2012年2月14日火曜日

一枚の手紙が語る真実(バレンタインデーを知らなかった戦中の人々)

(以下、拝借する手紙は1939年10月18日に、三井物産にお勤めであった方が、ロンドンから婚約間近の当時は甲府にお住まいであった婚約者に出された手紙である。すでにお二人とも天に凱旋されている。遺族によって戦後も、平成の世になってから発見された手紙である。この方の手紙の活字化の作業を依頼されたこともあって、いつも私の手許にある資料であるが、今日はこの一人の市井の徒であった先輩キリスト者が残された望みにあずかりたく掲載させていただく。)

 九月七日附御手紙並に御写真有難うございました。先日送りました私の写真は多分没収されたことと思います。八月中手紙を書かぬ為に皆様に御心配をかけてすみません。もう大分そちらに着いた手紙もあることと存じます。

 夏休が了って甲府で一人ボッチになると淋しさが急に身に浸みられたことと思います。然し一人居る淋しさの中から神のみが充し得給う慰を求めさせられます。 宇宙間に只一人となることは言い難い淋しさに襲われることでありますが、然しそれによって、多くの人が神を求めしめられたことを思います。

 御手紙にこちらへお出になりたい旨御認めですが、御尤もです。私としましても出来る丈早く帰るなり、来ていただくなりしたいと思って居りますが、目下の状 態では、先づ戦争が止まねばなりません。それはそれとして五年経過すれば何れにしてもどちらかに決定しますが、私の収入から申しても一年二年では無理であ ります。三四年経てば何とかして貰えるとは思いますが、私としては可成、私が帰ることにしたいと思います。田中さんとしては、何時までも御両親の重荷であ りたくない気持とお察しします。又これから先、永い三四年を考えられると心細くもあり又淋しくもあられるとお察しいたします。

 私、後の日の希望を望んで、今の苦難を越えてゆきたいと思って居ります。地上生活は到底、何処に居ても仮の幕屋であり、この幕屋の中で独り神を仰ぎ、キリ ストに頼って、呻き、嘆き悦び、又楽しみしてカナンの地を望む旅が死の日まで続くことを覚悟して居ります。田中さんに萬全を期待はいたしません。

 田中さんは今や私の悦びではあります。然し、私の霊の呻き、又渇きは「彼」ならでは何者によっても充され様とは願いません。

 けれども私としても出来る丈早い機会に帰るなり来ていただくなり出来る様にするつもりで居りますから忍耐を以って、許される日をお待ち下さいませんでしょうか?

 ヘブル書十一章があなたを慰める様に望みます。

 陰鬱な冬空がLondonを 蔽う様になりました。菊が種類も多く色もとりどりに美しく咲いています。「日本の香り」と共に何と云うことなく田中さんを聯想します。そしてフローレンス の街上でダンテがベアトリーチェに会う絵を思い出します。この話は御存知と思います。(もしそうでなかったら先生にお聞きください。)「神曲」が如何にし て完成されたか、ベアトリーチェなしにダンテの神曲はあり得なかった様に思います。

 目下決算で一ヶ月程夜業して居ります。勉強出来ないのが残念ですが、健康で居りますから御安心ください。独逸からチョイチョイ空襲に来る様ですが、私共は平穏に居ります。日本同様物価が上がって参りました。
 御宅の皆様によろしく御願いたします 

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13) 

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