2016年7月28日木曜日

The Only Alternative


まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。(1サムエル15:23) 
彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。(2ペテロ2:10)

 私たちは「私の思いと意志の最初の泉を守って下さい」とどれほど大きな願いをもって歌っていたかも恐らく忘れて何度も求めてきました。その意志はもうすでに主に明け渡されたことを示唆するにすぎず、それゆえに完全に維持され守られるということが物事の根底に迫ることなのです。それが私たちが唯一の代わりとなる罪を十分悟らなかったことなのでしょう。

 私たちの意志は自己にも神にも属しています。人の目には尊大であることは小さなむしろ言い訳の立つ罪のように見えるかも知れませんが、神はそれを邪悪なこととして見られます。確かに私たちは「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです(ピリピ2:13)。」というように邁進する約束を持っている時には弁解はしません。
 
「あなたがたのうちに働いて志を立てさせ」ということは私たちの非常にもっとも奥深い絶望にどれほど立派にかなうことでしょうか。おお、私たちは、自分自身のために、また互いのために「私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか(ピリピ1:19)」を知ることができるように祈りましょう。

 というのは、もし私たちが信じないのなら、私たちの信仰は確固としたものとはされないでしょう。もし私たちが神ができると仰ることを信じないのなら、私たちは自分の目でそれを見ても、それが原因でみことばをそれ以上味わうことをしないでしょう。「彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであった(ヘブル3:19)」とあります。

平和 平和
遠く離れている主に 向きを変えよ 
おお 彷徨える者
なぜ汝は死のうとするのか
あなたを近寄せる平和が実現する時
聞け おお 反抗せる者よ 
使者が宣べ伝えている 
救い主の御名による 王ご自身の平和を
さすれば 今日 汝を明け渡せ

(今日の箇所はhttps://bibletruthpublishers.com/july-28-the-only-alternative/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97374です。

マライア・ハヴァガルの伝記 3章 家庭での生活(2)

 私の父がアストレーに来る随分前に、アストレーは大きな費用をかけて拡張され美しくされた。アストレーには値うちのある油絵のための画廊があったが、油絵はいまだに荷箱にあり、難を免れた。一台の大きなオルガンも救われ、その後不思議な一致でウォーセスターの聖ニコラスの父の教会に置かれた。

 宴会が作業員のために催されたが、大酒盛りのあとのパイプの残り灰が鉋屑に引火し、全屋敷は完全に駄目にされ、決して二度と再建されなかった。昔の家の一枚の印画はナッシュのウォーセスターシャーにある。直ぐ後に、D.J.クッキー牧師が新しい持ち主、修復者として、煙っている廃墟を調査していた時、大工さんの一人が何枚かの厚板の上に座ってギリシヤ語の本を読んでいるのを見た。当然驚かされ、会話がなされたが、それによってクークス氏は彼の名前はジョン・リーで彼の道具全部が火事で燃やされたことを知ったが、少年の時、シュロプシャーの学校にいて大工の見習いだったが、コルベット大執事が彼の言語能力を見つけ彼にラテン語とギリシヤ語の手ほどきをしたということだった。

 一見、道具が燃やされるという不慮のできごとを通して、彼にもっぱらさらに古典学を追求したいという決心を起こさせた。そしてシュルースベリーの近くのボウドラー・スクールのマイスターとなり、その後ケンブリッジ大学に入学し、そこで著名なリー教授となったのだ。

 ※ジョン・リーの腹違いの弟のことであろうか同じような話しが以下のサイトに書いてある。http://shrewsburylocalhistory.org.uk/lee.htmこれはこれでまた訳者の飛んでもない脱線だが・・・好学の諸子は読まれたし。)

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