2019年1月14日月曜日

この時のためである

友どちの 渋柿たわわ 冬空に

 新年早々、昨年の5月に引き続き、先週の土曜日に、故郷の小中の同窓生との集いに出席した。恩師をふくめ、男性19名、女性6名、合計で25名の出席であった。日曜日、近江八幡で聖書からのメッセージの御用を控えているので、最初は気乗りがしなかったのだが、今回も妻の強い勧めがあって出席した。

 この日は曇り空でうそ寒い一日であったが、その前日は晴天であり、普段あまり意識しない鈴鹿方面の山並みに冠雪があるのを望見でき、心は清涼感に満たされた。何とか、その山並みを撮影できないものかと自転車で出かけたが、どこまで行っても、電線や建物が妨害して望み通りの写真が撮れなかった。ほぼあきらめかけたころ、道路から少し入ったところに色鮮やかな柿の木が見えた。妨害物はないが、山は遠くiPhone のカメラではうまくとらえきれないので、どうかと思ったが、路肩に自転車を止め、冒頭の写真となった。

 さて、同窓生の集いはそこから約7、8キロある琵琶湖畔の「かんぽの宿」が会場であった。その日は皆んなで11時半に集まりマイクロバスで出発することになっていた。集合場所である、かつて町役場のあったその地までは、私の家から歩いて5分程度のところであった。私は髙をくくって、ギリギリに出かけた。集合場所に近づくと目的のかんぽ差向けのバスが見えた。間に合ったと思った途端に、バスは発車した。慌てて手を振って止めてもらった。息急き切って乗る間も無く、幹事からお小言を頂戴する羽目に陥った。

 遠方からの参加者は私一人で約束の時間に来ないので、何度も私の関東の自宅に電話したのだが誰も出ず、連絡が取れないまま、欠席なのだと判断し、出発したということだった。その上、同窓会出席の返事も私だけが、期限をとっくに過ぎてからの返事だったと言われた。ひたすら恐縮するばかりだった。

 会は三時間程度の会食であったが、くじ引きで両隣に座ることになった人はやはり私にとって必要な人であった。右隣は女性で高校も一緒だったが、それ以来ほとんど会って話をしたことがなかった。でも、私は忘れてしまっていたのだが、以前に私の証の本(『光よあれ7集』)を受け取っていた方だった。左隣の男性は小学校の低学年までは毎日のようにともに互いの家を行き来した幼友達であった。昨年の5月にも会っていた。その上、明日出かける近江八幡に住んでいる。私がそのことを話すと自分も行ってもいいかとまで言う。こうして話込むのも幼き時以来の気がする。小学校入学以前に家の庭で二人で撮った写真がある。彼は持っていないと言う。スキャンして送る手はずを今日整えた。

 そうこうするうちに、その彼の向こう隣にいるもう一人の友人の存在に気づいた。それこそ60年ぶりだった。家も近く、仲も良かった。彼は農業一筋に生きていることは知っていた。あまりにも住む世界が違ってしまった感じでふるさとに帰っても訪ねることさえしなかった。懐かしさのあまり、近況を聞くと相変わらず、たくさんのたんぼを耕作していることがわかった。ところでたんぼはどのあたりにあるのと聞くと、ある場所を教えてくれた。

 話を聞いているうちに、「それって、ひょっとすると、柿の木があるあたり?」って聞くと、「そうだ」と言う。論より証拠、私はiPhoneの写真を見せた。すると「これはうちの渋柿、そしてこれがうちのたんぼだ」と言う。私は一通り、なぜこの写真を撮ったか話をしたが、そんなことはどうでもよく、二人でこの不思議な出来事を喜んだ。60年の懸隔は物の見事に吹っ飛んだ。

 今、振り返ると昨日の近江八幡の聖書の御用は「エステル記」をテキストにした。そこにはもっと大規模な世界史的な神様の摂理の連続が息もつがせぬ迫力で迫ってくる一場面一場面を追うのに精一杯であった。だから、今回の私一個の小さな出来事である帰省もすべては、その背後にご計画をお持ちになる主なる神様があっての帰省だと主に心から感謝している。

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「・・・あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4・14)

2 件のコメント:

  1. 冬空に渋柿たわわ主のみこえ
    ですね~感謝!

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  2. コメントありがとうございました。ハマンはプルで一年先の13日を当てました。でもその結果は・・・。小生の場合は、くじにより、さらに目の前には60年ぶりに会ったY君。斜め前には10数年前に一度会ったが、福音を伝えるつもりでそのままになっていたSさんがいました

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