2016年8月15日月曜日

飲みなさい 生きなさい

湖に 吸い寄せられて 鳥一羽 波しぶき揚ぐ 二艘を下に※ 

わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ4:14)

 あなたはかつてなぜ心の内側の渇きは、生ける水、すなわち「イエス・キリストの御霊の満たし」以外の何物をもってしていやそうとも、全く絶望的で無駄であるかを考えたことがありますか。主はあなたはそのようなことをしても成功しないとやさしく積極的に言われました。主はかつて「この水を飲む者はだれでも、また渇きます(ヨハネ4:13)。」と言われたのです。

 あなたには機会がないことがわかるでしょう。なぜなら、主のことばは破棄され得ないし、主はあなたはまた渇きます、と仰っているからです。その終りなき渇きには二つの重要な論点があるだけです。

 一つは一滴の水を求めても答えられない懇願です。癒し得ない渇きを癒すのでなく、炎で苦しめられる舌を冷やすためだけにも指先が耐えられそうにさえないということです。もう一つの他のものは「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません(ヨハネ4:14)。」というものです。

 そして、私たちのゆっくりした感覚がその事実を外観的につかむことに失敗しないように主イエス様は約束を繰り返し、「わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません(ヨハネ6:35)。」と言われます。「決して渇くことがない」のです。なぜなら「主は渇いたたましいを満ち足らせ(詩篇107:9)」られるからです。

おお救い主よ 私たちは
いのち 喜び 光を 求めて
どなたのところに行けばよいのでしょうか
下からは 助け 励ましもなく
永続的な喜びもないことを
私たちが知り得ますように
どんな希望も私たちの目に
祝福となりませんように 


私たちのたましいは
弱められ飢え渇いております
けれども地にはかせがかけられ
のろわれています
そして地が生み出す何物も
とどまることができません

日に日に休むことのない渇望があります
しかし あなたなしに 贖い主の祝福なしに
もし私たちができたとしても
安息を見出せないことでしょう

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-15-drink-and-live/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97392です。今日の箇所も訳出に困難な個所があった。原文を参照していただきたい。

※移動中通過した琵琶湖畔。車窓から撮影。目を凝らしていただければ、実は左隅に小さく多景島が写っている。湖は大変な水量であり、貴重な関西の水瓶である。その水瓶に向かっても、主は変わらず、「この水を飲む者はだれでも、また渇きます」と言われるであろう。主にとって身近な湖はガリラヤ湖であった。主もまた湖に吸い寄せられるように集まる多くの生きとし生けるものを身近に覚えられたことであろう。しかるにだ・・・) 

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