2016年9月14日水曜日

誰が私たちに刃向かうことができようか

「母と子・岩山」60号変 油絵 西澤茂樹※
主があなたがたのために戦われる。(出エジプト14:14)

 モーセがイスラエルの子どもたちに紅海の岸辺でこのように言ったとき、彼らはどんなに喜んだことだろうか。なぜなら、彼らが「目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れた(出エジプト14:10)」からである。エジプト人はイスラエル人にとって残酷な主人であり、彼らを追跡するための馬や戦車をたくさん持っていた。その上、イスラエル人の目の前には紅海が迫っていた。ボートは一つとして無かった。

 恐らく、イスラエル人のうちのある者たちは逃げようたって無駄だと考えただろう。彼らは追い越され、征服されるだけであったろう。それは以前よりももっと悪い状態であったろう。だからなすがままにされるはずであった。ところが、神様は彼らのために彼らが考えなかった方法で戦われた。なぜなら「主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た(出エジプト14:30)」からである。

 ところであなたのエジプト人はどうか。怒りやすい気質、いらいらした言葉遣い、空しくも愚かな考え 、悪い癖、それらはどんなにしばしばあなたに打ち勝つことか。あなたはそれらに対してどれだけしばしば戦おうとし失敗したことか、その結果、ほとんど戦いは無駄で、それらに勝ったりそれらから逃げたりする方法は見つからないと思われた。あなたは戦おうとしているが、今までと全く同じように絶えず打ち負かされることを「非常に恐れて」いるのだろうか。

 さあ、今こそ神の真実で、力強いあなたに対する約束を聞け。「主があなたがたのために戦われる(出エジプト14:14)。」そうだ、あなたが主のみことばを信じ、主に戦いをおまかせし、主にあなたのために戦ってもらうことだけをするなら、あなたのためにも主は戦ってくださる。

 
まさしくそうだ
あなたが試みに会い
なす術も知らないとき
イエス様に心配を投げかけなさい
そうすれば主はあなたのために光となってくださるだろう
天から与えられる信仰・希望・愛のかぶとを身につけなさい
そうすれば戦いが終わるとき
あなたは上なる主とともに凱歌を治めるであろう
 
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-14-who-can-be-against-us/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97422です。

※Godhold Beck(23)
 今日の絵は先週土曜日に訪れた銀座ギャルリー・コパンダールで拝見した油絵である。家内の高校の同級生の方と言うのでうかがったが、何とその方は昨日火曜の学び会で証なさった谷口幸三郎さんと同門であり、名前をご存知であった。偶然の出会いとは言え、主をいつどこででも証しなさいとは、ベック兄が率先して示されていた日常生活であった。岩山に母と子が連れ添っている、きわめてヒューマンな世界に、果たしてハヴァガルの指し示す主の御力をどのようにお示しできるのであろうかと思う。

 ところで、今日は家庭集会の日だった。70名ほどの方とともにメッセージとお証に耳を傾けさせていただいた。お二人とも外見からは窺い知れない多くの苦難を経験されて練りきよめられていく信仰の実質を伝えてくださった、またとない機会となった。この苦難こそヒューマンなものが通じない世界であることを改めて覚える。

 それにしても証をお聞きしていて、主イエス様に従うとは、こんなにまでして従わねばならないのかと思わされた。程度こそはるかに及ばないが、私にも今日のお証の方と同じような苦難を少しだけ経験させられたことがある。しかしそれは片鱗にとどまってしまった。妥協してしまった、イエス様から目を離してしまったからである。逆に徹頭徹尾主イエス様に従われているこの方だからこそ、ただひたすら主イエス様のみわざを賛美できる。今苦難のただ中にある人に主イエス様にある生き方のすばらしさが伝えられるのだと思った。

 「家庭集会」は「救いの場」であると同時にこのように互いの信徒が成長する場でもある。歳を取り、からだが弱くなり、26年間無我夢中でさせていただいてきた家庭集会もいずれ終焉の時期を迎える。ベック兄が最後まで福音の最前線におられたように歩めればどんなに幸いであろうか。今一度ベック兄の「家庭集会」の勧めの記事〈「神の愛」下巻所収〉を顧みる日々である。) 

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