2016年8月9日火曜日

キリストがすべてであらねばならない

小田原 江の浦あたり (東海道線車窓※)

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)

 もし、キリストの支えが、私たちの信頼によるものであったり、私たちが信頼し続けることが私たち自身によるのなら、私たちは以前よりもっと良好とも安全ともなれず、新たな一連の失望のうちに置かれるだけでしょう。
 
 古(いにしえ)の物語、すなわち罪人がなすことはここにおいて再び働きから信頼へと移行される背景にともなってだけあらわれる。一人の友人は私に「私は今わかる。私はイエス様が私のためにどんなこともなさることを信頼していた。だが、私はこの信頼は私がしなければならないことだと思っていた」と言った。だからもちろん彼女がしなければならないことは永久に続けなければならない努力であり、しばしば失敗となった。

 私たちはもはや自らの何かを信頼できるより、信頼したり信頼を維持することはできない。このことにおいてさえ、それは「イエスだけ」であらねばならぬ。私たちはイエスを信仰の創始者・完成者であると見るだけでなく、主を信仰の働きを仲介して実現するものと見るはずである(2テサロニケ1:11)。私たちは主に私たちのうちにその実現を続けてくださるように、このことにおいても主の力にゆだねながら求めねばならぬ。

あなた自身に信頼するな
主の力に頼れ
主にあってあなたは強い
主にあって最弱のものはついに学ぶことができる
日ごとの勝利の歌を

あなた自身を信頼するな
主にあることだけを信頼せよ
いつまでもとこしえに
そうすればあなたの心は
喜びをものにするだろう
イエス様は決して失敗なさらないから 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-9-christ-must-be-everything/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97386です。残念ながら最初のフレーズは何度読んでも正しい訳ができないので、訳出を見送り、次のフレーズからの訳業を載せた。

※今夏、初めて待望の青春18切符を使用した。各地とも大変な猛暑、いつもは冷え上がってしまう車内の冷房も全然効かない状態。乗客が入るたびに暖気が車内を支配する。特に若い学生たちが運動着そのままで入って来ると熱の固まりがそのまま車内に入って来るよう、「雪だる」まならぬ「熱だるま」を経験した。東京から約8時間半、無事に郷里に着いた。) 

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