2025年6月3日火曜日

夜ふけの川辺に・・・

中堀から望見する佐和口多聞櫓と天守(彦根城) 2015.5.27
 昨日のKさんはCDと一緒に、聖歌558番、532番の歌詞・詩を是非味わってくださいと手書きでコメントされていました。それで手元にある1992年版の『聖歌』から558番の歌詞を写させていただきました。原詩はイギリスのチャールズ・ウエスレー(1707〜1788)のものです。どなたが訳されたのかわかりませんが、きれいな日本語に訳されていて感謝です。この場を借りてお礼申し上げます。

夜ふけの川辺に
友らと別れて
ただひとり ものを思い居(お)りし時
この身に挑(いど)みて 組み打ち始めし
目に見えぬ人よ
名を証(あか)し給え

如何(いか)なるお方ぞ
この身の悩みと罪・咎(とが)
ことごと見抜き給いしか
この身は知らねど
祝し給わずば
汝(なれ)をば去らせじ 夜明けとなるとも

君は我がために
身代わりとなりて
数多(あまた)の悩みを
受けさせ給いしお方にあらずや
祝し給え
今、よしこの腰骨(こしぼね)砕かせ給うとも

腰は立たずとも
この手はゆるめじ
汝(な)が恵みなくば 生くる甲斐もなし
死力を尽くして 取り組むこの身を
いざ祝し給え
明け方来ぬ間に

闇夜は明け行き
朝(あした)は来(きた)れり
古きは過ぎ去り 新しくなれり
砕かれ尽くして 明け渡しし今
罪の力にも
この身は勝つを得ん

小鹿(おじか)のごとくに
ヤコブさえおどり
神の御力をほめたたえまつる
世にあるかぎりは
「ペヌエル」証(あか)しせん
げに「こころきよきものは神みる」と

心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(新約聖書 マタイの福音書5章8節)

2025年6月2日月曜日

「水無月」の始まり

 昨日から6月に入った。古利根川の堤を降りて、果たして田植えは始まっているのだろうかと、目を凝らして見れば、遠くからではあるが、水田が前日までとは違い、うっすらと緑がかっていることに気づいた。近づくとつがいの鴨二羽が悠然と水田を屯しているではないか。慌てて、iPhoneをショルダーバッグから取り出し、二枚ほど写真に収めた。しかし、私のこの所作は彼らに警戒心を与えたのだろう。すぐに二羽して飛び立ってどこかへ行ってしまった。

 今年も鴨家族の姿を観察できるのだと思うと嬉しくなった。ちなみに昨年のブログはどうだったのかと検索してみたら、次のようであった。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post.html
 昨年は私にとって初めての体験であったから、興奮気味の文章を綴っているのが、何となく伝わってきた。あれから一年経つのだと思うのはやはり何となく寂しいし、辛い。自分はどこに座標軸を置いて生きているのだろうかと、改めて時の迫るのを覚えさせられるからである。

 けれども昨日はもう一つ嬉しいことがあった。それはKご婦人のオカリナ演奏のCDをYさんを介していただいたからである。昼間の礼拝の後にいただいたのだが、私はあまり関心を示さず、うっちゃっておいた。これも私のどうしようもない生まれながらの性質ではある。しかし、その後、Yさんから、なぜKさんがこのようなCDを私たちにくださったのかを、メールで知らされ、襟を正され、家内と二人で聞いた。

 全部で67曲のオカリナによる演奏であった。聖歌、讃美歌、日々の歌、童謡、ショパンの別れの曲などが入り混じって次々と演奏されていた。Kさんは左親指が不自由だそうだ。そんなこととは想像もできない。試練の中でオカリナ演奏は、主イエス様への問いかけ、祈りの時ではなかったかとYさんは書き寄越して来てくださっていた。まさにその通りだと思わずにおれなかった。

 その上、家内がこのオカリナ演奏を喜び、それぞれの曲目に私以上に歌詞を、全部ではないが、すらすらつけて歌っていることにびっくりさせられた。このまま回復するのじゃないかと錯覚させられるほどだった。「音楽」と「美術」は彼女の昔取った趣味の杵柄(きねづか)だのに、絵はここ数年とんと描かなくなった。しかし、歌は今も歌うが、このKさんのオカリナ演奏を通して伝わって来る息遣いは、私たち夫婦の魂を揺さぶるのに十分だった。

 こうして、昨日は、私も遅ればせながら、そういう生き方、Kご婦人のような生き方ができればと思わされる、「水無月」の始まりの日となった。

神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(旧約聖書 創世記2章7節) 

2025年5月30日金曜日

僕の大好きな「iPhone」


 月曜日の夜、iPhoneが急に使えなくなった(※)。そのため、昨日木曜日の昼過ぎまでの都合二日間ではあったが、iPhoneなしの生活を余儀なくされた。言うまでもなく、日々の生活でいかに自分がiPhoneあっての生活を送っているか示された。
https://www.youtube.com/watch?v=MazSczERT4k

 原因は今もって分からないのだが、何しろ電源に繋いでも、うんともすんとも反応しなくなったのだ。ネットで対処法を調べ、それでも解決せず、いつも相談する三男に助けを呼び求めたが、解決できず、週末に直に見てみようとの返事をもらった。

 しかし、この先、三男が来るまで、まだ金、土と二日間も我慢しなければならないのか。それに復旧が保証されているわけではない。回復しない場合の修理費用は62,545円だとメーカー側のホームページで知り、それを思っては前途暗澹たる思いであった。

 不便なのは一切iPhoneを通しての携帯電話の送受信ができなくなったことだった。また普段の生活では手首にApple Watchを装着していて、一切の通信は電話、メールなど即時に受けて行動している。朝起きてから寝るまでの、時とすると睡眠中もiPhoneとApple Watchのお世話になっている。その肝心のApple WatchもiPhoneがダメになれば、一切機能しなくなる。これには参った。

 もちろん、逆にそのようなネット環境に左右されず、静謐な自分の時間を持てる。日頃の自分がいかに様々なネット情報の洪水にさらされながら生きているかを実感させられた。

 私は決して新しもの好きではないが、振り返ってみると、これまで様々な情報機器の最先端の成果を享受して来たことに気づかされる。高校時代にはソニーのオープンリールの録音機を使っていたし、社会人になってからはやはりソニーのハンディーな録音機、ポケットに忍ばせることの可能な小型の録音機(カセットレコーダー、当時「宇宙船アポロが搭載した?」とか言っていた)、2003年に定年退職してからは、「iPhone」を駆使するようになった。

 2010年だったか、ドイツ旅行で親しくなった方の経堂(きょうどう)にあったご自宅を訪問するため、iPhoneのGPS機能を利用して、その方の自宅まで一切どなたの説明も聞かないでiPhoneを使って電撃(?)訪問して、一人悦にいっていたこともあった。

 ましてやその頃電車内では「ガラ携」こそ行き渡っていたが、iPhoneを操作している乗客は車両内で、私をふくめて二、三名いるかいないかの状態であった。電車内で様々な情報を選択し、ある時などは、スポルジョンの『M&E』という英文アプリを開き、窮地に陥っていた私に上よりの多大なる励まし「"Help, Lord." Psalm12:1」をいただいたこともある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/06/help-lord.html

 そのように私の生活にはiPhoneは欠かせない機器である。今回困ったことの一つには毎日通読を続けているyou versionというアプリの1日の聖書個所が一切判らなくなったことだった。外へ出たは出たで、やっと田んぼに水が張られて、田植えが始まろうとしている景色をキャッチしたくもiPhoneなしでは、写真が撮れないことだ。

 第一、このブログそのものの文頭を飾る写真は、iPhoneを通しての賜物である。長距離の電車を乗り継いで行くのも、iPhoneあっての物種であることも思い出す。今回の変事は私にとって様々なことを省みる良い機会となった。

 ただ、不思議なことに、昨日の木曜日長女が庭木の剪定に来ることになっていたが、朝の食事の祈りの時に私は長女が無事にこちらに来れるようにと祈ると同時に、iPhoneの復旧についても短く祈っていたことを今もって思い出す。

主よ。お救いください。(旧約聖書 詩篇12篇1節)

2025年5月25日日曜日

二人三脚の日々と主のご計画

 先ごろ橋幸夫さんが認知症にかかっておられることを明らかにされた。大変勇気のある告白であり、周りの方々の熱い支援があってのことだと思った。年齢は私と同じようだ。「いつでも夢を」という歌があることを思い出し、早速ユーチューブで聞いてみた。大変懐かしかった。吉永小百合とのデュエットであった。澄まし顔で歌うかに見える橋幸夫の姿と、これまたはち切れんばかりの若さと、笑顔で歌う吉永小百合の姿を見るだけで、なぜか胸が痛んだ。

 家内は吉永小百合と同年だからだ。かつて吉永小百合の主演の「青い山脈」がロケ地として彦根を選んだので、家内はそのロケを見に行った。それがいつ頃のことだったか、高校の時だったのか、短大時代のことであったか、はっきりは思い出せないようだが、結構吉永小百合との同世代感覚は今もあるようだ。そこへ行くと私は橋幸夫さんと言っても別世界の住人のように思っていた。それだけに今回の告白は他人事とも思えなかった。ましてデュエットされたお二人と私たち夫婦は同世代だからだ。

 母は胃癌で44歳、父は痴呆症を患って69歳、継母も胃癌で69歳で亡くなった。それぞれ、私の18歳、38歳、51歳の時だった。その私も今や82歳の歳を重ねている。家内は健康そのものだったし、母亡き後、2年して、父の後妻として嫁して来てくださった継母と私との複雑な間柄を良く受け止め、55年の結婚生活を通して終始一貫、私に仕えてくれている。その家内もここ3、4年めっきり弱くなってきた。特に記憶面でのハンディが目立ってきた。

