2014年2月21日金曜日

あなたの産業は奈辺にありやと古の聖徒問う

小林儀八郎さんが残された手紙60余通を拝見させていただいたのは、もうかれこれ6、7年前になろうか。その数多の書簡を一読、小林さんの純粋なる主イエス様への思いに粛然とせざるを得なかったのを思い出す。今、その一通一通を一冊の本にしようとご遺族の方と、読み返しつつある。以下は儀八郎さん(当時30歳)が勤務地上海から、お産のために日本に一週間ほど前に里帰りした新妻正子さんにあてた、昭和16年(1941年)10月12日 日付の手紙である。改めてその真情に触れ得た思いがしたので再びご紹介する。


本日は夕食を両隣と三人で(ホンキュウ)の支那料理にした。こんなに簡単に食えるなら正子にも食わせて置けばよかったと後悔している。マーチャンが居なくなるとあれもこれも言う通りにしてやればよかったと思い出す。
一緒に居る時も善さは判るが別れて見るといろいろのことが思いまわされて一入有難く感ずる。「賢き婦を得るは如何に難しきかな。その価は真珠よりも尊し。」マーチャンこそ私の宝であるを知る。

レビ人等がその産業をエホバ御自身としたる如く我等の財は主イエス御自身でなければならぬ。悪人の亡ぶるを悦び給わぬ主は(エゼキエル三三・一一)我が如く御旨に背く者を帰らしめんが為に十字架の道を知らしめ給いしのみならず、かくも美わしき(外形に非ず、人の本質たる心を指すなり)妻を、友として賜いたるなるべしと思えば勿体なき冷汗の背を湿す思あり。

薔薇の花の模様のついた日本茶の茶碗を一度に二ヶ割ってしまった。窓ガラス一枚こわした。三上さん御主人が帰られて梨を頂いた。林チャンのお宅から柿が届いたので分け前を貰った。綿製品もいよいよ送れなくなった。その前に少しでも皆さんにお分かち出来たことを感謝します。

菊薫る秋が来た。心も身もひき締めたい。新しき生命のために祈ろう。身体も、能力も、吾々の思う如くではなく与え給う者の聖旨による。只願う信仰の与えられんことを。私には何物も善きものはない。

只御恩寵により若き日に覚えしめられた造り主のみが私の生命であり、祝福であり、宝であった。苦しかった日、楽しかった日、今の幸なる身の上。凡てが彼によりて感謝である。「男児であれ、女児であれ、此の子と共に主在せ。」親となる者の与え得る祝福の唯一つにして最大なるものが之であると思う。 
 
十月十二日                       儀八郎より

懐かしきマーチャンと  私共の子供へ

言うまでもなく、赤字で示したことばは旧約聖書箴言31・10である。なお、儀八郎氏も正子さんも、ともに藤本正高さんの講筵につらなる信仰者であった。藤本正高著作集にはこのお二人について記している箇所が二三ヵ所あるが、そのうちの一ヵ所を参考のために以下に記す(著作集第5巻の81頁より引用)。

昭和15年(1940年)9月23日(月)
晴 秋晴れ。休日を利用して岩井君、田中正子さんと登山。五日市から渓谷を歩く。渓流の畔りで飯を炊き、農家から買ってきた野菜を煮て食事をする。なかなかの御馳走である。それより坂路を登る。やはり山はよい。陣場山の見えるところまで来た。 一昨年の秋、雨の日にその山に登ったことを思い出す。その時は今日の三人の他に上海にいる小林君、福岡に帰った梅田さんがいた。時間の経過は我等の境遇を変える。離合集散は偶然であろうか。或いは必然であろうか。今日ともにいる者も、来年は所を異にするかも知れない。しかし過去を追憶するということは、我等人間にのみ与えられている能力ではないだろうか。過去を追憶する能力のあることは、現在をも過去として追憶する未来のあることを示し、又我等の過去の責任を問われる審判のあることを意味するのではなかろうか。時の流れは厳粛である。一日一日を永遠の今日として、天国に連なる一日として送らねばならないことを痛感する。

2014年2月14日金曜日

学んでから伝える フランシス・R・ハヴァガル

信濃鉄道車内から浅間山を望む   2014.2.13
主は・・・サムエルの耳を開いて仰せられた。
                (1サムエル9・15)

あなたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
                (マタイ10・27)

 みことばを宣べ伝える者に対しての、主のお取り扱いの特に優しいところは、主は、いつも、先ず初めに私たち自身にそのことを学ばせて下さるということです。

 主が先ず暗闇(くらやみ)で話されたこと—すなわち私たち自身の部屋で、少なくとも私たちの心の中に内密に—を主は明るみで言うようにされるのです。

 そして、私たちが主の足もとにすわって、主が私たち自身に話そうとされることを注意深く覚えれば覚えるほど、私たちは他の人々にメッセージとして伝えることが出来ます。

 主は、私たちがその内容について何も知ることがなく、その内容に何の関わりもないような、封がされた便りを持たせて私たちを送り出すことはなさいません。

(『ひそかな所の隠された宝』フランシス・R・ハヴァガル著100頁より引用)

2014年2月10日月曜日

宣教師、誰かこの任に耐え得んや(下)

府中郷土の森公園にて
前回ご紹介したパール・バック女史の父親の死についての感想は私に様々な感慨を抱かせた。それははしなくもそこに露呈されていた宣教師夫人、すなわちパール・バックにとっての母親の死が父と全く異なったものであったことが述べられていたからである。そのことを確かめるために続いて『母の肖像』(村岡花子訳新潮文庫)という彼女の書いた本を読み、結婚について・夫婦のあり方、特に主を受けいれることの重要性について改めて教えられる思いがした。

この宣教師夫妻はアメリカからともに中国に宣教に出かけることを通して、結婚に導かれ、何回かの賜暇休暇のためにアメリカに戻った以外は、全生涯のほとんどの期間を中国で過ごし、その骨を中国に埋めた夫妻である。妻は夫より10年先だって召されたが、二人の間には七人の子女が次々と与えられたが、それに呼応するかのようにこれまた四人の子女を相次いで失くしていくにいたっては全く圧倒された思いにとらわれざるを得なかった。しかもこのことの精神的、肉体的負担はつねに妻に一方的にかかり、夫には妻に与えた影響ほど深刻なダメージが伝わらない様子が娘であるパール・バックの筆を通して直裁に描かれ、胸を打つ。

たけり狂う灰色の海の上に灰色の空が重く垂れている。神はいずこに在ますというのか? 祈ったってどうなるものか—しるしを求める必要もない。彼女は神に挑戦するかのように子供をしっかりと両腕にかかえて、そこにうずくまり、海を凝視した。そうして急に大声をあげて咽び哭いた。この大きな悲しみの最中でも船酔いは去らない。死んだ子を抱きかかえて母を無慈悲な船酔いが苦しめる。生まれて来る生命のために彼女は自分の身体を大切にしなければならない。(略)暴風を警戒して密閉してある窓の厚い硝子に顔をぴったりつけてアンドリウが外を眺めていた。黒い水は間断なく硝子窓を打つ。まるで海の底を走っているようであった。彼は落ち着いた顔を妻のほうに向けて、おだやかに言った。「神のみ心だ」然し、母は濡れた髪の毛をかきあげながら投げつけるように答えた。「私に神さまのことなんか聞かせて下さいますな」と言ったかと思うと、俄に彼女は声をあげて泣き出した。(同書110頁)

しかし、これは始まりに過ぎなかった。その後三人の子を失う。そして四人目の犠牲者を出した後の叙述として次のように記されている。

やがて生まれて来る幼い者のことを考えても、何の悦びも感じない。生んでは死なせ生んでは死なせするのだったら全く無用である—恐ろしい、悲しい、生命の浪費である。又しても母は以前のような病的の恐怖におそわれて来た。子供たちがこんなに次々と死ぬのは、何かの罪の罰ではないだろうか? かたくなで神に背いている罪の心を神がこらしめているのではないか? 考えて見れば今は昔のように純粋な気持で、飢えかわくが如くに、神を求めてはいない。唯、人間に親切を尽くすだけで満足している。神を求めるために努力したことがない。これでは、しんそこ神に服従することを覚えるまでは、何度でも、打ちのめされるかも知れない—一人の子供でも残っているあいだは、神のこらしめの鞭はいつ当てられるか分からない。神に服従することを学ばなければならない。(同書190頁)

