天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。(マタイ12:50)
「キリストの小さい姉妹であるとはどんなに麗しいことでしょう」と一人の若い弟子が言いました。もちろんキリストがほんとうにそう思っておられるからです。このことは私たちの祈りをもっと熱心なものとしないでしょうか。「あなたのみこころを行なうことを教えてください(詩篇143:10)。」
もし、王なる方がまことに親族の近さにあるなら、王に似ていることははっきりとわかることでしょう。果たして「あの人たちは、あなたのような人でした。どの人も王の子たちに似ていました(士師記8:18)。」と言われうるでしょうか。またはるかに高い標準「王の娘は奥にいて栄華を窮め(詩篇45:13)る。」を目ざすことに尻込みしないようにしましょう。
私たちは一方的な親族関係にだけ安住していてはいけません。もし王が私たちを兄弟と呼ぶことを恥とされないなら、いったい私たちは主を主人と呼ぶことを恥としていられるでしょうか。もし主が私たちに近い親族関係にふくまれまた示唆されるものを全部与える用意があるなら、その結びつきが私たちの側に求めるすべての愛や同情や誠実で報いることに失敗していいでしょうか。
また私たちの忠誠の愛を主の来臨を「待ち望み、その日の来るのを早め(2ペテロ3:12)」ることによって証明しましょう。「あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。それなのに、なぜ王を連れ戻すのをためらっているのか(2サムエル19:12)。」といじらしい非難を招かないようにしましょう。
不思議な結びつきのうちに
キリストに加えられた
私たちはあなたの器官
あなたは私たちのかしら
深くして真実なる交わりによって
証印を捺され
かつて死んでいた者が
あなたともによみがえらされた
救い主であるあなた
私たちはへりくだって
このあなた様のお名前のすべての御力を
主張したいのです
すべてを輝かす直ぐなる同情
弱さも苦悩もすべて
恵みを照らす道へ導き
あなたの愛する一人一人は知ることでしょう
すべての悲しみをあなたは耐えられた
それゆえにあなたの喜びにあずかります
キリストに加えられた
私たちはあなたの器官
あなたは私たちのかしら
深くして真実なる交わりによって
証印を捺され
かつて死んでいた者が
あなたともによみがえらされた
救い主であるあなた
私たちはへりくだって
このあなた様のお名前のすべての御力を
主張したいのです
すべてを輝かす直ぐなる同情
弱さも苦悩もすべて
恵みを照らす道へ導き
あなたの愛する一人一人は知ることでしょう
すべての悲しみをあなたは耐えられた
それゆえにあなたの喜びにあずかります
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-16-is-royal-likeness-recognizable/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97362です。
マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(5)
私の美しい女性についての愛はほとんど私をやっかいな状況に導いた。しかし、かつて応接間にある何枚かの美しい肖像画を見たことがあるので、もう一つのものを盗んだ。ところがある顔が思い浮かんだ。それはジュリアーナ・ハウワード嬢の顔だった。私は理想の作品を眺めようと禁じられていた入場を思い切ってやってみた。私は彼女は天国にいるに違いない、さもなければ描かれることはないだろう、だからジュリアーナ嬢は天使の間にいるにちがいないと思った。
もう一つの喜ばれない願いは秘密の「Cat's Gallery」を見つけることだった。それは年上の少女の数人は見たものだった。のどをごろごろ鳴らしている猫や子猫の画像。彼らの入っているかごは確かにそこで生きているにちがいない。大胆にも私は五階にまで足を伸ばした。それはたんすの収納庫のギャラリーや家の箱だけを見つけるためであった。しかし猫は全然いなかった。私は不思議な風体をしている緑のベーズのドアーをいくつか認めたがあえて試してみようとはしなかった。
私たちが級友が一人二人また一人の女性家庭教師がいなくなったのに気づいたのは1834年の10月のことだった。ある朝、私は病気にかかり熱があるように感じた。それで先生は私にリジーが来るまでじっとしていなさいと話された。リジーは女性の召使であらゆる頭痛持ちの良き聞き役であった。11時きっかりにリジーと黒い薬と小さなパンの皮を持った給仕人が教室に入って来て、全員の文句を言う者に向かって同じ処置をした。)
マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(5)
私の美しい女性についての愛はほとんど私をやっかいな状況に導いた。しかし、かつて応接間にある何枚かの美しい肖像画を見たことがあるので、もう一つのものを盗んだ。ところがある顔が思い浮かんだ。それはジュリアーナ・ハウワード嬢の顔だった。私は理想の作品を眺めようと禁じられていた入場を思い切ってやってみた。私は彼女は天国にいるに違いない、さもなければ描かれることはないだろう、だからジュリアーナ嬢は天使の間にいるにちがいないと思った。
もう一つの喜ばれない願いは秘密の「Cat's Gallery」を見つけることだった。それは年上の少女の数人は見たものだった。のどをごろごろ鳴らしている猫や子猫の画像。彼らの入っているかごは確かにそこで生きているにちがいない。大胆にも私は五階にまで足を伸ばした。それはたんすの収納庫のギャラリーや家の箱だけを見つけるためであった。しかし猫は全然いなかった。私は不思議な風体をしている緑のベーズのドアーをいくつか認めたがあえて試してみようとはしなかった。
私たちが級友が一人二人また一人の女性家庭教師がいなくなったのに気づいたのは1834年の10月のことだった。ある朝、私は病気にかかり熱があるように感じた。それで先生は私にリジーが来るまでじっとしていなさいと話された。リジーは女性の召使であらゆる頭痛持ちの良き聞き役であった。11時きっかりにリジーと黒い薬と小さなパンの皮を持った給仕人が教室に入って来て、全員の文句を言う者に向かって同じ処置をした。)
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