2016年8月19日金曜日

弁解なし

王は彼に言った。「メフィボシェテよ。あなたはなぜ、私といっしょに来なかったのか。」(2サムエル19:25)

 「私と一緒に」、すなわち、私たちの王様とともにいることは、私たちの永遠にいたる最高の喜びでしょう。そして、今でも確かに最高の名誉と喜びであります。しかし、もし私たちが絶えず主とともにありたいのなら、私たちは時には彼と共に出陣する用意がなければなりません。今、「神の御子は出陣なさいます」。私たちは主とともに出陣しますか。

 主の十字架は「門の外(ヘブル13:12)」です。私たちは「キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか(ヘブル13:13)。」私たちはほんとうに毎日、終日「小羊が行く所には、どこにでも(黙示14:4)」ついて行っているでしょうか。私たちは、主の足跡が先んずる所どこへでも、王とともに忠実に出陣したことがあるのでしょうか。

 もし王の、「あなたはなぜ、私といっしょに来なかったのか(2サムエル19:25)」という声が心に聞えるのなら、「いつも王の食卓で(2サムエル9:13)」食事をしたあなた、「王の息子たち(2サムエル13:27)」の間にいたあなた、王が「神の恵み(2サムエル9:3)」を示したあなた、私たちは何の申し述べるべき「理由」もありません。主は妨げとなる霊的跛行をいやそうと思えばいやすことができます。その結果、私たちは主のあとにしたがっていくことができるのです。

 私たちは弁解できません。

万軍の主よ 
私たちの弱さは
あなたにあってのみ強くされます

あなたは 
私たちに 
力ある戦いの歌をもって 
勝利するように 導かれるでしょう

そして
すぐに 戦闘行為は終り 
栄光ある凱歌が勝ち取られ
この世の王国は 
御子の王国となるでしょう 

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