2016年8月4日木曜日

主によりて、主に対して、主にあって、主のために

供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。(マタイ23:19)

 供え物を聖いものとする祭壇ゆえに神に感謝せよ、あまつさえわれらの主イエス・キリストにも。主によって、私たちは神の御許に近づく。主に対して、父なる神とともにいる者として、私たちは生けるささげものをささげる。主にあって、父なる方の愛される者として、私たちが受け入れられていることを知る。

 そのように、愛する友よ、ひとたび、主が私たちのうちに主ご自身と一緒にいたいという強い思いを起こされ、私たちの心のうちに「私のいのちを取ってください」という祈りを置かれる時、主が私たちのいのちを、私たちの手足を、私たちの声を、私たちの関心を、私たちの意志を、私たち自身を取り上げて、とこしえに主のためのすべてとだけしてくださったことを喜び信じ、己が道を歩み続けよう。

 そのことを祝福された確かなことだと考えよう。私たちが感じたり、言ったり、なしたことのゆえでなく、私たちが主が私たちのことを聞いてくださることを知り、かつ主はご自身のみことばにとって真実であることを知っているのだから。 

死すべき者の力に過ぎない
どんなに彼らがその力を完全に働かせても弱い
数時間の息をつく閃光にすぎない
どんなにいつまでも延ばそうとも短い

すべてだ
私が運ばねばならないすべてよりも
はるかに多くのものを私は負っている

すべてを
私を愛する私の救い主のために
そう

すべてだ
私は私の王を愛するから 

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