あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。(エステル8・8)
このことから、私たちの王である方のもう一つの預言を忘却しないようにしましょう。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15・7)
主はご自身の内にとどまる者たちを保証するとき名前と印を押され、おっしゃいます。「これから起こる事を、わたしに尋ねようとするのか。わたしの子らについて、わたしの手で造ったものについて、わたしに命じるのか。」(イザヤ45・11)「あなたが事を決めると、それは成り」(ヨブ22・28)とあるとおりです。
このことは私たちがとりなすことを励ますのではないであろうか。恐らく私たちはエステルのように言うでしょう。「どうして私は、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか。」(エステル8・6)しかし、私たちは果たして今まで王の名前と王の指環を完全に有効に使ったことがあるのでしょうか。
主は私たちに変わることのない預言をくださったのだから
主はご自身の内にとどまる者たちを保証するとき名前と印を押され、おっしゃいます。「これから起こる事を、わたしに尋ねようとするのか。わたしの子らについて、わたしの手で造ったものについて、わたしに命じるのか。」(イザヤ45・11)「あなたが事を決めると、それは成り」(ヨブ22・28)とあるとおりです。
このことは私たちがとりなすことを励ますのではないであろうか。恐らく私たちはエステルのように言うでしょう。「どうして私は、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか。」(エステル8・6)しかし、私たちは果たして今まで王の名前と王の指環を完全に有効に使ったことがあるのでしょうか。
主は私たちに変わることのない預言をくださったのだから
光と喜びがもたらす王の命令だ
栄光ある預言には主の名前が記され
私たちの心の上にはご自身の印章指環が捺されている
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-29-signed-and-sealed/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97224です。
第2章 光彩(6)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
イギリスからの訪問客と一夕過ごすために招待された一人の若いアイルランドの女子学生は応接間にフランシスが入ってきたときのことを記している。「『鳥のさえずり』が『部屋内をさんざめかせた』。そう、ことばを選んで言いたい。彼女は陽光があふれるように、また丘の中腹のそよかぜのようにきらきら輝いて私たちの前に立ち現れた。美しく快活にカールした髪が肩にかかり、輝く眼は踊るようで、生き生きとした甘い声が部屋を通り抜けて行った。私はその一夕を決して忘れないだろう。決して、決して。彼女がすばらしく美しい声で賛美歌を歌い、ヘンデルの二三の小品、私を徹底的に感動させた曲を弾いた時、完全なとりことなり座ったままであった。私たちは暗くなった街路を家路に向かいながら、誰彼ともなく交互に言い合った。『おお、何て彼女は愛らしいのだろう、彼女は生まれながらの天使のように歌うではないか』『私は彼女が大好きになった、できるものなら私は彼女がイギリスに帰る道に同行したい。』『おお、彼女こそほんとうのコリーン・ブラウンだ※http://www.clarelibrary.ie/eolas/coclare/people/bawn.htm』」
クラスの別の者は美しい歌い手の心のうちには神ご自身の愛の音楽があるにちがいない、その結果、顔に喜びがあり、ことばにおいても、また様々な方法においても喜びがあるのだと四六時中感じていた。そしてひそかな叫びがその若いアイルランド人の心の中から聞こえてくるのだった。「主よ、私に教えて下さい、私にも、あなたを知り、あなたを愛することを」)
第2章 光彩(6)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
イギリスからの訪問客と一夕過ごすために招待された一人の若いアイルランドの女子学生は応接間にフランシスが入ってきたときのことを記している。「『鳥のさえずり』が『部屋内をさんざめかせた』。そう、ことばを選んで言いたい。彼女は陽光があふれるように、また丘の中腹のそよかぜのようにきらきら輝いて私たちの前に立ち現れた。美しく快活にカールした髪が肩にかかり、輝く眼は踊るようで、生き生きとした甘い声が部屋を通り抜けて行った。私はその一夕を決して忘れないだろう。決して、決して。彼女がすばらしく美しい声で賛美歌を歌い、ヘンデルの二三の小品、私を徹底的に感動させた曲を弾いた時、完全なとりことなり座ったままであった。私たちは暗くなった街路を家路に向かいながら、誰彼ともなく交互に言い合った。『おお、何て彼女は愛らしいのだろう、彼女は生まれながらの天使のように歌うではないか』『私は彼女が大好きになった、できるものなら私は彼女がイギリスに帰る道に同行したい。』『おお、彼女こそほんとうのコリーン・ブラウンだ※http://www.clarelibrary.ie/eolas/coclare/people/bawn.htm』」
クラスの別の者は美しい歌い手の心のうちには神ご自身の愛の音楽があるにちがいない、その結果、顔に喜びがあり、ことばにおいても、また様々な方法においても喜びがあるのだと四六時中感じていた。そしてひそかな叫びがその若いアイルランド人の心の中から聞こえてくるのだった。「主よ、私に教えて下さい、私にも、あなたを知り、あなたを愛することを」)