 それもあって、毎日「脳の活性化」と「健康」のため、古利根川沿いの散歩に家内を誘い出しては健康維持につとめている。実は我が家の庭は庭で、この季節たくさんの草花が咲き揃っているので今更出かけるまでもないのだが。これも1996年に家を新築したおり、家内のたっての希望で限られた敷地の中で庭面積を最大限取ったおかげである。

 ところが、このところ庭が鬱蒼と生い茂ってきた。例年なら家内が率先して剪定作業に乗り出すのだが、今年は手を出さない。思い余って、家内を誘い、ベニカナメはじめ椿や山茶花などにまとわりついていた蔓(つる)を外しながらの剪定となった。二人とも疲れたが、家内は私以上に疲れたようだ。耳が遠くなった私と記憶がままならない家内との二人三脚はこうして、肉体面でも衰えが目立つ。

 今日の写真は、そのような蔓の存在にもめげず、咲き誇っていた「アルストロメリア」である。もちろんこんな名前は知らない。家内が前からそう言っていたので覚えているだけだ。夫婦が健康で長生きするのも素晴らしいが、もはやそれは期待できない。互いに弱点を抱え、衰える一方だが、残された我が人生の中で、どのように助け合っていけば良いのか、日々試される毎日である。 特に私は長年の家内の愛に恩返しをしたい、「あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい」との主の勧めを実践したいと思うのだが、これが中々どうして自分の力ではできないで、困っている。

 今日も礼拝後の福音集会で主にあって敬愛し、互いに「兄弟」と呼び合っている方から「主の計画」と題する貴重なメッセージをいただいた。最後に読んでくださった聖句(下記の聖句)は私の55年のキリスト者生活・結婚生活の中で危機に会うたびに、繰り返し味わされてきた聖句であった。また新たな思いと感謝の思いで、主イエス様の御業に信頼しつつ歩みたいと思わされている。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(新約聖書 ローマ人への手紙8章28節)

そう言えば、そのメッセージではもう一つ大切なみことばも示してくださっていた。すべての面で「へりくだる」ことこそ、今の自分に主が求めておられる一切なのだと合点する。

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(新約聖書 1ペテロ5章6節)

そして、そのメッセージには、今一つ紐解かれていたみことばがあった。下の聖句がそれだ。そのみことばにより、私たち夫婦の二人三脚の内にも、限りない「主のご計画」があることに改めて気づかされる。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ーー主の御告げーーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(旧約聖書 エレミヤ29章11節)

2025年5月12日月曜日

「シービービー」と私たち

蛙啼き シービービーと 歩み居り
 「明日から暑くなる」と、もっぱらの天気予報だが、今日はなぜか寒く感じる。夕方、いつもの散歩コースを歩んだが、足元が昨夜の雨のせいか、ぬかるんでいた。けれども、上着をまとってちょうどいい散歩日和だった。

 最近同伴者は私に数歩遅れてついて来る。私としては同伴者と、飛び交う鳥や蝶々を眺め、会話を交わしながら歩みたいのだが、同伴者にはそれよりも大切なことがあるらしい。この一月たらずの間にたくさんの草花はあちらこちらで生い茂り、私たちの背丈に追い迫る勢いだ。同伴者はそのことが気がかりのようだ。雑草が蔓延(はびこ)るのが許せないようだ。

 盛んに雑草の種が飛ばないようにと草をちょん切っているのだ。私は自然派で伸びるなら伸びていい、むしろ生態系を壊すから「やめろ」と言うのだが、一向に気にしない。使命感を感じているようだ。そんな同伴者が、散歩も最終地点に差し掛かったところで、写真のシービービーをまた見つけて草笛を吹いてくれた

 実は二、三日前に同伴者がシービービーを採って、試みに草笛を吹いてみたのだ。その時私はその所作を知らず、耳の側で何やら聴き慣れない音が聞こえて来たので、てっきり補聴器が壊れたのだと思った。が、そうでなく、同伴者が私を驚かせようと私の耳元で草笛を吹いたのであった。そう言えば、その時すれ違った、乳母車に赤ちゃんを乗せた若いお母さんが、何か顔を輝かせて私たちの方を見ていた。老夫婦が「シービービー」と草笛を吹いて楽しんでいる、微笑ましいと思ったのだろう。

 その時、同伴者は実に何十年ぶりだと喜んで言った。私にとっても幼い時に女の子たちが楽しそうに草笛を吹くのだが、自分では出来ないので、それっきりだった代物であったので童心に帰って嬉しくなった。

 だから同伴者に今日も草笛を所望したのだ。ところで、すぐそばには未だ田植えをしていない田が広がっていた。その田んぼにどれだけの蛙がいるのだろう。それこそシービービーの草笛の音、何のその、特有の啼き声を聞かせてくれた。今夜にでも雨が降るのだろうか。

 家に帰ってこの記事を書くうちに二枚の写真を見せ、同伴者に写真はどちらが良いか尋ねたら、完全に意見が分かれた。最初の冒頭の写真が私の載せたい写真。下を良いと言うのが同伴者の考えだ。読者はどちらがいいと思われるだろうか?

 さて、私がこの記事を書く気になったのは、二千年前のイエス様と弟子たちの牧歌的な記事が念頭にあった。そのくだりを以下に写しておく。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。(新約聖書 マタイ11章28節〜12章1節)

2025年5月8日木曜日

ゴールデン・ウィーク(下)


 「ゴールデン・ウィーク」とはサラリーマンにとっては、大変な息抜きの期間であろう。それがあればこそ、日常の精魂尽き果てる仕事も耐えられるというものだ。そこへ行くと、年金生活者は毎日が日曜日だから、一年365日、身の回りのちょっとした風景にも魂が癒される瞬間を味わう恵まれた身分であり、現役の皆さんには申し訳ない思いがする。しかし、そうとも言い切れない。いかなる形を取ろうとも後述するように、ゴールデン・ウイークは魂の真の安息があって初めて味わえる境涯ではなかろうか?と思うからである。

 さて、木内昇さんは『北越雪譜』を基礎資料とし、30近い文献をもとに『雪夢往来』(※1)という小説を書き上げられた。最初この本の題名は漠として意味が通じなかったが、二度読みだけでなく、じっくり考えてみると、良く考えられた作品名だと思う。第一、「往来」という言葉に万感の思いが込められている気がする。それは北方丈雪の越後の人である鈴木牧之が東南寸雪の暖地の人々と「往来」することによって、自らの経験を、すなわち「雪国」の生活を伝えたいという「夢」が如何にして実現したのかを丁寧に追っている作品だからである。

 そもそもこの夢は江戸へ縮の行商に行ったことが端になっている。その辺の事情が次のように鈴木牧之の本名である「儀三治(ぎぞうじ)」(※2)として作中で語られている。

 江戸とは絶えず繋がっておらねばならぬーーそれが、二十歳を過ぎた頃から儀三治にまとわりついて離れずにいる思量なのだった。縮は江戸にも卸すゆえ往き来を絶やさぬよう目配りをしておきたいという商売上の理由もあったが、かつて行商で江戸を訪れた折、人々が越後国についてあまりに無知であったことに落胆してからというもの、己の故郷をあまねく知らしめられぬかと、そんな希求が湧いて鎮まらぬのだ。雪深いこの塩沢を特段誇りに思うわけでもなかったが、始終空っ風が吹いて、少し表を歩くだけで髷から着物の中まで砂まみれになるあの江戸に住む者たちから、「越後・・・・ああ、山越えて裏っ側にある国だろう」と軽んじられるのもまた癪だった(※3)。(『雪夢往来』17頁)

 商いの傍、書画に打ち込む儀三治については

 話がまとまらぬまま会は夜半にお開きとなり、儀三治はひとり、自室に据えた文机に向かう。家中はとうに寝静まっている。燭台の小さな灯りを机脇に置き、誰にも邪魔されず書や絵を描く刻を、彼はなにより愛おしんでいた。不思議なことに、そうしていると本来の己に立ち戻れるようで、気持ちは凪いでいくのに総身の血道が躍るような昂揚を覚えるのである。(同書14頁)

 著者木内昇さんが描く小説の出だし部分のほんの一端を写してみたのだが、抑制された文章はこのあと394頁ばかり続く。そして「本来の己」に立ち戻るための書画が、鈴木儀三治(鈴木牧之)の『北越雪譜』であったことが証されていく。寛政年間から天保年間に至る中央文壇の戯作者のそれぞれの生き方が、鈴木牧之の悲願と言ってもいい、『北越雪譜』の板行に至るまでのおよそ40年近い歳月の流れの中で語られて行く。

 山東京伝(1761〜1816)、滝沢馬琴(1767〜1848)(※4)、十返舎一九(1765〜1831)など、この錚々たる中央の戯作者の伝(つて)を頼りに、版本刷りを手掛けてくれる版元の引き受けで『北越雪譜』は天保12年(1841年)にやっと陽の目を見る。しかもそのことが可能になったのは、山東京伝の弟である山東京山の助けがあってのことである。

 本小説の最終頁(394頁)で、鈴木牧之が身罷(みまか)ったのちも安政5年90歳になるまで生を存えた山東京山(相四郎)の臨終の場面を作者は設定し、次のように語っている。

「わしは戯作に出会って、幸せだったのかのう?」
誰に言うでもなく、闇に向かって独りごちる。その様を見詰めていた猫は、相四郎に添うように床の上に横になると、やがて甘えた鳴き声をあげてから目を閉じた。猫に誘われたわけでもなかろうが、ひどい眠気が襲ってくる。相四郎は、ようやっとすべての枷が解かれた軽い身体で、深い眠りへと落ちていく。

