2016年9月27日火曜日

あなたは誤解されてよいのです

スイス・ベルン (1996.10.21)

人間はどうして自分の道を理解できようか。(箴言20:24)

 今の困難も主は対処されます。なぜなら「主は人にその思いが何であるかを告げられる(アモス4:13)」からです。しかし、あなたは主に告げていただくことを望んでいるでしょうか。主は、あなたが考えているようにあなたを誤解してきた人々は結局正しいとあなたにお示しになるかもしれません。そして、主はあなたの願いが全く正直でなく、自分で考えているほどその動機も純真でないことを示すかもしれません。あなただけが意志が強いと考えている強情さがあり、あなただけが無気力だとか誤りだとか認識している罪があったというように。

 主にさぐっていただきましょう。主にそのことを明らかにしていただきましょう。と言うのは、主はあなたに対して別のメッセージを明らかになさるからです。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます(1ヨハネ1:7)。」次にすべてが主とあなたとの間で明らかになるとき、もはや「何もありません」。

 あなたが主を見上げて、「あなたはご存知です」と言い、主があなたを理解されたり誤解されたりするのを、ちょうど主がなさり、イエス様がなさったと同じように、忍耐強く待つのは、どれほどすばらしいかを、主の赦しの光と主のきよめの新しい力のうちにあなたは知ることでしょう。というのは、かつて主ほど誤解された方が、どなたかおられたでしょうか。

私たちの今の方法でさえ
自分自身にとってだけ
知られているものだ 
高さとどん底と急流 
花ととげと石 

けれども
私たちは別の小道を
遠く離れた山の景色として
見つめている 
輪郭の描かれた丘だが
決して谷間ではないところを
見渡している

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-27-you-could-be-mistaken/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97435です。

※Godhold Beck(36)
 今日のハヴァガルの黙想は、すさまじいまでに、自らの姿を、ただ主の光の中だけで明らかにされたいと願った文章ではないだろうか。見当はずれかもしれないが、私はベック兄のこれまた激越な以下の文章を思い出した。

主なる神があなたにおあたえになった働きをつづけなさい。
嘘つきには、嘘をつかせておきなさい。
組織や制度がくずされるなら、そのままにしておきなさい。
悪魔には悪事にふけらせておきなさい。

しかし、あなたは、なにもさまたげがはいらないように気をつけて、
ひたすら主なる神がおあたえになった働きをつづけなさい。

主なる神はあなたに、お金持ちになれとは命じてはおられません。
主なる神はあなたに、ひとに攻撃されても自分の性格を弁明せよとは求めてはおられません。
主なる神はあなたに、悪魔とその配下があなたについていつわりを言いふらしても、反論せよとは言っておられません。
そのようなことに夢中になれば、あなたはそのほかのことをなにもしなくなってしまいます。
あなたは主のためにではなく、自分自身のためにことを行なうようになってしまいます。
あなたはただひたすら、主があなたにおあたえになった自分の仕事をつづけなさい。あなたの目標は、空の恒星のように不動のものでなければなりません。

あなたは、攻撃され、非難され、不当なあつかいを受け、こばまれ、傷つくことがあるかもしれません。敵があなたをののしり、友があなたを見すて、ひとから軽蔑され、拒否されるようなことがあるかもしれません。しかし、あなた自身の人生の目標と、あなた自身の存在のすべてをかけて、ゆるがない決意と絶えることのない熱意をもって、神があなたにあたえられた目標を追求しつづけることを、いつも第一に考えるようにしなさい。〈『絶えず祈れ 下巻』9頁より引用〉) 

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