2019年11月9日土曜日

天国の人名簿

長野県御代田町(2019.11.2)

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。・・・(マタイ5:3〜12)

 山上の垂訓は、わたしたちの主イエス・キリストの、記録された最も長い説教である。(略)山上の垂訓の最初の言葉に、キリストの人名録がある。この名簿に登録を許される資格は、この世の標準で判断されれば、奇妙で独特なものである。(略)

 まず最初に、イエスは心の貧しい者、みずからの霊的な絶望と要求とを感じる者の名をしるしておられる。これは、人は罪深くきよくない者であるから、功績によっては、救われないことを示すものである。彼らは、救いは恩恵によってのみ自分のものになることを知っている。こうした者に天国は約束されている。

 次にイエスは、悲しむ者を名ざしておられる。彼らは自分の罪に泣き、イエス・キリストの血がすべての罪から彼らをきよめて下さるという福音によって、慰められる者である。

 次に来るのは、たといわたしたちが高貴な身分であっても、自らの救いについて誇りうる者はだれひとりもいないということを知っている、柔和な謙遜な人である。神の恩恵は、わたしたちを神の国に招き、神の福音はわたしたちを信仰にみちびいてくれる。これは高価なものであるーーそれが神のものであるにもかかわらず、特権として受けて自分のものとなるのである。

 名簿の中には、次に義に飢えかわく者が続いている。彼らはキリストにおける神の愛を十分感知して、神に喜ばれることを行おうと切望し、努めている。彼らは満足し、神に報いる奉仕によって、最大の喜びを見いだすであろう。

 次に登録されているのは、あわれみ深い人である。彼らは親切であり、忍耐強く、思慮深い。彼らは苦しむ者とともに苦しむ。彼らはその新生した心の善良さから、善を行なう。彼らは親切をもって報い、あわれみが彼らに現われている。

 この名簿は、心の清い人がいなくては完全ではありえない。彼らの中には、わるがしこさも策略も見られない。口だけの礼拝は、このような人々には無関心である。彼らは神を見るであろう。

 記録はさらに、平和をつくり出す人たちをも含んでいる。わたしたちは、彼らを必要とする。彼らは生活をなめらかにし、摩擦をしずめる。神は彼らを、神の特別な子らと呼びたもう。彼らは家庭においても、教会においても、また国家にあっても、ものごとを円滑におさめるので、神に特に愛される者である。

 最後に、多くの迫害されてきた人たちが、キリストの名簿にしるされている。なぜなら、この世は、彼らをののしり、またきらったが、彼らはキリストを救い主また主として、告白した神の民だからである。あらゆる種類の虚偽と非難とが、彼らに計画的に投げつけられた。生活はきびしく、にがく、危険であった。しかし、彼らはどんなことにも屈せず、かえって喜んだのである。なぜなら彼らの名は生命の書に書かれているからだ。

祈り

 恵み深き主よ、あなたの恵みのうちに日々わたしを支えて下さい。罪をゆるし、正しい道にわたしをみちびいて下さい。生命の書にわたしの名が書きしるされている確かさをもって、慰めて下さい。わたしはわが主、わが救い主であるイエス・キリストによって、あなたから選ばれた者です。アァメン

(『聖書の黙想 第一巻マタイの福音書』アルフレッド・ドーフラー著矢野英武訳55〜59頁より抜粋引用。余談だが、そもそもこの本はその名も「復活書店」という知る人ぞ知る、名にしおう書店で数年前に100円で求めたものである。店主の方が今病に伏しておられることを2、3日前に知り、祈りの友の間でこの方のために祈り始めた。)

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