 これぞ、まさに「ゴールデン・ウィーク」の落とし所かも知れぬ。相四郎の眠りがそれを象徴するように思う。作家稼業は決して楽ではない。しかし「己」を取り戻すための作業であるとしたら、200年前の苦渋を極めた先人たちの歩みも間近に思えるのでなかろうか。著者がこの小説はあくまでも「フィクション」ですと帯で断っておられるように絶えざる問いかけがこの作品の良さであるように思う。「蔦重」がテレビ大河ドラマで話題になっているのを知っている。その蔦重は戯作者の思いが世間に伝えられるように道備えをする大切な役割を果たすこともこの作品を通して考えさせられた。

※1 『雪夢往来』の表紙絵は鈴木牧之の描ける「塚山嶺雪吹図」である。『北越雪譜』に示されている鈴木牧之の文意もさることながら、絵筆の巧みさを思わずにはいられない。その辺を『雪夢往来』はすでに表紙絵で表している。
 
※2 儀三治は俳句を嗜み、句会を催していた。父恒右衛門の俳号が「牧水」でそれを継いで「牧之(ぼくし)」と名乗っていた。

※3 関西人である私が初めて栃木県の足利に降り立った際に経験したのもこの空っ風と砂まみれになる生活であった。これは大いなるカルチャーショックで湿気のある温和な風土である近江の地を懐かしんだものである。儀三治さんの話される雪国の生活とは『北越雪譜』を知るまではついぞ知りえなかった。それこそ川端康成の創作『雪国』の都会人が見た雪国の姿でしかなかった。

※4 滝沢馬琴については山東京伝に比して、どちらかというと悪し様に描かれているように見えるが、同書326頁に渡辺崋山が馬琴の長男の宗伯が亡くなった時、弔問に訪れたことが書いてあった。にわかに、この小説が身近になった。私がその足利で下宿させていただいた『巌崋園(がんかえん)』はその崋山が逗留したお家であったからである。もっともその史実を確かめたわけではないが・・・

 最後に昨日の伝道者の書の続きの部分を聖句として紹介しておく。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(旧約聖書 伝道者の書12章11〜13節)

2025年5月7日水曜日

ゴールデン・ウィーク(上)

 草むらの ムラサキツメクサ 優雅に
 今年のゴールデンウィークはあっと言う間に終わった。第一、いつから始まったか、その自覚もないまま、気がついた時には、もうそのウィークを抜け出てしまっていたのだ。なして、そのような羽目に陥ったかと言うと、一冊の本に夢中になったからである。

 その本とは『雪夢往来』(木内昇著新潮社)である。2月初めにこの本のことが東京新聞に出ていた。早速図書館にリクエスト。ところがすでに私の前に六人ほどのリクエスト者がいて、私のところには当分回って来ないことがわかった。私だけでなく、「木内昇」ファンがいるのだと改めて思わされた。それから4月下旬になってやっと私の番が回ってきた。待望の本だが、今や興味は薄れていたので、すぐ読まずに放置してしまった。

 2月当時北陸・東北・北海道など大変な豪雪だった。その時、私は『北越雪譜』を思わずにいられなかった(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E5%8C%97%E8%B6%8A%E9%9B%AA%E8%AD%9C )。そのような折、東京新聞の「推し時代小説」の案内文に接した。私の好きな作家である木内昇さんが、『北越雪譜』の著者である鈴木牧之(すずき・ぼくし)について書いているということだった。だから是非読みたかった。

 ところが、その冬も過ぎ、春の陽気とともに、いつの間にか興味が薄れてしまっていた。だから二週間の貸与期間も、他の私自身が3/16以来日夜取り組んでいる本(『聖パウロの生涯とその書翰』デーヴィッド・スミス著日高善一訳)の存在があり、打っちゃっておいた。ところが返済期限が間近に迫るにつれ、読まずに返すのも癪だという思いが沸々と湧いてきた。最後4日間がちょうどゴールデンウィークとぶつかったという訳だ。

 しかも『雪夢往来』というこの本は結局、二度読みする羽目に陥った。人々が物価高の今日、様々な工夫をしながら、ゴールデン・ウィークを外に出かけて行く姿をTVを通して横目で見ながら、木内昇さんの筆にしたがってほぼ200年ほど前の鈴木牧之(1770〜1842)の越後での生き様を辿ることになった。あとで気づいたのだが、ほぼ一年前も木内昇さんの『かたばみ』という小説を読んでいた(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/06/blog-post_14.html)。

伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探究し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(旧約聖書 伝道者の書12章9〜10節)

2025年4月30日水曜日

『沢ぐるみ』という発語

沢ぐるみ 春の勢い 川に満つ
 いつもこの木に何故か、心惹かれる。初めてこの木が『さわグルミ』だと教えてくれたのは何年か前の妻の言葉である。どうして、そんな名前を知っているのか、私には不思議でならない。察するところ、妻の父から幼い時に、教えられたようだ。

 昨日も散歩のおり、しつこくこの木の名前をどうして知ったのか、聞いてみたが、あまり覚えていないらしい。しかし、「ひょっとして『さわ胡桃』でなく『鬼胡桃』かも知れない」とも言った。図鑑で調べてみると、どうも『鬼胡桃』が正解のようだ。

 義父は大正6(1917)年生まれの師範出身の教師だった。実地体験よろしく、子どもたちに教えたのだろう。その親子関係が羨ましくなる。私の父は明治44(1911)年生まれで師範は落ちたが、教員養成所上りの教師だった。義父は旧制中学、父は農学校を経由しての教師生活であった。義父は教師一本で晩年は郷土史に集中した。一方、私の父は同時に教練の先生として配属将校でもあった。戦後教師を辞め、食糧事務所に勤め、検査官として定年まで勤め上げた。

 父は戦争未亡人となった母が嫁いだ家に養子として入った。お家断絶の恐れを抱いていた母は凛々しい軍服姿の父を信頼しての再婚だったのだろう。一粒種の私は昭和18(1943)年に生まれた。父は後年私に一度も「戦争」の話はしなかった。ただ小学校低学年の時に、私の目の前で見せられたのはちゃぶ台をひっくり返しての夫婦喧嘩であった。その原因がどこにあったのかわからないが、大体において私の子育てをめぐっての意見の違いがあったようだ。しかし不如意な戦中、戦後の生活がもたらした互いの生活上の苦しみ悩みがあったのではないかと想像している。

 私が妻の「さわぐるみ」発語で羨ましく思うのは、父からそのように教わる機会を持たなかったことにある。残念ながら、家族三人で撮った写真は一枚もない。父はカメラ愛好家でドイツ製のカメラ「ライカ」を持っていたと聞いている。それなのになぜ?とも思う。詳しいことは語れないが、そこにはやはり戦争というものがもたらした傷跡がある。

 父は昭和56(1981)年痴呆症を患って、69歳で亡くなった。その父の無念を思うと一人息子として父を心から尊敬し愛さなかった己が無知を申し訳なく思う。できれば、母と一緒に伊吹山の麓で育った父の豊かな農学校上がりの知恵でもって、山々や野花の詳しい手解きを受けながら「さわぐるみ」の名前も覚えたかったと思う。

 しかし、今は妻の案内で豊かな植物の花々や自然界の春の息吹を味わうことができるのは望外の喜びである。その上、妻と私の結びつきは、義父が教師として歩む中で、私でなく、私のいとこが二人も義父に教わった偶然性から発展したことにあり、より一層義父の存在が私には眩しく見える。また我が父もそれに劣らない含蓄の持ち主であったことを今は思いたい。6歳違いの父と義父の年齢差は戦争に対する加担の思いは自ずと違うことだろう。義父の最初の子である昭和20(1945)年生まれの我が妻の名前はそれこそ平和への希求そのものである「和子」であることに改めて思い至る。

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(新約聖書 マタイ5章9節)

2025年4月26日土曜日

斯くて「この日」は去れり

 これはまた何と素晴らしい花であろうことよ。昨日、病院の玄関先で家内が指し示した花だ。調べてみると「ヒトツバタゴ」とあり、モクセイ科とあった。改めて今朝写真を取り出して眺めてみた。今日の日にふさわしいと思った。

 毎朝、食事のたびに私は「今日は何日、何曜日」と言うことにしている。そして『日々の光』という聖書のみことばを朗読し、お祈りする。今日はその言で行くと「4月26日」である。そう言った途端、家内が「26日?結婚記念日じゃない!」と言った。

 ここ数年家内の方からこの日に気づくことが少なくなっていた。ところが今朝はなぜかこのような会話になった。感謝なことだ。改めてこの花を見つめてみると、純白のウエディングドレスに身を包んでいた家内を思い出す。よくぞ55年の結婚生活に耐えて今日にまで至ったか感謝に堪えない。

 昨日は主にある友から『山路こえて』と題する歌集を贈っていただいた。千数百首から構成されていた。その歌を家内に読み聞かせた。四季折々の花々が巧みに詠み込まれている。その友とは10年近く親交があった。様々な事情があり、ここ数年交わりを閉ざしてしまった。

 そんな私に友は屈せず便りを寄越してくださっていた。この数日その友に一言私の気持ちをお伝えしたいと思っていた。以心伝心と言うべきか、昨日この400頁近い歌集が送られて来た。急いで読み出した。そのうちに、読み方が分からず、声に出して読まずにおれなくなった。不思議なことに声に出して読んでみるとリズミカルに文意をとらえることができた。何より友の肉声に接する思いがした。

 さらに驚いたのは家内が作者が詠み込んでおられる様々な花々に大変な関心を示して耳を傾けたことだった。いや、花に疎い私の方で家内にそれぞれの花の名前を挙げ、説明してもらう、そして再び歌に戻り、さらにその歌をしみじみと味わう余徳に預かることができた。

 まだ全部読んだわけでないので、その作歌の感想を述べられないが、折角だから、この日の記念に二、三彼の歌を紹介する。

卯月の晦日(つごもり)にして奥美濃は青葉に絡む藤の花房

竹叢(たかむら)の葉陰に咲ける山吹の花ひそやかに季(とき)は移らふ

「行く春の」芭蕉の句など思ひつつ美濃の山路を過ぎ行きにけり

 最後の歌は端なくも、前回の我がブログにそっと書き加えた芭蕉の句が引用の形で詠まれていた。不思議なことだ。

 一方、ここ2、3年お会いすることのなかった家内の50年来の親しい方が久しぶりに訪ねて来られた。85歳になられると言う。その方との屈託のない会話に終始している家内の自然な姿に接し、友の作歌を私の朗読に合わせてともに味わった姿と重ね合わせ、静かな喜びを味わうことができた。

 最後に今朝の『日々の光』の冒頭にあった聖句を紹介しておこう。これこそ主が気づかせてくださった、主が仲立ちとなって私たち夫婦を常に導いてくださる大きな愛の表出だ!

