2016年7月14日木曜日

王なる神はすべてご存知である

数珠なる 珊瑚次々 鮮やかに

王には、何も隠すことはできません。(2サムエル18:13)

 王の敵にとり恐れで一杯である特徴はまさに王の友にとっては慰めであります。このように主が全てを知っておられることはエジプト人には「真暗な雲であった(出エジプト14:20)」がイスラエル人にとっては「暗黒の中での光(同)」でありました。

 王の将軍は自分が行動したようには正確に行動しなかったひとりの男に不平を言いました。それに対してその男は次の言葉を用います。「王には、何も隠すことはできません。」その訴えは最後的であった。ヨアブはもうそれ以上何も言いませんでした。

 ヨアブのように「なぜあなたはそうしなかったのか」と他の人々が言い、そして私たちには完全な理性が与えられえていないことや理解できないことを知ったり気づくとき、私たちのまことの王であるお方がそれについて全部知っていることが確かであるとあてにすることはどんなに心が休まることでしょうか。

 私たちは人々に理解させようとつとめてへとへとになる時、私たちが主に話しにくる時、どんな説明も求められないということはどれほどリラックスできることでしょうか。「神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです(ヘブル4:13)。」そして私たちが主と結びつけば結びつくほど、まことの王から隠れるものは何もないという喜びと感謝がますますあふれることでしょう。

おお 私たちの主がなされたすべてのことに対する崇拝を
神の星々にわたって鳴り響かせましょう 声といのちが一つになって
そして 私たちの献身をして まことなるもの 深いもの 
真なるものと していただきましょう
おお 今でも私たちの心はひざまずき 
喜びの誓いは 新たにされます 

私をそんなにまでして助けてくださった主に対して
そんなにまで祝福してくださった主に対して
私の心を知っておられるただ一人の友なるお方
もっとも近く もっともすばらしいお方
 
Oh, let our adoration for all that He hath done
Peal out beyond the stars of God, while voice and life are one!
And let our consecration be real, and deep, and true;
Oh, even now our hearts shall bow, and joyful vows renew!
=============================
To Thee who hast so helped me, to Thee who hat so blessed,
The only Friend who knows my heart, the nearest and the beat.※

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-14-the-king-knows/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97360です。※多分bestの誤りだと思い、そのように訳した。

マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活

 はるかに深かったのはテード夫人の私たちの良心に対する訴えであった。彼女は救いの道を生き生きと説明してくれた。部屋に入ることを許された時、彼女はもっとも機嫌良く私を抱きしめて、私にイエス様の愛を話してくれた。それはイエス様が私を招いておられること、イエス様がまず私を愛してくださったことであった。しかし、それに応答しようとするいかなる感情もまだ眠っている私の心には起こされなかった。 同年の他の者たちは「イエス様を信じていた」そして、その間違えようのない笑顔は彼らのものだった。額にしるされた約束の証印〈黙示7:3〉は神の子が身につけている外面的な平安な笑顔を意味するものかと不思議に思っていた。私はもう学校にほぼ12ヵ月いた。姉のミリアムは最初のクラスで一番になり、図画教師であるデ・リヴィエ先生から銀メダルをもらい卒業した。
 私はクラスでかなり前の方で、いつも暗唱で点数を取った。音楽演奏をしたことはなかったが、音楽の先生が他の少女たちに私の「やわらかいタッチ」と、12歳にふさわしい和音をどのように弾いているかをに注意するように勧めたことを覚えている。
 1836年の12月、家庭旅行の準備がやって来た時、私は先ず、ロンドンにいるいとこのアスボーン夫人のところに送られた。そこで、私は愛するストラットン伯母に会った。美しい応接間で伯母といとこが私にすばらしい家で起きている秘密について話してくれた。可愛い赤ちゃんである妹〈フランシス・リドレー・ハヴァガル〉が12月14日に生まれて来たのだ。小ちゃな妹。永遠が決して使い尽くすことのない新しい愛の鼓動が目ざめたのだ。私は15歳で一番下の弟が7歳だった。そのようにして目新しいこのできごとは飛び抜けて快かった。 )

0 件のコメント:

コメントを投稿