2019年10月10日木曜日

読書日記(下)


「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげ(棘)はどこにあるのか」死のとげ(棘)は罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。(1コリント15:55〜57口語訳)

 こうして三冊本からなる『富士日記』の読書は今も続いており、やっと下巻にたどりついたというところだ。一方、聖書は日々手にしている。聖書の記述が奥深いものでありいのちの糧であることは言うまでもないが、この『富士日記』には人間生活の機微に触れた素晴らしさがある。そう言えば、加藤典洋もまた『僕が批評家になったわけ』(岩波書店)という本の中で彼女の日記について

 荷風の日記が日本の戦前を代表する日記とすれば、戦後の日記を代表するのは武田百合子の『富士日記』か。・・・多くの記述は、日々の出来事、そしてその日その日の献立、買い物。しかし、これが面白い。読むとやめられない。

とまで書いている(同書67頁)。

 ところで、私はその本を読むかたわら、集会に来られた一人の方が『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著 新潮社)を読んでいると言われたので、読み始めた。何しろ650頁からなる大部の本で読むのに少々骨が折れた。しかし、この本もまた戦前から戦後に至る日本人を見舞った戦禍の傷痕に個人がいかに苦しむかということと、男女間のどうすることもできない愛欲の葛藤、また家族とは何かということについて一つの肖像を描いているともいうべき作品であった。

 ところが、事もあろうことか、その本の中で次のような叙述があった。

国府台病院の精神科病棟に入院中だったミホが、武田泰淳の妻・百合子に書き送った手紙には、親から離れて先に奄美に行くことになった子どもたちのために、阿川が靴を贈ってくれ、伸三とマヤはそれを履いて旅立ったことが書かれている。(同書567頁)

 ミホが入院していたのは1955年、36歳の時、その時、『富士日記』の著者武田百合子は30歳である。そんな古い昔から手紙をやり取りする間柄であったのだ。

 それだけではない。『富士日記』(中巻)の文庫本のあとがきに、しまおまほさん(恐らく島尾夫妻のお孫さんにあたるのだろう)の「加計呂麻日記」2019年5月3日から6日の様子が記されていたのである。ここまで来ると単なる読書の域を越えて私の読書そのものを導いておられる不思議な神様の摂理のようなものを感じるのである。

 逆に言えば、文士の世界も極めて狭いものであることがわかる。武田泰淳氏は芸術院会員になることを断った。一方島尾敏雄氏も一旦は芸術院会員になることを断った。彼らがそのことにこだわるのは戦争がらみの自らの国家に対する個人としての矜持があったからである。そして芸術院会員になることを文士仲間では「入院」と言うそうだ。ところが島尾敏雄はその最初の折角の志を捨てて、途中から「入院」したのだ。それは芸術院会員になれば年金がもらえるからという理由であった。すなわち、自分の死後病妻である妻の生活を支えられると思い、いやだった芸術院会員になることを受け入れたのだ。しかしそこには島尾氏の誤算があった。それはその年金は彼一身であって、彼が死んでしまえばもらえないということを迂闊にも知らなかったのである。結局島尾ミホさんは20年余り生きるのである。その上、作家として・・・。人生の妙である。

 こうした事情があり、本同士が密接に絡み合っていることを発見した。私は今まだ読んではいないが、『成城だより』(大岡昇平)を図書館からもう一冊借りている。大岡は武田の親友だ。そして『富士日記』には、武田に導かれて富士山麓に山荘を構えることになる大岡夫妻との交流が毎日のように描かれている。この大岡の代表作である『レイテ戦記』は私の書棚に読まれずして、数十年間久しく眠ったままである。この『レイテ戦記』は日本軍兵士としてフイリピンの人たちにどのようにかかわったのか、その正直な記録であるはずだと思う。この年代になってやっと読むにふさわしい時が来たように思う。近い将来読破したいと思っている。そして、今一度「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目である」(ヴァイツゼッカー)の名言を思うている。自らの過去は主なる神様の前で明白である。一つ一つ謙虚にならざるを得ない。

 読書は果てしない。人間が生きる限り続く生への執着がそうさせるのだと思う。一方で、読書はやはり人がまことの宝を探し求めて歩み続ける生業(なりわい)からくるのでないだろうか。そうとも思う。その二つの微妙なバランスを喝破しているハレスビーの文章を最後に写しておく。一つは新約聖書ヤコブ書1:14に範をとったもの。

 私たちは失敗したのです。私たちの勇気が足りなかったのです。私たちは崇高なものを慕い求めたり、希望したり、考えたり、話したりすることはできたのですが、生きることができなかったのです。なぜならば、生きることは、誘惑されるということですから。(O.ハレスビー『みことばの糧』10月6日からの抜粋)

 今一つは、今日の『みことばの糧』の箇所マタイ13:44にちなんだもの。

 少数の人は、親戚や友だちをとおして、キリスト教と何らかの関係を保っています。しかし、キリスト教を有益なものとは、一度も思ったことはありません。むしろ避けえない災だと考えています。彼らは、何事も順調に行くためには、自分たちもいつかは、キリスト者にならねばならない、と本能的に感じています。けれども、それは事情のゆるす限りあとまわしにします。彼らには宝が見えないのです。ああ、恵みに富たもう神、全能の神よ。この国の人々にあわれみをたれたまえ。(O.ハレスビー『みことばの糧』10月10日からの抜粋)

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