あの方(=主イエス・キリストのこと)の左の腕が私の頭の下にあり、右の手が私を抱いてくださる。(旧約聖書 雅歌2章6節)

2025年4月24日木曜日

下戸の春

花の香に 酔って候 下戸の春
 私の宿痾は『鼻』である。それも『後鼻漏(こうびろう)』という始末に負えない病に毎日悩まされている。小学生・中学生の頃から、鼻が出る(垂れる)のが恥ずかしくって、授業中、絶えず下を向いており、一時も早く授業が終わらないかとそればかり思っていた(休み時間になれば鼻をかめるからである)。病昂じて、小学校高学年から京大附属病院に通う羽目になった。

 今から考えてみると、家から近江電車で彦根まで行き、彦根から京都まで東海道線で行くだけでも大変だったと思う。当時は電車じゃなく汽車であった。特に大津から山科に入るまでの逢坂山トンネル、山科から京都に入るまでのトンネルは、煙除けのため、夏の暑い最中など窓の開け閉めで苦労した覚えがある。京都に着いたは着いたで、市電に乗り換えて、最寄りの駅『熊野神社』まで出かけた。

 だから、この持病の所為(せい)で田舎者だが、市電の河原町線、東山線の車窓から見える神社仏閣をはじめとする京都の風物には馴染まされた。大学卒業前に再び大学病院で鼻の手術をした。それ以来それほど気にしなくなった。ところが、10年ほど前から『後鼻漏』に悩まされるようになった。お医者さんによると加齢に伴う『血管性鼻炎』だと言われる。

 長々と「鼻」につきあっていただいたが、そんな私は意外と敏感な「鼻」の持ち主でないかと思った。今日の写真、俳句がその証拠である。いつも通り、自転車で古利根川に向かったが、道路脇に植っているツツジが発する「芳香」を胸一杯(鼻いっぱい?)感ずることができたからである。

 古利根川に着いたは着いたで、桜並木の袂に写真のようにツツジが街路樹よりさらに伸び伸びと花を咲かせていた。桜が散ってすっかり人通りの絶えたかに見える川縁だが、ゴールデンウイークを間近に控え、ゆっくりと落ち着いた春を過ごしたい。

「行く春を 近江の人と 惜しみける」(芭蕉)

主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きをいやします。そのかたわらには空の鳥が住み、枝の間でさえずっています。主は家畜のために草を、また、人に役立つ植物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。油によるよりも顔をつややかにするために。また、人の心をささえる食物をも。の木々は満ち足りでいます。(旧約聖書 詩篇104篇10〜12、14〜16節)

2025年4月23日水曜日

二三人我が名により集まる所、我も在り


 毎週月曜日は長男と私たち夫婦とで祈り会を持っている。もちろん長男は現役の働き人である。様々な用事がある中で、時間を工面するのは中々大変だと思う。案の定、今週は会社の会食があり、昨日22日(火曜日)に延期してくれと、21日(月曜日)に連絡があった。

 ところが昨日九時過ぎに待機していたが、電話はかかって来なかった。多分疲れて眠ってしまったのだろうと思っていた。ところが二、三十分経って携帯でなく、家の電話にかけてきた。どうしたのだと聞くと、いつも通り携帯に電話するが通じなかったのだと言う。

 このような携帯電話を通して三人で祈り会を持つのはいつからか覚えていないが、10年くらいは続いているのじゃないだろうか。その中で通じないという経験は今回初めてだった。原因は私のiphone設定にあることがわかった。

 普段、子どもたちから、5年前に『金婚記念』にといただいたApple Watchに励まされて散歩を欠かさず行っているが、1日の終わりにはその充電量が残り10%を切り、毎日困っていた。それを改善すべく操作をしたが、その際、外部からかかって来る電話が繋がらないようにしてしまった(ようだ)。『集中モード』と言うシステムだ。

 結局昨日はこのためあたふたとし、祈り会は行なえなかった。予定通りであれば、昨日は『ローマ人への手紙』2章の輪読と互いの祈りで終わるはずだった。何となく、泡の抜けたビールのような感じがしないでもなかったが、そのまま二人とも休んだ(普段、ビールは全然飲まないので、この表現は間違っているかもしれないが・・・)。

 さて、2000年前のキリスト者の書翰を通しての交わりについて、今せっせとパソコンに打ち込むという書写に勤しんでいる。『聖パウロの生涯とその書翰』がその本の題名だが、その本に次のような記載があった。以下にコピペする。

書翰の提携者テモテ
 当時にあって書翰の送達は容易の業ではなかった。ペルシヤのangariaを見本としてローマ皇帝が創設した帝国郵便があったけれども、それは国家の施設で、個人の急信は個人の使者が運搬した。普通に富豪は飛脚の人数を具えていたが、それほど余裕のない者は臨時に使者を雇傭した。さらに貧困なるものは友人かまたはその方へ向かう旅人に託した。これがこの使徒の手紙の送られた方法であった。今日の例をもって見ればテモテが逓送夫となった訳である。これは重大な職分であった。蓋しパウロの逓送夫は単純な郵便夫でなかったからである。彼らは人間による音信の書状として信頼せられたのみならず、記された書信を布衍(ふえん)し、また補助する責任を負うていた(ローマ15:12、エペソ6:21〜22)。

 この文章は1926年に日高善一さんが1907年イギリスのスコットランドの片田舎で牧会していたDavid Smithが表題の作品を物すべく13年かかって発表したものを日本人向けに翻訳して総ページ700ページを越える大冊にまとめ出版にこぎつけられたもので、私は今、無謀にもその大冊を書写している。「ちりも積もれば山となる」のたとえ通り、やっと今日の個所はその187ページにあたるところにまで到達した。テサロニケのキリスト者に宛てた第一の書翰について述べている個所である。2000年後、100年後、iphoneを通して家族・友人の救いのために祈る私たちの祈り会は敢えなくも中止された。しかし、そこには彼我の通信手段(2000年前の書翰とiphone)、また日本語表現の違いはある(100年前の日高氏の漢字表現の豊かさ!)ものの、2000年、100年をものともしない主なる神様の御憐れみ、ご支配があることを思わずにはおれない。

 それにしても引用文の最後の文章は中々味わい深い文章である。著者・訳者の真意を表わすための聖句は何だろうと考え喘いで、思い至った聖句を今日の聖句として記しておく。

私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。(新約聖書 2コリント3章2〜3節)

2025年4月21日月曜日

懐旧談(1960年前後の高校時代)


 今朝は新聞休刊日だった。こんな時、私の唯一の頼りはTBSの『森本毅郎スタンバイ!』である。八時台の話題では、名だたる「短大」が次々姿を消し、短大生の数が現在は最盛期の六分の1程度に減って来ていることを扱っていた。一昔前の時勢と今日では人々の価値観も変わって来たことを感じないわけには行かなかった。

 そのことがきっかけで、久しぶりに家内と高校時代の話をした。私たちは三学年違うが、同じ高校なのでお互いに共通の教師を知っている。しかも大抵、教師のあだ名で話が通ずるのだ。そんな私にとって、高校時代はまさに『春爛漫』の時代だった。

 元々、その高校には、中学2年生の時の担任は、進学は無理だと宣った。保護者懇談会を終えて帰ってきた母はその担任の言にぷりぷり怒って帰って来た。母としては息子の学力がそのような判定をいただいたことが不満だったのだろう。それは私に対するぼやきでもあった。

 そんな私がその高校に進学できたのだから、それだけでももって名誉とすべきだろう。だから、英語の時間、私の前の席に座っていた同級生は同じ姓なのだが、隣町から通って来た人だったが、恐ろしくその英語の発音が流暢で滑らかであった。私は嫌が上にもとんでもないところに迷い込んできたものだわいと思った。しかし、中間テストの折り、成績発表があったら、何と私がその人より好成績で、しかもクラスでトップだった記憶がある。

 それは英語だけに留まらず、化学でも好成績であり、苦手の数学も高評価をいただいた。途端に自信を持ち、あくなき好奇心に任せ、様々な本を読んでいった。高校の図書館だけで満足せず、市立の図書館、町の公会所などの図書など手当たり次第手にした。その頃ポーリングというアメリカ人だと思うが、ノーベル化学賞を受賞したと記憶するが、その彼の化学書があった。湯川秀樹の『理論物理学講話』という本も見つけた。

 高校は『東高』でなく『短付(たんぷ)』がふさわしいと中学の担任が宣ったにしてはエライ飛躍ぶりであった。とうとう一年の担任から、私の大学進学の相談のおり、彼の口から、京大理学部は、現役では無理だが、まあ、一年浪人すれば受かるだろうと、望外のお墨付きをいただいた。