アメリカを離れ、中国で生活し、中国人の救いのために生きることは、しかもこの当時中国は共産革命以前の時代ではあったが、義和団事件という外国人排斥運動もあり、きわめて宣教師には生きにくい時代であった。その時、この宣教師を支えたのは七人の子女を夫の助けを借りずに懸命に育て上げるだけでなく、夫の宣教のために物心両面の援助を惜しまなかった妻の内助の功であった。その妻がいなければ、この宣教師による中国訳聖書の発行も日の目を見なかったことだろう。これだけを知るだけでもすごい働きだと思わざるを得ない。しかし、夫婦のありかた、また結婚というたいせつな原点を描いている最終章近くのパール・バックの描く次の箇所は残念ながら私の同意できないところだった。

母はまちがっていた。アンドリウは彼の説教をどんなふうにでも手伝われたりすることは望んでいない。自分の説教に満足しきっているし、妻の助言などというものにはいささかの期待も懸けていない。彼女の好む賛美歌などは父には無意味に思われ、陽気すぎると言うのだった。恐るべき地獄が、この世のむこうに口をあいて待っているのに、この世の悦びや美などを歌っているのはもっての外である。その上に、パウロの神学の、女は男に従属すべしという思想がしみ込んでいるアンドリウは、母が家庭を治め、子供を生み、彼のために日常の用事を弁じてさえいればよかったのだ。「男は女の頭なり」男を通じてのみ女は神に近づけると聖書は教えた。(略)女性に酷なる時代—宗教的生涯を歩もうとする凡ての者に峻厳だった時代に、生まれ出で育てられて来た母としては、結婚の常道から離れようなどとは思いも寄らなかった。如何に相克する夫妻であろうと、如何にその結合が空虚な殻であろうとも、如何に内面生活が相隔たっていようとも、外面のつながりは絶つべきではなかった。如何なる強い愛の結合よりもなお一層強いものは宗教と義務の鎖であった。(256〜257頁)

ここで「パウロの神学」とパール・バックが言い切ることに私は違和感をまず覚えるからである。聖書はイエス様が中心である。そしてパウロの書いたことはイエス様の言われたことと表現は異なるが全く同質のものであり、霊感された神のことばであると思うからである。悲劇はパール・バックが幼いときから見聞きした夫婦の様は彼女が描くように大変な遠隔を持ったまま決して一致することがなかったことに起因するのでないだろうか。そこに宣教師自身の大きな責任があったのでないだろうか。ただ宣教師は妻の死に際し、本当に妻は救われているのであろうかと心配する場面が描かれているが・・・(『戦える使徒』224頁、『母の肖像』282頁)。

恐らく、賢いパール・バックは母の二の舞を歩むまいと固く決心したのではないだろうか。能う限り懸命に生きているパール・バック、また大変な知日家であるパール・バックの日米中に関する二つの作品で示されている考察は中々鋭いものがある。念のため『私の見た日本人』という作品も読んでみたが、一読そう思わされた。しかし、肝心の福音は彼女には受け継がれていない。一組のカップルが太平洋という大海を越えてはるばる中国にまで出かけ、夫はそこで福音のために働いた。だが、妻は最後まで福音を受けいれられず、その穴埋めをするかのように懸命に中国人を分け隔てなく受けいれたその姿は、反面教師としてヒューマニストとしてのパール・バック女史に受け継がれたようだ。そしてこれが今日のアメリカ人の一般的な姿のようにも思う。

時代は移り変わり、日中関係、日米関係、米中関係に新たな知恵を要する時代になったという。いとも簡単に先人の築き上げて来た国際関係を無視するかのような昨今の風潮の中で、パール・バックの示す本を読み返すことも無駄でないように思った。しかし、福音に生きることの難しさを改めて思わされるとともに、中国人のために身命を投げ打って仕えた宣教師夫妻に心から敬意を表したい思いがする。最後に『戦える使徒』を読んで感動されたのであろう、その本を図書館に寄贈されたのであろう方が裏表紙に署名入りで手書きで書き込まれていた。その文章を以下記す。

