十中八九私たちは生活において宣教の集まりに出かけたことはないが、その働きのために祈るように話されたことはあるだろう。私たちはそのことに全く慣れっこになっている。そのことを当然のこと、言われることは正しいし、ふさわしいことだと受け取っている。誰もそのことはキリスト者の責務であることを直ちに疑わない。しかし、私たちはそうしているだろうか。
主イエス・キリストを愛すると告白しているすべての者にとって主の命令に従わねばならないということは広く認められた義務であるように、この命令に従うことは明らかに私たちにとって、あなたと私にとってほんとうの義務である。そしてもし私たちがそうしないのなら、私たちは私たちの主に服従せず、主が裏切られたと同じ夜に私たちに与えられたご自身を個人的に愛する一つのテストに同等に、明確に、直接的に失敗することである。
そうだ、私たちは同じことをしているのか。あなたは今朝主があなたに祈るように命令されたことを祈ったか。昨日はどうだったか。あるいは先週はどうだったか。確かに私たちがなさねばならぬこと、主ご自身の唇で最も明確な方向を与えられたことについて何もしないままで、日々を過ごしていることは決して軽いことではない。どれほどしばしば私たちは「私たちは、どのように祈ったらよいかわからない(ローマ8:26)」ということを悲しくも感じてきたことだろう。
さて、ここに私たちが祈るようにされていることを知っていることがある。それは主のご意志によるのであるか、それとも主が私たちにそれを求めるように命令されなかったことなのか、私たちは知っている。そして「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる(1ヨハネ5:14)」そしてもし私たちが主に求めることはどんなことでも聞いてくださると知れば、私たちは主に願う訴えを持つと知る。
見よ、何というすばらしい結論に私たちは到達することか。おお、「祈りなさい」そして、もし、かくして私たちが小さな子どもたちのようにイエス様が私たちに祈るように命令することを正確に祈るなら、たとえ私たちがまさしくその行為にあってほんとうに、そして恐らくは意識的に、直接の祝福を見出さなくても、はけ口が開き、恵みと懇願の御霊が注がれ、干上がった舌は祈りと感謝で一杯になったことを見よう。
隠された喜びを持つ以外に聖い奉仕はない
しかし あらゆる祝福される聖職者の中で
これほど敬愛する者はいるか
彷徨するセラファの才能も持ち得ない聖職者
御使いの力よりももっと多くの死すべき弱さを授けられ
しかし いかなる恐怖によっても
もっとも純粋な愛を持つ聖職者は妨げられない
そのことは私たちに主の御足に出会うように
私たちがもっとも近くにいるように命令する
しかし あらゆる祝福される聖職者の中で
これほど敬愛する者はいるか
彷徨するセラファの才能も持ち得ない聖職者
御使いの力よりももっと多くの死すべき弱さを授けられ
しかし いかなる恐怖によっても
もっとも純粋な愛を持つ聖職者は妨げられない
そのことは私たちに主の御足に出会うように
私たちがもっとも近くにいるように命令する
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-10-a-blessed-necessity/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97356です。
マライア・ハヴァガルの伝記 1章 幼年時代(14)
そのウイコンベの訪問は繰り返された。そして私の尊敬する祖母とのひんぱんな文通も導かれた。万事において祖母の賢明な判断は後年の私の人生の大変な砦となった。
家に戻ると、女性の家庭教師のバルギン嬢が次に話題となった。もちろん妹のエレンは優秀だった。いつもそうだった。そして私もそうなろうと努めた。それでバルギン先生は善行賞のほうびを二つ私にくれた。
私の家庭教師はほんとうに幸せで丁寧に遇された。父は彼女が歳を取っても助けた。家庭教師の生活においてはどれほど少ししか日がささなかったことか。
私の姉のミリアムは当時ケンシングトンのグレート・キャンプデン・ハウスに寄宿していた。父は言った。「私はおまえに幸運を授けることはできないが、おまえにいい教育なら与えることができる」姉の学校の話しは私を引きつけた。シグノア・ガッツァローニが若いビクトリア王女にイタリア語を教えたこと、それからグレート・キャンプデン・ハウスにやってきて姉を教えたことを知り大変素晴らしいように思えた。〈この項、今日で終り、明日からは2章 学校生活 に入る。〉)
マライア・ハヴァガルの伝記 1章 幼年時代(14)
そのウイコンベの訪問は繰り返された。そして私の尊敬する祖母とのひんぱんな文通も導かれた。万事において祖母の賢明な判断は後年の私の人生の大変な砦となった。
家に戻ると、女性の家庭教師のバルギン嬢が次に話題となった。もちろん妹のエレンは優秀だった。いつもそうだった。そして私もそうなろうと努めた。それでバルギン先生は善行賞のほうびを二つ私にくれた。
私の家庭教師はほんとうに幸せで丁寧に遇された。父は彼女が歳を取っても助けた。家庭教師の生活においてはどれほど少ししか日がささなかったことか。
私の姉のミリアムは当時ケンシングトンのグレート・キャンプデン・ハウスに寄宿していた。父は言った。「私はおまえに幸運を授けることはできないが、おまえにいい教育なら与えることができる」姉の学校の話しは私を引きつけた。シグノア・ガッツァローニが若いビクトリア王女にイタリア語を教えたこと、それからグレート・キャンプデン・ハウスにやってきて姉を教えたことを知り大変素晴らしいように思えた。〈この項、今日で終り、明日からは2章 学校生活 に入る。〉)
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