット聖書を取り出して詩篇12篇全節を確かめた。ひとつひとつの御言葉は天啓の感さえあった。この日の車中での出来事は忘れられない。(本日の引用は『朝ごとに』1959年版いのちのことば社編集部訳 6月17日からである。)

2019年6月12日水曜日

お登紀さん(続々)二つの脱出劇

ミルトスの 白き花びら たおやかに

あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。(詩篇56:8)

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

 以前、このブログで加藤登紀子がよく泣く人だと書いた。そうして、これは私の書き過ぎではないかと思っていた。しかし、それからも私の期待(?)を裏切らず、彼女の涙の記事をいくつか見た。しかし、今夕の涙はこの時、その彼女の涙が値千金の涙でなかったのかと思わされた。今夕は「あなたに捧げる歌」の52回目で、題して「離婚からの脱出」であった。少し長いが、彼女の文章を拝借する。

 離婚という扉に手を置いて、疼(うず)くように愛(いと)しさが溢(あふ)れる日々。獄中結婚から八年、ゼロから自分の手で自分の暮らしを作りたいという彼の決意が、どれほど大切なものか痛いほどわかる。これまでなんとか私がやりくりしてきた今の暮らしは「俺のものではない」と吐き捨てた彼。ならばお互いを解放するしかない。
 答えは見えていた。
 が、なんとか粘った数ヶ月。やっと春が近づいたある日、「会社の若いのが結婚するんで、仲人をたのまれた。引き受けてもいいか?」と、彼が言った。
 「えっ? ということは、離婚は、なしなのね?」
 また、なんの説明もなかったが、重い鎖が外れた、ということらしい。
 嬉(うれ)しかった。もちろん私は、大賛成。
 その結婚式で、彼はこんな事を言った。「今日の花嫁さんは綺麗(きれい)ですね。僕は女房に、こういう結婚式をさせてやれてない、申し訳ないなと思いますね。」隣にいて、涙をこらえるのが大変だった私。変則的に始まった二人の結婚が、こうして少しずつ熟していくのだと、深く受け止めた。
 鴨川での新しい生活を一人で始めた彼の表情は、日に日に明るくなった。やっぱり、太陽いっぱいの自然力は有難(ありがた)い!

 まさに藤本敏夫・加藤登紀子夫妻の離婚からの脱出の一断面の記録である。時は1980年であった。

 私たちにも1981年ちょっとした「脱出劇」の時があった。それは長いトンネルのような重苦しい日々からの脱出であった。四人の幼い子供を抱え、この時、家内はお腹には五人目のこどもをみごもっていた。その春、父は突然認知症を患い、継母を連れて三間しかない私たちの狭い家に転がり込んできた。否が応でも、角突き合わせて共に過ごさざるを得なくなった。

 その時家長として、また一人息子として、かけがえのない父親を面倒見ようと必死だった私に対して、家内は「朝早くから聖書を読み祈っている主人に心も合わせず、かえって逃げ出したくて、子供たちと私だけで別居がしたいと言い張りました」とその当時を振り返って、ある体験記に書いたことがある。そんな危機状態の中で「脱出」が始まった。それはこの日、6月12日に、家内のお腹にいた赤ちゃんが誕生したのだ。それはまさに上から来るプレゼントだった。

 すべての労苦を一瞬にして忘れさせる赤子の誕生は、あれから38年が経ち、年ごとにいつの間にか、その感動が薄れて行ってしまっていた。しかし、その娘に離島に住む上の姉が今朝、誕生祝いをラインで書いて寄越した。それを見て、家内が「おじいさんが来てくれたんだよね。庭の額紫陽花を持ってね、(お産婆さんのところにまでね)」と懐かしそうに語った。するとパリにいる次男が「あれっ、おじいさんが召されたのは、あとだったのだ!」と感想を書き込んだ。一瞬にして私たち夫婦はあの日を走馬灯のように思い出すことができた。そして、ああ、これこそ主なる神様が私たちに上からくださる最大のプレゼント、上からしか来ない脱出のご褒美だと思い至った。

 願わくは、加藤登紀子さんがこのご褒美を望まれるようにと願わずにはいられない。と同時に昨年嫁いで今は私たちの親元から離れた娘に誕生日おめでとうと言いたい。ご主人を大切にね!

