懐疑者はいつの時代でもいます。現にこの私自身が懐疑者でした。懐疑者には二種類あることを最近『私はなぜキリスト者であるか』というO.ハレスビーの新書版の本で知りました。自己の立場(スタンス)を正当化するためにキリスト信仰を疑う人と、キリスト信仰を求めながらも、確信が得られず相変わらず不安定な精神生活を繰り返さざるを得ない懐疑者があると彼はその本で述べています。
そして彼は前者の人は私の本の対象者ではない、と断ります。しかし、私はこの本を読みながら、自らの苦い体験を思い出しました。それは浪人生活のため京都で下宿した時のことです。その下宿はたくさんの浪人生を泊まらせる専門宿でした。食事時に田舎から出て来て動作ののろい私は、各自が配膳せねばならないのですが、いつもお味噌汁をすくう段になると、先に行った人がすでに具を平らげているので、かすも同然の汁でがまんしなければなりませんでした。それでこれでは身が持たないとばかり、下宿屋さんに文句を言ったのです。それも半べそをかきながら喚(わめ)いたのです。
その時、自らの立場を正当化するために、よくもあんなことを次から次へ言ったかと思うほど、下宿屋さんの「悪政」を糾したのです。その折の主張としてはどうみてもお門違いの議論(おまえは、私の父が結核であることを知っていながら、こんな栄養価のない食菜、しかも商売のためとは言え、もともと少ない量を与えてよくもまあー平気だなあー、と)をふっかけたのです。それをどこかで聞いていたんでしょう。同宿人の三重出身のY君が「わしもまったく同感だ、こんな下宿屋は一時も早く出てしまおう」と言って、すぐ別の下宿先を見つけてきてくれました。だからその下宿は一月しかいず、その後半年ほどいることになる大徳寺の某塔頭にお世話になりました。打って変わって(お寺であるのに)、肉類が豊富に出て二人ともすっかり満足したのです。
そもそも自宅浪人のつもりでいた私ですが、わざわざ京都にまで出て来た理由の一つに、恥ずかしながら、父親が結核なので罹患を恐れての行動がありました。しかもその父親のスネをかじっているのに、予備校の授業はおもしろくないとばかり行かずに、自らの力を過信し、大学入学後の夢ばかり描いて、結局はろくに勉強もせず、目的の大学に入れませんでした。
このような私にキリスト信仰を勧める友人がいなかったわけではありません。しかし、彼が勧めても、頭から聞く意志はありませんでした。土台、キリスト信仰を受け入れるには余りにも天と地ほどの開きがあったのでしょう。自己中心の生活を続けている私には無理だったのかもしれません。ハレスビーのこの本の冒頭に次のような文章があります。
疑う者に二種類あります。第一に、疑うことの好きな者があるのです。そのわけは、その疑うことが、その人たちを、良心の呵責からのがれさせるからなのです。その人たちは、下品なはばかるところのない罪とか、普通の世俗を愛することとか、外見的な道徳性の自己満足で営んでいる利己的な生活とかを捨てようとしないのです。良心がその人たちをなやますとき、それを平静にするのにその人たちが手にする最善の方法はうたがいです。
このことが、疑うことを貴重な所有物として守り、それと離れようとしない人々を見るわけであります。その人たちは、自分のうたがいを強化する文献を選びます。キリスト信仰にかかわる問題を討論するあらゆる機をつかまえます。討論で、反対者を納得させることに成功しなくても、少なくとも、自分だけはそのたびごとに、信じている反対者を狼狽させて、窮地に追いやることができたといっそう安心するのであります。(『私はなぜキリスト者であるか』岸千年訳11〜12頁より引用)
考えてみますと、主なる神様は私が罪の渦中にある、すべての時に様々な形で語りかけてくださっていました。それを私は「うたがい」という形でつねに対峙していたのではないかと思うのです。私にとって次のみことばは真理です。
『彼らは理由なしにわたしを憎んだ。』(新約聖書 ヨハネ15・25)
(カット写真として用いさせていただいたのは『私はなぜキリスト者であるか』の表紙の絵である。この絵がどんな意図で描かれたか、まただれの作品かわからない。しかしよく見ていると、何となくルカ18・9〜14が背景になっていると思う。読者はいかに思われるだろうか?)
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