 その教師の口調、態度を思い浮かべながら、この話をしたら、それ『コロンブス』でしょう、と家内は言った。私は、目を剥き出すようにして喋るその先生の姿を思い出しながら、どうしてコロンブスと言うのか、と聞いたら、「だって、顔が似ているもの」と言った。そう言えば、英語リーダーの教師は『暁月の君』だと、結婚してから家内を通して知った。「垢つきの君」と言って、いつも同じワイシャツを着ていらっしゃったからだと言った。さすが女生徒は観察が鋭いと思った。

 もう一人の英文法の教師は『てんこち』と在学当時から互いの間で呼び合っていた。口の両側に髭がピンと伸びていて、ヘアースタイルも斬新そのものであった。この先生はユーモアある教師でbuyの過去分詞を言わせ、生徒が答えられないと、「ボーっとしているな!」と喝をつけられた。今から考えると私のレベルにあった授業を各先生から受けたと思う。

 藤倉巌先生は『巌(がん)』と言うあだ名で呼ばれ、『徒然草』を読まされたが、その講義はまさに徒然草を通して語られる、人生訓で古文の学びを超えた真実の世界を垣間見させられた思いがした。一方、東大のインド哲学出身だと言われた先生からも英語の授業を受けたが、大変な博識で英語の授業より、三十三間堂の弓矢の射掛け話など余談ばかり聞いていた記憶がする。

 こうして中学時代に私に『短付(短大附属工業高校)』を勧めてくださった担任は、『東高』に進んだ私をどのように見ておられたのだろうか。ひょっとして、私に発奮を促す意図があったのかも知れない。そのお灸が功を奏したからこそ、私はこのような『春爛漫』の高校生活を手にしたのだ。一方、高校一年の担任の先生の言にもかかわらず、私は2年浪人をして、しかも当初の希望大学に入れず、その後の『疾風怒濤』の生活を経験する。こちらの方は恐らく担任の先生が私を励ますために言われたに過ぎないのに、私はこの時はそれ以上努力せずとも合格できると高を食ってしまったのだった。人生ってわからないものだ。

 なお、中学の担任の先生にはその後、私たちの結婚の際に、仲人をお願いした。その時、母は亡くなっていた。ぷりぷり怒って帰って来た母がそのことを知ったら、どんな表情をしたであろうか。今となっては全て懐かしい思い出である。

主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いはによる。(旧約聖書 箴言21:30〜31)

2025年4月11日金曜日

のどかなり、春の日

桜散り 戸惑いつつ 踏み歩む
 今日は、いつもの散歩コースと違い、久しぶりに古利根川の下流に歩を定めた。上流に比べると人通りは絶えており、野鳥(主に椋鳥だと思うが)の囀りのみが夥しかった。堤には桜花が路面を散り染めていた。一歩一歩踏み歩くのが思い慮られたが、何も言わない桜花に免じて歩かせていただいた。ふと見上げると今まで気づかなかった水原秋桜子の俳句があった。

 垣の梅 古利根川に 倒れゐる

とあった。流石に動的だ。私もそれを真似て、下の句を「歩みゐる」としたかったが、上のように詠んだ。

 一方、上流の河辺に見かけなくなった鴨や亀が下流にはそれなりに生息していることに気づかされた。左画面はその一つだが、上流と異なり、こうして丘の上に上がって日向ぼっこ(?)をしているのだ。一月ほど前に、「雉」をみつけたのも下流だったから、古利根川の包容力はなかなかどうして大したものだ。

 今朝は3月中旬以来、書写を試みている『聖パウロの生涯とその書簡』(David Smith著日高善一訳1927年刊行)も全700数ページのうち100ページまで辿り着けた。いよいよ本格的なパウロの伝道旅行の記述が始まるところだが、特に『使徒の働き』の13章の叙述が心に響いた。さわりの部分を紹介しよう。

占星家宣教師たちを妬む
 これぞまた得難き好機会であった。彼らは喜んでそれを捉えた。彼らは総督に福音を解説したが、彼は興趣を傾けてこれを聴いた。バルイエスはその傍に佇んでいたが、その主君が感激しているのを知って、警戒を与えた。彼は彼らが総督の信任を得て彼を排斥し、その営利事業を奪うことを虞れた。故に彼らを妨害しようと決心したが、パウロは遂に堪忍の緒を切った。彼はこの法螺吹きを尻目にかけて『ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。』(使徒13:10)と叱咤した。この使徒の心は憤りに燃えたが、同時にまた羞恥の情があった。福音に対するこの詐欺漢の反抗は宛然彼が寸分違わぬ同様の精神によってかつて行うたところであることを認めたからであった。彼は自らかつて陥ったと等しき宣告をバルイエスに下した。『見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。』(同13:11)と。その語は忽ち実現した。霊は占星家の眼を蔽うと、ダマスコ途上の迫害者と等しく『手を引いてくれる人を捜し回っ』て退かねばならなかった。
総督の回心
 これは一時的の現象で、恩恵深き計画であった。パウロは彼の罪とその刑罰と同様バルイエスがその悔い改めにおいても彼と等しからんことを望んだ。『これによりて彼が自ら受けたる休徴により』と聖クリソストムは言う『彼を捕えんことを望めるのみならず、なお「暫く」とは罰を与うる人の語ではない、回心せしめんとする人の語である。蓋し若しパウロにして罰せんとしたのならば、彼を永久の盲目たらしめたに相違はないからである』と。その結果は記録が残っていないけれども、奇蹟は無益ではなかった。占星家はともかくとして総督は捕らえられたからである。

この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。(新約聖書 使徒の働き13:12)

2025年4月8日火曜日

桜花爛漫の古利根川

桜花愛(め)づ 足音軽く 引きも切らぬ  
 今日も古利根川縁では、人々が行き交っていた。画面中央の御仁はキャンバスに向かって絵筆を走らせていらした。その左側の人は上を仰いで桜の木にカメラを向けていらっしゃる。自転車を走らせておられる方、前屈みがちになって歩を早めている方も、すでに心は豊かにされての帰り支度に違いない。

 川中には亀と鴨がお互いに仲良く共存しあっていた。亀は十匹近く縦一列に隊を組んでいる。その近くを鴨の数羽がこれも一団となって、回遊している。画面では捉えられていないが、親鴨は画面右の方に行ってしまったが、親子家族の鴨のようだ。百数十羽いた鴨もここ数日の間にすっかり姿を消しつつあるのだが・・・

 一方、魚は水量たっぷりの河中から浅瀬に入り込んでは、産卵するのだろうか、雌雄互いにのたうち回っての勢いは激しい。波飛沫をあげ、その音がバシャバシャと聞こえる。毎年のように、魚はここに上がってくる。いやが上にも生命の躍動を感ずる。一度その様を撮りたいのだが、中々iphoneでは撮れない。川中の波渦が辛うじてその様を映している。それで了としたい。

  かと思えば、今日じゃなく昨日の写真だが、相変わらず青鷺が虎視眈々と獲物を狙って王者の如く川央を飛んで行く。水辺に少し止まったところを撮影したが、すぐ気づかれて飛び去られてしまい、至近距離では撮影できなかった。それでも嘴の黄色が撮れたので良しとしたい。



 先週は寒く、春だと言うのに、全く冷え切ってしまった。しかしそんな時も川は流れている。暖かくなって桜の開花が進み、私たちの心も陽気になった。もし水なくばどうなるのだろう。樹木、植物は川の水を吸い上げ、実を結び花を咲かせる。一方川には魚が住み、鳥が近寄り餌を求め囀る。私はこの囀りを聴いているだけで心豊かな思いにされる。まさに春爛漫である。最後に今日の古利根川を紹介しておこう。


イエスは立って大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(新約聖書 ヨハネの福音書7章37〜38節)

2025年4月7日月曜日

春眠、夢を覚え


 四月も早や一週間が過ぎた。このところ連日のように古利根川縁は桜を愛でる老若男女の人々で賑わっている。溢れかえるほどではないのが、良い。皆それぞれじっくり桜を鑑賞できる。素晴らしいことだ。

 大抵、ほとんどノルマと化している、一冊の本(※)の書写に倦み疲れた頃を見計らって家内を誘い出し古利根川まで出かける。ある時は自転車で、ある時は徒歩で。徒歩だとかれこれ四キロになる。少し負担がかかるので、自転車で出かけ、古利根川の一周で我慢する時もある。まあ、半々である。82歳と79歳のコンビだから、果たしてこの先何年くらいこのような生活を続けられるのだろうか。

 漱石は確か、「午前の創作は午後の愉悦をもたらす」とかどこかで言っていたように思うが、私にとっては午前中の書写と散歩が、彼の「創作」にあたる。午後はゆっくり寛ぐ、それは彼の「愉悦」にあたる。

 さて今朝は不思議な夢を見た。ある集まりで音楽会が催された。指揮者として「山田耕筰」氏がタクトを振るから、という前宣伝であった。果たせるかな、彼がやってきて、演奏会は始まった。曲目はヘンデルであった。その音色は何とも言えない音色で、その音を聞きながら、ヘンデルにはこんな作品があったのだと独り感動しているのだ。感動していると言ったが、私はと言えば、演奏会の隣室の大きな部屋で寝そべって聞いているのだ。だから当然、指揮者である山田耕筰氏の顔はわからない。演奏される音楽だけが聞こえてくる。

 一体、これは夢と言っていいのだろうか。音が聞こえるなんて。しかも振り返ってみるとその音楽はサンサーンスの交響曲第三番の曲中、オルガンの全奏の前後(?)に奏でられる曲に似ているが、それよりもはるかに落ち着いていて、深みのある、えも言われぬ曲想だった。そんな夢の話を家内に話したら、「随分と高尚な話ね」と言った。私もこんな夢を見るのは初めてだ。まして音楽の素養がなく、むしろ音楽には劣等意識さえ持っている私がそんな夢を見たのだ。

 フロイトは夢判断をしたのだろうが、私の夢判断はどう出るのだろうか。春眠暁を覚えずという言葉もあるが、春の夢を語ってみた。

※『聖パウロの生涯とその書簡』(デーヴィツド・スミス著日高善一訳1927年刊行)

を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。(旧約聖書 イザヤ書55章6節)

2025年3月28日金曜日

諸人こぞりて主をほめよ!