この書を読んでアンドリウの生き方に僕は感動した。自己の総てを神に捧げつくした人間の確信と幸福を画いているが、僕にはまだこのように神に凡てを捧げつくすことは出来ない。僕はまだ自己の幸ひを願っている。それは眞の幸ひではないかも知れないが恐ろしい気もする。

この本でパール・バックがアンドリウの内面の幸ひをあまり画いていないのが、しかたのないことだろうけれど、不満だった。しかし不思議に思ったのは、神に凡てを捧げ家庭をかえり見ないアンドリウの妻と子(パール・バック)が人間的にはアンドリウを絶対的に尊敬し信じ、愛して苦しみを共にしていることだ。アンドリウは幸福な人であったというより他はない。
                            ○○○○ 1955・3

だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。(2コリント11・29〜31)

2014年2月7日金曜日

宣教師、誰かこの任に耐え得んや(上)

蝋梅 府中郷土の森公園で
安田寛さんのご著書を以前紹介させていただいたが、その安田さんが宣教師の心として紹介しておられる文献にノーベル文学賞作家パール・バック女史の『戦える使徒』がある。この本はパール・バックが父について書いた本である。以下、その冒頭部分の叙述を紹介したい。(『Fighting Angel(邦訳名は「戦える使徒」深沢正策訳ダヴィッド社1955年刊行6〜7頁)

「お父さん。私たちに読ませるために、あなたの生涯がどんなだったか、書きのこしてくださいません?」

なぜかというと、彼は中国を北も南も、東も西も、村落も都会も、のこらず遍歴しているのである。その冒険は幾冊かの著書を満たすにたりるであろう。生死のさかいに彷徨したことも一再ならずあった。そればかりでない。中国人というものを彼ほど親しく見た欧米人はけだし稀であろう。彼は中国人をその日常生活で、結婚式で、病床で、また死の床で—彼らの生活のもっとも切実な瞬間まで見た。そうして中国人が一国として古代からの歴史を繰り返すのも、また見たのである。皇帝の統治、帝国の顛覆、革命、共和政治の開始、ふたたびの革命—それらは彼の眼前に展開した中国の社会相である。

それで彼は七十歳になったとき、自分の観じた生涯を書いた。夏ぢゅう、ひまさえあれば彼は書いた。ほかのものはみな午睡している暑い午後にも、おぼつかない調子で彼が古ぼけたタイプライターを叩く音を私は聞いた。またその音は早朝からも響いた。米国のウエスト・ヴァージ二アの農園で育って、子供のときから早起きの癖のついた彼は、ゆっくり寝ていられないのである。朝寝坊は彼にとって、肉体的に不可能だったばかりでなく、精神的にも敢えてし得ないものであった。

 めざめよ。 わがたましい
 いまこそ、昼なれ
 わざ、やむる夜の、来るは、はやし

夜は来る—夜は来る! 彼は常に人生の短きを忘れなかった。

 人の齢は 草のごとく、
 その栄は 野の花のごとし
 風すぐれば、失せて、あとなく
 その生いいでしところに問えど
 なお、知らざるなり

しかし、こうして完成した彼の七十年の生涯の記録は、たった二十五ページであった。この二十五ページに、彼はその生涯の重要だと思うことを、全部まとめたのである。一時間もかからないで私は読了した。それは彼の霊魂の—不変の霊魂の物語であった。あるところで彼は、その妻たるケアリとの結婚に触れている。また他のところで、妻とのあいだに生まれた子女のことを列記している。ただし、そのなかでも彼は、五歳のときに死んだ、妻のもっとも可愛がった男の子のことをすっかり忘れている。そうして、ほかの子供についても、生まれた事実があげてあるだけで、一言も余計なことが書いていないのである。

けれども、こんな省略は、何事よりも雄弁に彼の記録の本質を語っている。それは、男、女または子供の物語でなく、一つの霊魂がその定められた目標まで、「時」を通して行進した記録だからである。

—この霊魂には人世に生まれた時があった。予定された天職があった。その天職は成就された。あとには天国がある—それが彼の記録の全部である。そのなかには、人間生活が出てこない。饗宴の歓楽もない。愛の喜びも、死のかなしみもない。もちろん、彼が幾度も体験した戦慄すべき危険などについては、何も言及していない。帝国も、皇帝も、革命も、この波瀾万丈だった時代の動きも、そこにはない。人間の精神や態度さては幽遠な哲理に対する思索もない。その物語は、暁に現われた太陽が、蒼天を横切って堂々と行進し、そうして自ら放つ光栄のなかに沈むことなく、極めて単純に語られている。