2019年6月5日水曜日

再臨の主を待ち望む生活


あなたがたが・・・生けるまことの神に仕えるようになり、・・・イエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めている(1テサロニケ1・9〜10)

 メフィボシェテには、不忠実なしもべがいました。この男は、自分自身の目的を達成するために、王に彼のことについて偽りを語りました。(第二サムエル記)第16章の最初の節は、ツィバの行動についての記録です。彼は、自分の主人の地所を自分のものとするために、ダビデに対する親切を偽り、メフィボシェテの性格をけなしています。彼はダビデをだまし、中傷するために、自分の主人の身体的な弱点を利用しています。何という姿でしょうか。

 しかし、真実が明るみに出されました。誤解されていた者は、完全に潔白が証明されました。ダビデが帰還し、すべての問題が解決し、アブシャロムが場面から消え去ると、ただちに「サウルの子メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、爪も切らず、ひげもそらず、着物を洗っていなかった。」(19・24)

 これが、この忠実なしもべについての御霊の証言です。ダビデが遠くへ行っていた間、メフィボシェテは嘆き悲しんでいました。これは、主がこの地上におられない間、現在、聖徒たちはどうあるべきかの真実な模範です。不在の主との交わりが、クリスチャンの性格に徹底した分離の色彩を与えます。問題は、クリスチャンが何をすべきか、すべきでないかではありません。主の帰りを待っているすべての者がとるべき真実な歩みとは、情愛のこもった人がとるはずのそれです。主イエスのご不在こそが、真実な行動の全き動機なのです。「もしあなたが、キリストとともによみがえらされたのなら、主にあるものを求めなさい。」(コロサイ3・1)霊的な人に尋ねてみてください。あなたは、楽しんでもよいものをどうして控えるのですかと。彼の答えはこれです。主イエスが不在ですから。これが最高の動機です。

 私たちは、私たちの生活を規制する、冷たい無意味な形式主義的規則を必要としません。しかし私たちは、キリストご自身への一層熱烈な愛を必要としています。また私たちは、キリストの早急の帰りを願う、一層生き生きとした願望を必要としています。私たちはメフィボシェテと同様に、すでに神の恵み、尊い恵みを経験しました。私たちは、堕落の深みから引き上げられ、神の民の王たちの中に置かれました。ですから、私たちは主を愛さないでいられるでしょうか。私たちは、主の御顔を見たいと願わないでいられるでしょうか。私たちは、絶えず主の御旨を求めることによって、自分の行動を規制すべきではないでしょうか。もっとメフィボシェテのようになりたいものです。

 しかし、私たちはみな、私たちの憎むべき肉にあまりにも簡単に従い過ぎです。この世のものーー富み、誉れ、娯楽、趣味、教育などーーを、制御せずに楽しむことに走りがちです。そして、私たちがこれらのことを、クリスチャンの名と特権を放棄せずともすることができると空想するから、余計に制御が必要なのです。何と空しい、憎むべきわがままではないでしょうか。わがままはキリストの再臨の日に恥をかきます。 

(『ダビデの生涯とその時代』C.H.マッキントシ著247頁〜249頁より引用。)

2019年5月31日金曜日

聖徒メフィボシェテ(下)

麦秋の上州路

サウルの子メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、爪も切らず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。・・・王は彼に言った。「・・・私は決めている。あなたとツィバとで、じ地所を分けなければならない。」メフィボシェテは王に言った。「王さまが無事に王室に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです」(Ⅱサムエル19・24、29〜30)

 ダビデは危機を乗り越えて帰ってくる。そう信じたメフィボシェテは、とるべき最も聡明な態度を迷わずにとった。ダビデの災難を悲しむ姿勢を一貫した。その、さながら喪に服したような姿でダビデの帰還を待ち、事実ダビデが帰還してきた日にその姿のままで王を迎えたのも彼の賢明さを示す。

 メフィボシェテに先んじてダビデを迎えに出たシムイとツィバの態度(Ⅱ19・16〜20)を、メフィボシェテと比較すると何と卑屈で醜いことよ。

 それに対してメフィボシェテの真実と謙遜とは、まさに光っている。

 軽率にツィバのざん言を信じてしまったダビデの、まの悪さをごまかすような尋問に対するメフィボシェテの返事は、非の打ちどころがないほどりっぱである。明らかに自分の誤りに気づいたダビデは、しかし以前にツィバに与えた約束もほごにできず(この時点でそういうことをすることは政策的に危険であることを、ダビデは知っていた。彼に身をする寄せてくる者たちに寛大でないと、絶望させる結果、再び騒乱になるからである)、いかにもバツが悪いのを必死に押さえて、まことに公正さを欠く妥協的な判決を下した。

