2012年6月1日金曜日

長い長い一日。でも、こんな日もあるのだ!(上)


 今日は全く思わぬ経験をさせていただいた一日であった。もともとこの日はさしたる予定はなく、夜の祈り会だけで、終日は読書に精出すくらいのいつもと変わりない一日になるはずであった。ところが葬儀が午後行われることが急遽火曜日に決まったため、東京に出かけるはめになった。それなら、三男の子どもの絵の展覧会が代々木で行われているので、序でにそちらの方も観たいと思わされていた。ただ昼間は子どもたちは学校なので孫には会えないものと思っていた。ただ家内は三男家族に渡したいものがあった。それで葬儀に行く前にわざわざ三男の住まいの近くの駅で途中下車することにした。その途中下車は実は私にはそれ以外にもう一つのお目当てがあった。

 それでお互いに朝八時ごろから出かけることにした。駅でお嫁さんと待ち合わせ家から持って来た品物を無事に渡すことができ、彼女とはそこで別れた。これからどうしようかということになったが、まだ10時半ごろであり、午後の葬儀には充分間に合う時間だった。私は前から行きたいと思っていたうどんやに食事に出かけようと勧めた。このうどんやさんはずっと前に三男に招待されたことがあり、それからその美味しさが二人とも忘れられず、一度出かけたことがあった。お目当てとはそのうどんやさんに出かけることだった。家内は葬儀に万が一遅れることがあっては大変と今日は断念するように勧めた。ところが私は折角ここまで来たらどうしても食べに行くと言い張った。うどんやまではまだ歩かねばならず、足の弱い彼女と私は結局、別行動を取り、家内だけ先に葬儀会場に向かわせることにした。

 ところが遠いと思ったが出かけてみるとそれほど遠くはなく、こんなに近いのなら家内も無理にでも連れてくれば良かったと思った。その上いつもは混んでいるうどんやさんも行ってみると、まだ時間が早いせいか、先客は一人であってそんなに仕込みに時間はかからなかった。このうどんやさんはとにかく手が込んでいる。うどんはもちろん手打ちだ。私の注文するのは冷やしきつねだが、これが中々の代物だ。きつねだから、当然油揚はつくがその油揚がわらじとも言って良い大きなもので、しかも何枚もある。その上、何とたっぷりとした卵焼きも中から出てくる、わかめも何枚も。だから当然うどんはそれらを埋めるに十分な量だ。更には別皿で気の効いた菜っ葉ものが鰹節と一緒につきだしとなって控えている。その上おいしいお水がきれいな瓶で用意されている。お水は十分である。至福これに尽きる。だから、もう感謝感激で舌鼓を打つことに専念していた。

 ところが半ば食べ終わった頃だろうか、窓外を小学生が三々五々先生に引率されながら歩いているのが見えた。何か社会科見学のために町を歩いているようだった。ひょっとして○○ちゃんがいたら、こんなところで何しているのと思われるなと、「ばあば」を振り切って自分一人で来たので半分後ろめたさを感じながら、彼らが次々と通りを行くのを眺めながらも口には引っ切りなしにうどんを流し込んでいた。

 ところが何と一番最後に来た女の子が見覚えのある子だった。○○ちゃんだった。でも彼女は気づいていないようだ。外から店内は見えるはずがないから、やむを得ないのだが・・・。そのうち一行はどんどん進んで行く。私は食もそこそこに外へ出て、もう数歩も前に進んでひたすら離れて行く一行に向かって、大声で「○○ちゃん」と呼ぶが、その女の子は立ち止まって後ろ向きに一所懸命画板のようなものに書き込んでいるので、こちらを振り向かない。聞えないのかと思い、さらに二回ほど呼んだが、一向にこちらを向かない。これが最後とばかりさらに一段と大きな声で呼んだら、やっとこちらを振り向いた。びっくりしたようだった。しかし紛うことのない○○ちゃんだった。こうして遠くではあるが、手を振りお互いを認め合うことができた。

 そのまままたうどんやさんに引き返して、事の次第に内心びっくりしながらも、あんなに今日は会えないと思っていたのに、こんな方法で会えるなんて、何と主は粋なことをなさるのかとただひたすら感謝した。席に戻って食べ残しのうどんをすっかり平らげて(汁も残さず)お勘定代750円を支払い、心も腹も満ち足りた思いで外に出た。ところが道の向こう側をまたしても同じ雰囲気の小学生が今度は集団で4組ほど連なりながらこちらの方に上がって来るのが見えた。

 こうなると黙っていられないのが私の質(たち)である。大きな道路を車をよけるように走り寄った。船で対岸にたどり着いた気分だった。歩行する小学生たちを尋ね人よろしく、くまなく捜し始めた。どの子もどの子も見知らぬ子だったが、最後尾に何とまたしても○○ちゃんがいた。声をかけた。さすがに友達の手前、恥ずかしそうだった。まわりの友達が「この人どういう人」と聞く声が聞える。私は葬式に出席するため喪服を着ているから、彼らがそう言うのもやむを得ない。けれども○○ちゃんは半分照れながら、でも嬉しそうに立ち話をすることができた。私も思わず先頭にいらっしゃる担任の先生によろしくお願いしますとばかりお礼をして見送った。あっという間に一行は通り過ぎて行った。私が先程よりさらに満ち足りた思いで葬儀会場にと道を急いだのは言うまでもない。

 こんなふうに私が意図しなかった形で孫と会うことができたのは、余りにも不思議な邂逅と言わざるを得ない。しかしまだこの項は続くのだ。明日その続きを書くことにする。

あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(新約聖書 コロサイ3:17)

0 件のコメント:

コメントを投稿