以上が冒頭部分であるが、娘は父のわずか二十五ページにすぎない梗概を邦訳で二百七十一ページにあたるこの作品とした。その父は八十歳で召される。末尾の部分はその部分である。再び転写する。

すると一週間ばかりして手紙が来た。同時に各地を迂回して中継されたのであろう。電報が届いた。その山上で父は、ある夜、昔の赤痢が再発して、数時間で死んだという。苦痛もなかった。苦しまなかったらしい。ひどく衰弱した肉体から、彼の霊魂は大きなうめき声を立てて自由の境へ離れたという。しかし、肉体は彼の極めて小部分であったから、その最終の静けさも、重大なこととは思えなかった。いずれにしても父は常に肉体から半ば離れていたので、彼の死は、全く肉体から抜け出し、本然の姿—霊体になっただけである。

私たちは真珠の殻を山上に埋めた。そこと天のあいだには何物もさえぎるものがなかった—樹木もない、人家もない。下は岩である。霧は低迷している。風は吹き、日は照らし、星は光を落とす。どこにも人間の声は聞こえない。

今になって思うと、人生の皮肉は底が知れないものだ。幾年かの昔、清き高山のいただきを愛し、そこに住もうと憧れた母は、身もたましいも、中国の都会の中心にある外国人墓地として壁にかこまれた、狭い、暑苦しい、暗い場所に、永遠に葬られている。(略)それだのに彼らの霊魂のために人間ばかりもとめていた父は、高山のいただきに、何物にも煩わされず、寂しく眠っている。(略)母は、生涯、人間性の羈絆や情熱から離れようとあこがれていたが、生涯、人間性は母をとらえていた—母自身の人間性と、全世界の人間性が母をとらえていたのである。その母にとって、死は生命との闘いであり。そうして母は負けた。しかし、父は人間生活の片はしにすら触れたことがない。人生の内容を決して知らなかった。人の世の疑惑も感じなかったし、人と生まれた悩みも味わわずに去った。それが幸福な霊魂としての父の生活であった。そうして彼は自ら死んだことさえ決して悟らなかった。

すべてを投げ打って異国に骨を埋める宣教師の姿が娘の眼を通して正直に語られている。しかしこの宣教師にして娘に正しく福音が伝えられたかどうかは末尾の文章を見ても定かではない。げに宣教師が「神の使徒」たらんとすることの厳しさを改めて痛感させられる。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15・13)

2014年2月6日木曜日

「神の家」に集まろう

うっすらと 雪化粧の 聖句かな
昨日の家庭集会は宣教師のベックさんがご病気で来られなくなったので、それぞれ地元の者が急遽代行した。私は昼間、もうひとりの方は夜だった。私はリタイアしているから準備する時間は備えられている。もうひとりの方は昼間忙しい仕事をしておられる。どう考えても大変である。しかし、みことばをお伝えすることはそのようなことと余り関係がない。働いていようと働いていなかろうと、主が示されるみことばは空理空論なものでない。知識でもないからである。生きて働いておられる主なる神様はそのような忙しい働きをしている方も尊くお用いになる。

当日、いつものように看板聖句を習字で書いた。そのおり示されて話そうとするみことばを大書したわけである。ところが例によっていざ筆をとると果たしてこの漢字は正しく書けているか気になった。老眼の我が身には元になる漢字の濁点などが見えず苦労する。ところが今回は最初の文字でハッと気づかさせられた。「聖書 」の「聖」という字だ。ご覧の通り、王の上に耳と口が仲良く並んでいる姿だ。思わず、王様であるイエス様のおことばに「耳」を傾け、そのとおり、「口」にすればいいんだと、全く自分勝手に納得してしまった。こうなると習字も大変な効用を発揮するものだと言える。