 それに対するメフィボシェテの返事が、ダビデにグウの音も出なくさせる。

 「王さまが無事に王室に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです」(Ⅱ19・30)。この一言を聞いた時のダビデとツィバの表情を見たいものである。

 この世の地位、権力、富、名声、そういったものの空虚さをメフィボシェテは知り抜いていた。世は彼に対し、また彼も世に対して、もはや十字架につけられてしまった(ガラテヤ6・14)というのが、掛け値無しにこの時のメフィボシェテの心境だったろう。といって、すねて世捨て人になったわけでもあるまい。淡々として、神の御旨にすべてをゆだね、神の愛の中に安住し、死んだ犬という肩書きを唯一のものとして余生を生きたであろうと思われる。

 歴代誌第一、8・35、9・41を見ると、後日談が書けそうである。メフィボシェテの息子ミカは、その家系を伝える良い息子たちを持ち、サウル家の子孫は由緒正しい家柄として後世に残った。主はメフィボシェテの信仰に対して報いられた。

 メフィボシェテの信仰は父ヨナタンの遺産といってよいだろう。ヨナタンこそは〈神の王国〉の本質を正しく理解し、身をもってそれを表明した人だった。すなわちーー

 神の王国の王は主ご自身であること。この国の王としてだれが立てられるかはひとえに主の御旨によること。その王国において自分に与えられた役割が何であれ、忠実にその果たして主の栄光を現わすこと。

 ヨナタンは右のことを、己れに死に切っていることにより実行した。そして彼の息子もーー。

(『乱世の指導者(サムエル記の人々)』239頁より引用)

2019年5月30日木曜日

聖徒メフィボシェテ(中)

彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」(Ⅱサムエル記9・8)

 しかるに二度目に登場した時のメフィボシェテの姿を見ると、その生活歴から予想されるのとはおよそ違ったさわやかさが現わされている。

 王位が確立したダビデは、ヨナタンとの約束を果たそうと考えた(Ⅱ9・1)。このサムエル記第二、9章は単純に読めばすてきな美談である。そういう読み方がまちがいだというのではない。ただ、サムエル記は歴史書であり、しかもその歴史は(特にこのあたりは)政治史であり宮廷史である。そこに描かれているのは権力の世界だという事実も無視すべきではない。権力の世界とは大体においてうさんくさい、ドロドロした、そして血なまぐさいものでさえある。ダビデもまたその世界に生きた人間で、その汚濁にまったく無関係でなかったことを、むしろ聖書は隠さずに描いている。

 この問題に関するダビデの暗黒面を推測させるのは、サウル家の生き残り7人の刑殺事件(21章)だ。うち続く飢饉の原因探求がサウル家の責任追及に進展し、ギブオン人の要求を入れたという形でサウルの子二人と孫五人が処刑された。この事件に関してダビデの作為はまったくなかった、と、ダビデの名誉のために信じたい気持ちもある。が、結果的にはそれだけダビデ王家をおびやかす危険要素が除かれたことになるわけで、政治家としてのダビデならこの事件について完全に受け身なだけだったどうか疑わしい。

 右の七人の所在がわかったというのはどういうことか。ヨナタンの遺児でさえ身を隠していた状況である。前王朝の遺族が身をひそめるというのは命がけのはずだった。ダビデがメフィボシェテを優遇したという美談が国中に流れたことにより、遺族たちの警戒心がゆるんだとも考えうる。(中略)

 美談の内容だが、サウル家の私領(ダビデが没収していた)をメフィボシェテに返したこと、王族(ダビデ王家の)に準ずる待遇を宮廷内で与えたことで、足の不自由なメフィボシェテはこれによって事実上いつでもダビデの目の届く所に置かれることになった(Ⅱ9・10)

