2016年8月11日木曜日

まことの王の招き

高宮城趾※

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

 これは王様の招待状です。なぜなら、これは王の中の王によって与えられたものだからです。私たちは余りにもその言葉に慣れているので、そのことばの重要性を認識するのに失敗するのです。願わくば、聖霊なる神様が私たちの耳を開いて招きのうちにある我らの王の声を聞き取ることができますように。そして私たちの心に避けられない力をもって届いてくださいますように。

 その時、「その日、『ここにわたしがいる。』と告げる者がわたしであることを知るようになる。(イザヤ52:6)」大きな白い御座が置かれ、人の子が栄光のうちに来られるその日を思い見なさい。そして今あなたに「わたしのところに来なさい」と言われる方は「この同じイエスだ(使徒1:11)」ということを知りなさい。

私にとってあなたの愛する声を聞くことでしょうか
そして
私にまで喜びを告げる最高に優美な音楽に耳を傾けることなのでしょうか
私にとってあなたの歓迎の声なのでしょうか
あなたのやさしい「はいりなさい(ルカ13:24)」の声でしょうか
私にとってあなたの 
「さあ、わたしの父に祝福された人たち。(マタイ25:34)」の
声なのでしょうか
私にはこんなに罪が一杯ありますのに

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-11-the-royal-invitation/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97388です。

※中世の領主高宮氏の居城跡である。画面右手に石橋があり、小学校通学時にはそこを行き来したように記憶するhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/takamiya.html。もっともこの入り口は小学校校舎からすると裏門になる。滋賀県下二番目に古い小学校とかで、その名も「先鳴学校」と称し附近の小学校と違い、帽子のてっぺんからリボン状の房が垂れる独得の帽子を冠っていた。町全体が教育に熱心で大変な誇りを持っていた。
 そのような町も1957年に彦根市に合併されることになった。町議会は乱闘騒ぎを起こした。中学の修学旅行に出かける直前に当時の新聞にデカデカ載った。恥ずかしかった。その後、いつの間にか、高宮町民と言わずに、彦根市民と言うようになった。彦根市の方がはるかに知名度が高いからである。
 もっとも江戸期においては「高宮布」は一種のブランド名で麻布で一般庶民に人気があったやに聞いている。似たり寄ったり、どの町にも「おらが町」意識はあり、それはそれで捨て難い魅力があるのだろうが、所詮過去への追憶、ノスタルジーに過ぎないであろう。
 そこに行くと、聖書の約束は、永遠のものである。古びることなく、永遠の世界に通じているからである。ハヴァガルがKing of Kingsの招きをいかに目当てとして生きたか、そこに「新生」の人の生き様があることに注意したい。彼女の最後の文章は原語ではFor me, Thy "Come, ye blessed!" for me, so full of sin?である。) 

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