2016年9月30日金曜日

もっとも小さな者も忘れられることはない

秋さやか みことば添える ゆかしさ
わたしは命じて、ふるいにかけるように、すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、一つの石ころも地に落とさない。(アモス9:9)

 サタンはわれわれを小麦のようにふるいにかけることを強く願いましたが、主ご自身はご自身の御手にふるいを持ち、一つの石ころも地に落とさないように、みことばで約束されています。私たちはそのおことば「一つもしない」ということばをたいそう喜ぶ者です。

 すべての聖徒の中でもっとも小さいものよりもっとちいさくあっても、私のキリスト・イエスにある唯一の権利が私は罪人のかしらですと言う者であったとしても、そんな私でさえなのです。

 「一つの石ころも落とさない 」というのは、主は「あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる(イザヤ27:12)。」と言われるからです。主の何億と言うふるいの収穫から切り離して、個別にあなたがたを集められる主の御手を考えなさい。主がその作業場を徹底的に掃き清められるその恐ろしいふるいの日にさえ、穀物倉に必ず一つ一つ集められます。

 あなたは今時々少し見落とされていると感じているかもしれませんが、大変多くのものの間にあるたった一つなのであり、おそらく最初ではないが、ひょっとして誰かの愛や世話や関心の中で二番手でもないかもしれないが、主は終日主の「もっとも小さい石ころ」を見ておられるのです。羊の群れは私たちにとってもっとも無関心なように、区別がつかず絶望的に見えますが、良き羊飼いは、まことによくすべての羊を知っているのです。

 ましてや、良き羊飼いなるお方はご自身の羊を名をもって呼び出され、「彼らは、(力から力へと進み、)シオンにおいて、神の御前に現われます(詩篇84:7)。」

私たちの救い主 私たちの王は 即位し上から冠をかむせられ
類稀な喜びでもって 主の愛のこどもたちを 連れて来られる
父なる神様が与えられた者はどんな者も 主の栄光を見る
イエス様が救うために来られたどのひとつも
決して主の囲いからもれることはない  

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-30-the-least-is-not-forgotten/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97438です。

※Godhold Beck(39)
 昨日の続きだが、家内の証言はこうだ。それは1991年ごろ、彦根の私の家に初めて来られたときの、見送りの場面であったようだが、どういういきさつがあったかは定かでないが、この時、ベック兄は「私は日本に骨を埋める」とはっきり言っておられたようだ。

 そんなベック兄も逆に後年あまりにも自らが理解されないので、ドイツへ帰ろうとされたこともあったやに聞く。風土文化のちがう世界で福音を伝えようとする宣教師の道は狭く厳しい。しかし、召された使命に忠実にしたがう祝福は何にも代え難い喜びだとは死を賭して私たちに示されたベック兄の真実な証しだ。) 

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