 新王朝転覆をはかる前王朝の遺臣の動きを封ずる効果は十分であろう。

 ダビデのこの処遇を、しかしメフィボシェテはすなおに好意として受け取り、謙虚な態度であふれるばかりの感謝を示した。「死んだ犬に等しい無価値な私にこれほどまで・・・」と、おそらく感涙にむせび、しばしば絶句したかも知れぬ。彼は聡明だった。もしそうでなければ、この場合別なことばや態度が出ただろう。そしてそのことは、後日彼の立場を危うくしたはずである。「このぐらい当然だ。もっとしてくれてもいいぐらいだ。」こんな気持ちがあったらダビデに「この男は・・・」と思われ、たぶんサムエル記第二、21章の七人のリストの筆頭にあげられる結果になったろう。

 彼の聡明さからすれば、ダビデの好意の裏にあるものを読み取ることも困難ではあるまい。そういうことにまったく気づかぬかのようにすなおに感謝したのであれば、その聡明さは驚くべきもの(後日の出来事からも推察して)である。ただしその場合、ダビデに対する感謝は”演技”になるおそれが大きい。もし演技の感謝なら、それを見破れぬダビデではないはず。すべてを知る聡明さと、それでも純粋に感謝するすなおさとがこの場合両立できるか。できたと思う。その秘密はメフィボシェテがまったく己れに死んでいたことにある。

 「死んだ犬」とは、まったくの無価値を表わす(伝道9・4を見よ)。これがこの王孫の自己規定であった。

(『乱世の指導者(サムエル記の人々)』千代崎秀雄著233頁より引用。なお「聖徒メフィボシェテ」の副題は[死に切っていた王孫]である。)

2019年5月29日水曜日

聖徒メフィボシェテ(上)


さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子がひとりいた。その子は、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき5歳であった。

 一人の青年貴族がいたーー。
 祖父は国王、父はその長男だったが、の幼い時に祖父と父とは非業の死をとげ、は家臣によって危うく死を免れた。国王の位は亡き祖父の重臣の一人がうまうまと手に入れ、が成長したころにはその新国王の王座は揺るぎないものとなっており、が新王家の一族に準ずる待遇を与えられただけでも新王の非常な”好意”と感謝せざるをえなかった。ここまではメフィボシェテと同じだが、後がだいぶ違う。

 「彼」とは、名は秀信、姓は織田、幼名を三法師という。祖父が信長、父は信忠。彼は天下をとった秀吉によって美濃国主、岐阜城主とされた。関ヶ原の戦いでは豊臣方につき、敗戦、落城、徳川による刑死は免れたが、5年後、失意のうちに26歳で病死した。

 彼のことを引き合いに出したのは、メフィボシェテの置かれた状況と立場を読者が身近に理解されるためである。しかし、紀元後1605年に死んだ秀信に比べ、その2600年ほど前の”もう一人の王孫”メフィボシェテははるかに聡明であった。のみならず、さわやかな人柄だった。この点はその父ヨナタン譲りであろう。おそらくサムエル記を読んだ人のほとんどは、彼の人柄に対して好感をおぼえるに違いない。その登場場面はわずか三度だが、その聡明さはアブシャロムの乱発生の際に明らかにされ、ダビデの帰還の時に鮮やかに発揮された。このサムエル記第二、19章はまさに聖書中の名場面の一つである。この時のメフィボシェテの清澄な心事の前には、ダビデは惨めなほどに薄汚れて見える。王の前にひざまずく足なえの青年(?)こそ霊の世界では王冠を得た人であり、ダビデのほうは霊の世界ではこの瞬間足なえでしかなかった!

 ボシェテというヘブル語は「恥」を意味する。メフィボシェテの名の意味はいくとおりかあげられているが、筆者はその中の一つ「恥の一掃者」という解釈に特に魅力を感じる。(中略)それは対ペリシテ戦にかけた父子の悲願を反映する。ペリシテに従属させられたイスラエルの恥を一掃したい、という悲願である。(中略)

 だが、この悲願もむなしく、サウル父子は対ペリシテ戦の中途で倒れた。その悲報が伝わった時、メフィボシェテはまだ5歳の幼児だった。すっかり動転したのは乳母である。次の瞬間にはペリシテ軍が留守宅に襲ってくるかのごとくに思い、あまりあわてたのっで抱いて逃げかけたメフィボシェテを腕から落とし、ために彼は終生足なえになってしまった。原文から受ける感じでは、強打して両脚ともに障害を生じ、歩く時には躍るようなかっこうになり、長距離の歩行は不可能だった(Ⅱ19・26)ようである。

