2016年8月14日日曜日

神様は不思議な方法で働かれる

湖東三山の田園地帯

わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。(ホセア14:5)
 
 暑い埃まみれの日のあと幾日かの暗い夜をごらんなさい。嵐もなく、雨もなく、あなたの感覚にとって何が続くのか最低のきざしさえありません。再び朝をごらんなさい。するとあらゆる葉先や葉っぱが露の玉で傾くのがわかるでしょう。あらゆるものが昼間の暑さのために生き返らされ、備えさせられており、輝きのうちにほほえみがあるのです。

 ちょうどそれと同じように、主のみことばは暗黒のうちにあるあなたのたましいのうちに静かに落ちていきます。そして昼間のために用意をするのです。みことばはいかなる感覚能力を持っても来ず、他の時間のようには書かれたものから何も輝かず、何もあなたの道にどんなたのしい光を発するために光らないのです。あなたには雨の豊かな音さえ聞こえません。

 まるで内にみことばを取り入れることができないように見えます。だから、もしできるとしても、あなたの心が余りにも弱すぎるので、それらを熟考することはできません。けれどもみことばは常時露のように滴っているのですよ。

砂漠地帯にあるいのちの泉を
あなたのために
あなたの神は開こう

よみがえり生き返る恵み
露のように 
いやし 
甘く自由に
元気を回復する泉が流れ込む

あなたの働きが
厳しかったり
長かったりするとき
勇気 
希望 
力を与え
歌をもって 
労働を軽くする

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-14-god-moves-in-mysterious-ways/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97391です。今日の箇所も全くデタラメの訳である。単語伝いに歩いたら、こんな訳になったとしか言えない。専門家が読んだら顔をしかめられるのだろうか。
 ただ一つだけ慰めのようなものがある。私たちが意図して主イエス様を伝えようとしても上手く行かない、しかし突然の如く、主がその機会を与えてくださる。その時は静かにやって来る時が多い。そんなことを帰りの車の中で乗せていただいた方と話合った。何となく今日のハヴァガルの霊想と共通するものを感じた。
 なお、今日の福音集会でのみことばはコロサイ4:5〜6であった。「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」) 

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