2014年1月23日木曜日

十字架の奥義と賛美の本質

鳩は何を考えているのだろう 2014.1.5
日曜日、礼拝の後、一人の方とお交わりした。恋女房であった奥様を亡くされて8年経つと言う。神様は愛である方なのに、どうして自分の最愛の妻を自分から引き離し奪われたのかわからない、と言われた。一方で、そんな彼女に必ず天国で会えると約束してくださっているので今もイエス様を信じているんだともおっしゃり、毎朝少しずつ聖書を読んでお祈りしていますよとおっしゃった。

火曜の学びのおり、ベック兄は「誠の礼拝」という題で話をされた。そして礼拝とは何かと問われ、「主の導きに心から賛意を表する」ことだと言われた。また「すべてのことを主のみこころのままにおゆだねする」ことだとも言われて、イエスの弟子たちの経験や、旧約時代のマナセやモーセ、ダビデ、ヨブの経験を具体的にご紹介くださった。

主は雲の中にあって降りて来られ、彼(=モーセ)とともにそこに立って、主の名によって宣言された。主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」 モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」(出エジプト34・5〜9)

この場面に登場するモーセは直前に主から厳しいみことばを聞いたが、即座に礼拝した。そして罪を犯したダビデがなぜ「みこころにかなう人」と言われたかは、彼の礼拝にあったと示された。

しかしダビデは、家来たちがひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟った。それでダビデは家来たちに言った。「子どもは死んだのか。」彼らは言った。「なくなられました。」するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をし・・・(2サムエル12・19〜20)

罪を犯さなかったヨブは大変な苦難(10人の子どもを失う)の中、主を恐れ真心から主を礼拝した。その思いは生涯変わることがなかったことを指摘してくださった。

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。(ヨブ19・25〜27)

そしてこれらの人々の極致にイエス様はおられる。

それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26・39)

これぞ十字架の奥義であり、真の礼拝がここにあることを知る。

冒頭ご紹介した方だけでなく、私たちは様々な理不尽なことに取り囲まれている。昨日ご紹介した唱歌を日本に導入することに大いに活躍したアメリカ側の人物は実はメーソンという人であるが、彼もまたある面では不遇の人であった。しかし安田さんのご著書『唱歌と十字架』の72頁、239頁には次のような文章が紹介されていた。

「若い頃、メーソンは深い信仰にあふれた性格を育んだ。彼は異教徒の世界の状況に強く心を動かされていた。それで、彼は宣教師になる決心をした。しかし、不幸なことに、言葉に障害をもっていたために実現できなくなった。
 しかし、メーソンの生涯は、神の深い摂理が時には一人の人間が望んだとおりには導かないで、若い魂が望んだ以上のことを実現させたもうことがあるという良い実例なのである。もし、実際に、メーソンが宣教師になり、福音を伝道していったなら、彼が実際なし得たような善行をなすことができたかどうかは分からない。神は彼を導いて、日本への道を開かれたのである。そこで彼は、賛美歌を教え、すぐにそれは日本のいたるところで異教徒たちに歌われたのである」

何気なく歌っている賛美歌のメロディー。そして信者も信者でない者も、一様に童心をもって歌うことの出来る唱歌のルーツが実は賛美歌、主をたたえるために作曲された歌にあることを知ると、遠くボストンで日本人の救いのために熱心に祈られた人々の祈りはこのような形で日本人に一先ず届いたのだと思う。だから、換骨奪胎の唱歌の歌詞でなく正真正銘の主をたたえる賛美歌の歌詞をとおして十字架の奥義を信じ、まことのいのちにあずかる人が生まれるようにと祈る責任が日本人キリスト者には残されている。それは地味ではあるが、私たち信者が日ごとの生活の中で十字架の主イエス・キリストを体験することにかかっているのではないだろうか。明治以来の西洋音楽の受容を真剣に受けとめ、そのルーツを執拗にまで探求されている安田さんの様々な労作をとおして改めて思わされたことである。

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