 春が一斉に開花した今日この頃ですね。このところすっかりブログ離れを経験しています。そんな日々でも古利根川縁の散歩を欠かした日はありません。その都度、iphoneでせっせと写真に収めています。出色は何と言ってもこの鳥に出会ったことです。半年ほど前にも畑の中で見つけましたが、今回はもう目の前でこの美しく着飾った鳥がいたのです

 思わず、十枚ほど撮影しました。どれもこれも捨て難い思いですが、流石に当方のしつこさに参ったか、奴さんスタコラスタコラ、移動し始めるのです。飛ばないで。そしてスルスルとフェンス角を曲がり草むらに移って行きました。私もそこまで追うほど風流を解せない男ではありませんので、静かに見送りました。彼も安心したのか、歩を緩め草むらの主に帰りました。

 すると反対側の川中には、これまた、素晴らしい出会いがありました。それが右側の写真です。亀君三匹と鴨君三匹ののどかな川縁の姿です。別の場所では川縁の石ころという石ころの上に亀が甲羅干しをしていました。もはや十本の指では数えられない亀君が思い思いに石ころの上に乗っかっていたのですよ。もちろんこちらが少しでも近づこうものなら、ざんぶと奴さん、水中に潜ってしまいます。何とも言えない可愛さです。もちろん、今や川中は魚が水を得て泳いでいます。

 久しくご無沙汰している植物では、この歳になって初めて知ったことがありました、それもこの三枚の写真が語っています。芽吹くところから、花を咲かせるまでほぼ同一の小枝を撮影しました。毎日通っていましたが、二日ばかりこの木に近づけませんでした。今日、近づいてみてその木が桜ではないことに初めて気づいたのです。観察中、なぜ、桜色の蕾を見せてくれないのかと不思議に思っていたのですが・・・

 

 この左側の木こそ、私が執拗にその発育ぶりを追っていた木の開花ぶりだったのです。何年も春になるとこの木だけが他の桜とは違う。もっとも早く芽吹くと思っていたのですが、桜じゃなかったのですね。「すももももももものうち」と言う、かの「すもも」だったのです。ちなみに一番上の写真は月曜日、その下が火曜日、そして一番下が今日金曜日の写真です。桜の木が咲いているのですが、それをバックに白一色のすももの花が見事に咲き誇っているのです。

 さて、「花より団子」とは良く言ったものですね、果たして「すもも」の実が穫れるんですかね。これまた何も知らない男の愚問でしょうか。

 鳥も騒ぎ、川面にせせらぎも聞こえ、川中を見ますと大きな魚が泳いでいます。「春の麗(うらら)の古利根川(?)、上り下りの散歩道(?)」と思わず、口ずさみたくなります。それもこれも花々がそれぞれ一斉開花に励んでいるからなのでしょうね。でも、元はと言えば、天地万物の造り主のおかげです。旧約聖書詩篇148篇に素晴らしい主への賛美が繰り返されています。最後にその詩篇を写しておきます。

1 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。 2 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。 3 主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。 4 主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。 5 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。 6 主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。 7 地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。 8 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。 9 山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。10 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。11 地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。 12 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。 13 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。 14 主は、その民の角を上げられた。主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(新約聖書 マタイ5章16節)

2025年3月5日水曜日

ジャーナリズム健在たれ


 新聞、ラジオ、テレビと、ほぼ満遍なく付き合っているつもりである。それぞれの媒体の特徴があり、一つの事象を多角的に観察できるのは助かる。新聞が夕刊の配達を辞めた時には、もう新聞も終わりなのかと一旦は思ったが、しばらくの失望の期間がすぎて、今ではすっかり慣れてきて、朝刊にふくまれている夕刊記事(多くは文化欄)などをいそいそと取り出しては読んでいる(さしずめ、今朝の新聞の「戦間期の思想を拒絶する」と題する保阪正康氏の論考がそれにあたる。)

 トランプ・ゼレンスキーの口論をテレビで見た時には、これを識者はどのように見るのだろうか、とその意見が聞きたかった。ラジオのTBSの森本毅郎が月曜の朝、そのやりとりを丁寧に追っていた。土曜、日曜と様子眺めの状態が続いたが、事態の様子が明らかになると同時に今後の動向もにらんだ上での解説も徐々に散見できるようになった。なお、様々な論考に期待したい。

 ところで、現実政治は早くもアメリカのウクライナに対する武器援助が休止され、のっぴきならぬ事態へと動いている。かと、思うと、大船渡市では、こう着状態どころか、日に日に山林火災の範囲が広がっていく。その様を国際情勢、年度内予算成立を図る少数与党下の国内政治の動向に並行する形で、私たちは今目にさせられている。ひとときは、アメリカロサンゼルスの山火事は対岸の火であったのに・・・。幸い、雨雪が大船渡市上空にも舞い降りそうだ。一日も早い鎮火を望む。

 今朝の東京新聞の「筆洗」は次のように結んでいた。「奉納のおかげか。大船渡でも雪や雨が期待できるとの予報に少しほっとする。〈あめゆじゆとてちてけんじや〉ー。岩手出身の宮沢賢治の「永訣の朝」。病にある妹トシの雨雪を口にしたいと求める言葉が悲しいが、大船渡に今、〈あめゆじゆ〉がほしい。」 

 人間社会の移り変わりを感じながら、現実を明らかにしていくジャーナリズムの歩みに期待したい。最後に日曜日の歌壇欄に載った一人の方の短歌を紹介しておく。

かいつぶり 潜りて広ぐる水 尾の先 はるか遠くに 顔を出だせり
                   (神奈川県伊勢原市 佐藤治代)

私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。・・・私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。・・・舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やすのです。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。(新約聖書 ヤコブの手紙3章1、2、3、5〜6節)

2025年3月4日火曜日

二つの口径の世界


 二、三日前、買い物帰りの道路脇に、目にも鮮やかな花が咲いていた。家内に何の花か尋ねる。「かたばみ」だと答えが返ってきた。ブロック塀の排水口(径三、四センチ)を根城にこんなにも明るい色を見せてくれるのかと、写真に収めた。どのようにして種子から花に成長したのかわからないが、草花はほんのわずかな隙間を見つけては育っていくことに驚く。

 話は変わるが、台所の水道の蛇口が壊れた。DCMホーマックに出かけて同様な製品がないか見て回ったが、中々見つからなかった。店員の方に相談した。親切な店員で、あちらこちら探してくれた。最初は金具面だけだったが、その後、プラスチック仕様のものを探してくれた。しかし、いずれも壊れた蛇口との同寸法のものは見つからず、同サイズのパッキングを見つけるしかないですね、と最後に言われてその方とは離れた。それもそうだと、訳知り顔の境地で件のパッキングを今度は自分で探すことにしたが、中々見つからなかった。

 そうこうしているうちに、別の場所で違う店員さんが一人のお客さんの注文に対して熱心に応対している姿に遭遇した。そちらの用件が決着するのを待って、この店員さんに相談してみようと思い、ダメもとと思いながら、持ち込んだ、壊れた蛇口をその店員さんにも見てもらった。仔細に眺めたあと、それを手にして、その彼は先ほどの店員さんと違って、二、三箇所を経て、口径22ミリになる「首振りキッチンシャワー」なる2178円の製品を探し当ててくれた。

 家に帰って、当てはめてみるとまさにぴったりだった。二人の店員さんのお世話になったが、店員さんによってこうも違うのかと改めて思わされた。先の店員さんが悪かったわけではないが、あとの店員さんは、お客さんの要望に応えたいという熱心さにおいて、先の店員さんにまさっていたように思う。ひょっとしたら、商品知識の違いもあった上での結果だったのかも知れない。

 今では口径22ミリのシャワー製品は我が家の台所で元気に、壊れた蛇口に変わって、働いてくれている。一方、口径3、40ミリの隙間に根を下ろした「かたばみ」はさすがにここ一二日の寒さで、半分近く花びらをなくしたが、黄色い花の存在は、通る者の目を楽しませてくれているのではないか。人工(人事)と自然の違いはあれども私にとってはありがたい二つの口径が招いてくれた新世界の境地であった。

 ひるがえって、トランプ大統領とゼレンスキー大統領の首脳会談は、敢えて言うならば、両者の口径が合わず、決裂した。その余韻は今も世界の人々の耳目をそばだてさせている。人事の世界では口径が合わなければ、機能しないのだろうか。しかし、それだけではない。いのちある両者だ。いのちある者として、かたばみのように、口径をものともせず、豊かな色を見せてほしい。

光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。(旧約聖書 詩篇97篇11節)

2025年3月1日土曜日

輝かしい希望


 今日から、弥生三月に入りました。庭の山茱萸(サンシュユ)の花が咲きほころびました。毎年のことですが、このように時至って花を咲かせてくれる木に心からなる感謝を申し上げたい思いです。でも、すべては主なる神様のご配慮なのですね。

