2012年6月2日土曜日

長い長い一日。でも、こんな日もあるのだ!(中)

昨日家内宛に送られて来た手書きの絵、こんな優しい心の持ち主がいるのだろうか。

 葬儀会場には小一時間前に着いた。それよりも前に準備のために来ておられた方には申し訳なかったが・・・。すでに召された方の葬儀は火曜日に栃木県のご自宅で済まされており、この日はかつて住まわれていた八王子市の方のことなどを考え、東京で再び行われたものであった。

 もう何十回となく聞くベックさんの葬儀メッセージだが、聞くたびに新たな発見をさせられる。いつもまだ主を御存知でない方のことを配慮して心の衷心から語られるそのメッセージは、今となっては、その肝心な点が思い出せないのだが、私の霊の最深奥部で受け止めたことがあった。メッセージの前後にはヴァイオリン独奏とアルトの独唱がなされ、終わりにお婿さんと奥様のご挨拶があった。85歳で召されたご主人やお義父さんへの思いは尽きないものがおありだったが、召される前後にご家族が主イエス様から受けられた恵みが直裁に語られた。

 お婿さんはその前日4人で主の前に跪き、祈りをともにしたのは最初で最後だったと言われた。そして召された直後、障害を持つ一粒種の○○君がはっきりとおじいちゃんが天の御国に行ったことを感謝する祈りをささげてくれたとおっしゃった。奥様は58年間連れ添った夫への感謝と尊敬の思いを語られ、8年前70代後半で主イエス様のところに来られた時のことも話してくださった。終わってから式場にかかげられた様々なスナップ写真に多くの方が見とれておられた。その中にはご主人の中学(旧制)の同窓生のお姿もあった。

 司会者としていつもオルガン伴奏でお世話になるお方にお礼を申し上げるともなく、近寄ってお話しする一瞬があった。その時、彼女が主人から聞いたのだが、召された方は8年前、障害を持つお孫さんのことで悩んでおられ、人間には何も出来ませんね、神様に頼るしかありませんと言っておられたということであった。金婚式を記念して、それまで仏教徒として過ごしておられたご主人が、意を決して妻と同じ主イエス様の道を選ばれた背景のことだった。

 その話を紹介して彼女は言った。「真理を求めている人には主イエス様はどんなことを通しても救ってくださるお方なのですね」値千金の言葉だった。司会者としてのいたらなさに心が滅入ろうとしていた時にそのことばは光のように私に臨んだ。

 会場を後にして、再び孫の絵を見に、代々木へと急いだ。ところがこのところ決まって起こる関東地方の夕立が激しく起こり始めた。とてもではないが会場に行くのは気が引ける空模様ではあった。新宿まで出て、山手線で代々木に着く電車に乗っている間も、雨は激しく車体に叩き付けるがごとき案配であった。それでも代々木に降り立つ頃は少し雨脚も緩んでいた。案内の絵はがきとiPhoneを片手に傘を差し差し目的地を目指して出かけた。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(新約聖書 1テモテ2:4〜6)

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