2012年6月5日火曜日
若き友たちに贈る(上)
月曜日、三人の若者に、とあるところで、初めて会った。それぞれ別方面に住んでおり、彼ら相互には何らの交流のない青年たちではあるが、私とは本を通して交わりが与えられた。いずれも熱心に主のみことばを求める男子であった。今時、みことばを何とか自分のものにしようと活字に飢えている青年の存在に頼もしさを感じ、家に帰った。果たせるかな、その日の通読個所は「伝道者の書」であった。
『66巻のキリスト』と言う特徴ある題名の本の中から「伝道者の書」について書いてある最後の個所を紹介する。ちなみにその題名は「わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける」(箴言8:17)であった。
この書(「伝道者の書」)は青年に対する訓戒をもって結んでいる。「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。」(伝道者11:9)この書の記者がこのように書いた目的は、明らかに、青年らが神様の御心を顧みないで、自らの心を喜ばせることを奨励したのではなく、このような道を選ぶ結果について警告したのである。「だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。若さも、青春も、むなしいからだ。あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。」(伝道者11:10〜12:2)
この書は危険信号として立てられたものであって、神様は私たちがこの世の空しいものに惹かれ、それが決して汲むべき水でないことを知るにいたる苦き経験をもって初めて目を覚ますことのないように、かえって自由意志をもって神様の御用を喜んで選ぶようにとのために立てられたのである。
今日主の御用を勤めている人々の大多数は幼い時に主に仕える決心をした者であることはこの方面の調査をした人々が知るところである。壮年になって悔い改めた人々で主に仕えている人は割合に少ないと言う。そうであるから子どもらをキリストに導き、その最も豊かな土地を主のものとすることは、どれほど大切なことであろうか。主は「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。」(マルコ10:14)とおっしゃったが、私たちは何としても子どもらがこのお招きを受け入れるように導かねばならない。
以上が 『66巻のキリスト』の文章である。笹尾鉄三郎氏の名文をやや現代風に英文(http://www.thebookwurm.com/amh-ecc.htm)をもとに少し手を加えた。
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