昼間、私はヨハネ11章を主体に語らせていただくつもりだったが舌足らずで終わってしまい、悔いが残った。ただ夜の集会に出てその忙しい方のメッセージをお聞きした。考えてみると昼間は「口」となり、夜は「耳」を用いたわけである。その方は創世記28章の16節から17節を引用聖句にし、『神の家』という題名で語ってくださった。歯切れの良い胸のすくメッセージであった。「神の家」は「自分」・「自分」のことを考えてばかりいる人には本来住み得ないところだ、そうでなく自分は駄目だ、主にすべてを委ねようと決意した者だけが住み得る世界だと言われた。その典型例がヤコブであることをその生涯をひもといて示された。聞いていて、ぐじぐじと昼間のメッセージで腑甲斐なかった己が心に支配されそうになっている私は諸手を上げて賛成して聞くことができた。

宣教師のベックさんが来られないとわかると、途端に集われる人が少なくなる。私にもその気持ちはわからないではない。私もそうだからである。しかし、はたしてそれでいいのだろうかと思う。みことばは私たち一人一人の生活の現場で語られるものであり、互いを戒め慰める働きがある。主なるイエス様が教会のかしらであり、罪人であるみんながみことばを中心として集まるところに、御霊なる神様は御臨在され、祝福される。愛が冷え切っている今の世にあって、愛の共同体、有機体である教会の責任はますます大きいことを思う。

私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル10・21〜22、25)

2014年2月4日火曜日

キリストの友情—その親しい交わり

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ15・15)

まことの友情の最高の証拠と、その喜びの最大の源は、友と心の奥底の秘密を分かち合う親密さにある。キリストのしもべとなることは幸いなことである。キリストによって贖われた人々は喜んで自分を奴隷と呼んでいる。キリストはしばしば弟子をしもべと呼ばれたことがある。しかし主はその大いなる愛によって、「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません」と言われ、聖霊の降臨と共に新しい時代が始まったのである。「しもべは主人のすることを知らない」から、しもべは主人のすべての計画に立ち入ることは許されず、ただ従うだけである。しかしそのしもべが、「わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」というみことばによってキリストの友となったのである。キリストは友には父からまかされたすべての秘密を打ち明けられる。

このことが何を意味するかを考えてみよう。父の戒めについて語られるとき、キリストの言われた戒めとは、聖書に書いてあることだけでなく、父からの毎日毎時伝えられる父の特別な戒めも含んでいるのである。これについて主は、「それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです」(ヨハネ5・20)と言っておられる。キリストのなされたことはすべて神のみわざである。それはキリストが十分な理解をもって、父の意志と目的を実行されたからである。また神の相談にあずかる者として、キリストは神のご計画をことごとく知っておられたからである。

さて、しもべのように主のみこころの意味と目的の霊的な内容も知らずにみこころを行なうのではなく、今や祝福されたキリストの友であることによって、キリストの身内として神の秘密のお考えをある程度知ることを許されたのである。ペンテコステから後は、聖霊によってキリストは今までの譬ばなしを離れて、神の国の奥義の霊的な理解に弟子たちを導かれることになったのである。

友情は何よりも交わりを楽しむ。友はよく相談し合うものだ。友は友以外の人には知らせたくないことでも互いに信じて話し合うものである。

主とのこの聖なる交わりにクリスチャンを近づかせるものは何であろうか。また父がキリストに示されたことをキリストが私たちにお知らせになるのを、理解するための霊的な能力を私たちに与えるものは何であろうか。それは魂をきよめるところの愛情に満ちた服従である。それはみことばの戒めを理解するだけではなく、私たちの日常生活にみことばを実際に当てはめていくことにも関係がある。しかし、これらのことは信頼とへりくだりがなければとうてい期待することはできない。そして誠実さをもって服従すれば、魂はさらに主との密接な交わりにかなうようになり、日々の生活に、「 わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」というみことばを絶えず経験するようになるのである。

祈り
「 『わたしはあなたがたを友と呼んだ』とあなたは言われました。何という光栄でしょうか。ことばで言い表わすこともできないほどです。何というすばらしい特権でしょうか。救い主よ、『わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしは友を愛する。わたしは友を信じる。友には父とわたしとの間に起こるすべてのことを知らせる』と、私の魂に力強く語りかけてください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』アンドリュー・マーレー著安部赳夫訳127〜130頁より引用。)

