絶えず祈れ(下巻)※ |
答えられた祈りは私たちをしてそれだけで喜ばせるものであります。けれども、その贈り物の背後には贈り物自体よりもさらに良いもの、さらによろこばせる恵みがあるのです。もっとも価値あるのは婚約指環でしょうか、それともしるしとなった愛でしょうか。
正直な良心が識別するのに困難を覚えない、霊的でない祈りに対する公正な答えはさておき、王なる神のしもべは自らの願いに対する主の答えは主のめぐみとご好意にあずかっていることの証拠、しるしであるととらえます。それは主の真実な現在の個々人に及ぶ人格的な愛であるからであります。
正直な良心が識別するのに困難を覚えない、霊的でない祈りに対する公正な答えはさておき、王なる神のしもべは自らの願いに対する主の答えは主のめぐみとご好意にあずかっていることの証拠、しるしであるととらえます。それは主の真実な現在の個々人に及ぶ人格的な愛であるからであります。
それらが少ししか受け入れられなかったり、少しも受け入れられないときは、何か隠されたあるいは認識されていない罪がないか、その原因を探らねばなりません。というのは「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない(詩篇66:18)。」からであります。
そうですから、主が私たちに対して黙しておられる時には気楽な思いで、安易な思いで(祈りを)決して続けないようにしましょう。かつ、すばらしい答えをいただいている他の人をうらやむのでなく、「私たちの道を尋ね調べ(哀歌3:40)」ましょう。
御父は すばらしいお答えを
仕える者の頭上に 注がれます
燦々と 輝く 冠のように。
立ち昇る私達の祈りの薄雲は
黄金に輝く 水滴に変えられて
降り注ぎます。
その 一粒ひとつぶの 雫の 中に
私たちの か弱い祈りが
またとない 高価な富に 変えられて
いるのを 見るのです。
私達は このようにして
主の 御業(みわざ)を識(し)るのです。
仕える者の頭上に 注がれます
燦々と 輝く 冠のように。
立ち昇る私達の祈りの薄雲は
黄金に輝く 水滴に変えられて
降り注ぎます。
その 一粒ひとつぶの 雫の 中に
私たちの か弱い祈りが
またとない 高価な富に 変えられて
いるのを 見るのです。
私達は このようにして
主の 御業(みわざ)を識(し)るのです。
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-10-the-warning-of-a-silent-heaven/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97418です。今日の詩の箇所は短いながらも正しく訳せていないと思う。これまたどなたかのお知恵を拝借したい。追記 早速、すばらしい訳を読者からいただいたので、今までの訳を全面的に上記のように変えさせていただきました〈9/11記す〉
※Godhold Beck(19)
ベック兄は『実を結ぶいのち』を除いて、ご自身で著書なるものはあらわしておられない。日本に来られて何本のメッセージをなさったかわからない。一説には4000本は下らないという話もある。それはともかく、そのメッセージの聞き書きによる本は数冊出ている。それはいずれもベック兄が火曜の学びと題して行なわれる吉祥寺での集会のメッセージで語られたものを篤志者が何回も聴いてそれをもとに活字化されたものである。そんなことをしなくともベック兄の原稿をいただいてそのまま活字にしても良さそうなものだが、どうもそうはされなかったように思う。
それはベック兄の謙遜さと自らを信用しない姿勢のあらわれであろうと私は睨んでいる。聖書以外の自分のことばは消えて欲しいと思っておられたからであろう。今日のハヴァガルの霊想にちなんでそのような本の内容がないかを調べてみたら、『絶えず祈れ』下巻に「こころにいだく不義」という題でまさしく上の文中の詩篇66:18に基づくメッセージがおよそ20頁ほどの分量で述べられていることがわかった。)
※Godhold Beck(19)
ベック兄は『実を結ぶいのち』を除いて、ご自身で著書なるものはあらわしておられない。日本に来られて何本のメッセージをなさったかわからない。一説には4000本は下らないという話もある。それはともかく、そのメッセージの聞き書きによる本は数冊出ている。それはいずれもベック兄が火曜の学びと題して行なわれる吉祥寺での集会のメッセージで語られたものを篤志者が何回も聴いてそれをもとに活字化されたものである。そんなことをしなくともベック兄の原稿をいただいてそのまま活字にしても良さそうなものだが、どうもそうはされなかったように思う。
それはベック兄の謙遜さと自らを信用しない姿勢のあらわれであろうと私は睨んでいる。聖書以外の自分のことばは消えて欲しいと思っておられたからであろう。今日のハヴァガルの霊想にちなんでそのような本の内容がないかを調べてみたら、『絶えず祈れ』下巻に「こころにいだく不義」という題でまさしく上の文中の詩篇66:18に基づくメッセージがおよそ20頁ほどの分量で述べられていることがわかった。)
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