『ノアのはこ船』ピーター・スピアー絵より |
「あの人のことは聞いたことがあります。どうぞ講壇のそばによって聞けるようにしてください」
ローランド・ヒルの目に彼女がうつりました。いかにも上流の婦人らしい彼女を見て、彼はふり向いて尋ねました。しばらく説教を続けて行くうちに、突然中断して申しました。「友よ、わたしはここに売りたいものを持っています」
説教の途中で、牧師が何かを売りつけようとしていると思って、みな驚いてしまいました。
「これを競売にしましょう。ヨーロッパ中の冠よりもはるかに尊いものです。これは、アン・エルスキンさんの魂です。誰か値をつけませんか。さあ! ああ、値をつけましたね。誰ですか、サタンです。いくら払いますか。富も誉も快楽も。そうです。その魂のためなら、全世界をもあげよう。ああ、別の声が聞えました。 誰ですか。主イエス・キリストです。イエスよ、この魂のためいくら払いますか。わたしは、この世が知らない平和と喜びと慰めをあげよう。そうです。その魂のために、永遠の生命をあげよう」
そしてアン・エルスキンのほうを向いて言いました。
「あなたの魂を買おうとしたふたりの声を聞いたでしょう。どちらがよいですか」
彼女は群衆をかきわけて、出て行って言いました。
「主イエスが受け入れてくださるなら、わたしの魂をおゆだねします」
この物語がどれほどたしかなことかわかりません。しかし、ほんとうだと思うひとつのことがあります—今、あなたの魂を買おうとしているふたりの人がいるということです。どちらをとるかはあなたの決めなければならないことです。サタン(悪魔)は自分に与えることのできないものをあげようと言います。彼はうそつきでした。悪魔の約束に頼って生きている人を気の毒に思います。サタンはアダムをいつわり、だまし、その所有していたものをことごとく奪い、ついには失われた滅びの状態へと追いやってしまったのです。アダム以来、この悪魔のいつわりや約束に頼って来た人は、失望してきました。この世の終わりまでこのことは続くでしょう。
しかし、主イエス・キリストは、その約束のすべてをはたすことができるのです。主はすべての失われた魂に永遠の生命を約束しておられます。誰がそれを得るのでしょうか。あなたの救われたいという願いを、誰かが電報で神の御座に送ろうとでもいうのでしょうか。
以前、ひとりの人が、自分は救われたいと願っているのだが、キリストが尋ねて来てくださらない、と言っていました。わたしはその人に言いました。
「あなたはいったい、何を待っているのですか」
「どうしてですか。キリストが呼んでくださるのを待っているのです。呼んでくださればすぐにまいります」
同じように考えている人が、ほかにもいるかもしれません。生涯のある時期、神の霊と争わなかった人が、この国にいるとは思われません。キリストが尋ねようとされなかった人が、この国にいるとは考えられないのです。主が尋ねようとしておられることを忘れないでください。六千年の間に救われた人は、みな神がまず尋ねた人々です。
アダムが堕落すると、ただちに神は彼をさがしました。彼は驚いて逃げ出し、園のしげみの中にかくれました。その時から今日まで、神が尋ねなければ、どんな人でも救われないのです。
(同書35〜38頁より引用。今年も今日で終わりである。師走選挙が慌ただしく過ぎ去り気がついたらいつの間にか日本の政界は再び自民党の天下に戻っていた。それにしても今回の選挙ほど政治家の私心が暴露された選挙はなかったのではなかろうか。そして今日のムーデーの話じゃないが、サタン並みに候補者はサンタよろしく当選せんがために様々な景品をばらまこうとしたのである。投票する側では誰が本当のことを言い、実行してくれるか見分けがつかなかったのではないだろうか。一方今日の話の本題に戻すと、すべての悪の背後にいる本家本物のサタンの悪巧みはいつまでも続くと言う。しかし、主の約束である、失われた人にただで提供される永遠のいのちは必ず与えられるものだとムーデーは述べている。イエス様が十字架上に罪人の身代わりとしてご自身で、いのちを投げ出される前に、言われたみことばに注意して年を閉じたい。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」ヨハネ14・27)