はこぶねが できました すると あめが ふりはじめました あめは どんどん ふります おおみずに なりました |
道は二つしかありません。滅亡と死に導く「広い道」と、天国と永遠の命に導く「狭い道」です。第三の道である中間の道はありません。わたしたちは、天国か地獄かのどちらかへ通ずる道を歩んでいるのです。また、わたしたちの主人もふたりしかありません。すなわち神かサタンかのどちらかに、わたしたちは仕えています。というのは、人は「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」からです。あなたは、どのグループに属しておられるでしょうか。あなたは、どこへ行かれるのでしょうか。また、あなたはどの主人に仕えておられるのでしょうか。
一つのグループは「有罪」であり、もう一つは「無罪」です。あなたが、善人であるか悪人であるかは問題ではありません。あなたが、大罪人であるかないかは問題ではないのです。とにかく、あなたは有罪か無罪かのどちらかです。あなたの名前が数百の教会の名簿に載っていても、教会で最も熱心な働き人であっても、大罪を犯して数年間刑務所にいたとしても、そういうことは全く問題にはなりません。あなたは救われていなければ有罪です。そして、滅びに至る「広い道」を歩くグループに属しているのです。あなたは、教養と品位を身につけ、多くの人々から尊敬されているかもしれませんが、世の中で最も堕落した罪人の仲間のひとりです。ですから、神のみまえに「有罪」となるのです。そのグループのすべての者が平等に堕落していなくても、彼らは平等に有罪なのです。
「何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3・22〜23)
ノアの大洪水のことを思うだけでも、恐ろしい気がします。それは、なんとすさまじい絵でしょうか。ノアとともにいた者のほかは、全部滅んでしまいました。善良な人生を送った者も、最も堕落した罪人とともに、永遠の滅亡の中でおぼれ死んだのです。ここにも、二つの群れしかありません。彼らの罪の大小や、普通に言う善悪とはなんの関係もありません。彼らは、神に服従しなかったのです。彼らは、神の警告を無視し、安全なノアの箱舟の中へはいることを拒みました。ノアの箱舟にはいるか、それとも死ぬかのどちらかであって、ほかに道はありませんでした。
大洪水をのがれるために高い山に登っても、水はどんどん増してきてどうすることもできず、最後に懸命に祈っても、涙を流してもすでにおそく、彼らはひとり残らずおぼれて死ななければなりませんでした。それは、箱舟にはいることを拒んだためでした。彼らが、殺人罪を犯したからではなく、またその他の大罪のためでもなく、ただ神が備えられた唯一ののがれ道を無視したためでした。
「私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう」(ヘブル2・3)。
神のみことばに耳を傾けましょう。
「悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も」(詩篇9・17)。
あなたは外面的に非常に善良な生活を送っておられるかもしれません。また、大きな罪は一度も犯したことがないとおっしゃるかもしれません。
しかし、あなたは神の救いを無視されました。あなたは、イエス・キリストという「安全な船」に乗ることを拒否されたので有罪となり、滅びなければならないのです。
(『道は二つしかない』オズワルド・J・スミス著斉藤一訳1963年版7〜9頁引用。絵は『絵本聖書 ノアのはこぶね』1977年版より。この記事は「救いの道」と題する話の第一回目である。全部で八回にわけて分載する。)
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