 毎日毎晩、岩手県三陸大船渡市の山林火災に胸を締めつけられる思いがします。一日も早い鎮火をと祈ります。さて、今日は下記の文章を載せさせていただきました。『重荷も軽く』(A.ドーフラー著)の「輝かしい希望」と題する文章の引用文です。愛する友が重篤で入院中です。その方に読んでいただきたいと決心してお送りしたものです。皆様もお読みくだされば感謝です。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新約聖書 コリントへの手紙第一15章19節)

 希望は人生の源泉です。私たちの生活から希望を取り去ってしまったならば、私たちは平安を保つことができなくなり、絶望へと追いやられてしまいます。

 神を無視する者でも、この世に希望を託しております。彼らは生計を立ててゆくことを望み、より良いことに会うことを望み、健康でありたいと願います。

 しかし、イエス・キリストの復活ほど、私たちを大きな希望で満たしてくれるものはありません。イエスの復活は、イエスが神であることを示し、神のみことばとお約束が常に真実であることを物語っています。イエスはいつも私たちと共に居てくださることを約束してくださいました。イエスは私たちに慰めを与えてくださることを約束してくださいました。神は私たちに、イエスが生きていらっしゃるように、私たちも生きると確信させてくださいます。

 人生においてさまざまな苦労に出会っている時や、苦痛と病気のために閉じ込められている時ほど、この神のお約束は必要なのです。これらの約束は、私たちが決してひとりではないことを確信させてくれます。私たちは主イエス・キリストの永遠のご臨在をいただいているのです。

 その上私たちは、イエスの復活によって、もう一つの希望を持たせていただきました。イエスの復活は、イエスが私たちの救い主であることを語っています。キリストを死から復活させることによって、父なる神はイエスの犠牲が十分に完全に、私たちの罪の代価を支払ったことをお述べになりました。

 イエスは悪魔の象徴であるヘビの頭を砕きました。イエスは悪魔に対して勝利を得られたのです。それゆえ、キリストを身の隠れ家としている限り、何物も私たちを損なうことができないことを知り、希望に満ちて将来を望み見ることができるのです。

 キリストが死から復活なさったのですから、私たちの、苦痛を受け病気をしがちなからだも、ついには朽ちない状態によみがえり、主イエス・キリストの栄光のからだに似たものとしていただけるのです。私たちはこの世において、いろいろと多くの試みを受けます。私たちキリスト者も、神を無視し、キリストを否定する人々と同様に苦痛を受け、痛手をこうむります。もし現世にのみ希望を託するならば、私たちはすべての人々のうち最も哀れむべき存在となります。しかし死のかなたにおいて、この苦しみを受けているからだが完全な状態においてよみがえるというところに、私たちの希望が存在しています。そこにおいて私たちの目から涙がすべてぬぐい去られます。そこにはもう、この世の苦痛はありません。もはや死ということも無いのです。主の御前は、永遠に喜びに満ち満ちているのみです。それゆえ私たちの希望は、この世の生活を超越した果てしない永遠にあるのです。これらすべてのことは、イエスの復活によって絶対確実なものとなります。

 それですから復活祭は、私たちに世界で最も幸いに満ちた喜び、最も希望に満ちた神よりのことばをもたらしてくれるのです。パウロがローマ人への手紙8章18節で言ったとおり、私たちも「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」と心から言うことができます。そして十分自信に満ちて 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」(新約聖書 コリント人への第二の手紙。4章17〜18節)と付言することができるのです。

 祈り

 永遠に生きていらっしゃる救い主イエス様。あなたは罪と死に打ち勝ち、栄光ある復活をなさいました。それによって罪の赦しと平安が私たちに保証されました。私は心からあなたを讃美いたします。今日もまたあなたの慈(いつく)しみを私にお示しくださり、私のすべての罪をぬぐい去ってください。悩みと痛みと苦しみとを受けている私を、罪のくびきや苦難から永遠に解放してくださるというあなたのお約束によって、私は希望に満ちてあなたを仰ぐことができます。どうか御恵みによって、常に私の近くにいてくださり、一日のすべての時を、輝かしい栄光の福音によって慰め、揺るがぬ信仰をお与えください。

 あなたのみことば、および、あなたに対する信仰から、私たちすべてが最後まで離れることなく、神の国民を待ち望む栄光に連れて行っていただけますように。イエスの御名によってこの祈りをおささげいたします。 アーメン 

2025年2月26日水曜日

『神の愛』は何処にもあり


 昨日は、ひさしぶりの投稿に対して、早速ありがたい励ましのコメントをいただいた。同氏はせっせとご自身のホームページ(https://sakota575.webnode.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/)で日々、写真と共に俳句を載せておられる。私もそれにあやかるべく、日々の観察怠りないのだが、中々詩心もなく、ほぼ一月余り投稿を休んだ。

 この間、何もしていなかったわけではない。写真はなるべく撮るようにしていた。今日、掲載の写真は先週水曜日、病院に出かけた際に、見かけた「タイリクセキレイ」の姿である。セキレイは写真に撮るのが難しい。ところがこのセキレイ君はどうしたわけか、歩道を歩いていた。それだけでなく、近寄って来る。自転車を降りて、彼の姿を追った。手元まで近寄って来る。またとないシャッターチャンスであった。その余りにも熱心な当方の姿に敬意を表されたのだろうか、通りがかり(多分同じ病院通いなのだろうが)のご婦人が立ち止まって、私に「撮りなさい」と言わんばかりの意思表示を示された。

 私は、この変わったセキレイ君の姿にすっかり安心しきって、逆にご婦人にどうぞ構わず先へ行ってくださいと手招きした。それまでのセキレイ君の行動ぶりから、ご婦人の通行の邪魔を詫びる余裕があっての私の所作であった。ところが、あにはからんや、と言うより、セキレイ君本来の彼らしき行動を発揮して飛び去ってしまった。残念!身近でバッチリ撮れるという思いは敢えなくも潰えた。けれどもご婦人も残念がられたが、セキレイ君は道路脇の人家のお庭に入りましたよ、と丁寧に教えてくださった。確かに自分の希望通りの写真は撮れなかったが、病院行きの束の間の爽やかなひと時であった。

 ところで、この病院行きこそ、ブログを休んでいた理由の一因であったことに思い至る。それはここ二、三年右手人差し指が痛んでいた。家内は私がおびただしくキーを叩く所作を目にしては、心配して、いつも「やめろ」と言わんばかりであった。だから「痛い!」なんて口に出したくなかった。そして内心では折れているのではないかとビクビクしていた。そのため整形外科に出かけたのだった。幸い、骨は折れていず、「経皮鎮痛消炎剤」なるものを処方されて帰って来た。それを塗っても症状は今まで通りであまり変わっていないが、意を決しての病院行きはパソコンに向かう我が生活に少なからず後押しをしてくれた。

 病院通いのついでに書くと、もう一つの根本的な理由がある。病院行きは待ち時間で多くの場合、辟易するのは皆さん共通の思いではないだろうか。そんなおり、待ち時間をどう過ごすか各自様々な工夫をなさると思う。私はこの病院行きに一冊の本を持ち込んだ。

 その本の題名は『なにものも私たちを神の愛から引き離すことはできない(上巻)』(G・ベック著)という恐ろしくも長い題名の本である。新約聖書の「ローマ人への手紙」をはじめから終わりまで、そこに表現されているみことばを今の私たちにわかるように書かれている本である。

 新約聖書の中にある「ローマ人への手紙」は、誰しもが一度は挑戦したことのある手紙であろう。私も何度か読んでいるが、いまだに初めから終わりまで貫通して読み切ったことがない。それで昨年末ごろからであったか、別の方の書物『 ロマ書講演』(パゼット・ウィルクス)を随分時間をかけて読み切ることができ、大変感銘を受けた。

 ただし、この講演自体は昭和6年(1931年)であり、文語体で書かれており、すごく読みづらかった。そこで、お膝元であるベックさんの書かれた本をとにかく読んでみよう、それを読み切った後でないともう何も言えない、言いたくないという思いであった。パゼット・ウィルクス(1871〜1934)は明治期から昭和期にかけて日本伝道のために働かれた宣教師だったが、紙上でしか拝見できない方であるが、私の尊敬してやまない英国の宣教師だ。それに比べて、わがベック兄は2016年8月23日に召されるまで、我が家に26年間、来てくださり、ある時は旅先の四国の坂出では一緒に枕を並べ、寝食を共にさせていただいたこともある。

 そのベックさんが召されて9年になるが、その御本を丁寧に読み切ったことがない。それで時の間を惜しんで、その本に没頭していたためである。ブログ休止はそれが最たる理由である。

 さて、整形外科の待合で多分、これまたその『神の愛』に没頭していた時に、Bさんから声をかけられた。Bさんは二日前にその病院で心房細動のためステントを挿入する手術を受けて退院されたばかりで、その日は、その術後手当で来院されていた。私は、その前日にはBさんのお見舞いに同じ病院に出かけたが、あいにく退院なさった後でお会いできなかった。その翌日、こうして病院で会うことができたのだ。

 顧みれば、セキレイ君に出会い、Bさんに声をかけられる。昨日今日の短い間にも丁寧にコメントを寄せてくださる愛読者の方々がいる。『神の愛』はこのような形でも貫通されていることを思わざるを得ない。ただし私の『神の愛』の読書は上巻の237頁あたりを今通過しているところであり、まだまだゴールには程遠い。なお、この『神の愛』のもとになるベック兄の音声があるのでそれも並行して聞いている。「耳」と「目」で、『神の愛』を味わいながら、春を待ち望んでいる。これほど贅沢なことはない!