(中略)

 足なえということのハンディはメフィボシェテにとって特に大きい。この時代、人々が王として立てるには身体的にも他に抜きんでていることが望ましかった(Ⅰ10・22、23)つまり、彼がサウル王家の後継者たることはまず絶望的だった。それにしても、世が世であれば若様は・・・といったせりふを周囲から何度も聞かされたかも知れぬ。多感な年代を灰色の境遇に過ごしたこの若者がどんな性格に育ったかーー。

(『乱世の指導者(サムエル記の人々)』千代崎秀雄著1981年刊行 230頁から引用。あわせて過去の作品ではありますがhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/05/blog-post_29.htmlを併せてご参照ください。)

2019年5月26日日曜日

お登紀さん(続)

1967年までの我が学び舎

新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。(詩篇96・1)

 加藤登紀子さんの東京新聞夕刊連載の『この道ーーあなたに捧げる歌ーー』は先週の土曜日で37回を数えた。全く縁遠いとばかり思っていた加藤さんの歩みはやはり同世代ということもあろう。共通点が随分あることに日々驚かされる。

 一番ギクリとしたのは、第27回目の「平戸への旅」の次の文章であった。彼女が生涯をともにする藤本敏夫氏の次のことばであった。「人間は地球の居候だ。地球に土下座して謝らなければならない」という言葉。加藤氏によると、それはそれまで「学生運動のリーダーとして、街頭行動を引っ張って来た彼が、その後の農業を軸にした環境活動家になるまでの新しい道に踏み出す糸口を見つけた。」ことであるらしい。

 この思い切りの良さが1969年の藤本氏の言であることに限りない共鳴を覚える。私もまた、同年当時下宿していた畑の一隅に膝を屈して自らの神様に対する非を衷心から詫びたからである。藤本氏ほど学生運動に身を入れた者ではないが、この時を境に自身の神なしとする自己中心のそれまでの生き方の転機を経験した。

 次に目を見張ったのが、第31回目の「酒は大関」である。確かに彼女がそういうふうに呼ばわっていたのをかすかに記憶している。ところで何が類似しているかと言うと、大学を卒業して田舎の教師として赴任することになった高校の最寄駅はその名も「山前」であったが、その山の頂上近くには「酒は大七」と宣伝よろしく大看板がかかげてあり、どこからでも見通せ、遠くから高校の敷地を否が応でも知ることの大きな目印となっていた。まあ、つまらぬことではあるが・・・

 最後に知らされたのは、第37回目の「花ひらく30歳」であった。これには思わず苦笑せざるを得なかった。冒頭次のように書かれていた。「藤本敏夫との獄中書簡は、全部で141通。1972年5月から74年9月まで約二年半の記録が残った。」もちろん、このご夫妻の必死の往復書簡は決して笑い事で済ませる問題ではない。夫が獄におり、初めての赤ちゃんを抱かせたくても抱かせられない、その苦しみ、悲しみの最中にある書簡であるからである。

 苦笑いと言ってしまったのは、私たちもまた1967年4月から1970年3月まで往復書簡を交さざるを得なかった。事情は異なるが、それだけ互いに書簡に真情をあふれさせずにはおれなかったからである。

 このように37回にわたる彼女の追憶を読ませていただくときに、彼女がいかに泣く人であるかを知り驚いた。彼女の愛がそれだけ強いからであろう。歌手は小手先のことばで生きるのでなく、全身全霊を込めて存在する。遠くの存在であった加藤登紀子という有名人がこうして私たちと同じように悩み苦しむ人であることは当然といえば当然であるが、日々共感しながら読ませていただいている。

