2016年8月5日金曜日

来なさい! 今です!

「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。(イザヤ1:18) 
ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば(ヘブル3:7) 
パロが「あす。」と言った(出エジプト8:10)

 「さあ、来たれ。」。これほど簡潔なことばはない。それゆえ、もし、あなたが来るのを延ばすなら、あなたは神に黙して不服従の態度を取っているのだ。私たちがこどもに「来なさい」と命令したとき、その場ですぐ、ただちにこどもが来ないなら、従順な子どもだとは思わないだろう。

 もし、彼が気にもとめないで、冷やかに、自分はほんとうは来ることを考えている、あなたがどれだけ自分を呼び続ける道を選ぼうとしているのか見るために待っているのだと告げるなら、従順ではないだろう。

 私たちは言うことをきかない子どもが私たちを大事に考えているとは思わないのと同じように私たちの聖なる主を大切にしているどんな正しさを持っているだろうか。主はおっしゃる。「今来なさい」そして「今」は明日を意味してはいない。「きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない(ヘブル3:7〜8)。」

 もし、今晩神があなたのたましいを必要とされ、あなたが来なかったらどうなるのか、自分自身に置き換えてみよ。尊い血があなたが近くに来れるように用意されたのに、招き人が依然としてあなたがまだ遠くにいるのを知ったとしたら、どうなるだろうか。

尊い 尊い イエスの血潮
カルバリで流され
敵のために流され
罪人たちのために流され
私のために流された

尊い血潮
その方の完全な贖い
私たちを神の御そばに近づける

尊い血潮
私たちの栄光の歌を
賛美せよ 声高らかに 

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