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(新約聖書 ローマ人への手紙8章38〜39節)

2025年2月25日火曜日

トーゴーさん、こんにちは

壮観なり 大池親水公園 2025.2.17
 今朝の朝刊を見て、懐かしい思いがした。トーゴーさんのお写真が出ていたからである。1年半ほど前、トーゴーさんとは信濃鉄道「中軽井沢駅」で乗り合わせた。と言っても、ご挨拶したわけでない。こちらは無名人であり、先方はこちらをご存知ない間柄だからである。

 東京新聞は昭和100年、戦後80年を記念して「昭和20年に生まれて」と題して、今年80歳になるそれぞれの方の戦後(史)を伺い、それをもとに紙面構成をしている。見出しには「『51』譲り『49』取る覚悟 終戦交渉の祖父 残した信条」とあり、元外交官・東郷和彦さんへのインタビューによる編集記事であった。

 私はほとんど眺めるようにこの記事を追った。一読するまでもなく、1年半ほど前、トーゴーさんの祖父東郷茂徳さんに関する書籍を次々読んで、東郷氏が類まれなる人物であることに痛く感心もし、もっと調べてみたいと思わされた記憶がよみがえってきたからである。

 そのことを家内に話したところ、家内は案の定、忘れている(※1)。だから無駄だとは思いながらもそのトーゴー氏との出会いについて少し話してみた。と同時に、本ブログに東郷茂徳氏について熱っぽく書いていた数篇の記事の投稿を思い出した。

 一方、今朝、いつも聞いているTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」で、森本氏がウクライナの停戦の行く末を心配する中で、珍しく石破首相の言を評価していた。それは武力でなく、外交で決着をつけるべきだという真っ当なことばを首相が述べたと言うことだった。

 外交交渉がいかに大切なものか、また外交官がいかに苦労するか、かつて遠縁にあたる方(※2)を通して、その一端を知らされていたし、今朝の新聞・ラジオを通して端(はし)なくもそのことを痛感させられた。

 昨日、三男が突然一人で訪ねてきた。「お父さん、お母さんの顔を見たい」と思ったようだ。また、一枚の新聞記事ではあったが、ひょっこりトーゴーさんのお顔を拝見して、「顔」の大切さを思い、久しぶりにブログ記事を書く気になった。これも親しい友人から、昨日LINEで「もうブログは終わったのですか」と問われての今朝だった。愛のみがしからしめる持ちつ持たれつの間柄を、歩ませていただいている今日この頃である。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/07/blog-post_5.html この日をきっかけに数篇投稿している。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/02/20102.html この本の著者は父君が外交官であった。「子どもたちはその困難さを知ってか、それぞれ外交官の道を選ばなかった。しかし、その孫が再び外交官になった、不思議なものだね」と言われた。このお孫さんは今は外交官の道を退いておられるが、別の形で尊い宮仕えをなさっている。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。(新約聖書 1ヨハネ4:8)

愛は決して絶えることがありません。・・・完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。・・・今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(新約聖書 1コリント13:8、10、12)

2025年1月21日火曜日

『財布君』と私たち

朝日浴び 新春の気 漲(みなぎ)れり  2025.1.4
 昨夕、家内の財布が見当たらなくなった。家内は、買い物袋、ポーチ、服のポケット、また部屋の中などありとあらゆるところを必死に探してみるが、どこからも出てきそうにない。そう言えば先週、友人が雑談の中で、自転車で外出して財布を落としたが、拾った人が警察に届けてくれて見つかったと嬉しそうに話したのを耳にしたばかりだった。その際、友人は「(悪いニュースばかり流れるが、)こんなふうに、世の中には正直に届けてくれる人がいるんだよね」と感にいると言わんばかりであった。それもそのはず、友人はその財布に大切なものを一切合切入れていたのだ。

 こんな時、いつもなら家内の失策をあげつらって私はガミガミ言うのだが、昨晩は我ながら、落ち着いていて、家内を責めるでなく、一緒になって、室内をなめるが如く、徹底的に探した。かれこれ一時間程度探したであろうか。それでも見つからない。こうなるとどこかで落としたに違いないと結論づけるしかなかった。記憶できない家内に代わり、財布の所在を遡って思い出すことにした。昼前、「ダスキン」の人が来て、家内がお金を払った。その後、自転車に乗り、古利根川べりの散歩に出かけ、その足で「ベルク」に買い物に出かけ、そこでも家内が代金を払った。自転車で家に戻る途中、何とかと言う薬チェーン店に立ち寄ったが、お目当ての品物がなく、買わずに店を出てきた。そこまで思い出せた。

 多分、その間のどこかで財布が落ちたのに違いない。でも見つからないだろうと、思いながら、先日の友人の話もあるので、とりあえず警察に電話した。受付の方が丁寧に応対してくださった。遺失物届けである。遺失物の内容を問われて家内が出たが、一枚のキャッシュカードが入っていることは確かだが、その他のものは思い出せなかった。生憎、警察には現時点では届いていないと言われ、万事休すであった。ただ、その時、「ベルク」や「ウエルシア」に立ち寄られたのなら、そちらのお店にも聞いてみられてはどうですか、と言われた。

 それで先ず、「ベルク」に電話したが、「(そのようなものは)ありません」という答えだった。「ウエルシア」では店内には入ったが、お目当ての品物がなく、買い物もせず、そのまま出てきたので、電話しても無駄だろうと思ったが、一か八かで電話した。しかし、何とそのお店に件(くだん)の財布はあった。その一報を耳にして家内も私もどんなに喜んだことか。家内は自分の不注意で夫にも迷惑をかけ、またキャッシュカード紛失届に銀行に赴かなければならないと覚悟していただけに大変な「救い」を体験したに違いない。

 買い物をしなかった「ウエルシア」にその財布(実は「小銭入れ」だったが)が届けられていたとは不思議だった。つらつら考えてみると、お金を持っていなかった私が家内から小銭入れを預かって、店内に入り、お目当ての品物がなく、店外で待っていた家内と合流して帰ってきたのではなかったか。その辺の記憶は家内には全然ないし、私にも記憶がない。ただ合理的な根拠を次々と時系列で詰めてみるとそうではないかと思った。

 財布の手渡しが駐車場で行われ、その際どちらかが意識しない形で『財布君』は私たちの手元を離れたに違いない。そして、通られた来客のどなたかに拾われ、お店の人に届けられ、のちに持ち主である私たちからの電話で、『財布君』は無事に私たちの元に帰ってきたのだ。数日前の友人の話に続き、また新たに人の善意を覚える昨夕の出来事となった。そして財布をなくした妻をいつものようには責めなかった私に、主なる神はすでに私の不注意だということを知らしめようとしておられたのではないだろうか。

 これらの文章の最後は私の推測であって、本当のところはどうだったかはわからない。ミステリーと言えばミステリーである。さて、このような失くしものとそれが見つかった時の喜びはこの上もないことはどなたも経験しておられるのではないだろうか。

 私は家内のなくし物を家内と一緒になって探したが、それは言うまでもなく、下の聖句にある女の人の「あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか」に促されての行動だった。だから、それが出てきた時の喜びを一瞬のうちだが、家内と共に共有できた。そこには拾ってくださった方の善意があっての結果だったことを覚える。それは小さな喜びであったが、ここでイエス様は、なくなった銀貨が見つかった人の喜びがたとえようもない喜びであったことを、私たちに注意させておられる。その喜びはまた「わき起こる」とも言っておられる。私たち自身が『財布君』であることを覚えたい。

女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(新約聖書 ルカの福音書15章8節〜10節)

2025年1月20日月曜日

甲乙付け難し

鴨くん ごめんね みんなで寛いでいたのにね 2025.1.11

 歌は人間生活に欠かせない。そこには、「詩」がある。漢字は言偏に寺を宛てている、まさしくそういうものであろう。ところでキリスト者生活にはこの歌が欠かせない。この一ヶ月間年末から年始にかけても、聖書輪読と散歩は日々欠かしたことのない日課としてきたが、それに少しずつ讃美を加え始めた。その中で出会ったのがかの有名な『いつくしみ深き友なるイエスは』(※)「と三度も繰り返される讃美歌312番である(今の世、この歌に思い当たらない方も、you tubeで存分に聴くことができますね)。この歌が生まれるにあたってはそれなりの一人の人間の心が、「詩」があった。そして今やその「詩」は全世界に伝えられるようになった。

 この機会に邦文で知ることのできるその「詩」を三つ順次にあげた。いずれの邦文も甲乙付け難しである。読者諸兄姉はどう思われるだろうか。

讃美歌312番の歌詞は

いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを  とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、などかは下さぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは、我らの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰めたまわん。

いつくしみ深き 友なるイエスは、かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友我らを 棄て去るときも、祈りに答えて 労(いたわ)りたまわん。

と、なっている。
聖歌607番の歌詞は

罪とがを荷のう 友なるイエスに 打ち明け得るとは いかなる幸ぞ。
安きのなき者 悩み負う者 友なるイエスをば 訪れよかし。

試みの朝(あした) 泣き明かす夜 気落ちせずすべて 打ち明けまつれ。
われらの弱きを 知れるきみのみ われらの涙の もとを読みたもう。

気疲れせし者 重荷負う者 隠れ家なる主に すがれ直ちに。
なが友は笑い 迫害すとも 主はなれを抱(いだ)き 慰めたまわん。

一方、キリスト集会が使用している『日々の歌』180番の歌詞は

心を主イエスに注ぎ出す時、主はいと優しく語らいたもう。
悩みと憂いに沈むその時、主イエスは呼ばれる、みそば近くに。

試みにもだえ涙する夜、痛む心をば主イエスの前に。
私の弱さも涙のもとも、優しい御手もて、抱きとめたもう。

重荷を負う者、疲れた者に、「来なさい」と主イエス呼びかけたもう。
浮世に責められ嘲られても、主はいつも我と、共にいたもう。

※原曲歌詞は”What a friend we have in Jesus ”Joseph Scriven

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避け所である。(旧約聖書 詩篇62篇8節)