 ウオッチマン・ニーのことばを少し記しておく。
「一つの不思議なことがあります。聖書を読むことのできる人はすべて、話を聞くことが非常に速いことです。一度、話すとすぐわかります。あなたがどのように話しても、彼はどのようにでも了解します。主観的でない人は、話を聞くことができ、聖書を読むこともできます。これに反して、多くの人はあなたが一度話しますが、彼には印象がありません。あなたは彼に二度話します。しかし依然として何の印象もありません。これは彼の頭の中のものが非常に多く、思想も多く、意見も多く、主張も多いためです。あなたは彼に一度話し、二度話します。彼は聞いても少しの進歩もありません。わたしたちがもし、自分が主観的な人間であるかどうかを試そうとするのであれば、ただ他の人の話がわかるかどうかを見ればよいのです。人が何気なく言う事を、自分は理解できますか? わたしたちが地上で生きている限られた年数を考えるなら、もし主観的であるとしたら、わたしたちの時間はどれだけの損失を被るかわかりません。客観的な人が聖書を一度読むほうが、主観的な人が十度読むより勝っています。」(『聖書を読む道』ウオッチマン・ニー著42頁の「主観的であってはならない」に関する項目の抜粋引用)

 私の加藤登紀子さんの文章の読み取りは主観的な読み取りで、悪い例でないかと思う。たとえば、加藤氏が獄中書簡で伝えたいものは、私の共鳴ぶりではなく、むしろマタイ11・3や使徒16・25に近づけて読む方がより客観的な読み方と言えるのではなかろうか。そんなことも考えさせられた!

2019年5月18日土曜日

ある日の家庭集会裏話

皆様をお迎えした花々

きょう、救いがこの家に来ました。・・・人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカの福音書19・9〜10)

 家庭集会なるものを開かせていただいてもう何年になるのだろうか。けれども、すべて物事には始まりがあれば、必ず終わりがある。この家庭集会もそろそろ終活の時期にさしかかってきた。それがいつになるのかはわからない。

 ただ、家庭集会は福音をお伝えするのが目的であるから、体が続く限りやらせていただきたいと思っている。それどころか、私たち夫婦にとり老化防止に大いに役立っている。特に私にとっては。皆さんが帰られた後、どなたが来られたか、お名前をあげて確認する楽しさがある。お顔を思い浮かべ、名前までも確認するのに、結構歳をとり弱くなった私の脳がフル回転させられるからである。

 ところが、今回この作業が意外なところで役立った。それは一人の方がイザ帰られる段になってご自分の履いてこられた靴が見当たらなくなる出来事が生じたことによる。その方は私と一緒に集会が終わってから、病院に一人の方をお見舞いする手筈だった。最後に、靴は二足しか残っていなかったが、もう一人さらに遅くまで残ることになる方がこちらが自分のだと言われる。残された一足を前にして、その方はこれは私の靴じゃないと言われる。止むを得ず、サンダルをお貸しし、取り敢えずは病院にその方の車で出かけることができた。

 帰ってきてから、どなたかから履き違えの電話連絡がなかったか、心頼みにしていたが一向に連絡がない。がっくり来た。主催者として何とお詫びして良いか、困り果てた。その時、一計が思い浮かんだ。そうだ、私は来られた方々の名前を把握しているのだ。それぞれの方にこちらから確認できる。しかも、出席者の大多数の方のメールアドレスを教えていただいているじゃないか、という思いだった。二、三手間取ったが、それでも最終的には文明の利器を利用して絞り込むことができた。

 そして、今朝になってご本人が直接拙宅まで歩いてその靴を返しに来られた。そのあとすぐ、間違えられた方には私の方から靴を持参しお返しすることができた。水曜日の家庭集会から、丸二日間、時間はかかったが、こうして無事、靴はそれぞれの方々の元の鞘に収まった。靴を間違えた方とはまだお会いして二週間足らずだが、二回の礼拝の日、そして先頃の家庭集会の日、そして今朝の拙宅での玄関先の上り框での会話と都合4回を数えることになったが、その方の孤独病は果たして癒されただろうか。

 孤独でない魂は一人として存在しない。主イエス様は私たち一人一人を用いてその孤独な魂に触れなさい、福音を伝え続けなさいと語っておられるのでないだろうか。

 なお、お見舞いした方は、入院先から、朝、その靴を間違えられた方に「(私は入院中だから行けないけれど)今日の家庭集会に行ってくださいね」とお誘いの電話をされたそうだ。でも、こうしてその方の祈りが答えられ、出席されたのだ。

 「家庭集会に私の知人が出席しますように」「靴の取り違えが解決しますように」などなどと、家庭集会は多くの人々の祈りが聞き届けられるように、主ご自身が開いておられることを忘れてはなるまい。次回は6月19日だ。読者諸氏も祈りのうちに覚えてくだされば幸いだ。