2016年7月12日火曜日

どちらに向かっていますか


その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(1ペテロ2:21)

 さて、この足跡とは何でしょうか。その足跡に従うということは、人がその道筋の一般的な方向を求めて自分自身の考えに従おうと考えることとは全く異なる事柄であります。もしあなたが一つの福音を取り上げ、聖霊のお導きによって熱心に書き留める目的をもってイエス様の足跡がどんなものであるかを読み通すことだけをするのなら、あなたがすぐに従っているのか従っていないかどうかをはっきりと悟ることでしょう。それはそのことについていかにたくさんの本を読んだり、いかにたくさんの人間のカウンセラーに相談するよりもはるかに明確にわかることです。

 今日、その人の足跡がどんなものであったかの一つの指図だけを受け取りなさい。どの方が「巡り歩いて良いわざをなし(使徒10:38)」ましたか。あなたの歩みはその方と調和しているでしょうか。それは「害を加えない」のでなく、活発に積極的に「良いわざをなす」ことです。

主よ お話しください
私が あなたの語調の生きるこだまのうちに
話せますように

あなたが探し求められたと同じように
私に探し求めさせてください
道を踏みはずしたあなたの子たちを
彼らは 失われ寂しいのです

おお 主よ 私を導いてください
私が 導けますように
さまよいぐらついている足の持ち主を

おお 主よ 食べさせてください
私が 与えることができますように
餓えている方々に
すばらしいマナを携えて

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-12-which-shall-it-be/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97358です。

マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(2)

 母性を導入しての計画は良かった。年長の少女が親切に課業の用意の責任を受け持ちながら二三人の小さい者を指図した。私の姉のミリアムはシャルロッテ・ロング(今のグレイストウク城のハウワード夫人だが)、M.A.イエソップや私にとって母の役割をしてくれた。
 私たちの勉強は当時の詰め込み教育よりはもっと単純だった。暗唱練習は夏には七時、朝食前に行われた。その時、道幅の広い砂利道を様々な先生が側について、マグナルの問答集、ガイの地理、リンドレー・マレーの文法書、そして週に一回は詩の暗唱などあちこち歩きまわってしたものだ。カウパーの課題、ワーズワース、ミルトン、それにシェイクスピアからの抜粋。私たちはビショップ・ハーバーの「パレスチナ」それにヘルマン夫人のもの、またエマの詩をふくむ、「オックスフォード入賞詩集」にある様々なものを持って来た。
 80行が平均的な課題だった。私はテード夫人にミリアム・ハヴァガルは500行を、マライアは300行を誤りなくそれぞれ一朝に暗唱したと報告されたところでのその場での皆の興奮ぶりを今も覚えている。スチュアートさんはよく言ったものだ。「マライア、a bonne bouche〈ごちそう〉をいただく前にもう一回あなたの暗唱を聞きたいわ」
 冬にはこういう暗唱を長い教室を歩きまわってした。そのため八時の祈りの時は体が温まっていた。朝食過ぎに朝の散歩は九時から十時になされた。広い砂利道、アン女王のチャペルの側のテラス、夏の樹陰、それに私たちの庭はヴァライエティーたっぷりだった。年長の少女たちは週に二回ケンジントン・ガーデンズの中や、当時ノッティングヒルは荒れ地で何も建てられていない土地だったがその砂利道の窪地へ散歩するために連れられて行った。こういう散歩中は英語が話されて当然かもしれないが、フランス語会話の唯一の例外はまるまる半年間あった。二時に食事をし、食後一時間以上は庭で過ごした。)

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