2019年1月20日日曜日

あなたのお父っあん

大寒に シラコバト二羽 円舞する

 主なる神様はかつて福音伝道のためにスケールの大きい日本人を私たちに与えてくださった。さしづめ、今日のブログで御紹介する木村清松(きむら せいまつ1874〜1958)氏もその一人ではないか。彼のエピソードは余りにも有名だから、今更、話題にするのも気が引けるが、書くことにする。

 それは一本の渋柿の持ち主のありかを思った時、最初登場したのは現所有者である同窓生であった。そして、こちらの勝手な想像で、その田んぼはかつては隣家の小作地ではなかったかと考えてみた。ところがそんなけち臭いことを考える間もなく、それは主なる神様のものだと思い至っていた。それはすぐ木村清松氏の故事を思い出したからである。

 そのこともあって、かつて買い求めたが書架に眠ったままになっていた『基督に虜われし清松』(岩村清四郎著)を引っ張り出した。この本は清松氏の弟である岩村氏が清松氏の生涯を1934年(昭和9年)に212頁にまとめて書き、出版された本である。その中には清松氏32歳、時に1906年(明治39年)伝道のために世界一周を敢行された時のことも書いてあった。以下、その本の165頁からの引用である。

 ナイヤガラは二度目だから清松には何も珍しいことはないけれども、いつもながらその雄大なのに驚いた。上から見、裏から見、船で下から見上げて驚くばかりである。一緒に見ていた一人の米人が、
 「どうです。このような大きな滝は日本にはありますまい」
 と、肘で清松の腕をつきながらどこにでもあるお国自慢を始めたが、この時、清松は、
 「君はクリスチャンでなければこの滝を誇ることはできませんよ。この滝をもっているのは我々の父、否、私の父です。この滝くらいのものは、私のお父さんにしてみれば小指の先の仕事です。どうです。私のお父さんの滝は。由来父のものは子のものである。故にナイヤガラの滝は我輩のものである」
 と逆襲したのであった。その帰り途、電車の乗り換え場で百人ほどの人が待っていたから、その時間を利用してーー天の父を誇り、神を知らざれば滝を誇るべからずーーとやったので、このことがデトロイト市の新聞記者の耳に入り、写真入りで「彼の父はナイヤガラの持ち主である」と誇大に書いたものである。

   KIMURA   FROM   JAPAN
   His   Father   Owns         Niagara   Falls
                  HEAR  THIS  JAP!
   EVERY  NIGHT  THIS  WEEK
                Marine's  Church
            Woodward below Jefferson
         August  2  to  7, Inclusive    FREE

なにはともあれ、偉い奴が日本から来たというので、その顔なり見たいという所から一週間の大伝道集会は満員の大入りであった。

 以上が清松氏の弟の清四郎氏が述べた「ナイヤガラの滝と清松氏」である。なおこの文章の出典となる記事は木村清松氏自身の手になる『世界一周伝道旅行』の62〜64頁にある。この本はすでに国会図書館にデジタル化されているので、以下のサイトで自由に閲覧できる。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761273

 この清松氏は新潟県の五泉の出身で、ヤソになれば、村におれなくなる、もちろん家族からも勘当されるという環境から、ただ一筋に福音のために出奔した人である。その彼が福音が何たるかもわからず、我が息子の行く末を心配した母とのやりとりがある。最後にそれを転記してみる。『基督に虜われし清松』(岩村清四郎著)47頁より。

 次の日、お互いに幾分興奮から醒めた時、母は清松を呼んで聞くのであった。
 「それでお前は、後々、どうして『おまんま』を食べるつもりだい?」
 真心こめて、話題を転じて聞いてきた。
 「ナーニ、お箸とお茶碗さえあれば立派に食べてお目にかけます」
 「つまらんことをいうんじゃない。人が真面目な話をしているのに、お前はどうして 
 めしを食うつもりかといっているのだ」
 その、前庭の雪の上に、三、四羽の雀が群れて来ていた。
 「お母さん、あれをご覧なさい」
 「何さ、雀でないか」
 「そうです。この大雪の中に雀を養っておいでになるものは誰です。昔から雀は、種も
  蒔かねば刈りもせず、倉に蓄えも致しません。
  しかるに一羽の雀が飢え死にしたことがありますか。
  ーー清松は語気を改めたーーお母さん、清松は雀よりも大きいのです。
  雀を養い給う神は、清松を決してお忘れにはなりません

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