2014年2月3日月曜日

キリストの友情—その証拠

Andrew Murray(1828~1917)
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。(ヨハネ15・14)

主が友情の証拠として与えられたもの、すなわち主のいのちについては、主はすでに語って来られたが、ここでは私たちのがわでなすべきこと、つまり主の命令に従うことについて教えられる。主がいのちを捨てられたのは、私たちの心の中に場所を確保して、私たちを支配するためであった。主の愛が私たちに命じられ、また私たちを励まされるのは、主の命令に従うことである。私たちは主が死によって与えられた愛を知っているからこそ、喜んでその命令に従うのである。私たちが命令に従えば愛がいっそう増し加わることがわかる。

「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです」(10節)と言われた。主はこの真理を再び繰り返して言うことを必要と考えられたのである。主の愛を私たちが信じるただ一つの証拠、愛の中にとどまるただ一つの道、まことの枝であるただ一つのしるしは、主の命令を実行することである。主はご自身のいのちを私たちに無条件でお渡しになられたのである。ゆえに主は、私たちに全く同じことをお求めになることができるのだ。主の命令に従うことのみが、主の友情の中にある生涯である。

服従の絶対的必要性は、キリストのお考えに反して私たちは信仰生涯の中でほとんど重んじることをしなかった。私たちは義務よりも権利に重きをおいていた。私たちは絶対的服従を弟子の資格としての真の条件とは考えては来なかったのである。主のご命令に従うことは不可能であるから、それを私たちに期待するのは無理であるといった考えや、罪を犯すことは避けがたいとする無意識の感情が、しばしば主の戒めと約束から力を奪い去っていたのである。それによってキリストとの関係全体が曇り、低められた。また主の教えを守ることや主の声を聞いて、これに従い、主の愛と友情を受けることが弱められてしまったのである。何という恐ろしい過ちであろうか。今こそ正しい立場に返り、みことばを文字どおり正しく解釈し、「 あなたがたはわたしが命じることに従うならば、あなたがたはわたしの友である」とのみことばを、そのまま私たちの生涯の法則としようではないか。疑いもなく主は、私たちが心から誠実に、「そうです、主よ。あなたの命じることを私は何でもいたします」と言うのを求めておられるのだ。

これらの命令は、友情の証拠として直ちに実行されねばならない。実行する力はすべて主との個人的関係によって与えられるのだ。私たちは友人には他の人にはしないことでもしてあげることができる。主の友情は天的であって、かつすばらしく、神の愛の力として私たちの心に入り、心を支配する。また主との破れることのない交わりは、この友情に欠くことのできない要素であり、服従を楽しみに変える喜びと愛とを与える。主の友情を求める自由、それを享有する力、そのすべての喜びを経験する恵みは、すべて主の命令に従うことによって生じるのである。

主が私たちの友であることを証明する深い愛の中に、ご自身を現わされることを願い、主が「あなたがたはわたしの友である」と私たちに言われるのに耳を傾けることは、私たちがなすべきただ一つのことではないだろうか。私たちの友である主が、私たちを友と呼ばれる大きな喜びを知るとき、主のご命令は、主の愛にある私たちの人生の自然の実りとなるであろう。「主よ。私たちはあなたの友です。そして、あなたが私たちにお命じになることは何でもいたします」と、何ものも恐れず、大胆に申し上げようではないか。

祈り
「『主の命じられることを行なうことによって』、私たちは祝福され、私たちは主の愛にとどまり、私たちは主の友情を楽しむことができます。主よ、あなたの聖なる友情によって、あなたのすべてのご命令を愛することができるようにお導きください。あなたのご命令を行なうことによって、あなたの友情が常に深まっていくようにお導きください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』アンドリュー・マーレー著安部赳夫訳122〜126頁より引用。彼の写真は同書裏表紙からお借りした。昨日の礼拝後の福音集会ではエペソ4・3〜4を引用聖句にして「主のみからだの一部となる」という題名でメッセージをお聞きした。語られる方の真情が迫って来て、みことばの真髄を味わわされた。そこにも「キリストの友情」が体現されていたが、それは悪魔の働きかけに抗することにまで及んでいた。話者はこのようにしてキリストに対する友情をみことばをとおして率先してあらわしてくださった。ネヘミヤ4・20。)