あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。(ヨシュア24:15)
今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え・・・(申命記10:12)
感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。(ヘブル12:28)
今日、あなたが真に、徹底的に心からお仕えしようとする方を選びなさい 。そうすれば、主はあなたを受け入れてくださいます。そして、あなたもまた、これまでと同じように、主は大変すばらしい主人であり、そのすばらしさに満足し、もはや決して主人のもとから逃げ出して自由になりたくはないのだということに気づくことでしょう。
今日、あなたが真に、徹底的に心からお仕えしようとする方を選びなさい 。そうすれば、主はあなたを受け入れてくださいます。そして、あなたもまた、これまでと同じように、主は大変すばらしい主人であり、そのすばらしさに満足し、もはや決して主人のもとから逃げ出して自由になりたくはないのだということに気づくことでしょう。
いや、それどころか、むしろ主ご自身のことばを受け取り、「もし彼らが聞き入れて仕えるなら、彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、その年々を楽しく過ごす(ヨブ36:11)。」と主がおっしゃることを悟りなさい。恐らくあなたがほんとうに主にお仕えするまでは、あなたはそのことを理解できないでしょう。というのは、主はあなたがその境地に達するまでは、主の報酬を与えられないし、示すことさえなさらないでしょうから。
そして、主はおっしゃいます。「わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う(イザヤ65:14)。」しかし、どんなものかを知るためにその歌を試すことはできないし、あなたの名目上か、あるいはまさに約束上の奉仕が、真に分かたれることのない献身(real and undivided consecration)に代えられるまでは、その歌の一小節でさえ読むことができないでしょう。しかし、主があなたを「私のしもべ」と呼ばれる時、あなたは心の楽しみによって喜び歌っている自分自身に気づくことでしょう。なぜなら、主がそうおっしゃっているからです。
「私の主よ」
私の心は喜んでそう言ってきたつもりですが
それは私自身の冷たい不誠実な心でなかったでしょうか
私たちには一つの聖い思想を考えるための
意欲も力も全然ありません
それゆえに私たちのうちにある主の力を
測り知ることは慰めであります
「聖霊によるのでなければ、だれも、
『イエスは主です。』と言うことはできません」
(1コリント12:3)
私の心は喜んでそう言ってきたつもりですが
それは私自身の冷たい不誠実な心でなかったでしょうか
私たちには一つの聖い思想を考えるための
意欲も力も全然ありません
それゆえに私たちのうちにある主の力を
測り知ることは慰めであります
「聖霊によるのでなければ、だれも、
『イエスは主です。』と言うことはできません」
(1コリント12:3)
その時
「あなたの夫」ということばの、愛らしさのすべては、
ずっと続く喜びのこだまのすべては、めざめさせられます
それは、御霊のささやきであり 御霊の働きの印であるにちがいありません
たとえ それが どんなに ぼんやり見えようとも
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-8-royal-servants/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97416です。
※Godhold Beck(17)
「賛美はキリスト者しかできない」と、かつてベック兄から聞いたような気がする。それは、今日のハヴァガルの霊想の一つのポイントであろう。
ところで、ベック兄のテノールは大変綺麗で我家での初期の家庭集会の録音は様々なものが録音されているのだが、メッセージの前と後に皆さんでなさる賛美が同時に録音されている。それを聞くと、平日の昼間に開かれる集会ゆえにたくさんの女性の方の賛美が中心だが、一人男性の声がそれらの女声を縫うように流れて行く。それはとてもハーモニーに満ちていて、この世にいながら定めし天国を思わせる。
その上、まだ人数も少なかった折りの集りにおいては、奏楽者がおられなかった時など、ご自身でオルガンを踏みながら賛美をリードされたと聞いたことがある。 )
※Godhold Beck(17)
「賛美はキリスト者しかできない」と、かつてベック兄から聞いたような気がする。それは、今日のハヴァガルの霊想の一つのポイントであろう。
ところで、ベック兄のテノールは大変綺麗で我家での初期の家庭集会の録音は様々なものが録音されているのだが、メッセージの前と後に皆さんでなさる賛美が同時に録音されている。それを聞くと、平日の昼間に開かれる集会ゆえにたくさんの女性の方の賛美が中心だが、一人男性の声がそれらの女声を縫うように流れて行く。それはとてもハーモニーに満ちていて、この世にいながら定めし天国を思わせる。
その上、まだ人数も少なかった折りの集りにおいては、奏楽者がおられなかった時など、ご自身でオルガンを踏みながら賛美をリードされたと聞いたことがある。 )
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